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 図書館の帰り、私はすっかりと昂ぶった精神を落ち着けるために大聖堂を訪れた。真っ白な石造りの荘厳な建物に一歩足を踏み入れると、そこは俗世間と隔離されたような神聖な空気が辺りを包み込んでいる。

 すうーっと大きく息を吸い込み深呼吸をすると、私は中央の祭壇へと足を進めた。いつもと変わらぬ様子で神々とその眷属達は私を見下ろしている。その中でも最も偉大な最高神の石像を前に、私は頭を垂れて跪いた。


──私の愛する全ての人達が幸せでありますように

──この幸せがずっと続きますように


 胸の中で何度も同じ事を繰り返し、祈りを捧げた。


 嫌な予感がしてならない。


 フロリーヌさまは何故亡くなられたのか。ユリアさまの管理する鉄鉱石は何故()()()産出量が減っているのか。そして、まだ見ぬ()()()夫人。その人の名前はかつてみた黒曜石の瞳と漆黒の髪を持つ悪魔を彷彿とさせる。アニエス(わたし)の幸せを壊して微笑んだ、私にとってはまさに悪魔よ。


 祈りを捧げ終えた私は大聖堂の出口に向かった。出口近くで、外から差し込む光を背後に受けて後光が射したかのような見覚えのある人影を見つけて、私は足を止めた。


「ちょうどよかったわ。あなたに会いたかったの」


 私が声をかけると、ガイドは一歩私に近づき、金色に燦めく双眸でじっと私を見つめ、少しだけ微笑んだ。


「自分の幸せを願えるようになったのは以前の君に比べたら大きな進歩だ」


「そうね。あなたのお陰だわ」


 私はガイドを見上げて微笑んだが、私を見下ろすガイドはすぐに真顔に戻った。そして、真剣な顔でこう言った。


「覚えておいてくれ。僕は君に忠告することは出来ても、直接助けることは出来ない」


 私は首をかしげて見せた。忠告することは出来ても、直接助けることは出来ない?それはつまり、彼がかつてアニエスが危機に陥っているのを目の前にしても助けることは出来なかったことを指すのだろうか?私が黙っていると、ガイドは言葉を続けた。


「いいかい?人の本質というものはそう簡単には変わらない。多くの人は何度も同じ失敗や過ちを繰り返す」


 同じ失敗や過ち?私が今度はウィルにあらぬ誤解をして嫉妬に狂い、誰かを傷つけるということ?


「あり得ないわ」


 はっきりと言い切った私から目を逸らさずに、ガイドはその瞳を細めた。


「僕は忠告できても君の行動を強要は出来ない。道を決めるのは君自身なんだ。それを忘れるな」


 それだけ言うと、ガイドはフッと姿を消してしまった。なんて人なの。私が彼に聞きたかったことは結局聞けずじまいだわ。


「あなたの忠告はいつも抽象的すぎて、私には意味が判らないのよ」


 私は小さな声で、そう呟いた。薄暗い大聖堂から出て見上げた空の鮮やかな青が目に染みた。





 私が大聖堂から屋敷に戻ると、ウィルの訪れを報せる先触れが来ていた。バレット商会で毎日のように顔を合わせてはいても、ウィルがディルハム伯爵邸まで会いに来てくれるのは久しぶりのことだ。


 私はすぐにカテリーナにお願いしてウィルを出迎える準備をした。いつも殆どしないお化粧を施し、髪を可愛らしく結い上げ、胸にはウィルから贈られた珊瑚のネックレスを飾った。そしてドレスも着ていたシンプルなクリーム色のものから、少しだけ華やかなピンク色の明るいものへと着替えた。

 地味な見た目の私だけれど、ウィルには少しでも可愛いと思って欲しいと思ってしまうのは高望みかしら?

 

「カンナ、今日も綺麗だ」


 ウィルは私が屋敷の下で出迎えると私の手を取り指先にキスをして、にっこりと微笑んだ。お世辞でも好きな人に褒められると嬉しくて、私の口元は自然と緩んだ。


「お茶を煎れるわ。部屋に行きましょ」


 私が促すと、ウィルは私の手を取り迷いなく私の部屋へと向かう。婚約後、私達のお茶の場所はディルハム伯爵邸の接客室から私の私室へと変化した。そして、お茶を煎れるのはカテリーナではなくて私がやることが多くなった。

 

「うん、美味しい。やっぱりカンナが作るお菓子が一番美味しいよ」


 今日も私の手作りクッキーを頬ばりながら、ウィルは表情を柔らかくした。最近はバレット商会にお勉強に行く時間が長くてなかなか作ることが出来ないのだけれど、たまたま作ってあってよかったわ。


「そう言って貰えて光栄だわ。そういえば、トルク座の公演は来週よね?楽しみだわ!」


「そうだね。今度はハッピーエンドの話みたいだよ」


「知ってるわ。私、楽しみすぎて図書館で原作を借りて読んだのよ。ヒロインは没落貴族のご令嬢で、ヒーローはそこでかつて使用人として働いていた男性なのよ。彼は彼女に認めて欲しくて、死に物狂いで頑張って財を為すの。そして借金のカタに碌でもない貴族に身売りされそうになっていた彼女を助けるのよ!素敵でしょう??楽しみだわ!!」


 私はウィルがとってくれたトルク座の公演が楽しみで夢中で話してしまったが、話し終えてにこにこ顔のウィルを見た途端にハッとした。私、これから見に行く歌劇のネタバレをしたのだわ。なんてこと!


「ウィル、ごめんなさいっ!つい嬉しくて話してしまったわ。楽しみを減らすつもりじゃ無かったの」


「いいよ。僕は歌劇を楽しむと言うよりは、喜んでくれるカンナの笑顔が見たいだけだから」


 ウィルは青くなった私に人懐っこい笑顔を向けると、にっこりと口の端を持ち上げた。


「でも、それじゃあ私がして貰ってばっかりだわ」


「それじゃあ不満?」


「不満だわ。私もウィルを喜ばせたいもの!!」


 私は声を大にしてそう叫んだ。

 そういえば、アニエスの時もアーロンさまからはひたすら愛情を与えられていた。それは確かに私にとっては居心地が良いけれど、私もウィルにとって居心地が良い場所でありたいのだ。


「うーん。本当にカンナは居てくれるだけで十分なんだけど。そうだ!じゃあ、たまにこうやってお茶をして僕に仕事の息抜きをさせて欲しいな」


「息抜き?」


「うん、そう」


 ウィルは私の頬に手を伸ばして指先でさらりと撫でた。突然触れられて、頬に熱が集まるのを感じる。きっと、私の顔は急激に赤くなっていることだろう。

 

 愛おしげな目をしたウィルはもう一度私の頬に手を添えると、今度はゆっくりと唇を重ねてきた。柔らかな感触と触れ合う場所の温かさは容易く(たやすく)私を極上の幸福感で包み込む。

 唇を離した私達は、お互いを見つめて微笑みあった。この幸せを手放したくない。私は心からそう思った。


「そういえば、カンナに言っておかないといけないことがある」


 甘美な空気が私達を包み込む中、ウィルが何かを思い出したように私の手を握った。


「例のフローレンス商会とシエラ夫人についてなんだけど、探りを以前にカンナも会ったことのある花の嬢のブレンダに頼むつもりだ」

 

 私はふわふわと高揚していた一気に気分が急降下するのを感じた。花の嬢。以前に一度お会いした華やかな美女が脳裏に浮かんだ。また連絡を取り合うんだ・・・


「・・・そうなの?ロジェに頼むんじゃなかったの?」


「ロジェにも頼むさ。だけど、複数ルートから探ったほうが尻尾が掴みやすい。バレット商会の者が下手に動くと警戒されるから関係ない人間がいいと思ってさ。彼女はああ言う立場上、貴族の噂と庶民の噂の両方に精通しているし、顔も広いんだ。口も固いしね」


 バレット商会の関係者が動くと警戒されると言うのは私にもわかる。花の嬢が職業柄、色々な情報網を持っているのも知っているわ。でも、私は心の中にもやもやしたものが広がるのを止めることが出来なかった。


「そのブレンダさんを随分と信頼してるのね?」


「彼女は凄く評判が良いし、実際に話してみると頭の回転も速いんだ。前にカンナが花の嬢を雇うのは何も無くても嫌だって言ってただろう?だから頼むか迷ったんだけど、疚しいことは何も無いから先に話して了承を貰っておこうと思ってさ」


 にこにこと微笑みながら話すウィルの笑顔が心に刺さって痛い。当り前のように私が了承すると思っていることが、その様子からわかった。そんな女に頼まないでと言ったら呆れられて愛想を尽かされしまうだろうか?


「そうなのね。うまく良い情報を掴んで下さると良いわね」


 私は自分の気持ちを抑えつけて、にっこりとウィルに微笑んだ。

 きっと、ウィルは本当に疚しいことがなくて、純粋に情報収集に彼女が適任だから仕事として雇うのだろう。私が我慢すれば良いだけなのだわ。


 


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