第34話
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王城内にあるジルベスターの私室へサミュエルが到着すると、タイミングよくジルベスターは会議の合間の休憩時間を過ごしていた。
「失礼します!閣下に至急ご報告が!」
ノックするなり慌てた様子で部屋へ入るサミュエル。
「どうした、今日はミリアの護衛だったろ」
「はい、そうなんですが先ほどブリジット・レオフォール侯爵令嬢がミリア様に接触してきました。
ミリア様に侮蔑の言葉を浴びせて、田舎へ帰れと金を置いて行ったのです! ミリア様は荷物をまとめて今にも出て行こうとしています。今日はブルックナー家へ身を寄せるそうですが、明日にでも輸送ギルドで馬車を手配してヴェルサス領へ帰るおつもりです!」
「何?! ミリアを引き留めてくれ!」
知らないところでまた自分に関わる者がミリアを傷つけた。今すぐミリアの元へ駆けつけて謝りたかったが、今は重要な会議の合間で抜けることもできない。
ミリアと一緒に帰ることを楽しみにしていたジルベスターは臍を噛む。
「無理です!ミリア様が貴族の令嬢に出ていけと命令されれば彼女は従うしかありません!」
「チッ! サミュエル、悪いが私の代わりに彼女を無事ヴェルサス領まで送り届けてくれないか」
そう言いながらジルベスターは屋敷の家宰に宛てた手紙を素早く認める。
「サミュエル、これを持って屋敷へ急げ。家宰に見せれば路銀をくれる。馬車も手配してくれるだろう」
「畏まりました。しかし馬車はヴェルサス家の物を使うとレオフォール侯爵令嬢に余計に目を付けられてしまう可能性があります。ミリア様の言う通り輸送ギルドで手配した方が無難かと」
「そうだな、サミュエルに判断を任せる。ミリアを頼んだ」
「は、畏まりました!」
ヴェルサス家の家宰に宛てた手紙を懐へしまい、サミュエルは急ぎ屋敷へと馬を駆けた。
*
本来、温厚な性格のジルベスターが眉を顰めて苛立ちを隠せないでいた。
「クリス、レオフォール侯爵令嬢との縁談は断ってくれ」
「宜しいのですか。彼女以外に年齢や家格の釣り合う聖女はおりませんよ」
「いい。まだ正式に婚約を結ぶ前から私の客人に対して無礼な振る舞い、許容できん」
実はジルベスターとブリジットは未だ正式な婚約を結んでいなかった。
顔合わせも済ませ、一度デートにも出かけた。レオフォール侯爵家からは正式に婚約を結びたいという返事をもらっていたが、ジルベスターは決めかねていた。
「聖女を妻としなくても宜しいのですか」
「構わない。間もなく私は臣籍降下する予定だ。聖女に拘る必要もなくなる」
王族でいる間は柵や掟が多い。
男性王族には、治癒目的であろうと独身女性は触れることは許されず、独身でなくとも身分の低い女性も触れることは許されなかった。
しかし臣籍降下して貴族になってしまえばそれらの柵もなくなる。
独身だろうが平民だろうが治癒士に己の体を任せてもいいのだ。
例えば、平民のミリアに。
「聖女でなければ治癒の能力に不安が残ります」
「腕のいい治癒士を知っている」
ミリアのことだとクリスは思った。
「なるほど、了解しました」
こうしてジルベスターとブリジットの縁談は破談で終わった。
そもそもジルベスターとブリジットは合わない部分が多すぎた。
婚姻後は領地へ移り住んで欲しいジルベスターとこのまま王都で暮らし続けたいブリジット。
領地運営や国境の守りが大切なジルベスターと王都で社交界の中心であり続けることが大切なブリジット。
領地と王都、別々に暮らす未来しか見えなかった。
戦の多い辺境領の領主であるジルベスターにとって、最も身近な妻という立場に聖女がいてくれた方がいいと聖女を妻に望んだが、領地へ来てくれないのなら意味がない。
迷って返事を遅らせていたが、この一件で決心が着いた。
───ミリア以外、要らない。
*
翌日、ミリアはサミュエルを伴って輸送ギルドへ足を運び、そこでヴェルサス辺境領まで行ってくれる貸し切り馬車を手配した。
荷物を積み込み、サミュエルと御者は御者台へ、ミリアは車の方へ乗り込む。
二年前と違って今回はドリトンとタニアにきちんと別れの挨拶をすることができた。その二人と住み込みの治癒士ケイトとその息子のマリオにも見送られて、ミリアとサミュエルはヴェルサス辺境領へ向けてブルックナー家を出発するのであった。
ガラガラと軽快に走る馬車にミリアが揺られていたころ、レオフォール侯爵家のテラスではブリジットが優雅にティーカップを傾けていた。
「お嬢様、ミリアは先ほど輸送ギルドで手配した馬車に乗って王都を出て行きました」
ブリジットがミリアの動向を見張らせていた従僕が報告した。
「そう、ご苦労様」
───あの平民、大人しく出ていったようね。
ミリアを素早くジルベスターから切り離すことができてブリジットは満足していた。
先日の法廷での、ジルベスターとミリアの様子をブリジットは見ていた。
二人は二年間だけの仮初の関係なだけあって、夫婦らしさや甘い雰囲気などは感じられなかった。
しかしブリジットは見抜いていた。
二人の間には何かある。
好意の芽のような、放っておくと何かに育ってしまうような、そんな危ういもの。今のうちにその芽を摘んでおかなければ後々厄介なことになると。
容姿、年齢、血統、家柄、全てに於いてジルベスターほど自分に見合った婚姻相手はいない。
ただ一点、領地が辺境の戦の多い野蛮な地であることは気に入らないが、生活の拠点を王都に移し、領地は領主代理に任せればいいだろう。
きっとジルベスターも理解してくれるはず。
平民の女にかまける時間があったら、早く薔薇の花束でも持って婚約の挨拶に来ないだろうか。ジルベスターの望んだ美しい聖女がここにいるというのに。
そんなことを考えながらブリジットはにんまりと口角を引き上げた。
「失礼します。お嬢様、旦那様がお呼びです」
───ああ、きっとジルベスター様との婚約が決まったのね!
逸る気持ちを抑えて、ブリジットは侯爵の待つ執務室へ向かった。
「お父様、ようやくヴェルサス家からお返事が来ましたのね」
「ああ、来た。お前は一体何をやってくれたんだ」
「え?」
嬉しい知らせだと思っていたブリジットだったが、侯爵の険しい表情に違和感を感じた。
「どうなさったのですか、お父様」
「どうもこうもない。お前が婚約が成立する前から権利を越えた行いをしたせいで閣下の心証を悪くしたようだ」
「そんな!私はジルベスター様に付きまとう平民の女を遠ざけただけですわ!」
「それが不味かったと言っているんだ!……お前は、魔法付与はできるのか」
「え? 魔法付与? 突然なんですの? 武器に治癒魔法を付与する聖女なんておりませんわ」
「武器じゃない。
ヴェルサス辺境領には飴玉に治癒魔法を付与する治癒士がいるそうだ。
そしてその飴玉の効果を持続させるために容器に治癒魔法を付与したのがミリアだ。
それが戦で大変役に立ったとかで褒美を与えられることになり、ミリアは王都への旅行を希望したそうだ。
つまりお前は辺境伯が戦で功績のあった者へ与えた褒美に横槍を入れたことになる。嫌われて当然だ!」
「そ、そんな!そんなつもりなんてありませんわ! お父様! 何とかして下さいませ! 私は聖女ですのよ!」
「そんな聖女は要らないそうだ」
「お父様!お願いです!私はジルベスター様しか考えられないの!お父様!」
泣いて縋るブリジットだったが、その願いは聞き入れられることはなかった。
そしてこれは余談なのだが、この時点でブリジットも二十三歳であり、貴族の令嬢としては行き遅れに差し掛かっていた。
このまま妥協してくだらない男に嫁ぐのはプライドが許さない。ブリジットは持ち込まれる縁談を片っ端から断り続けた。
しかしジルベスターに勝る条件の独身男性など見つかる筈もなく、三十が目前の歳になって友好国の五十代の王族の後家に入ることになるのであった。




