メッセージはクッキーで 2
ウィルが屋敷に帰ってきたのはすっかり深夜になってからだった。確か今日はお仕事でいいパートナーになれそうな人と食事をしながら話をして来るって言ってたわね。
「お帰りなさい、ウィル」
「ただいま、カンナ」
玄関まで出迎えるとウィルは私を見つけてにっこりと笑い、軽く抱擁してから上着を手渡してきた。ウィルとその上着からはアルコールとパイプの臭いがした。
「今日は何してたの?」
夫婦の寝室まで来たところでウィルは今日何をしたのかを私に尋ねてきた。ウィルは毎日私が何をしていたのかを聞きたがるの。
「昼間はバレット商会に行ってロジェと一緒にイールさんにお勉強を教わったわ。帳票の付け方よ」
「なんだ。来てたなら声かけてくれたら良かったのに」
「だって、ウィルのところにはお客さまが来てたわ」
私はもちろんウィルの執務室に行ったわ。けれど、執務室の扉には『打合せ中』の札が掛かっていた。
「ああ、そうか。最近打合せばっかりなんだよな」
不服そうに口を尖らせていたウィルは納得したように頷いた。その様子を見て私のやる気はシュルシュルと萎んでゆく。
すごく忙しそうだわ。こんな忙しそうなウィルに『お散歩に行きたい』なんて言ったら悪いわよね。
でも、行きたいわ‥‥
「あのね、ウィル!」
私がもう一度勇気を振り絞ってウィルに話を振った。
「今日、バレット商会から戻ってからクッキーを作ったの。昨日の夜に話してたクッキーよ」
お皿の上に載せて用意してあったクッキーをおずおずと差し出す。夕食前に使用人の皆にも配ってしまったので、お皿の上にはウィル用に残しておいたクッキーが1つだけ残っていた。
「ああ、これが。見てもいい?」
ウィルは物珍しそうにそれをつまみあげた。真ん中からサクッと2つに割ると、中から丸められた紙切れが出てくる。ウィルはそれを取り出すと、くるくると開いて書かれている内容を見た。
「どれどれ。『今夜はゆっくりと休んで良い夢を』だって。確かに疲れたから今夜はゆっくりと休もうかな」
紙切れに書かれたメッセージを読み、顔を上げると笑顔を浮かべたウィルに対し、私は何も言えなくなってしまった。
そのメッセージを書いたのは私だわ。最近忙しいウィルにゆっくりと休んで欲しかったから。だから、ウィルがそれを引き当ててくれたのは嬉しいわ。でもね、嬉しいのだけど、これではますますお散歩のことが言いだしにくくなったわ。
「カンナは何が書いてあったの?」
「ウィルのと同じようなものよ。大したことは書いてなかったわ」
ウィルに聞かれて私は思わず嘘を言ってしまった。だって、忙しくしているウィルに我が儘を言っているとガッカリされてしまいそうだから。それを聞いたウィルは「そうなの?ふーん」と少しだけ残念そうな顔をした。
「今日はもう遅いから先に休んでていいよ」
私に軽いキスをすると、ウィルは身体をさっぱりさせるためにお風呂に入ると言った。部屋を出たウィルの後ろ姿を私は呆然と見送ったのだった。
「言えなかったわ……」
あぁ、もうっ!今夜、絶対にお散歩に誘おうと思っていたのに。先日、エリーゼとお茶会をしたときに王都に流れるナール川の畔の王立庭園の花が見頃だったと聞いたから、ぜひそこに行きたかったのに!
結局その日、私はウィルを誘うことが出来ずに終わってしまった。
♢♢♢
「はぁ。なかなか誘えないわ」
私は紙切れを片手に独り言ちる。紙切れには綺麗な綴りで『大切な人とお散歩に行くと気分転換になります』と書いてある。
あの日以来、何回かウィルを誘おうと試みたのよ。朝食の時だったり、バレット商会でお茶の時間を伴に出来た時だったり、夜寝る前だったり。
でも、いつも実際にウィルの忙しそうな姿を見ると尻込みしてしまうのだ。だって、ウィルってば朝から晩までずっとお仕事漬けなんだもの。今日もお仕事で夕食はいらないって言うし。
「なかなか言えないものね……」
指で紙切れをもてあそびながらソファーに座ってどうしたものかと悩んでいるうちに、私はすっかり時間が過ぎるのを忘れていた。
「何がなかなか言えないの?」
てっきり一人きりだと思っていた私は後ろから突然声をかけられて飛び上がるほどびっくりした。振り向くとウィルが立っていた。外で着る上着を左手にかけているから、帰ってきたばかりのようだ。
私は慌てて紙切れを手に握って隠した。悩みすぎてウィルの帰宅に気付かないなんて、なんてことなの!
「何でも無いわっ。お帰りなさい」
慌てた私の様子にウィルの様子は怪訝なものへと変わる。
「ごめんなさい、ウィル。帰ってくるのに気付かなくて」
シュンとした私にウィルは少しだけ首をかしげてみせた。
「いいよ。今日はわざとカンナが気づかないようにこっそりと帰って来たから」
「わざと?」
私は眉をひそめた。なぜ、わざと私が気づかないように帰って来たのだろう?怪訝な表情を浮かべた私をウィルは不服そうに見下ろした。
「カンナは最近おかしいよ。何を隠してるの?」
怒っているせいかウィルはいつもはしないような力強さで私の腕をぐいっと引いた。男女の力の差もあって私の手のひらの紙切れは呆気なくウィルの手に渡ってしまう。青くなる私を見て益々ウィルは不機嫌そうに眉間にしわを寄せてその紙を睨んだ。止める間も無く中を開いてゆく。
「これって……」
その紙切れを広げて中を見ると、ウィルは驚いたように目を見開いた。
ま、まずいわ。呆れられたわ。
なんとか挽回しないと!
「その、ウィルとお散歩に行きたかったのだけど誘うタイミングが判らなくって。でも、ウィルが忙しいのは知ってるわ」
必死に言い訳する私を一瞥すると、ウィルは口を片手で抑えるようにしてからハァッと大きくため息をつき、うなだれた。
ど、どうすればいいの?!呆れられたわ……
「ウィルが無理なら別にいいのよ。散歩なんてきっといつでも‥‥」
「カンナ」
ウィルに名前を呼びかけられて私はびくんと肩を揺らした。恐る恐るウィルを見上げると、ウィルは何ともばつの悪そうな顔をしている。
「ごめん、カンナ」
ごめん?怒られた上に呆れられたと思っていた私はポカンとしてウィルを見上げた。
「なんでごめんなの?」
「実は、カンナの様子が最近おかしいから余裕が無くなってた。いつも僕に何か言いたげにしてるから、もしかしたらカンナの心が僕から離れて来てるんじゃ無いかって心配してたんだ。最近、僕が忙しいせいであんまりカンナとの時間もとれないしね」
眉尻を下げてポツリポツリと語り出したウィルの言葉に私は唖然としてしまった。私の心がウィルから離れてる?あり得ない。あり得ないわ!
「まさか!絶対にあり得ないわ。だって、私はウィルが本当に大好きなのだもの!!だから、忙しいのに散歩になんか誘ったりしたら、気が利かないって嫌われるんじゃないかと思ってなかなか言えなかったの!」
両手に拳を握って力説する私を見下ろしていたウィルは、急激にあかくなって片手で顔の目元を覆った。
ウィルは私と話してると時々この症状に襲われる。病気じゃ無いかと心配なのだけど、カテリーナやイールさんは放っておいていいって言うの。でも、心配だわ。だって、アーロンさまはアニエスと居たときはまだ元気だったのに、その2年後には亡くなったのよ?
「カンナ。これ書いたのは僕だよ」
「え?」
「自分で引き当てれば忙しくても大手を振ってカンナとデートが出来ると思ったんだ。」
「ええっ!?」
予想外のことに目を丸くする私を、ウィルは優しく見下ろしてはにかんだ。
「カンナ。久しぶりに遠乗りに行こうか」
「いいの?遠乗りだと丸一日潰れちゃうわ?」
「いいだろ、一日くらい。カンナも気分転換出来るし」
ウィルは微笑んで私を抱き寄せると、おでこにそっとキスをした。近所にお散歩に行きたいとは思っていたけれど、まさか遠乗りの約束が出来るなんて。嬉しくて私の胸は高鳴った。
おずおずと広い背中に手を回してその胸に身体を預けると、トクントクンと鼓動が聞こえて、私達が今確かに共に生きて存在しているのだと感じる事が出来た。と、そこで私は先ほどの心配事に思いが至った。
「ウィル。体調悪くない?」
「体調?」
ウィルは私の質問に怪訝な表情で首を傾げた。私はその顔を見上げて肌色をつぶさに観察する。
今は先ほどの赤みは引いているわ。よかった。
「だって……。ウィルってば時々、急激にあかくなるのよ?大好きなウィルに何かあったらって心配だもの。一度お医者さまに見て貰った方が良くないかしら?」
目を丸くするウィルの顔はみるみるうちに再びあかくなった。ウィルは元々の肌色が白いから、あかくなるとよくわかるのよ。
「ほら!また!!ウィル、苦しくない??」
心配で心配でたまらずに縋りつく私をウィルは困ったような顔をして見下ろす。やっぱり心配だわ。そんな気持ちを知ってか知らずか、ウィルは私にもう一度優しくキスをした。
その後、メッセージをこめたクッキーは紆余曲折をへてバレット商会製のガラス瓶に入れられて商品化され、ジャムと同じ位の売れ筋商品になったわ。
多くの方のご想像通り、このお話はフォーチュンクッキーをモデルにしています。フォーチュンクッキーは運勢ですが、こちらはメッセージです(^^)




