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貴族になんかなりたくない!  作者: 斉藤加奈子


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第32話

誤字脱字報告ありがとうございます!感謝です!

───来たか。


ジルベスターが自ら選んだドレスとタンザナイトを身に纏った女性が一歩一歩近付いて来る。


───ああ、いい。とても似合っている。抱き締めたくてもスルリと逃げてしまう子猫のような彼女が私のものになったようだ。このまま屋敷へ連れ帰りたいくらいだ。


「お待たせしました。今夜はお招き頂きありがとうございます」


「……」


「閣下?」


「ああ、ごめん。

あまりにも美しかったから見とれていたよ。とてもよく似合っている」


「あ、ありがとうございます。こんなに素敵なドレスやアクセサリー、違う自分になれたみたいで…とても嬉しいです」


「君のために誂えたんだ。喜んでもらえて嬉しいよ」


実は終戦直後から仕立てを依頼していたドレス。

仮初ではあったが、妻だった女性に贈る最後のプレゼントだ。

最後ぐらいは本当の夫婦のようなことをしてもいいのではないかと思いこのドレスを仕立てたのであった。


とろけるように見つめていたジルベスターから目を逸らして頬を染めるミリア。こんな反応さえもかわいいとジルベスターは思った。


「さぁ、座ってくれ」


「失礼します」


案内係がミリアの椅子を引き、ミリアを座らせる。


「ミリア、お酒は大丈夫だろうか」


「はい、飲みやすいのなら…」


「君、アルガン産のシャンパンを」


「畏まりました」


ヴェルサス領の隣、アルガン領では近年女性に人気のシャンパンを生産するようになった。甘口で飲みやすく、ミリアでも飲めるだろうと思い注文した。


ミリアはシャンパンを飲んだことがないらしく、細く繊細なグラスに注がれた薄く黄色味がかった液体から、生まれては流れて消える気泡に目を奪われていた。


「綺麗な飲み物ですね」


「飲みやすくてついつい飲みすぎてしまうから気を付けて。私以外の男とは飲まない方がいい」


ジルベスターはそう言ったが、目の前でミリアが前後不覚になってしまえば自身も自制心を保てる自信がなかった。


「わかりました」


どこまでわかっているのかは不明だが素直に頷くミリアだった。


「勝訴おめでとう。そして私の妻として二年間ありがとう。乾杯」


「こちらこそありがとうございました。無事平民になれたのも閣下のおかげです。乾杯」


二人はグラスを軽く掲げてシャンパンを口に含む。シュワシュワとした口当たりとフルーティーな飲み口。鼻から抜ける花と果実が合わさったような芳醇な香り。


「美味しい。貴族ってズルい」


市井で暮らしていたらこんな美しくて美味しい飲み物に出会うことはない。

貴族の間にしか出回らない、貴族だけの飲み物だ。


「だったらもう一度貴族に戻るか?」


「それだけは御免です!意地悪言わないで下さい」


ミリアが慌てて否定するとジルベスターが機嫌よく笑う。

テーブルの上には白磁の皿に綺麗に盛り付けられた料理が並ぶ。

最高の料理に舌鼓を打ちながらミリアは気になっていたことを聞いた。


「マイワール伯爵はどうなってしまうのでしょうか」


「王族を謀ったことになるからな。

爵位剥奪と領地没収は免れないだろう。それ以外の刑罰をどうするかを、明日の会議で決める予定だ。

ミリアはどうして欲しい?

君が望むのならトマソンの処刑も願い出てあげるが」


処刑と聞いて青ざめるミリア。


「そ、そんな。命まで奪って欲しい訳ではないのです。ただ二度と関わって欲しくないだけで」


「これ以上の刑罰は必要ない?」


「はい、痛いのも怖いのも止めて下さい」


「爵位剥奪と領地没収についてはどう思う?」


本当はミリアとトマソンは血縁上親子であるのは間違いないだろう。今回ミリアを平民に戻す手段としてトマソンを嵌めたがジルベスターとしては重すぎる処罰だと感じていた。

ミリアから減刑を望むような言葉が出るならそうなるように会議で言うつもりだった。


「えーと、爵位がなくなっても私たちと同じ身分になるだけですよね?

領地がなくなっても働かずに手に入るお金がなくなるだけなので、これからはちゃんと働けばいいと思います。

それでもあの人がお金持ちであることには変わりないと思いますし」


ミリアの言葉にジルベスターは凍りついた。


───そうか、それが平民の感覚か。


言われてみれば財産まで没収する訳ではない。それにトマソンが収益性の高い事業でもやれば経済的に困ることはないはずだ。


ジルベスターは自分がいかに貴族寄りの考え方をしていたのか思い知り、減刑も厳罰も願い出ることは止めた。



 それからミリアのこれからの話になった。


ヴェルサス辺境領へ帰ればミリアはフェルナンドと診療所を運営していくことになる。


ミリアの話によると今頃はフェルナンドが婚約者と一緒に診療所と新居になる物件を見て回っているとのことだった。もしかするとすでに決めているかも知れない。


ミリアとフェルナンドが運営していく診療所は、一般患者用の出入口とは別に、お忍びでの受診を希望する富裕層向けの出入口も設置する。

誰にも見られることなく出入りできるように目隠しの壁のある馬車止め場を作り、そのまま誰にも見られることなく診療所内へ出入りできる。

他にも一、二日程度の短期入院にも対応できるよう二部屋ほど病室も作る。

そして入院患者や救急患者への対応のためにもミリアの居住スペースを併設することになっているようだ。


「私も診察してもらおうか」


「どこか体調が優れないのですか」


「いや、そんなことはないが、たまには疲労回復をかけて欲しい」


「残念ですがもう私は妻でもありませんし平民です。閣下のために治癒魔法をかけることは叶いません」


ミリアが仮初の結婚を強いられた理由。王族であるジルベスターが、未婚の女性や身分の低い女性に触れられることが禁じられていたからだった。


「それについては心配いらない。

近々私は臣籍降下を願い出ようかと思っている。王太子の御子も順調に成長されているからな。私が王族から抜けても問題ないだろう」


「貴族になられるのですか」


「そういうことだ」


王族という立場は柵や掟など煩わしいことが多い。しかし臣籍降下が認められればミリアに会いに行っても咎める者などいないとジルベスターは思った。


「ミリア、私の──友人にならないか」


ジルベスターは喉のすぐそこまで『愛人』と出かかったが、そんなことを言ってしまえばきっと彼女はジルベスターを軽蔑し、席を立ってそのままどこかへ去ってしまうだろう。


本当は彼女を囲ってしまいたい。そんな思いを押し殺して口から出た言葉が『友人』だった。


「友人、ですか? 大変光栄ですけど身分的にも釣り合いが…」


「難しく考えなくてもいい。

私は平民の君と時々こうして会話を楽しみたいんだ。君も貴族の友人が一人くらいいたっていいだろう?」


「…ええ、まあ」


「よし!決まりだ!これからは私のことをジルと呼んで欲しい」


「え、恐れ多いです」


大丈夫だ、大丈夫じゃないです、一回だけでも言ってみてくれ、言えません、友人だから遠慮はいらない、遠慮なんかじゃないです……とお酒のせいか少々しつこくなりつつあるジルベスター。

ミリアが断り続けても機嫌がいいので酔っているのは間違いなさそうだった。


 食事も終わり、最後のデザートを食べている時だった。

会話が途切れる頃合いを見て、ミリアはハンドバッグから一つの指輪を取り出し、ジルベスターの方へ置いた。


「これ、お返しします。おかげ様で不便のない生活が送れました」


それはヴェルサス家の紋章が彫られた指輪だった。これはジルベスターがミリアに渡していた、ヴェルサス家の者である身分証明のようなもので、買い物の時に店へ提示すれば代金の請求は家の方へしてくれるという代物だった。


「ああ、そうだったな」


ジルベスターはそれを受け取ろうとしたが、ミリアとの縁が切れてしまうような気がして躊躇った。そして逆にミリアの方へ置いた。


「ジルベスター様?」


「離婚後の君の生活を保証する約束だったね。生活が落ち着くまでもうしばらく君が持っているといい」


「でも…」


「新しい生活のために必要な物も多いだろう。君への応援の意味も兼ねている」


ジルベスターがそう言うと、ミリアは感動したように瞳を潤ませていた。


「ありがとうございます!」


とびきりの笑顔で指輪を握りしめるミリア。

そんな彼女を口説き落とすためには普通の貴族の令嬢のような扱いでは通用しない。彼女自身の生き方や考え方を尊重しなければならないとジルベスターは強く思うのであった。


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