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マンセル伯爵家で開催された夜会は私達も含めて全部で14人ほどがご招待されていた。屋敷の大きな接客用ダイニングルームにテーブルと席が用意されており、招待客達は会話を楽しみながら晩餐を共にするというものだ。
和やかな雰囲気の中、テーブルには次々と料理人達が腕をふるった料理の数々が運ばれてきていた。私は給仕の方の手もとをチラリと窺い見て、次に運ばれてきた料理が鴨肉のローストであることを確認するとホストであるマンセル伯爵に話をふった。
「さすがは鴨の生息地で有名なマンセル伯領ですわ、素晴らしい料理ですわね。こんな大きなものは初めてお目にかかりましたわ」
私はちょうど今テーブルの端に置かれた鴨のローストを見つめながら、少し大げさな位に感嘆の声を上げてみせた。鴨のローストは滅多に見かけない大きなもので、それを給仕人が器用にナイフとフォークで切り分けて招待客の皿に盛り付けていた。
「おや、ご存じでしたか。私どもの領地に位置する南の湿原地帯は我が国有数の鴨の生息地なのですよ」
料理を褒められて気をよくしたマンセル伯爵は、にこにこと人当たりの良い笑顔を浮かべた。
今回のホストであるマンセル伯爵は既に齢50歳をとうに超えていて高齢だ。しかし、嫡男である長男を若くして病気で亡くしており、歳の離れた跡継ぎである次男はまだ家督を継ぐには若すぎる。そのため、この歳になっても未だに引退せずに領地経営に心血を注いでいる。この手のお方には領地の特産品を褒めればきっと良い反応が返ってくると睨んでいたのだが、思った通りだったようだ。
「勿論ですわ」と私は知っているのがさも当然だというふうに頷いてみせた。
「マンセル伯領は鴨の他には何が特産なのでしたかしら?確かフルーツだったような・・・」
「鴨肉の他には、ブルーベリーが多くとれるのですよ。日持ちしないのが難点で、多くはドライフルーツにしています。食後のつまみに後ほどご用意しましょう」
マンセル伯爵はお酒も入っていることから機嫌よく饒舌に語り始めた。
「ブルーベリー!そのままで食べるのは格別に美味しいですけれど、ドライフルーツやボンボン、シロップ漬けも美味しいですわね。楽しみですわ。そうだわ、ブルーベリーと言えば、ジャムにしても美味しいですから、加工して他領に売りに出してはいかがでしょう?美味しい特産品をドライフルーツだけに留めておくなんて勿体ないですわ。バレット侯爵領はガラスの生産が盛んで、ジャム用の瓶も沢山生産してますものね?」
私が隣りにすわるウィルに目配せをすると、ウィルはすぐにその意図に気付いて反応した。
「ええ、バレット侯爵領は丈夫なガラス製品を多く生産していて、ジャム瓶も生産しています。それにマンセル伯爵領のブルーベリージャムを詰めれば、我が国で一番のブルーベリージャムが完成すること間違いありません。」
ウィルはすかさずジャム瓶のアピールをした。流石は未来のバレット侯爵、機転が利くわね。マンセル伯は少し考えるように白髪の混じる顎髭をなでて、「それはいい考えかも知れませんね」と言って和やかに微笑んだ。
マンセル伯爵領の名産品がブルーベリーなどのフルーツ類であることは、昨日のうちに図書館に行って調査済みだった。
マンセル伯爵領は王都の南側に位置しており、そこそこ大きな領地となっている。国内有数の鴨の生息地があるだけで無く、多くのフルーツ類、特にブルーベリーやストロベリーなどのベリー系農作物の一大産地でもある。
ただ、ベリー系農作物は日持ちしないため、その殆どはドライフルーツになっている。その一部をジャムに加工すれば、マンセル伯爵はブルーベリーの新たな販売網を開拓できる可能性がある。一方で、バレット侯爵領もジャム瓶がマンセル伯領に売れることで収入増加に繋がるはずだ。
マンセル伯とウィルがその話で盛り上り始めたので、私は隣でにこにこと微笑みながら相槌を打つ役に徹する事にした。
サーブされた鴨のローストは大型鴨肉料理にも関わらず、味も繊細で肉も柔らかく美味だった。
これは燻製にして販売すると高級保存食としても需要があるのでは無いかしら。
今の保存用肉は馬肉と牛肉の干し肉がメインだ。鳥肉ならその2つより燻製にしても柔らかいままにならないだろうか。でも、身に脂が少ないからぱさぱさになってしまうかしら?私は脳内でそんな皮算用を弾きながら、豪華な食事の時間を楽しんだのだった。
食事を終えると私たちは男女に別れて少しの時間を世間話をして過ごした。私達のほかの招待客はみな年齢層が少し上で、私は女性の中の最年少者としてひたすら聞き役に徹した。もともとこの夜会はバレット侯爵夫妻のエドウィンさまとスフィアさまがご招待されていたのを、ウィルは代理で参加したようだ。
再び皆で集まったとき、ウィルは少し酔いが回ったのか頬をピンク色に上気させていた。
「カンナ、今日はありがとう」
「私は横に座っていただけだわ」
にこにこしながら礼を言うウィルに、私は何のことかわからないという風情で首を傾げてみせた。
「ジャム瓶を売り込んでくれたじゃ無いか。マンセル伯爵と取引が出来れば、それが売られる他の領地や外国にもうちのガラス製品の質の高さを知らしめることができる。父上も喜ぶよ」
「買い被りだわ。私はブルーベリーのジャムが美味しいからたくさん食べたかっただけ。食いしん坊なのよ」
「ははっ。じゃあ、最初のジャムの瓶詰が出来たらカンナのところに必ず届けるよ」
ウィルは上機嫌で笑うと、帰りのエスコートのために私の手を取ったのだった。
マンセル伯爵家に来たときはまわりの招待客たちに気を取られていて気付かなかったが、マンセル伯爵のお屋敷の玄関ホールには何枚かの家族の肖像画が飾られていた。おそらく、代々のマンセル伯爵とその家族の肖像画だろう。
招待客が多かったので帰りの馬車を玄関に横付けする順番待ちをする間、私は何となくその肖像画を眺めていた。何代か前の古い家族の肖像画はかなり年季が入っており、マンセル伯爵家の長い歴史を感じさせた。
古いものから順番に眺めてゆき、当代のマンセル伯爵のご家族の肖像画に辿り着いた時、私は突如として心臓を締め付けられるような感覚とズキリと突き刺さるような頭痛を感じて両手でギュッと自分の体を抱きしめた。
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懐かしい声がした。
「・・エス、アニエス。僕を信じて」
私を呼んでいるのは誰?
あなたに呼ばれるのはこの身が切り裂かれるように酷く切ない・・・
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「カンナ、僕たちの馬車が来たよ。」
私はウィルの呼びかける声でハッとした。既に胸の締め付けも頭の痛みも無くなっている。ウィルは顔を強張らせる私に気付くと、笑顔を消して訝しげな顔をした。
「カンナ?どうかしたのか??」
「い、いえ。何でも無いわ。少し疲れてしまって。肖像画を見ていたの」
私は咄嗟に表情を取り繕ってウィルを心配させないように微笑んだ。ウィルは怪訝な表情で私を見つめたが、すぐに気を取り直して私の腰を支えるように抱き寄よせた。
「ごめん、無理させちゃったかな?すぐに送っていこう」
ウィルはそう言うと、私を馬車にエスコートしてディルハム伯爵家の屋敷までまっすぐ送ってくれた。馬車の中で何も言わず握られたまま手の温もりに、私はなぜかとても安心した。