過去と現在を本質で繋ぐ
立川談志に興味を持って落語を聞いているが、落語も伝統芸能である以上、形骸化、退廃化というのは免れ得ない。これは金の問題でもなければ、力の問題でもないので、「政府が補助金~」なんて政治談義にすり替えるのは不可能だろう。
落語について詳しくないので勘で言うが、古今亭志ん生と三遊亭圓生の二人は名人であると思う。古今亭志ん生の方はアマチュア的名人、三遊亭圓生の方はプロ的名人という感じがする。
立川談志は晩年「落語は江戸の風が吹かなければならない」と意味深な事を言っていたが、江戸期に形成された文化である以上、当然の事とも言える。しかし、問題は「江戸の風」である。皮膚感覚的なレベルで、談志より前の名人は、落語が形成された時の雰囲気とか、言葉に込められた庶民の実感というのを感じられたのではないか。では、立川談志はどうかと言えば、談志が丁度、分水嶺というか、微妙な時期にあたる気がする。
今、僕が落語家になろうとして、落語を始めるとしても、そこに現れる言葉は、外的なものに留まる。おまけにそれが「古典芸能」「伝統芸」のお墨付きを貰って、形だけのものとして君臨し始めると、後戻りはできない。本来そこにあったビビッドな感覚、そこに込められた様々な実感、哲学の意味がわからなくなって、ただ言葉、形だけが残ってしまう。
言葉だけが残って、それを記号論的に操作すればいいという事で、現在のポストモダン的な短歌などが生まれているのかも知れないが、それは失われたものに気付く事すらできないという現在の孤立した状況を示しているように思われる。
言葉は残る。本も残る。しかし、言葉に込められていた実感、その時、その人々が生きていた感覚は、失われていく。世代が変わっていけば、かつては当然の事としてあった感覚が失われ、ただ表面的に、形式的に、技巧的に演じる事のみが問題となる。ベートーヴェンを演奏する人はベートーヴェンの心を感じているのか。ベートーヴェンの感覚を感じているのか。それとも、ベートーヴェンの楽譜のみを見ているのか。こう言うと、クラシック音楽のプロは僕を笑うであろうが、彼らが立っている場所は、現在という地点である。ところでベートーヴェンはそんな地点に立っていなかったはずだ。それはどんな言葉で語れるか。
何故、僕がこんな事を言うかと言えば、立川談志が立っている場所がおぼろげに見えてきたからだ。立川談志は天才と言われながらも、かなり苦しい立場にいた。落語ファンからすれば、談志は古典を自分流にアレンジしすぎているし、新規層からすれば、談志を経由せず、北野武や爆笑問題の太田(お笑い全般と言ってもいい)に行った方が楽だろう。
何を言いたいかと言うと、談志は「本質」によって過去と現在を繋ごうとしたのではないかという事だ。談志が「落語とは業の肯定である」と定義し、そこから過去の古典をアレンジし、現在にも通用するものにしようとした事、それは、「本質」というものを彼なりに捉えなければ不可能だったろう。ちなみに言えば、この「本質」が正しいか正しくないかはそれほど重要ではない。形として存在する物を捨象し、本質の高みに昇らせ、それを再構築するという運動がなければ、皮膚感覚が失われた以上、過去と現在を繋ぐのは不可能だという話だ。
「本質」というのは、形ではなく、形の奥にあるものだ。だから、形が変わっても、本質を維持するというのは可能である。もし、落語に永続性があるなら、それは可能で『なければならない』。そういう動機を持って、理論と実践の両面からそれを進めていったのが立川談志という人物だったと思う。
時代的に考えれば、立川談志が落語を愛好した時代というのは不幸な時代だったのだろう。落語が消えていく時期、つまりは江戸の風が消えていく時期であって、それを保存するにはただ形だけで演じていても駄目である。そこから本質を探る運動が現れ、ついで落語を改良していく行動が始まる。立川談志という特異な人物を生んだのは、彼が、落語的に見れば不幸な時代に生まれたからであって、幸福な時代であれば普通の名人で済んだものを、それでは済まさせない環境があったからと見る事もできる。
そうすると、彼の業績は極めて異質なものとなるだろうが、それだからこそ、僕のような人間にとっては重要なものとして見えてくる。幸福な時代における先頭を走る事、不幸な時代において隠者となる事、そのどちらでもなく、その両方の間で、それらの矛盾を抱えながら走る事、それが重要に見える。現在は、立川談志が嘆いたように、本質的であろうとする者にとって不幸な時代であり、表皮的であろうとする者には不幸な時代だから、表皮そのものを絶えず更新する事が未来であると誤解する。僕はーーそんな所には未来はないと思う。未来は、象徴的な言い方だが、過去の中にある。そしてそれを繋ぐのは本質である。異質なものが、実は本質的であったと、人は遅れて気付くだろう。未来に向かう為には過去と現在を繋がなければならない。その苦しい努力を立川談志は生きたのだと思う。落語というものが消えても、落語を残そうとした彼の努力は残るだろうし、それは落語とは違うものへと、本質を通じて繋がっていくだろう。また、そうでなければならない。