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懐かしい景色の中、私は記憶を頼りに足を進めた。
美しかった花園は今もやはり美しいままで、沢山の花が咲き乱れている。赤、白、黄色・・・様々な色の花が自分が一番美しいと主張するかのように見事に咲き誇っていた。
そのなかでもピンク色の大輪の薔薇はアニエスの一番のお気に入りだった。私はかつての自分が一番好きだったその薔薇を見つけるととても感慨深い気持ちになって、少し屈むとそっと花に顔を寄せた。バラの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
「美しい花の妖精さん、よろしければ僕とご一緒して頂けませんか?」
優しい声がして顔を上げると、そこには柔らかく微笑むウィルがいた。ウィルはすまし顔で白い手袋を嵌めた手を私に差し出した。
「ええ、よろしくてよ」と、私もわざとツンと澄まして手を差し出す。
手が重なった瞬間に、強く握られたそこをグイッとひかれてウィルの腕の中に私は閉じ込められた。
「僕の可愛い婚約者殿は一人でフラフラして悪い子だな」
「お庭がとても綺麗だったからちょっと見たかったのよ。ごめんなさい」
私が慌てて謝ると、ウィルは「いいよ」と微笑んで私のおでこにキスを落とした。
「もう少し庭を見たい?もうそろそろ会場に入る時間だけど」
「もうそんな時間?じゃあ、あと少しだけ」
私は見たい方向へウィルの腕をひくと、庭園の中を足早に進んだ。両脇の高い生け垣がなくなり視界がひらけると、そこには白く塗られた鉄枠の真新しいガゼボがあった。
「あ、これうちの製品だね」
ウィルはその白いガゼボを見つけて嬉しそうに目を細めた。白い枠には蔦の飾りが施されて、所々に金属製の小鳥の飾りがついている可愛らしいガゼボだ。
「そうね」と私も微笑んだ。
かつてアニエスがよく本を読んでいた木枠のガゼボはもう姿を消し、今は鉄枠の真っ白な新しいガゼボが建っている。けれど、時代が変わってもまたこの場所にこの人と来られたことを私はとても嬉しく思った。よくアーロンさまは庭園にいる私を探してここまで来て下さったわよね。
「さあ、せっかくのお祝いの日にあまり遅れると申し訳ない。そろそろ戻ろう」
ウィルに優しく諭されて、私も「そうね」と頷いた。
今からクランプ侯爵家嫡男のレオンさまとリプトニ伯爵家ご令嬢のエリーゼの結婚披露パーティーがクランプ侯爵邸で開催される。
先ほど大聖堂で無事に挙式をあげたレオンさまとエリーゼの姿は幸せそのものだった。
真っ白の婚礼用のドレスに身を包んだエリーゼは大聖堂に描かれた女神のように美しく、彼女の手をひくレオンさまは凛々しくかつて読んだ物語の騎士さまのように素敵だった。
並んで歩く2人を見ているだけで、この2人がただの政略結婚ではなくて気持ちを通い合わせて結ばれたのだとわかり、私は自分のことのように幸せを感じた。
そして、場所を移動して今度はクランプ侯爵邸で披露パーティーが開催されるのだ。私はウィルの婚約者としてウィルと共にこの披露パーティーに招待された。
久しぶりに訪れたクランプ侯爵邸は庭園も招待客に開放されていたので、私はついつい懐かしさからフラフラと足を踏み入れてしまったのだ。
かつての自分の自宅であったクランプ侯爵邸に足を踏み入れるのは私がカンナになってからは初めてのことだ。おおよそ20年もの時を経ても屋敷には昔の面影が多く残っていて、私はとても感慨深く感じた。
彫刻の施された木の手摺り、自然の木目を上手く利用した艶々の床、所々に飾られた小さなシャンデリアに肖像画が並ぶ廊下・・・
それらは一つ一つが私にかつての自分を思い起こさせた。かつて、私は確かにこの場所で生きていた。
会場となっている広間に向かう途中、入口の目の前で急にウィルは立ち止まった。エスコートされていた私はウィルにつられて足を止めた。ウィルを見上げると、1枚の肖像画に気をとられてじっとそれを見つめていた。
「ウィル、どうしたの?」
「ああ、何でも無い。行こうか」
ウィルは私が声を掛けるとすぐにハッとしたように微笑み、そしてもう一度肖像画を見つめてから足を踏み出した。私はウィルにエスコートされながらチラリと後ろの壁を振り返る。そこには、かつての自分がにっこりと微笑んでいた。
「カンナ!来てくれてありがとう!!次はあなたの番ね」
披露パーティーで私を見つけたエリーゼは花が綻ぶような笑みを浮かべて私を歓迎してくれた。
「エリーゼ、おめでとう!お幸せにね。」
「もちろんよ!ねえ、カンナ。私達、似たような時期に結婚するからきっと子ども同士もお友達になれるわね。楽しみだわ」
エリーゼは私の顔を見つめると嬉しそうに目を輝かせた。
エリーゼと私の子ども同士もお友達?それは私にとって全く未知の世界で、なんだかとても素敵なことのように思えた。
「そうそう、この部屋の入り口近くの肖像画は見た?昔話したことあったけれど、傾国の美女だったでしょう?」
エリーゼにそう言われて私は「えーっと、まぁそうね」と曖昧に濁した。既にその姿では無いとは言え、かつての自分のことを『傾国の美女』と言われると気恥ずかしさからどういう反応を示せば良いのかわからない。
「あの肖像画はどなたなのです?」とウィルがエリーゼに尋ねると、エリーゼは「レオンさまの亡くなった叔母上のアニエスさまよ」と微笑んだ。
「あの人が・・・」
ウィルは少し驚いたように目を瞠った。
ウィルの中でのアニエスと言えば、1年ほど前のあの事件の時に初めて聞いた名前の筈で、当然その姿を見るのも初めての筈だ。
「もっと違うタイプの人だと思ってた?」と私が聞くと、ウィルは「うーん、想像と違ってた」と言った。
「死んだあとにあれだけ周囲の人に影響を遺すなんて、もっと妖艶な魔女みたいな人だと思ってたから。あの人はむしろ・・・」
ウィルはそこまで言いかけて、迷うように言葉を止めた。ちょうどそのタイミングで今度は別の招待客から声を掛けられて、私達は再び歓談を始めたのだった。
ウィルがあの時なにを言おうとしていたのか気になった私は、帰りの馬車の中で思い切って聞いてみる事にした。
「ねえ、ウィル。クランプ侯爵邸でアニエスさまの肖像画をみてなんて言おうとしてたの?」
ウィルは私の質問に困ったように視線を彷徨わせた。
そんな反応を示されると益々気になるわ。ウィルにこれまでアニエスが魔女みたいな女だと思われていたことも軽くショックだけれども。
「おかしな話なんだけど、カンナに似てると思った」
私が黙ったままウィルを見つめていると、ウィルは小さな声でそう呟いた。
「私に?エリーゼの言うところによる傾国の美女が??」
華やかな美女だったアニエスに対して地味、よく言えば控えめな見た目の私は全く外見が似ていない。驚いて私が思わず聞き返すと、ウィルは「変なこと言った。ごめん」と慌てて話を終わらせようとした。
「変なことというか、どの辺が似てるのか気になったのよ」
「すごく馬鹿らしい話なんだけど・・・」ウィルは迷うようにポツリ、ポツリと話し始めた。
「たまに見る夢に出てくる女の人があの人に似てるんだ。いつも僕の姿を見つけると嬉しそうににっこりと微笑んで、両手を広げる。あの人は何も喋らないし、夢で見るのはそのシーンの一瞬だけ。ただ、その笑顔が僕を見つけた時のカンナの笑顔に似てるなと思って」
「まぁ」
私は驚いてそれ以上の言葉が出てこなかった。だって、それって・・・
「気持ち悪いし気分悪いよな。ごめん!今のは忘れてくれ」
ウィルは私の反応をみて、自分がおかしな事を言い出したせいで呆れられて私が気分を害したと思ったようで焦りだした。
「気持ち悪くないわ」
「カンナ?」
「気持ち悪くないし、気分悪くもない」
私は馬車の外に視線を移し、こぼれ落ちそうになる涙をウィルから隠すようにそっとハンカチで拭った。
今まで、私はウィルがアーロンさまだと確信していたものの確固たる証拠のようなものは一切無かった。ガイドははっきり言わないしウィルに記憶が無い以上、確かめようがなかった。けれど、彼はやっぱりアーロンさまなのだ。
『アニエス、僕を信じて。この命が尽きようとも君への気持ちは変わらない』
アーロンさまはかつて夢の中でアニエスにそう告げた。そして、記憶も無いのにちゃんと私を捜し出してくれた。
「ねえ、ウィル」
「なに?」
「私を一生愛して幸せにしてくれますか?」
ウィルは私の突然の質問に驚いたように目を瞠ったけれど、すぐに私の手を握り「もちろんだ」と微笑んだ。
「約束よ?」
「ああ、約束する。僕を信じて」
ふふっ。生まれ変わってもやっぱり口癖は一緒なのね。私はふわりと微笑んだ。
「じゃあ、そのかわり・・・」とあのときアーロンさまにしたように今度はウィルの耳元に口を寄せる。
「あなたのことは私が必ず幸せにすると約束するわ。あなたが私を愛してくれる限り、私は持てる全ての愛情をあなたのために捧げます」
その時のウィルの反応がどうだったか。それはもう、言わずもがなでしょう?




