第23話 霧の中の牙
俺はベールの外へ飛び出した。
迷いはなかった。
目の前の仲間たちが、襲われかけている──それだけで十分だった。
「ま、待てっ!」
誰かが叫んだ。ボーダーの男の声だ。
だが、俺は止まらなかった。
足元の大地が重く、空気がねっとりと肌に絡みついてくる。これが……境界の影響。
まとわりつく瘴気のような圧力を、俺は意識ごと振り払うようにして、前へ踏み出した。
ラットが跳躍する。
目の前に現れたその魔物を、俺は斬った──一閃。
ラグナブレードが、まるで意志を持つかのように導いてくれる。
村で握った剣とは、明らかに違う。
滑らかに、鋭く、迷いなく。
次の一匹も、その次も──俺の前に現れたバスクスラットは、すべて一撃で沈んだ。
「……あいつ、何者だ?」
そんな呟きが遠くから聞こえた気がしたが、今は耳に入らなかった。
風を切る感触が手に残る。
この剣は……馴染んでいく。
ラグナブレードを握り直した瞬間、刃の根元に微かな風が集まり、手元にざわめくような感覚が走った。
そのまま振るうと、刃先から風が生まれた。
──風刃。
斬り裂かれたラットの奥にいたもう一匹にも、その風の刃が届いた。
切っ先が届いていないはずの位置。だが、奴は斜めに裂けて地に伏した。
精霊シルフの加護──これが、ラグナブレードの本来の力。
手応えはあった。
風刃の一閃が敵の動きを止め、前に出るほどに道が開けていく感覚があった。
だが、流れは長くは続かなかった。
「数が……多すぎる!」
吐き捨てるように呟いた直後、周囲を見渡す。
ボーダーの一人が魔法を放ち、仲間が斬り込む。
完璧とは言えないが、連携が機能している。
旅人の中にも剣や弓で応戦する者がいた。
明らかに素人ではない動き──かつて戦場に立った者たちだろう。
誰もが、それぞれの場所を、必死に護っていた。
俺は再び最前線へと進み、ラットを迎撃する。
だが、二匹、三匹と斬っても、すぐに次の影が間を縫うように迫ってくる。
一撃で倒せるとはいえ、振り抜いた腕を戻す間にも、別の個体が別方向から跳びかかってくる。
視界の端が、灰色の影で埋まっていくような感覚。
少しずつ、捌ききれない気配が背後から忍び寄っていた。
「くっ……」
ラットの影が一匹、俺の視界の端をかすめた。
気づいた時には──遅かった。
一匹が俺の脇をすり抜け、そのままキャラバンへ向かって跳躍する。
やばい──!
振り返ったその刹那、別の一匹が俺の足に噛みついた。
「ぐっ……!」
すぐに振り払って斬り伏せる。
だが、ラットはすでにミラの方へ──
「ミラッ!」
──くそっ、間に合わない!
ベールを張っていたミラは、結界維持に全神経を注いでいて迎撃の余裕などなかった。
──その瞬間。
風が鳴った。
銀の閃光が空を裂き、ラットの身体を真っ二つになる。
そこに立っていたのは──
フードを脱いだ女だった。
銀色の髪が陽光を反射し、視線は冷たく敵を捉えている。
彼女の動きに無駄はなかった。
襲いかかるラットが跳びかかった瞬間には、すでに姿を消し、次の瞬間には斬撃を終えていた。
まるで狩りのように。
──斬撃が、見えなかった。
気づいた時には、敵はすでに倒れていた。
彼女はそれ以上戦場の奥へは進まず、静かに身を引く。
あくまで、必要なときに必要なぶんだけ剣を振るう。
それ以上は、何も語らない。
俺はその姿に一瞬だけ目を留めると、再び自分の前に残るラットへと意識を戻した。
次第に、ラットの数が減っていく。
こちらの応戦に押されてか、ラットの動きに迷いが見え始めた。
だが──それだけではない。
何かに気づいたように、一斉に耳をそばだて、霧の奥を振り返る。
そして次の瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
一斉に霧の奥へと姿を消し、辺りに静寂が戻る。
「……終わったのか?」
誰かが呟いた。
辺りには、苦しげな息遣いと、地面に横たわるラットの死骸、そして負傷したボーダーたちの声だけが残っていた。
キャラバンの荷台──その上にいるミラと目が合う。
ミラは小さく頷いた。
俺も頷き返す。
言葉はなくとも、それだけで十分だった。
戦場の緊張がようやく緩んだのを感じながら、俺は倒れていたボーダーの男の元へと歩を進めた。
「……助けられたな」
男は傷だらけの腕を押さえながら、俺に言った。
その視線には、どこか探るようなものがあったが、まずは礼が先だったようだ。
足元に転がる彼の剣を拾う。
その瞬間──
視界の端に、青白い文字が流れた。
【対象】青銅剣(無銘)
【カテゴリ】武器系フラグメント
【出典時代】不明
【性能】 攻撃力:20 耐久力:15 属性:なし 特殊効果:なし
【貴重度】Eランク(普及品)
(※特に目立った力は感じられない)
「っ……」
……今のは、メモリアの反応か?
ラグナブレード以外にも、こんなふうにわかるのか──。
意識とは別に、何かが勝手に働いているような……そんな感覚があった。
けれどそれはすぐに消え、俺は何事もなかったかのようにその剣を男に手渡した。
「お前……何者だ……?」
男の視線が言葉以上に重かった。
だが、今の俺には、それに答える言葉がなかった。
ふと、気配を感じて視線を上げると──
少し離れた場所で、銀色の髪の女が静かに立っていた。
他人に関わる様子もなく、淡々とした佇まいで。
視線が合った気がした。
だが彼女は何も言わず、荷台の影へと戻っていった。
静けさが、辺りを包む。
戦いの余韻に、誰もがしばし立ち尽くしていた。
かすかに晴れた霧の向こうで、誰かが肩の力を抜く音が聞こえる。
……だが、そのわずかな安堵を切り裂くように、大地が低く唸った。
──地鳴り。
嫌な予感が、背中を走る。
まだ終わってなど、いなかった。
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