ACT1/まいど、左手回収屋
「おいおい、こればっかりは幾ら銭金積まれたって我慢ならんだろうよ」
少年はその年齢に似つかわしくない口調で声を荒げる。
固く握られたその拳は机に触れると、バシンと音を立てて、2つのアタッシュケースを跳ねさせた。
ケースの重量は、それぞれ10kg近くあるにも関わらず。
「うっ……」
だだっぴろい洋室に緊張が走った。
目前の光景に、壮年の男は顔を引き攣らせる。
それも当然。
少年の容姿言動はどれを取っても、外見が持たせる先入観と不釣り合いだった。
そこで男の脇から、1人の老人が歩み出る。
「申し訳ありません"古賀さん"」
老人は、その70は越してそうな年齢にしては、非常に身の丈が高かった。
180は越していそうな彼の上背を、真っすぐな背筋が更に強調している。
「ですが、あまりウチの若頭を虐めないでやってください」
柔らかく微笑んだ老人の面貌に皴が刻まれる。
笑顔による"ソレ"だけでなく、加齢による皴も確かに見て取れる。
その一方で艶のある白髪に、手入れのされた白い髭。
整えられた所作は言うまでもなく、何より落ち着いた雰囲気が、一目でただの老人でない事を感じさせる。
1度でも彼の姿形を目にした者なら。
例え後ろ姿であれ、何ならシルエットだけでも、彼だと判別できるだろう。
先程まで大層な剣幕だった古賀と言う少年も、老人の進言を前にして、流石に一呼吸置いた。
とは言え幾ばくかの興奮は隠しきれていない。
そうは言ってもよ、と古賀は再び口を開く。
「一流のギャング、そのトップともあろう者がよ。『預かりモン』盗まれといて金で解決しようってのは虫が良すぎるんでねぇの」
「あれは……」
壮年の男がおずおずと弁明しようとするが、まるで空気の様に遮られる。
「しかも!」
「俺の!」
熱がこもった声で、古賀が仰々しく左腕を振り上げる。
「左手だぜ!?」
それは手首より先が欠損していた。
幾重にも重ねられた包帯により、先端はまるでピンポン玉の様に丸くなっている。
室内にいる4人の視線が一斉にそこに集まった。
巻きつけられた包帯から見て取れる通り、古賀は元より隻手な訳ではない。
つい最近。
言うなれば一週間前に、一発の弾丸により粉砕されたのだ。
「それも対立組織に盗まれるなんて恥ずかしくねぇのか」
「ええ、現金で済むとは思っておりません。ですので、2週間後には我々の方で取り戻しますと……」
「だからそれじゃ遅いん……」
「ですからその間、代替品として人造細胞を用いた義手を使って頂こうという事で、」
老人は古賀の方へキャッシュケースを押し出す。
「ココに現金を用意いたしたのです」
互いに食い気味でけん制しあう2人だが、
結局根負けしたのか、どうにもならないと悟ったのか、古賀の方が先に折れた。
渋い顔で錠前に指を掛ける古賀。
一方、老人はにこやかに笑う。
口角に一層深い皴の谷が現れる。
「お望みとあらば、"それ"でピッタリの義手を直ぐにでも用意させます」
ケースの中身を日本円に直すと……
それぞれ100万円の束が100つずつ。つまり2億円であった。
銭、と呼ぶにはあまりに大きすぎる金額。
思わず古賀も小さく眉を上げる。
「勿論現金として持ち帰られるのも結構です」
どうせ腕自体は帰ってくるのですからと、老人は再びほほ笑んだ。
古賀は札束と老人を見比べてから、ニヤリと微笑み返す。
それ以後は札束には一瞥もくれず、老人達に背を向けた。
「よし、エソラ行くぞ」
古賀に名前を呼ばれた少女は慌てて、微妙に残っていた紅茶を一気に飲み干す。
パッチリと赤い瞳が見開かれ、くるくるショートの柔毛が揺れた。
余程驚いたのか、ピンと棒のように背筋が伸びている。
「ではこちらで義手をお作りしておきますね。事務所でお待ちになりますか? なぁに、午後には仕上がりますよ」
にこやかな老人に対し、古賀は乱暴にドアを蹴り開ける。
「んなもん要らねーよ。どうせ直ぐにモノホンが帰ってくんだから」
「では、現金も受け取らないと……? それは我々も誠意として困るのですが……」
そこで古賀は舌を出しながら振り返る。
「バーカ、誰がそんなこと言ったよ。"老人"。そいつは料金の支払いだ」
「何の、、でしょうか」
「人件費だ。1人借りてくぜ。腕くらい自分で取り返してくるわ」
部屋の外に出ると、古賀は黒服の襟を掴む。
ドアの前で小銃を構えていた彼もまた、言うまでもなくギャングの一員である。
「え、そんな困ります」
SPの様な容貌をした黒スーツは、困惑と抵抗を見せるが、老人はニンマリとほほ笑む。
「古賀さん」
「ん? 拒否権は受け付けてねぇぞ。なんせ自営業だから窓口がねぇ」
「いえ、『領収書は必要ですか?』とだけ」
古賀は振り返らずに、左手を左右に振る。
「ウチには窓口がねぇ」
「そ、そんなぁ!!」と黒服の悲鳴だけがビルにこだました。