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貴族になんかなりたくない!  作者: 斉藤加奈子


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第33話

 次の日の朝、ミリアは無事平民に戻れたことを報告するため、母ナタリアの墓参りへ出かけた。前と同様に護衛にサミュエルも連れて。


「お母さん、私、無事平民に戻れたよ。心配かけてごめんね。

閣下がご尽力下さって、マイワール伯爵に仕返しすることもできたの。

爵位剥奪に領地没収だって。これでお母さんの恨みも少しは返せたかな。

もうすぐヴェルサス辺境領へ帰ります。あまり王都へは戻ってこれないと思うけど、一年に一度は来れるようにするから」


どこかすっきりとした気持ちでナタリアへの報告を終えると、ミリアは一旦宿へと帰った。


 宿へ到着し、ロビーを通りかかると、珍しく宿の受付係の女性に呼び止められた。


「ミリア様。ミリア様にお客様がいらっしゃってます。あちらの方でお待ちです」


そう言って受付係はロビーの待合所を手で示した。


「どうもありがとう」


ここへ来るのはジルベスターかクリスぐらいしかいない。ジルベスターは昨日会ったばかりであり、クリスならわざわざ受付係に言伝てを頼んだりしない。


誰だろう、そう思いながら待合所へ足を向ける。

そこは待ち合わせや休憩、商談をしている人たちでザワザワしていた。

その中でソファに腰かけ、後ろに護衛と侍女を控えさせた一人の令嬢と目が合った。


プラチナブロンドの髪を縦ロールに巻き、ミリアを鋭く見据える碧眼。

赤いドレスには同色のレースが重ねられ、デイドレスでありながら夜会用のような華やかさ。

その若い令嬢の美貌、風格、そして佇まい。全てが高位貴族の令嬢であることを感じさせた。


ミリアはその令嬢の側まで歩み寄り立ち止まった。


「貴女がミリアね? 私はブリジット・レオフォールです」


先に口を開いたのは令嬢の方だった。

ブリジット・レオフォールと名乗った彼女は、ソファに腰かけたまま体の向きを少しだけミリアに向け、扇で口元を隠していた。


貴族の家名に疎いミリアは名乗られてもどこの誰だかわからない。

すると護衛のサミュエルが「レオフォール侯爵家のご令嬢です。聖女でもいらっしゃいます」とミリアへ教えた。


年若く美しい、しかも聖女でもあるご令嬢がわざわざミリアに会いに来たのだ。これはジルベスターの婚約者で間違いないとミリアは即座に理解した。


「ミリア・ポーンズと申します」


ミリアはスカートの裾を摘まみ、軽く膝を折って挨拶した。しかしそのご令嬢は手にしていた扇を閉じ、ゆっくりとミリアを指すと膝を突けと言わんばかりに床を指した。


「平民は平民の挨拶をなさい」


「そ、それはっ!」


ブリジットを咎めるように声を上げたのはサミュエルだった。


高級宿のロビーで、床に膝を突けという要求は時と場所を考えれば相応しいものではなかった。

宿とは宿泊客が寛ぐ場所であり、過剰な礼儀作法など持ち出すのは配慮に欠ける行為とされていた。


「サミュエル様、いいのです」


───そうだった、これが貴族よ。

閣下やクリス様、サミュエル様がいい人たちだったから忘れてたけど、これが本当の貴族の姿だったわ。


ミリアは言われるままその場で跪き頭を下げた。何しろ相手は貴族だ。言うことを聞かなければ何をされるか分かったものじゃない。


「貴女、平民の癖に伯爵家の娘だと偽って、ジルベスター様に嫁いだんですって? 二年間の契約だったとしても…何と烏滸がましい…」


ミリアにも言い返したいことは色々あった。貴女が戦が始まる前に閣下に嫁いでいればこんなことにはならなかったのだと。しかしここで口答えをしても不興を買うだけなのでぎゅっと口をつぐんた。


「いつまでジルベスター様に付きまとっているつもりかしら?」


頭を下げているせいでブリジットの表情は見えないが、ソファから立ち上がり、近くに足元が見えた。

そして後頭部から何か冷たいものが滴り落ちるのを感じた。

それは前髪や額を伝い、床の絨毯へと滴り落ちる。


───水でよかった。紅茶やワインだったらシミが取れないもの。


ミリアは冷静にそんなことを考えていた。そしてただひたすら嵐が過ぎるのを待つ。


「ここは貴女のような下賎の者が泊まれるような宿ではないの。いつまでもジルベスター様に付きまとわず、とっとと田舎へ帰りなさい」


ガチャリという鈍い音と同時に目の前の床には硬貨が入っているであろう小袋が落とされた。


「愛人になろうなどと浅はかなことは考えないことね」


そう言ってミリアに一言も口を開くことを許さず、まるで岩か何かがそこにあるかのようにミリアを避けて宿の玄関へと歩いて行った。


 ミリアはブリジットの気配が完全になくなるまで姿勢を崩さない。


「なんだなんだ」

「あの子は何をしでかしたんだ」

「本妻と愛人の修羅場か」


周囲は面白い見世物でも見ているかのように好奇の視線を寄越し好き勝手に言う。


ブリジットの姿が完全に消え、周囲の興味が薄れてきたところで、ミリアは目の前の小袋をむんずと掴み立ち上がった。


「ミリア様、それは閣下を通じて抗議と共にレオフォール侯爵家へ返すよう手配致しましょう。いくらなんでも失礼が過ぎます」


サミュエルが手のひらを差し出したが、ミリアはそれをポケットへ納め、代わりにハンカチを取り出す。


「いいえ、これを返せば反意ありと思われて、どんな目に遭うか分からないもの。帰りの路銀として使わせてもらうわ」


濡れた髪を拭きながらミリアは答えた。

彼女も決してお金が欲しい訳ではない。しかし貴族の命令に背くこともミリアには怖くてできなかった。

このお金で早々に王都から消え去る。それが一番の正解だった。


「ミリア様、レオフォール侯爵令嬢の言ったことは気になさらないで、どうか閣下のことをお待ち下さい」


「いいえ、別れた妻がいつまでも閣下の庇護の下にいるのはおかしいもの。今すぐチェックアウトするわ。

サミュエル様も今までありがとうございました。もう、護衛は不要です」


「ミリア様、お待ち下さい!!」


サミュエルはミリアに解毒の治癒魔法をかけてもらった四人の内の一人だった。戦場では治癒魔法をかけてもらったこともあり、ミリアのことは命の恩人だと思っている。


それに彼女が聖女と同等の魔力を有していることはジルベスターの護衛や側近には周知の事実だった。


戦時中の多忙なジルベスターに疲労回復をかけていたのは彼女だったし、疲労回復の飴玉の容器に魔法付与をして軍に活力を与えたのも彼女だ。


今は貴族の令嬢ではなくなってしまったが、実質ジルベスターを支えていたのは紛れもなく彼女だった。


サミュエルからすれば、大変な時期にジルベスターから逃げておいて今さら婚約者面するブリジットより、ミリアの方がずっとジルベスターの傍にいて欲しい女性だった。


それ以前に、ブリジットがジルベスターの正式な婚約者になったとはサミュエルは聞いていなかった。


サミュエルが止めるのを無視して荷物をまとめるために部屋へ戻るミリア。


「ミリア様!ここを出てどうするつもりですか!」


「ブルックナー家へ身を寄せます。

それから明日輸送ギルドへ行ってきます」


輸送ギルドとは、荷馬車・箱馬車・馬などで定期便、長距離輸送、単発輸送の依頼を受ける輸送を生業とする業者を取りまとめるところである。

もちろん、馬車のみの貸し出しもしており、御者付き、護衛付きなど料金に応じて相談にも乗ってくれる。


「分かりました。ブルックナー家までお送りします。私は一旦護衛から外れますが、先にチェックアウトをなさらないで下さい!二時間で戻ります!

それまでゆっくり荷造りしていて下さい!いいですね!」


そう念押ししてサミュエルは急ぎ、王城にいるジルベスターの下へと馬を駆けた。


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