明日の話をしよう
眠る前に思いついた話です。
「明日の話をしようか」
月あかりが窓から柔らかく照らす。
ベッドに横たわりながら、いきなり明日の話をしようなんて、言い出した夫を見つめた。
「ええ、いいわよ。」
少し、可笑しくなって零れた囁かな笑い声と共に言葉を返した。
「朝起きたら、朝食前に庭に咲いた薔薇を見に行こう。」
「いいわね。」
「朝食は君の好きな、ポワールで摂ろう。」
「ええ。」
「その後は、街を散策しよう。」
「ふふ、楽しみ。」
「昼は、泉でピクニックをして。」
「以前、見た綺麗な鳥にまた出会えるかしら。」
「その後は、君が観たがっていた舞台を観に行こう。」
「素敵。楽しみが増したわ。」
仰向けに変えると、ベットの軋む音がする。天井を見つめ目を閉じる。
「寝てしまったのかい?」
寂しそうに夫が言う。それに可笑しくなって息が零れる。
身体ごと夫の方を向く。
下から覗くように見つめれば、くすぐったそうに目を細める。照れた時の仕草は、昔から変わらない。
「寝ないの?」
「ああ、もう少し君を見ていたくてね。」
「いつも嫌と言うほど、見ているでしょう。」
「全然足りないよ。」さも当たり前の様に言う夫は、とても真面目そうだから少し呆気に取られる。
「まだこの時期は、冷えるわ。座っていないで私の横に来てくださいな。」
「それは素敵な誘いだ。」
夫が横に潜り込んでくると同時に私の身体が少し沈む。
「ねえ、舞台の後は、あなたとゆっくりこの家で過ごしたいわ。」
先程の話の続きを提案すれば、夫は静かに頷いた。
ああ、そろそろ眠くなってきたわ。そんなことを思っていると温かいものに包まれる。
「痛くなるわよ。」
そう言っても首の下に通された腕を動かす気はなさそうだ。そういう頑固なところも変わらないわね。仕方がないからそのままにしておく。
夫の匂いに包まれ「愛しているわ。」と言う。
唐突に出た言葉に自身でも驚く。
「僕も愛しているよ、これからも永遠に。」
驚いた様子もなく返された言葉に、顔を彼の胸元に埋める。その動きにあわせ夫に包まれる力も強くなる。
安心感と温かさに、眠さが増す。まだ、あなたと、明日の話をしたい。
たくさん話をしたいのに眠気には抗えない。
「お願いがあるの。」
「ああ。」
「明日も明後日もその次の日も、その次の日も、今日みたいに明日の話をしましょう。」
夫の生きている証拠が規則的に音となって伝わってくる。ああ、ずっとこうしていたい。
「いい提案だね。」
顔を上げさせないように包まれているため、夫の表情を見ることができない。
頭上で啜り泣く音が聞こえる。泣かないでくださいな。悲しい話なんて一つも溢していないのに。夫の背中に手を回し、優しく包む。大丈夫ですよ。
若くからあなたが一生懸命に国を支えていたことを知っている。その隣で見ていた私はあなたのことを、あなたより知っているかもしれないわ。そんなあなたが、多くの人から止められたにも関わらず仕事をやめてきたときは驚きと悲しさ、そして寂しさと申し訳なさを連れてきたわ。それでも、とても嬉しかったの。あなたと過ごせるから。
「幸せだったわ。」
くぐもった声が出る。
「お願いだから、過去にしないでくれ。」
鼻を啜る音がする。切ない声に、こちらまで涙が出そうになる。
「幸せよ。あなたと過ごせて、あなたと結ばれて、あなたに抱きしめてもらえて。」
「あなたから貰った分以上にあなたに伝わっていたら嬉しいわ。」
「僕は幸せ者だ。」
そう溢した言葉に眠さが限界を迎えた。
明日も明後日も次の日も、あなたに包まれて目覚めたらなんて幸せなのかしら。
ゆっくり意識が遠のく。
「お願いだ、まだ私の愛しい人を連れて行かないでくれ。」
その言葉は、愛しい人には訊こえず月明かりに照らされる部屋へと消えていった。
白髪の夫婦が、明日を望んで眠りにつく。
静かな二人の寝息が、眩しい太陽を青い空が連れてくるまで時間に溶け込んでいった。
あなたは明日何をしたいですか?