第19話 焚き火の夜
夜が近づくにつれ、キャラバンの野営地には焚き火の灯が点り始めていた。
焚き火の灯りが次々と点り始めた頃、俺は近くで荷を整理していた男に声をかけられた。
「なあ兄ちゃん、ちょっと頼まれてくれないか?」
青年と言うには少し年上の、浅黒い肌の男。キャラバンの荷運びを担当しているらしく、腕は太く、口調はざっくばらんだった。
「あそこの川、少し下流に行くと大物が釣れるって話でな。今日は肉ばっかりだし、魚があるとちょっと嬉しいんだわ。釣り竿は貸すから、頼んだぜ!」
そう言って、男は笑いながら釣り竿を手渡してきた。
「任せてください。……大物釣ってきます」
まぁ、魚釣りなんて、あんまりやったことないけど──そう思いながらも、 ミラが料理を担当していることもあって、俺も何か役に立てるならと思った。
川へ向かう背に、「期待してるぞ〜!」という声が飛んできて、少しだけ背筋が伸びた。
小さな火が幾つも揺らめき、それぞれの輪の中で人々が食事の準備を始めている。
俺は釣り竿を手に、少し離れた岸辺に立った。
水面に糸を垂らし、静かに待つ。
冷たい空気が肌をなぞり、空には星が瞬き始めていた。
「どう?」
しばらくぼーっと水面を眺めていると、突然後ろからミラの声がかかった。
振り返ると、彼女は焚き火から少し離れた位置に立ち、両手を腰に当ててこちらを見ていた。
「そっちは?」
「ま、煮込み担当って感じ。干し肉と野菜でスープ作るよ」
「……釣れたら追加してもいい?」
「任せた!」
ミラは笑ってそう言うと、火のそばへと戻っていった。
やがて、浮きが跳ねた。 グッと引いた手応え。
慎重に糸を巻き、手に収めたのは掌より少し大きな銀色の魚だった。
大物とは言えないかもしれないが、上出来だろう。
そのあとも何匹か釣れたが、大物とはいかなかった。
焚き火の前に戻ると、行商らしき中年男が笛のような細長い楽器を奏でていた。
素朴な音色が野営地に漂い、旅人たちの会話もどこか和らいでいるようだった。
俺は釣り上げた魚を他の人たちに分けた後、数匹をミラのもとに持っていくと、彼女は手際よく内臓を抜いて焼き網に並べていった。
調味料は塩と香草だけだが、漂ってくる香りは食欲をそそった。
出来上がった料理は、旅の中では一番のご馳走だった。
干し肉と野菜のスープ、焼き魚に固めのパン。火を囲んで食べるそれは、どんな豪華な食事よりも温かかった。
「ねえ、アッシュ。昼間のことだけど──あのフードの女の人、何て言ってたの?」
ミラが、パンをかじりながらぽつりと聞いた。
「……気をつけることだ、って」
「ふーん。何にだろうね?」
俺はラグナブレードに視線を落とした。
「たぶん、この剣を見てた気がする……。けど、何が気になるのかまでは分からなかった」
「もしかして、フラグメントだって分かったのか?」
俺が問い返すと、ミラは小さく首を振った。
「それはないと思う。フラグメントって、不思議な力を持ってるものが多いけど、外見じゃほとんど分からないんだよ」
「でもラグナブレード、剣だし……」
「そうそう。剣にしか見えないし。鑑定するには特別なスキルがいるしね」
「鑑定? 俺のメモリアは……どうなんだろ」
「うーん、ちょっと違う気がするんだよね。鑑定はモノの性質を見極めるだけだから、素材や能力はわかっても名前までは、ね?」
それにあの時、確かに俺はこの剣の性質以上の何かに触れた気がした。
ミラは、スプーンを回しながらふっと笑った。
「もしかしたら、高そうな剣だから盗まれないように気をつけてねって、それだけかもよ」
その時、少し離れた焚き火の輪から、誰かがこちらの会話に気づいたようだった。
向かい側で酒瓶を手にしていた男が、ふっとこちらを見て声をかけてきた。
濃い青のコートを羽織った、ボーダーの男だ。
「こんなところでフラグメントの話とは、物騒だな」
ミラと俺が振り向くと、男はにやりと笑いながら酒を一口あおった。
「ギルドに用でも?」
軽い口調の男は聞いた。
「うん。ナビゲーターの試験を受けに行くつもりで」
ミラがさらりと答えた。
俺の記憶のことには触れない。
「なるほどな」
男は火を見つめたまま頷いた。
「物騒って……どういう意味ですか?」
俺の問いに、男は少し視線を上げた。
「最近、フラグメント周りで噂があってな。ギルドに“未知のフラグメント”が持ち込まれたらしいって話だ」
「未知……?」
「ああ。これまでの分類にも当てはまらない、正体不明の代物だとか。そいつの影響か、周辺の境界も不安定になってるって話さ」
男は肩をすくめた。
「ま、噂だ。真に受けるほどでもないが、旅には気をつけたほうがいいってことさ」
その言葉に、ミラは少しだけ表情を曇らせた。
「……そういうの、本当にあるんだ」
男は笑って立ち上がった。
「明日の早朝に出れば、夜にはサンドールの街さ。無事に旅が終わってくれりゃいいな」
それを聞いて、俺は初めてこの旅が“一区切り”であることを意識した。
「このキャラバン、サンドールともう一つ……グリンザルって街を行き来してるんだって。2ヶ月くらいかけて、また戻ってくるんだってさ」
ミラが火の明かりに照らされながら言う。
その横で、笛を吹いていた行商人が別の旋律を奏ではじめた。
先ほどとは違う、どこか懐かしい調べが焚き火の輪を包む。
誰もが話す声を少しだけ落とし、その音に耳を傾けていた。
ふと、視線を感じて周囲を見渡す。
──フードの女がいた。
少し離れた暗がり、輪から一歩引いた場所で、ひとつだけぽつんと焚き火が揺れていた。
彼女はその火の前に静かに座り、誰とも言葉を交わすことなく、黙々と火の調整をしていた。
フードに包まれた姿は、他の旅人たちと一線を画すようで、誰も彼女に話しかけようとしない。
彼女の指先は、焚き火に細い枝を一本ずつ差し入れながら、火の大きさを調整していた。
火が弱まれば小枝をくべ、風が吹けば位置を少し変える。
手際のよさに、旅慣れた者の落ち着きを感じさせた。
「……あの人、ずっとひとりだね」
ミラが焚き火を見つめたまま呟いた。
「気になるのか?」
「うん。こういう旅のときって、誰かと食べながら話すだけでも気が休まるのにさ。あんな隅っこで、火の番してるだけなんて……なんか、放っておけないじゃん」
その口調には、不思議な気安さと、人懐っこい優しさがにじんでいた。
「……行ってくる」
そう言って、ミラが自分の取り分けた料理を木の皿に載せて立ち上がった。
俺が止める間もなく、彼女はひょいと足取り軽くフードの女のほうへと向かっていく。
しばらく遠くで会話する声が聞こえた。
女は視線こそミラに向けたものの、表情は読めない。
けれど、料理を受け取る様子も、座って会話を続ける姿も──拒絶の色はなかった。
数分後、ミラは手ぶらで戻ってきた。
「……いい人だったよ?」
ぽつりとそう言って、膝を抱えるようにして座り込んだ。
その顔は、いつもの明るさというよりも、どこか安堵したような、不思議な表情を浮かべていた。
火の明かりに照らされないその視線には、ただの興味とは違う“何か”が込められている気がした。
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