表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/37

第10話 静けさの終わり

宿に戻ると、村の夜は静まり返っていた。

窓から外を見下ろすと、灯りの消えた家々が寄り添うように並び、虫の声だけが静かに響いている。


空には、大きな──青い月。

見慣れた月とは違う。

どこか幻想的で、星の並びも、現実とは思えないほど美しかった。


遥か彼方、地平線の向こう側で、わずかに光が明滅している。

稲妻のような、空の裂け目のような──。

あれも、境界というやつなのかもしれない。


「そろそろ、寝ましょう」


振り向くと、ミラが部屋の隅から出てきた。

ポニーテールを解いた髪はまだ少し湿っているが、きちんと整えられて肩に流れている。

昼間に見た元気な雰囲気とは違い、どこか落ち着いた、大人びた印象を受けた。


(この村の宿にしては、お風呂もしっかりしてたな)


男女別になっていて、簡素ながら清潔に保たれていた浴室を思い出しながら、俺は軽く頷く。


「ああ」


そう返して、ベッドに身を横たえた。

ぎしりと軋む音がする。

それでも、硬さのある寝台は悪くない。


しっかりと体を支えてくれる感触に、妙な安心感を覚えた。

天井をぼんやりと見上げる。


──今日一日で、本当にいろいろなことがあった。


初めての戦い。

ミラとの出会い。

自分がどこから来たのかも分からない、この世界での一歩。


不安は、もちろんある。

けれど、立ち止まる理由も、ない。


──なんとか、やっていくしかない。


ぼんやりと天井を見上げていると、隣のベッドからかすかな声が聞こえた。


「……アッシュ、眠れそう?」


「たぶん、な」


返した俺の声は、自分でも驚くほど小さかった。


「……いろいろあったし、疲れてると思うけど」


ミラの声は、昼間よりも少しだけ柔らかかった。

まるで、何かを気遣うように。


「記憶のことは……その、焦らなくていいと思うよ。思い出せなくても、今こうしてここにいるってだけで、きっと十分なんじゃないかな」


ふと、胸の奥に何かが溶けるような感覚が広がった。


「……ありがとな」


「ううん」


その一言に込められた優しさが、静かな夜にふわりと溶けていく。


「おやすみ、アッシュ」


「……おやすみ」


ゆっくりと、まぶたが重くなっていった。


---


窓ガラスに、自分の姿が映る。


──電車の中だった。


吊り革を握ったまま、ぼんやりと揺られている。

目は、虚ろ。

何も見ていないようで、見つめているような──そんな目。

照明の光は、どこか黄ばんで鈍く、疲れた車内を淡く照らしていた。


ああ、そうだ。

何日も寝てない。

そんな気がする。


空気が、妙に重たい。

携帯のバイブ音が遠くから鳴っていた気もするが、指一本動かす気にもならない。


窓の外は、夜。

ビルの明かりが点々と流れていく。


ガタン……ガタン……という振動音が、どこか他人事のように耳を打つ。


──じわり、と。


右手に、熱。


思わず目を落とすと、手の甲が黒く焼け焦げていた。

皮膚の表面がひび割れ、焦げ臭さが鼻を突く。

それは一瞬にして、指先から肩口まで、全身を包むように広がっていく。


焦げた肉の匂い。服の焦げるパチパチという音。

そして、かすかに聞こえるサイレンのような警告音。

煙のような幻覚。


何が起きているのか、理解が追いつかない。

呼吸ができない。

息苦しさだけが、はっきりとそこにあった。


その瞬間、景色が崩れた。


---


──はっ、と目を覚ました。


息が荒い。

目の前がかすみ、天井の輪郭がぼやけて見えた。

ここがどこなのか、一瞬だけわからなくなる。


だが、聞こえてくる虫の声と、ほのかな草の匂いが、現実の感覚を少しずつ取り戻させてくれた。


全身、汗で濡れていた。

喉がひどく渇いている。


「……なんだ、今のは……」


胸に手を当てたまま、俺はベッドに腰を下ろした。


夢。

だけど、妙に──リアルだった。


夢で見たあの光景。

焼け焦げた手の痛み。


焦げ臭さが、まだ鼻の奥に残っている気がした。

現実と切り離されたはずなのに、確かな感触として残っている。


俺は立ち上がって、ふらつく足取りのまま窓に近づいた。

夢の余韻がまだ体のどこかに残っているようで、現実の空気を求めるように手を伸ばす。


ゆっくりと窓を開けると、夜風がひんやりと頬を撫でてきた。

肌を冷やす感触が、火照った身体に心地よい。

大きく息を吸い込む。草の匂いが微かに混じっていて、肺の奥まで澄んだ空気が満ちていく。


それだけで、少し現実に戻ってこられた気がした。

目の前に広がるのは、静かな夜。

灯りの消えた村の家々が並び、虫の声が遠くで鳴いている。


そして、空には青い月。

どこまでも平穏な──何事もない、はずの風景だった。


……虫の声が、一瞬だけ止まった気がした。


その時。


──カン、カン、カン……!


鐘の音が、闇を切り裂くように響いた。

耳を打つような、けたたましい警報。


血が一気に逆流するような感覚。心臓が、強く打った。

村を包んでいた夜の静けさが、一気に崩れ去る。


それは、村の「非常事態」を告げる音だった。


「……!」


胸の奥が跳ね、意識が一気に覚醒する。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます!

現在、毎日投稿を継続中です。


よければブクマや評価、感想などで応援いただけると励みになります。

今後の展開もぜひお楽しみに!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ