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沢山の薔薇が咲く美しい庭園のガゼボで、私は一人で絵本を読んでいた。
それはお姫さまと彼女の騎士さまの恋物語。お姫さまと彼女の騎士さまは様々な障害にも負けずに真実の愛を見つけて、末永く幸せに暮らす。
あの当時、私は当たり前のように自分もいつか真実の愛を見つけてずっと愛する人と幸せに暮らすのだと信じて疑っていなかった。
「まあ、アニエス。またここにいたのね。今日はお客さまが来るからアニエスもそろそろ準備しなきゃダメなのよ。さあ、いらっしゃいな」
優しく声をかけられて絵本から顔を上げれば、そこには優しく微笑むお母さまがいた。私は何度も何度も読み返してボロボロになった絵本を胸に大事に抱えると、ガゼボのソファーから立ち上がりお母さまに駆け寄った。
「お客さま?どなた??」
「お父さまの仲良くしていらっしゃるバレット侯爵のご家族よ。ちょうどアニエスと歳の近いお友達もいるのよ」
「お友達?女の子??」
「男の子よ」
「一緒に遊んでくれるかしら?前に会った栗毛の男の子は私に虫をくっつけて意地悪したわ」
私は以前に会った一つ年上の栗毛の男の子に意地悪されたことを思い出して不安になった。
その男の子はこともあろうか私の一番のお気に入りの帽子に毛虫をつけて、泣き叫ぶ私をみて大笑いしたのだ。それは今思い出しても鳥肌が立つような恐怖体験だった。そして、私はお父さまに二度とあの栗毛の男の子をお屋敷に入れないようにとお願いした。
翌日、その子は父親に連れられて私に謝りに来て、私は形式上はその謝罪を受け入れた。でも、私は泣いていやがる私を追いかけまわして何度も何度も服や帽子に虫をつけては笑い転げるその子の姿がどうしても忘れられず、その子が来るときは自室に籠って出来る限り顔を会わせないようにした。
お父さまは「男の子は気になる女の子がいると意地悪をしたくなるものなのだよ」と言っていたけれど、そんなの絶対におかしいわ。だって、絵本の騎士さまはいつだってお姫さまに優しいもの。
だから、私はその日初めて会う男の子のこともとても警戒していた。気を抜くとどんな意地悪をされるかわからないもの。
「初めまして。エドウィン・バレットです」
ニコリと微笑んで私に自己紹介をしたその男の子は黒色の髪に青い瞳をしたとても綺麗な子だった。でも、栗毛の男の子だって見た目は優しそうな子だったのよ。だから、私はそう簡単に見た目で騙されたりしないんだから。
私とエドはお互いのお父さまに言われてお庭で遊ぶことにした。私はお客さまでもあるエドに、我が家の自慢の庭園を案内してあげることにした。
我が家は由緒正しき侯爵家でお屋敷もとても大きかった。特に、お母さまが管理しているお花が沢山の庭園は自慢の一つだ。虫も多いのが困りものだけれどね。
「ここはお母さまのお気に入りのお花を植えているのよ」
「ふーん。綺麗だね」
「でしょう?綺麗に咲いたら摘んでお部屋に飾ったりするの」
私はキョロキョロとまわりを見渡しながら歩くエドにそう言って胸を張った。我が家のお花は本当に美しいのよ。
私が庭園の木々にとまる小鳥に気をとられてあっちの方向を見ているとき、ふいにエドの手がこちらに伸びてきて耳の上の辺りに何かを置かれる感触がして、私はサーッと血の気が引くのを感じた。
「いやっ!!」
私は咄嗟にエドの手をバシンと叩いて振り払った。また虫を付けられたと思ったのだ。しかも、今回は帽子を被っていない。
手を振り払われてエドは驚いて目を見開いていた。思いっきり叩かれて少し赤くなった手にもう片方の手を添えて立ち尽くすエドを私はキッと睨めつけた。
「ごめん。綺麗だからアニエスに似合うと思ったんだ」
次の瞬間には私は自分が間違えたことを悟った。私に手を叩かれて落ち込んで俯くエドの足元には、1輪の花が落ちていた。エドは私の髪に虫では無くて、花を飾ろうとしていたのだ。
「ごめんなさい!」
「なんでアニエスが謝るの?僕が悪いのに」
「違うの!意地悪されたと思ったの!」
表情を強張らせたエドに私は以前栗毛の男の子に意地悪されたことを話した。エドはその話を聞いてびっくりしていた。
「アニエスは可愛いのに、意地悪するなんて信じられないな」
そう言ってエドは足元に落ちたのとは別の花を1輪摘むと、そっと私の耳の上にさした。
「ほら、アニエスには虫じゃ無くて花が似合う。可愛いね。」
にこりと微笑んだエドのその時の笑顔を私は一生忘れないだろう。エドは天使みたいに綺麗で優しい男の子だ。そう、まるであの絵本の騎士さまみたいに。
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懐かしい夢を見た。
ずっと昔の楽しかった日のこと。
私の前世の記憶は曖昧、かつ断片的だ。バレット侯爵家でティーカップが割れたときに一気に流れ込んできた記憶とは別に、私にはまだ思い出していないことも沢山あるようだ。
それは夢として度々私の中に甦る。そしてこれは夢だけど、事実としてあった出来事なのだと私は確信していた。だって、その夢は矛盾無く一つの整合性を持って連続しているのだから。
「こんな夢を見たのはきっとこれのせいね」
私の視線の先には今日の舞踏会で私が着る豪華なドレスがかけられていた。私の瞳と同じ深い緑の天鵞絨で出来たそのドレスは、裾に何重ものアイボリー色のレースが飾られ、胸元にはやはりアイボリー色のレースを加工して作られた花が飾られていた。
こんな大層なドレスが既製品のわけがないから、きっとお父さまはかなり前から計画を練って準備していたのだろう。
「ウィルは子供の時のエドウィンさまに似ているのね」
私は先ほどの夢を思い出して、そう呟いた。記憶のなかの9歳のウィルは、先ほどの夢で見たエドウィンさまにとてもよく似ていた。髪の色は違うが、全体的な顔の作りや優しい雰囲気がとてもよく似ている。もっとも夢の中のエドウィンさまは髪を引っ張るのではなくて髪に花を飾ってくれたので、女性の扱いの軍配は父親のエドウィンさまに上がりそうだ。
今日は初めての舞踏会、私の社交界デビュー。華やかな社交界に全く憧れがないと言えば、嘘になる。自分の縁を繫ぐつもりはないけれど、ウィルが私のせいで恥をかくことが無いように立派に役目は果たしたいと思う。
私はパチンと両手で頬を軽く叩いて眠気をとばすと、いそいそとベットから抜け出した。