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第4章

藍子を施設に入れることを拒む気持ちもあれば、かといって彼女と今後どう接すればいいいかもわからない。私は藁にも縋る思いで藍子に外出することを提案した。

藍子は色のない表情で「わかった」とだけ返事をし部屋着からワンピースに着替える。学校に行く時はいつもズボンにTシャツの藍子だがワンピースを選んだということは少しは高揚感を抱いているのではないだろうか。私は自分にそう言い聞かせながら支度を整えた。

私には友達と言える人が一人しかいない。コミュニケーション能力が頗る低い人間なのだから当然のことだ。

自分の意見を極力閉じ込め嫌われないように学校生活を送ってきた私だが、一度だけ自分の意志を強く主張してみたことがある。小学四年生の時、下駄箱で突然、同じクラスだった男子が私のスカートをめくった。私は嫌悪感と恥ずかしさから家で練習するために持って帰ろうとしていたリコーダーで男子の頭を殴った。けっして強い力だったわけではないが反抗されるとは思ってもいなかったのだろう。男子は蛇口をひねったように泣き出してしまった。すぐに担任であった女性教師が私達の元へかけつけ私は説教を受けることになる。母親を学校に呼ばれることは回避できたものの担任は私に向かって呆れたような顔で言った。


「男の子は好きな子に意地悪しちゃうものだから、許してあげてね」


私はスカートをめくった男子の顔を思いっきり睨みつけこの騒動は幕を閉じた。

この話を聞いた雪ちゃんは「最低最悪だね」とスカートをめくった男子、担任共々罵ってくれた。この雪ちゃんだけが私が今でも連絡を取り合っている唯一の友達だ。

雪ちゃんは幼い時から「お化けが見える」が口癖の女の子だった。小学校低学年まではみんな雪ちゃんのお化け話を面白がって聞いていたが、高学年になると「ウソつき」呼ばわりする子が出てきて雪ちゃんはたちまち仲間外れにされるようになった。それでも雪ちゃんは「お化けが見える」ことを主張し続けた。あんなにウソつきと罵倒されても自分の意見を変えないのだから、私は雪ちゃんはウソをついていないと思った。おまけにお化けの話をしている時の雪ちゃんはとても可愛らしかった。


「雪ちゃんはきっと、本当にお化けが見えるのだ」


私はそう信じて雪ちゃんと友達でい続けたし、私にとって雪ちゃんはお星さまのようにキラキラとした存在であった。彼女には常識という概念などなく頭の中にはいつだって宇宙が広がっている。そこが途方もなく魅力的だ。私と雪ちゃんが話しているのを見てニタニタとした視線を向ける子もいたが、私は雪ちゃんのように「お化けが見える」とは言わなかったから子どもたちにとっては人畜無害だったのだろう。雪ちゃんと一緒にいても雪ちゃんのような扱いを受けることはなかった。子どもだけでなく保護者が雪ちゃんのことを「怖い子」「おぞましい子」と言おうが、私にとっては関係のないことだった。

誰かから裏切られた時の対処法は大きく三つに分けられる。一つは裏切った人に怒りの矛先を向けること。もう一つは信じた自分を恨むこと。最後の一つは裏切られたとしもその人を信じ続けることだ。私はたとえ雪ちゃんに裏切られても最後の対処法を選ぶだろう。それくらい私は雪ちゃんのことが好きで仕方がない。恋愛感情とも違う不思議な熱量がそこにはある。

雪ちゃんにはどうして常識という概念がないのか。それはきっと常識などというものを持っていてはとうてい生きて来られなかったからなのかもしれない。

雪ちゃんの家は父子家庭で、雪ちゃんと兄とお父さんの三人暮らしだった。お母さんがいない理由は知らない。近所の人らは男と逃げたとか病死したとか色々な話をしていたが、雪ちゃんは「お母さんはお化けと仲良くなってそっちに行った」とだけ私に言った。だからそれが私にとっては真実だ。

小学五年生のある日、いつものように二人で下校していると雪ちゃんはお化けがみえない私にお化けの説明をしてくれた。


「あそこにおばあちゃんが立っててこっちを見てるよ」


私は雪ちゃんにおばあちゃんの服装や顔の特徴を訪ねながら、見えないながらも想像力を働かせそのおばあちゃんの姿を頭に描いた。年のわりには皺も少なく花柄のスカートを履いたおばあちゃんを思い浮かべていると、雪ちゃんは下を向きながらいつもより低い声で言った。


「お父さんがね、最近おかしいの」


今まで雪ちゃんが家族の話を私にしたのは、お母さんがお化けについて行ったことだけだ。私は少々戸惑いながらも聞き返した。


「おかしいってどうおかしいの?」

「なんか鬱陶しいの。夜になると雪の布団に入ってよくわかんないことしてる。お兄ちゃんには内緒だよとか、時々、お母さんの名前呼びながら笑ったり泣いたりしてる。雪、どうしたらいいんだろう。お化けの友達に話しても誰も答えてくれなかったから」


雪ちゃんはそう言い終えると視線を下に向けたまま口をつぐんでしまった。

小学校五年生の私にはそれがどういう状況なのかなどわからず、ひたすら無言で雪ちゃんの隣を歩いた。雪ちゃんが受けていた鬼畜の所業を理解できたのはそれから何年も経ってからのことだ。

あの時、雪ちゃんの助けを私が両親に話していたら雪ちゃんはもっと早くに父親のいる箱から抜け出せていたのだろうか。雪ちゃんはそれ以降、私に家族の話をすることはなかった。

中学校に上がると雪ちゃんはみんなの前では「お化けが見える」とは言わなくなった。けれどもお化けが見えなくなったわけではなく、「人前で言うとおかしな人だと思われる」ということを学んだのだと私には話してくれた。それから雪ちゃんには私以外にも数人の友達ができたが、私はそれを素直に喜べなかった。雪ちゃんは私のものではなく雪ちゃんは雪ちゃんのものなのに、彼女が私のものではなくなってしまうという独占欲が湧いてきた。

高校は二人別々のところに入学した。それでも私達は時々近所の公園で会っては近状報告をしてお互いの学校生活を確かめ合った。ただ恋愛の話はしなかった。なんとなく雪ちゃんがそれを避けているように感じたからだ。今でも雪ちゃんとそうした類の話をすることはない。

私自身は二人の男子と付き合うことを経験したが、そこには何もなかった。勉強のことや教師に対しての愚痴を言い合いながら一緒に下校する。それだけの関係だった。

高校二年生になると雪ちゃんは学校に行かなくなり、家からほとんど出なくなった。私は雪ちゃんと電話やメールで会話をしていたが学校に行かなくなった理由を聞くことはできなかった。高校二年生の私には雪ちゃんの父親が犯した罪が理解できたからだ。

私は雪ちゃんの心に踏み込む勇気がなかった。彼女を壊してしまいそうで怖かった。小学五年生のあの日から、私は誰よりも雪ちゃんの傍にいながらも彼女のためには何もしてこなかった。雪ちゃんには何も言わないまま、私は普段通りのメールを彼女に送り続けるだけだった。

二十歳になった年に雪ちゃんは実家を出て一人暮らしを始めた。久しぶりに会おうと雪ちゃんからメールをもらった私は心が躍る気分で待ち合わせのカフェに向かった。

しかしそこで待っていた雪ちゃんは以前よりも痩せ細り、肌の色は青白いのにやけにくすんでいた。お化けの話をキラキラと話していた少女はそこにはおらず気が付くと私はひたすら泣いていた。喜ぶ事や怒ること、思いを言葉にすることよりも、私は泣くことが得意な弱い人間だ。


「何であなたが泣いているの?」


そんな私に雪ちゃんはしわくちゃのハンカチを差し出しながらそう言った。言葉の表面は氷のように冷たく、けれども中には熱い苦しみが込められているように感じ私の涙は自然と止まった。

そこから私は雪ちゃんの前では涙を見せていない。泣き叫びたいのは私ではなく雪ちゃんなのだから。

今の雪ちゃんは時折病院に通いながら、コンビニでアルバイトをしたりオカルトの情報が集うウェブサイトでライターの仕事をしながら立派にひとりで生計を立てている。


「私、もうプロだから。生活保護は国民の権利なんだって。必要になったら何でも聞いて」


生活保護を受けていた時期にはそんな頼もしいことを言ってくれた。

「被害に遭ったのであれば加害者と戦うべきだ」と主張する人もいる。もし雪ちゃんが自身の父親からの被害を訴えると言ったなら、私は全力でサポートをする。今まで手を差し伸べられなかった分まで、誰が何を言うと私は雪ちゃんの証言を信じずっと傍にいる。しかし戦うということはそんなに容易なことではない。破り捨てた過去の記憶をひとつひとつかき集め誰かに伝わるように組み立てなおす作業が苦しくないはずがないだろう。雪ちゃんは今を精一杯生きている。これ以上、彼女に苦しみを与えることは誰にも許されない。


雪ちゃんがひとりで暮らす家は私の自宅から電車で二十分ほどの駅にある。けっして綺麗とは言えない住宅や団地が永遠に続く駅だが、それが雪ちゃんらしいと私は思っている。駅の階段を降りるとうっすらとどこからかタバコの臭いが漂ってきた。街全体が何だか売れないバンドマンのような雰囲気を醸し出している。

雪ちゃんの家まで向かう途中、私は藍子に雪ちゃんは小学生の時からの友達だと話した。


「私も学校に、ずっと一緒にいようねって約束した友達がいる」


そう藍子は教えてくれた。その言葉に鼻の奥がツンとするのを感じた。

家のインターホンを鳴らすと、ドタバタという大きな音と共に雪ちゃんが笑顔で出迎えた。藍子は雪ちゃんの幾何学模様の虹色のTシャツを不思議そうに見ながらも礼儀正しい挨拶をした。


「初めまして、藍子と言います」


雪ちゃんの部屋には得体のしれないモノが沢山置いてある。


「これは宇宙人を呼ぶための笛」

「あの世とこの世を繋ぐ鏡」

「地震を予知する水」


モノの用途を聞いても私には到底理解できないが、雪ちゃんには今も何かが見えているのだろう。藍子も私と同じように部屋にあるものの名前を雪ちゃんに聞いているが、納得しているようには見えない。

雪ちゃんには藍子の母親が自殺したこと、裕也が失踪したことはすでにメールで伝えてある。それでも雪ちゃんは何の戸惑いもなく藍子に冗談を言い彼女を笑わせた。天性のものなのか後天的に身に着けたものなのかはわからないが、雪ちゃんはやっぱり不思議な力を持っていると実感する。

私には見せない笑顔を雪ちゃんには見せる藍子を見て


「藍子と一緒にいるべきなのは私ではなく雪ちゃんなのではないか」


私は雪ちゃんを少しだけ妬む。自信をつけるのには何年もかかるくせに、自信を無くす時は一瞬だ。自尊心が保たれなくなるとすぐに嫉妬心が湧き上がってくる。

雪ちゃんは私が持ってきたケーキを出しながら言った。


「知ってる? 実際さ、お化けって何も悪さしないんだよ。ただそこにいてこっちを見てるだけ。だから私にとっては生きてる人間の方がよっぽど怖いってわけよ」

「へぇ知らなかった」

「私もさ、早くお化けの仲間になりたいって思ったこともあったんだけど、どうせみんな死ぬんだからもう少し生きてる人間たちの悲劇と喜劇を見てからでもいいかなって思って」


大人になってからの私と雪ちゃんの会話は大体いつもこんな感じだ。雪ちゃんの話に私は耳を傾けその意味を考える。


「そう思いなおしてくれてよかったよ。じゃなきゃ私は今日ここに来れなかったわけだし」


雪ちゃんは五秒ほど沈黙した後、そよ風のようなトーンで言った。


「みんなさ、好きなように生きればいいんだよ。それが結局、誰かを解放することでもあるんだから」


私達は雪ちゃんの家に三時間ほど滞在し、たわいのない会話をした。


「いつでも遊びに来てね、あーちゃん」


帰り際、雪ちゃんはそう言いながら藍子に人を呪い殺せるという小さな黒い人形を手渡した。雪ちゃんはいつの間にか藍子のことを「あーちゃん」と呼ぶことに決めたらしい。私はこんなものもらっても困ると思ったが、藍子はそれをワンピースのポケットに大事そうにしまった。藍子はいったい誰を呪い殺すつもりなのだろうか。


「雪ちゃんありがとう」


藍子は礼を言った。三時間前の挨拶とは打って変わって可愛らしい言い方だった。

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