第3章
私の仕事は朝八時半時から夜六時までだ。残業はあっても一時間程度なので夜は藍子の面倒を見ることができる。給料は在籍年数が上がるにつれて少しずつ増える年功序列制ではあるが、今後はどうなるのかわからない。
社会情勢は刻一刻と変化している。入社当時は一般職として事務仕事がメインであった。女子が一般職で男子が総合職という暗黙の了解に則ったかたちだ。しかし、時代の変化と共にいつの間にか営業も任されるようになっていた。営業で結果を残せる自信はなかったが、このまま事務職だけをしていれば給料は永遠に上がらないと匂わせられれば自身が変わることを選択するしかないだろう。変化を求められるのはいつだって女の方だ。そんな不安に満ちたスタートではあったものの今はなんとかやっていけている。
仕事が終わり自宅に戻ると、藍子が「お帰りなさい」と声をかけてくれた。藍子は私の子どもではないが友達というには年が離れすぎている。私達の関係は何と表現すればいいのだろうか。
夕食の準備のために、私は藍子に好き嫌いを問う。
「特にないです」
簡潔な答えが返ってきた。もっと子どもらしく「ピーマンが嫌い」「人参はイヤ」などといったわがままを言ってくれた方が気楽に接することができるのにとも思うが、子どもに子どもらしさを求めるのは大人のエゴだ。その残酷さが私にはよくわかる。
藍子と暮らすようになってから、私は自分と両親の過去を思い返す時間が増えた。私は子どもらしい子どもではなかった。職場の小学生の子を持つ同僚は「子どもとは今日学校であったことを永遠にしゃべり続ける生き物」だと嘆いていたが、幼少期の私がそのような言動を大人に対してすることは皆無であった。
私は頭の中にある言葉を口に出すことが怖かった。何をしゃべったって、自分の話はいつも否定されるに決まっていると思っていた。それは私の母がいつだって誰かの話を否定する人間だったからだ。だから私は自分のことを話さない子になった。しかし内向的で無口で可愛げのない私を、母はそんな好きではなったのだと思う。よくしゃべり大人に甘えることを知っている三歳年上の姉の方が好かれていたのは明白だ。
姉は分かりやすい性格をしている。大抵の人は分かりやすいものを愛しやすい。彼女は食べることが大好きでよく母に夕食のリクエストをしては「美味しい」とみずみずしい声で愛情を伝えていた。私だって、姉が私の食べ物を欲しいと言えば喜んで差し出した。そのくらい姉は自分の欲を人の喜びに変えることが上手い子どもだった。
家族からだけではない。数年前、姉の結婚式に出席した際も私は姉が周囲の人間から愛されていることをひしひしと感じ、祝福の拍手に一抹の雑念が混ざってしまったことは今でも申し訳なかったと思っている。
子どもらしくない私と母の関係は、私が中学生を迎えるとより一層ギクシャクし始めた。私は姉と比較し勉強も得意ではなかった。一昔前までは「女に学歴はいらない」とされていたがすでにそのような時代は終わっている。それでも女に愛嬌が必須であることに変わりはなく、愛嬌がないくせに頭も悪いとは絶望的なのだ。おまけにスポーツができるわけでもなかった。
家の中では日常的に、私に対する母の怒号が飛び交っていた。
「そんな馬鹿じゃどこの高校にも大学にも合格できるはずがない」
「可愛げのない女なんて嫁にいけっこない」
そんな母に私は泣くことでしか応戦できなかった。笑うことや怒ること、言葉で伝えることは苦手でも、泣くことだけは得意だった。
「そんなことで泣くんじゃない」
よく泣く私に母は追い打ちをかける。泣くことくらいしか得意なことがないのだから、せめて自由に泣かせてくれても良かったのではないか。母が私を褒めてくれた記憶はほぼない。私が忘れているだけなのか本当になかったのか、今では確かめる術もない。
実家の物理的な環境も当時の私を苦しめた。我が家には子どものプライバシーという概念が存在しておらず、子ども部屋は母の荷物の物置と化し、人が長時間居座れるような状態ではなかった。
だから私はいつもトイレで泣いていた。トイレだけが唯一ひとりになれる空間だった。
「おしっこが漏れそうだから早く出てったら」
姉の焦りながらも怒った声が、今も時折、頭の中をぐるぐると駆け巡る。
あの家に私の居場所はなかったが、それでも出されたご飯だけはしっかりと食べ、学校が終わると真っ直ぐ家に帰った。家を飛び出してやりたいという気持ちが無かったわけではないが、私は怖がりだったうえ「それでも生きてはいたい」という想いが消えることはなかったからだ。
日に日に悪化する母と私の関係を、父は見て見ぬふりをしていた。何を考えているのかわからない私の世話をするのは母にとっても辛かったことだろう。大人になった今となってはそれも少しは理解できる。なのに父は母を助けることも私に手を差し伸べることもせず、透明な存在となって時が経つのをただ待っていただけだった。
母も私も変わろうとしなかったわけではないし、このままでいいと思ったことなど一度もなかった。二人とも「家族の絆」という言葉に近づこうと右往左往していたように思う。母が私に背を向けながら涙を流していたことも知っている。
それでも父だけは変わらないままでいられた。なぜ父にだけそれが許されるのか私は子どもながらに理不尽だと感じた。
そんな人とのコミュニケーションが苦手な私だが、家の外では何とか取り繕い大学卒業後は就職までこぎつけた。学校でも職場でも「仲良くなる」ではなく「嫌われないよう」に行動することを常に心がけてきた。そうすれば深い仲になることはなくとも人間関係で苦労をすることはないのだから。
一方で大学を卒業して一人暮らしを始めると、今までのことがウソだったかのように母との関係は落ち着いていった。普段は別々に暮らし時々帰るくらいがちょうどいい関係。親子であっても、そのくらいの距離感が必要な場合だってある。
「家族は一緒にいるべき」などという理念は不幸を量産するだけだ。憎み合う人間同士が永遠に抜け出せない箱の中に閉じ込められたら、殺人に発展するのだっていたって自然なことだと私は思う。
母に対して、優しくしてほしかった、褒めてほしかった、私を私のまま認めて欲しかった、という気持ちが消えたわけではない。今までの母の態度をすべて許すことは一生できないだろう。それでもこれからは親孝行のひとつやふたつくらい私にも出来るかもしれないと考えていた矢先に、母は乳がんでこの世を去った。
検査でガンが発見された時にはすでに手遅れの状態で、病院のベッドでみるみる生命力を失くしていく母に私はかける言葉が見つからなかった。今までのことを謝ろうかとも思ったが、それを言葉にし母の目が再び怒りで満ちることを想像すると体が固まった。
「お前がもう少し可愛げのある子どもだったら母さんも気苦労が少なかっただろうに」
そんな私の横で父はそうつぶやいた。小声ながらも確実に私と母に聞こえるような音量で。もし今でも父と同じ箱に閉じ込められていたとしたら、私は包丁で父を刺していたことだろう。
それ以降、私は誰かの親になりたいなどと思わなくなった。生まれてきた子どもを愛せなかった場合、その子がどんなに苦しいかを私はよく理解しているからだ。それと同時に、もし私のような子どもが生まれてきたとしたら、私はその子に愛情を注げる自信が持てない。その自信が持てない以上、私は親になる資格がない。
裕也と同棲を始めて最初のこと、私は一度、彼に両親との関係を話したことがある。せめて恋人からは彼らを侮辱するような言葉が欲しかったが彼にそんなことを期待したのが間違いであった。
「それはお前が悪い子だったんだから仕方がないよ」
裕也は私の方を見ることもなくそう答えた。私は悪い子だったのだから親から愛されないのは当然のことだ。そう割り切って生きられたのならどんなに楽なのだろうか。
藍子は裕也が消えたことについて何も言ってこなかった。当然、彼女は自分の父親だという人物が失踪したことに怒りや憎しみといった何らかの感情を持っているだろう。それでも藍子は自分の感情をなかなか口には出さない。もしかしたら、藍子の心の中には私と似たようなしこりがあるのかもしれない。そう思い一週間ほど経ったある日の夕食時、私は藍子に葵のことを尋ねてみることにした。藍子にとっては酷なことだと思いながらも、葵がどのような母親だったのかを知りたいという欲望を止めることができなかった。
「葵さんはどんなお母さんだった?」
私は漠然とした質問をする。
「優しかった」
藍子はいつもより柔らかな声で答えた。
「どんな風に優しかったの?」
「いつも沢山褒めてくれた」
「お母さんのこと好き?」
「好きだよ。お母さんに会いたい」
その言葉は藍子が初めて私に見せた「助けて欲しい」というサインだったのだと思う。ところが予想に反して自分と同じしこりがないことを知った私は、絶対に言わないと決めていた一言を藍子に対して放っていた。
「でもさ、お母さんは藍子ちゃんを置いて自殺しちゃったんだよ。それって、優しい人がすることじゃないよね」
過去に囚われ十歳の少女を思いっきり突き飛ばした自分に吐き気がする。藍子は黙って下を向いたまま、茶碗に残ったご飯粒をいつまでもつついていた。小さな手にはポツポツと涙が垂れている。藍子の目から落ちた涙は、赤色に見えた。
今の藍子に謝罪や釈明などしたところでもうどうにもならない。口から出た言葉はいつだって不可逆だ。私は傷跡を掻きむしり血だらけになった自分の指先を眺め、初めて「死んでしまいたい」と思った。
この夕食以降、私と藍子には私の力では到底崩せない壁が出来上がったのだと思う。あの時、私が藍子のSOSを大人として抱きしめていたら、今頃、藍子との関係は違ったものになっていたのかもしれない。私は結局、自分の母親と同じ轍を踏んでいる。
それなのに、私は藍子をこのまま児童養護施設に放り込むことには抵抗があった。施設で育った子が不幸だとは思わない。ただ先日の朝の情報番組で施設の男性職員が小学三年生の女子に「いたずら」をしたというニュースを目にしてしまったことも大きかった。「いたずら」なんてオブラートに包むのはまるで社会が加害者をかばっているようであり、被害者の味方など存在しないかのような気持になった。その数日前には施設から養子に引き取られた十七歳の女子高校生が、養父に数年間、性的虐待を受けていたという事件の裁判があったことを知った。裁判の結果はなぜか無罪だった。
すでに藍子は施設の職員との面談を済ませているが、彼女の口からは入りたいともこのまま私の家にいたいという言葉も出なかったそうだ。藍子が戻りたい場所は葵の隣だ。葵は藍子を愛し、藍子も葵を愛していた。葵は藍子にとってよい母親であり私の家族とは違ったはずだ。それなのになぜ、葵は死を選んだのだろうか。その問いに答えが出ることは永遠にない。