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ああ、まただ。
また私は夢をみている。
時折見る断片的な前世の夢の頻度が最近は特に高いのは、きっと前世でも繋がりのあったバレット侯爵夫妻のお二人とその宝物であるウィルに再会したから。今も昔も変わらず、彼らは優しく美しい。
愚かで醜い私がなぜまた彼らと親しくしているのか。運命の歯車とはかくにも残酷なものなのね。
でも大丈夫よ、私はもうあなた方に迷惑をかけたりはしないわ。だって、私はもう誰にも恋などしないし、多くも望まないのだから。私の役目はわかっているの。
『君は勘違いをしている』
いつだか大聖堂で出会った金眼金髪の不思議な青年が脳裏に蘇る。
いいえ、私は勘違いなんてしていないわ。自分の身の程はわきまえているもの。
『もっとまわりを見るんだ。ヒントはすぐ近くにあるのだから』
まわりは見ているわ。だから、こうして一歩下がっているのよ。なのに、なぜあなたはそんな顔をするの?
私はうまくやれている筈だわ。
それなのに、何かが引っかかる。
何かが・・・
─
──
───
耳障りな高い笑い声がどっと起こり、私は眉をひそめた。
今日はマクロニア伯爵令嬢のユリアさま主催のお茶会にお呼ばれして参加している。丸いテーブルを囲む8人のご令嬢の半数以上が扇を口元に当ててクスクスと笑い、コソコソと何かを囁き合っていた。その渦中の中心人物のご令嬢は羞恥のあまりに顔を真っ赤にして俯いていらっしゃる。
私は初めてお会いする方だけれども、美しい金の髪に澄んだ青の瞳をした可愛らしいご令嬢だ。ただ、彼女の格好は一人だけ他のご令嬢に比べてみすぼらしかった。決して汚れていたり穢らしい訳では無いのだけど、形が流行遅れで一目で中古とわかる品であることは否定できない。
「スフィアさま、その髪飾り変わった形ですのね。初めて見ましたわ」
「まぁ、本当だわ。もしかして、最先端ファッションなのかしら?」
彼女に口々に重ねられる質問の数々は、表面上は彼女のファッションについて興味があるように聞こえた。けれども、その口調や態度には明らかな嘲笑が含まれていた。件の髪飾りを見てみると、それは布を簡単に丸めて花のように見せた簡素なものだ。
私はもう一度、このご令嬢を観察した。『スフィア』という名前には聞き覚えがある。たしか、最近なにかと話題に上っていたゴーランド伯爵の庶子の名前だ。
その昔、ゴーランド伯爵は屋敷の侍女に手を出して、その侍女が妊娠した。そのことを知って逆上したゴーランド伯爵夫人は、怒りにまかせて身重の侍女を屋敷の外に着の身着のままで追い出したのだ。
追い出された侍女は市井で生まれた子どもと母一人子一人でなんとか食い扶持を見つけて慎ましく暮らしていたのだが、つい最近母親の方が亡くなった。そして、その子どもであるスフィアがゴーランド伯爵の屋敷に引き取られた。貴族にはよくある、珍しくも何ともない噂話。
皆さまの話の内容から判断するとスフィアは今日が初めてのお茶会のご招待のようだ。噂の真相を知りたがるご令嬢のかっこうの話のネタとしてご招待されたようだか、このみすぼらしい身なりは彼女たちを大層満足させた。
おおかた、ゴーランド伯爵の屋敷に引き取られたもののゴーランド伯爵夫人によって召使いのように扱われて、身の回りのものも満足に揃えられずにいるのだろう。
スフィアに質問する他のご令嬢達は、好奇心と自尊心が満たされてとても愉しそうに見えた。ただ、私は集団虐めのようなこの状況に、いくばくかの不快感を覚えた。
「あ・・・」
スフィアは顔を赤くしたまま俯いて、返す言葉が出てこないようだった。今まで貴族令嬢達の意地の悪いマウンティングなんて縁のなかった方なのだから、それも仕方が無いだろう。まわりからはクスクスと笑い声が漏れる。
「あの・・・」
「まあ、本当に珍しいわね」
私の言葉にスフィアさまはハッとしてこちらを見た。私と目が合うと、その青い瞳には涙が浮かんできていた。こんな位の意地悪で泣いていたら、これからは年がら年中泣いていなければならないわ。
「とても珍しいから、気に入ったわ。私のと交換して下さらない?よろしければですけど」
スフィアは私の続けた言葉にこぼれ落ちそうなほどに目を見開いた。私の付けている髪飾りは色とりどりの鳥の羽とレースを組み合わせた流行最先端の品物だ。実家の侯爵家御用達の仕立屋で作らせた高級品でもある。
「アニエスさま、なにを!」
「そうですわ。アニエスさま!」
周りでクスクスと笑っていたご令嬢達が慌てて止めようとするのにも構わずに、私は髪に着けられたその髪飾りをサッと外してスフィアに差し出した。
私は侯爵令嬢でこの席では一番の高位貴族であり、また、文句なしの美人でありファッションリーダー的存在でもあった。スフィアはそんな私に髪飾りの交換を持ちかけられてとても狼狽えているようだった。
「私のでは気に入らない?もしかして、それは大事なものなのかしら?」
「いいえ!アニエスさまのものを戴くなど恐れおおくて!!私のものは差し上げます」
スフィアは酷く慌てて髪飾りを外すと、震える手でそれを私に差し出した。よく見ると、布のお花は形が少し歪んでいる。そもそも買ったものでもなく、手作りなのだろうか。
「これはあなたが作ったの?」
「はい」
私の質問に答えるスフィアは酷く青ざめて、彼女が内心は不安で押し潰されそうになっているのが私にもわかった。
「素敵ね。ありがとう」
私がそう言ってその髪飾りを自分の髪に飾ると、スフィアは驚きの余りにポカンと口を開けていた。まわりのご令嬢達も驚いて唖然としている。皆さま、淑女たるのもがその反応はいただけないわよ?
そして、私は元々自分が着けていた豪華な髪飾りを有無を言わせずに彼女の美しい金の髪にさしてさしあげた。
「よく似合っているわ。これは私達がお友達になった証に貰って下さると嬉しいわ」
「あ、ありがとうございます」
謝礼を言うスフィアの声は感激で震えていた。スフィアに髪飾りはとても似合っていた。元々可愛らしい彼女が着飾ればきっとこの場の誰よりも美しくなるだろう。鋭い視線で意思疎通をはかり合うご令嬢達を尻目に、私はただただ感激するスフィアににっこりと笑いかけたのだった。
これをきっかけにスフィアは私にとても懐くようになった。アニエスさま、アニエスさま、と顔を合わせれば嬉しそうに私に駆け寄ってくる。本当は妹が欲しかった私からしても、2つ年下のスフィアは可愛い妹が出来たようでとても嬉しかった。
私はこの当時、スフィアのことを本当の姉妹のように大切に思っていた。
突然場面が切り替わり、私は舞踏会会場にいた。壁際にいる私に取り巻きのご令嬢達が次々に寄ってきて、聞きたくも無い情報を耳許に囁いてゆく。
「あの子、調子に乗ってるのですわ。アニエスさまがお優しいからっていい気になって」
「そうですわ。最近目に余りますもの。少し痛い目に遭わせた方があの子のためだと思いますの」
私は顔色一つ変えずにそれを聞いていた。魂の抜けた人形のように、虚ろな目でご令嬢達を見返す。
駄目よ。頷いては駄目。
必死に私は叫ぶのに、アニエスは気付かない。
「好きにしなさい。任せるわ」
私の返事を聞いたご令嬢達が扇の奥でニヤリとほくそ笑む。
やめて。止めるのよ!アニエスなら止められる!!
どんなに叫んでも私の悲痛な叫びは届かない。夢の結末はいつも一緒。最後に見た泣き叫ぶあの子の姿が脳裏から離れない。
あまりの嫌悪感から吐き気を感じて口を押さえたところで、私の夢は終わった。ハッとして目を開ければ見慣れた天蓋が目に入る。全身にびっしょりと汗をかき、私は一人ベットに横たわっていた。
また同じ悪夢を見た。いいえ、悪夢ならまだ良かった。でも、きっとあれは事実として起きた出来事なのだ。
「私は恐ろしい・・・」
握り締めた寝具にポツリ、ポツリとシミが出来る。決して許されない罪を犯した私には、泣く資格すらないのかも知れない。