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バレット商会の一室でお勉強をしていたその日、私はウィルからのお誘いに目をぱちぱちと瞬いた。
「何の指輪?」
「だから、婚姻の指輪だよ」
婚約の宝石なら代々バレット侯爵家に伝わるものを頂いたけれど、婚姻の指輪って何かしら?婚約の宝石とは違うのかしら??
「婚姻の指輪とは対になった指輪で、婚姻の証として夫婦でそれを嵌めるのです。元は遠い外国の風習ですが、最近隣国のチェルドニ王国でも一般的に受け入れられてきたので、バレット商会でも売り出し始めたのですよ」
婚姻の指輪なるものが何なのか分からずに険しい表情をしていた私を見て、イールさんはクスリと笑って補足をしてきた。
「何故指輪をするの?ペアの首飾りなら良く聞くけど?」
「私が聞いた話では、輪が『永遠』を意味するそうです。お互いを永遠に愛するという契約の証ですね」
「まあ!」
私は思わず両手を口に当てて感嘆の声をあげた。永遠の愛を表すリングをお互いに嵌めるですって?素敵だわ!なんてロマンチックな風習なの!!
「今月バレット侯爵領に戻るから、一緒に見に行かないか?それに、高炉も一度見てみたいって言ってただろ?」
「行くわ!高炉も見たいわ!」
私は一も二もなくコクコクと頷いた。こうして私はウィルに連れられてバレット侯爵領の鉄鉱山と高炉、それに婚姻の指輪選びにお邪魔することになったのだ。
初めて見る鉄鉱山と言う場所は赤い土が剥き出しになった荒れた場所で、山というよりは土と岩の丘と言った方がしっくりとくる景色だった。バレット侯爵領には子供の頃に何度か来たことがあったけれど、この景色は初体験だわ。
そして、高炉というのはイールさんが言った通り、石を大きなブロック状に整えて積み重ねた大きな建造物だった。ただの石の積み重ねで地味だけれど、とても大きいのでかなりの存在感がある。
私たちが訪れた時、高炉ではちょうど鉄鉱石の精製を行っているところだった。
鉄鉱石とコークスを高炉に交互に投入して加熱すると、高炉の中は私には想像も出来ないような高温になる。そして、その高温で溶け出した不純物の除去された溶鉄が高炉の下側から流れ出てくるのだ。流れ出る溶鉄はドロドロとして真っ赤に滾っていて、遠目で見ていても肌がチリチリと灼けるような熱気を感じた。
そして、その様子を見学したあとは完成した銑鉄を鋼に精製して形成する加工現場も見学させて貰った。
「凄いわね。圧巻だわ」
目の前の光景にただ息をのむ私にイールさんはそれが何の工程なのかを説明してくれた。鋳造、鍛造、絞り出し加工、圧延加工、切り出し・・・
バレット商会の一室で知識として得た金属加工法は、実際の加工現場を見ると迫力が全く違う。高炉で精製した銑鉄をもう一度真っ赤に熱して、それを様々な加工法で別の形へと変えていくのだ。
「指輪はここで作るよ。鉄以外に貴金属も扱っているんだ」
ウィルに案内された区画では、真っ赤に熱せられた貴金属を小さな鋳型に流し込んでいた。
「鋳型を使うと言うことは、これは鋳造ね?」
私が隣に居たウィルに聞くと、ウィルは「うん、そう」と頷いた。
「カンナさま。様々な加工法を学ばれましたが、指輪の形成法はどのようなものがあるか判りますか?」
鋳造の様子を眺めていると穏やかにイールさんに尋ねられ、私は今まで教わったことを頭の中で反芻した。
「まずここでやっている鋳造があるわ。そうね、あとは指輪なら絞り出し加工した円柱状金属の両端を溶接して繋ぐ加工法か、最初から塊を輪状にする自由鍛造とかかしら?」
私の答えを聞いたイールさんは口の両端を持ち上げて、「お見事です」と言った。
「バレット商会の指輪はその全ての加工法を用いておりますが、婚姻の指輪に関しては鋳造、若しくは自由鍛造法を用います。なぜだか判りますか?」
今度は私は答えに詰まった。
鋳造は鋳型に金属を流し込む加工法で複雑な形状でも安価に量産出来る一方、流し込むだけの加工法なので金属強度が弱い。
自由鍛造は一から金属を熱して叩きながら形を作るので手間暇がかかり高価になる上、複雑な形状は難しい。ただ、叩かれることにより金属は強くなる。
そして、バレット商会では婚姻の指輪に使わないと言われた絞り出し加工と鍛造の組み合わせは両者の中間に当たるような加工法だ。金属を細い円柱状に絞り出しある程度の長さでカットしたものの両端をくっつけて指輪にする。自由鍛造よりは安価に、強度のある指輪を作ることが出来る。
私がうーん、と悩んでいるとウィルが横から助け船を出してくれた。
「婚姻の指輪は『永遠』を意味するからだよ。繋ぎ目があっては始まりと終わりがあることになる」
婚姻の指輪は『永遠』を意味する。ウィルにそう言われて私はハッとした。そうよ、永遠を表すなら指輪はどこも均一でないと駄目だわ。溶接では繋ぎ目ができてしまう。
「凄いわ。そんな細かいところまでこだわっているなんて!」
「まあ、外からの見た目は一緒なんだけどね。出来上がった商品が見れるから事務所に行こう」
笑顔のウィルに誘われて私は完成品の指輪を見に行った。並んでいる指輪は金や銀、白金を用いて作られている。簡単に分類すると、指輪が複雑な形をしているのは鋳型で作った鋳造の商品で、シンプルな円形のものは鍛造の商品だ。
「せっかくだから鍛造の商品がいいわ。だって、丈夫でしょう?」
「デザインがシンプルになっちゃうけどいい?」
「良いわ。外側にお互いの名前を刻印して貰いましょうよ」
「刻印?それは面白いかもね」
私とウィルと二人で吟味に吟味を重ねた結果、ごくシンプルな金合金の指輪を選んだ。そして、お互いの指輪にそれぞれが贈り合ったことを示す刻印を入れてもらうことにした。事務所の係員さんが丁寧に指輪を柔らかい布に包み、先ほどの加工現場で刻印するように手配してくれた。
「カンナ様はさすがウィリアムさまがお選びなった婚約者様ですね」
接客をしてくれていた方に笑顔でそう言われて、私は首を傾げた。
「どうして『さすが』なのです?」
「私はバレット商会で婚姻の指輪を扱い始めた当初からここで接客していますが、加工法にこだわる女性に出会ったのは初めてです。皆さまは一にデザイン、二に値段で、加工法はまず気になさいません」
私はその指摘に急に恥ずかしくなって頬をに熱が集まるのを感じた。デザインがどうでもよくて加工法が気になるなんて、確かに普通のご令嬢ではあり得ないわ!
「もっとデザインにこだわればよかったかしら?凄くシンプルな輪っかだったわ」
私が小声でウィルに相談すると、ウィルはニコッと微笑んだ。
「僕はあれでよかったと思うよ?」
「言われてみれば、私って明らかにまわりのご令嬢とズレてるわ」
眉間に皺を寄せた私に、ウィルは手を伸ばすとさらりと頬を撫でて微笑んだ。
「カンナは他のご令嬢と一味も二味も違うところがいいところなんだよ」
「ええっと、ありがとう?」
「どういたしまして」
優しい目で見つめられて私の頬は再び紅潮する。イールさんと目の前の接客をしてくれた方の視線が生暖かいように感じたのはきっと私の気のせいだと信じたいわ。
暫くして出来上がった私たちの婚姻の指輪は艶々の滑らかな表面に私とウィルの名前が彫られて輝いており、うっとりとするような仕上がりだった。
この鍛造加工で作ったお互いの名前の刻印入りの婚姻の指輪がバレット商会の婚姻の指輪の代名詞的な存在になったのはもう少し後のことよ。
溶接接合の指輪が悪いと言ってる訳ではありません。あしからず。
カンナは今で言うところのリケジョですね^_^;
今作品を執筆するにあたり、作者の金属加工の知識はムダにアップしました。この知識を有効活用するためには鍛冶屋の話でも書くしかない!?
ちなみにマンセル伯はマルテンサイトをもじって名付けました。何のことだかわかったあなたはカンナと話が合うかも・・・




