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舞踏会の日、バレット侯爵家の馬車はわざわざ私の家まで迎えに来てくれた。それは4頭もの黒馬が繫がれたとても大きな箱馬車で、バレット侯爵家の方に加えて私と付き添いのお父さま、お母さまが乗ってもまだ余裕のある立派なものだ。
「カンナ、久しぶりだね」
「まあ、カンナ。すっかり立派な淑女になって。ウィルのエスコートじゃ勿体ないわ」
馬車から降りたバレット侯爵夫妻のエドウィンさまとスフィアさまは私を見つけるや否や笑顔を浮かべて声を掛けて下さった。私はにっこりと微笑み、ドレスの端を持ち上げてお辞儀をした。
「エドウィンさま、スフィアさま、ご無沙汰しておりました」
私がお辞儀を終えるか終えないかというタイミングで、今度は若い男の人の声がした。
「カンナ?カンナなのか??」
そちらに目を向ければ、若かりし日のエドウィンさまを思わせる爽やかな若い男がこちらに近づいてきており、その青い双眸が私を捉えて喜びに染まっているのが目に見えた。
「まあ、ウィル!見違えたわ。お久しぶりね」
馬車から降りてきた笑顔のウィルを見て、私は思わず感嘆の声をあげた。
ふっくらしていた顔は引き締まり、父親のエドウィンさまによく似てきて万人受けするハンサムなお姿だと思う。私に歩み寄ったウィルはそっと私の指先にキスを落とした。
「久しぶりだね、カンナ。凄く綺麗だよ。想像以上で驚いた」
「まあ、お上手ね。ウィルも素敵よ」
少し照れ臭そうにはにかむウィルは、今まさに少年から青年への変化を迎えようとしている時期のようだ。それでも、その表情にまだ少しだけあどけなさが残っていたことに、私は自分の知るウィルを垣間見ることが出来て心底ほっとした。
今世で初めて参加する社交パーティーは、さすがは公爵家が主催と言ったところだった。
十分に広い私の実家のお屋敷より数段大きな規模のお屋敷は大聖堂のような白い石造りになっていて、大広間の床にはピカピカの大理石が敷かれていた。天井には幾つものシャンデリアがかかり、蝋燭の光が揺らめいている。
そして、公爵家のお屋敷には広い広い庭園があった。庭園はいくつかのブロックに別れており、それぞれが四季折々をテーマに作られているようだった。
最初の一曲だけウィルとダンスを踊った私は、ウィルがエドウィンさまの知人から他のご令嬢を紹介されたのをきっかけに、広間の端に身を寄せて壁にそっと寄り掛かった。そのまますぐ近くの窓から外を覗くと、薄暗い庭園は会場の明かりに照らされて幻想的だ。
会場となるウインザー公爵家の大広間は四季の庭園の中央にある広場に面しており、その広場の中央には全部で3つの噴水が設置されていた。一番の大きな噴水は、私の背丈よりも大きそうに見える。
一人でフラフラと広間から庭園に降りるテラスへと足を踏み入れた私は、その噴水の水が絶え間なく流れる様を見つめていた。水音が耳に心地よく響き、大広間の明かりが反射してきらきらと燦めくさまはとても美しくうっとりとする。そんななか、私はふわっと何かが肌に掛けられたのを感じて視線を肩に落とした。
「カンナ。外に出たいなら声を掛けてくれればいいのに。冷えると風邪をひくからこれを羽織ってて」
私の肩に掛けられたのはウィルのジュストコールだった。いつの間にか、私の横にはウィルがいて、ジュストコールの下に着ているジレの隙間から見える真っ白なブラウスが夕闇に浮かび上がっている。
「さっきのご令嬢は?」
「一曲踊って別れたよ。パートナーの僕を置いていくなんて、カンナは酷いな」
ウィルは私の横に立つと、不満げに口を尖らせて私を見下ろした。7年も経つと、ウィルは見違えるように成長していた。身長は私よりもだいぶ高くなったし、声は低くなった。エスコートの時に差し出された手も、もう私と遊んだときの柔らかく小さなものとは別物になっていた。
「ウィルは大きくなったね」
「まだ大きくなると思うよ?どんどん伸びているんだ。父上は超えたいな」
得意気に語るウィルは今まさに成長期のようだ。エドウィン様も長身だけど、ウィルはもっと大きくなるかも知れない。
「そうね。ウィルはどんどん大きくなる。いつの間にか抜かされちゃったわ。前は弟みたいだったのに。ところで、さっきのダンスのお相手はメディソン侯爵令嬢よ?」
「知ってるよ。紹介されて挨拶したからね」
「もっとお近付きになったらいいのに」
庭園の噴水を見つめながら呟いた私の言葉に、ウィルが無言でこちらを見つめているのがわかった。
メディソン侯爵家は何代か前に時の王女が降嫁したほどの名門貴族だ。そして、ご令嬢は確かウィルと同じ歳の筈。遠目に見た限り、くりくりとした瞳とあどけない笑顔が可愛らしい方だった。ウィルの婚約者候補としてはもってこいだ。
「カンナは久しぶりに僕に会えたのに嬉しくないの?急に会えなくなって、僕は今日君に再会出来ることを本当に楽しみにしていたのに」
少し棘のある口調のウィルを見上げると、ウィルはその青い瞳にやるせなさのような感情を浮かべてじっと私を見つめていた。
「嬉しいわよ。ウィルが立派になった姿を見られて、こんなに嬉しい事は無いわ」
私はにっこりと笑顔を浮かべてそう言った。
ウィルはとても素敵に成長していた。両親譲りの見目は文句なしに美しいし、私のエスコートもそつなくこなしダンスのリードも上手かった。馬車の中での話を聞く限り、学校での成績も優秀だったようだ。
きっと将来はバレット侯爵の名に恥じない立派な紳士になるだろう。今日のデビューを皮切りに、多くのご令嬢が彼からのダンスの誘いを熱望するのは想像に難くない。
「君は・・・」
「なに?」
「いや、何でも無い。冷えるから広間に戻ろう」と言って、ウィルは私に手を差し出した。
「もう一曲お相手して頂けませんか?マイ・レディ」
私は差し出された手をじっと見つめた。視線を上げてウィルの青い瞳と目が合うと、ウィルは柔らかく微笑んだ。
「お誘い頂き、光栄ですわ」
私はそっとそこに自分の手を重ねる。素敵な彼からダンスに誘われることなど、きっともうないだろう。今日という日の想い出に、一曲くらいはいいだろうと思った。
私をエスコートするウィルは楽しそうに笑顔を浮かべ、ホールの中央へと進んだ。曲が始まると私は彼のリードに合わせて大広間をクルリ、クルリと蝶のように舞う。結局、そのあとのダンスは一曲では無くて二曲だった。
ブクマ、評価して下さる方、本当にどうもありがとうございます。拙い作品ですが完結出来るように頑張ります。