5
チェルドニ王国には予定通り、ディルハム伯爵領の港から出発した。私は大型の客船に乗るのも初めてだったけれど、思ったより揺れなくて乗り心地は良い物だった。
そして、客船は鋼の板金をつなぎ合わせて造られており、その板金もバレット商会の卸したものなのだとウィルは教えてくれた。
「どうして水に沈む鋼で造った船が水に浮くのかしら?」
「水に沈めた物には浮力が働くからね。外側は水より重い鋼を使っても、水に沈む全体の体積がその総重量を上回れば船は水に浮く」
「浮力??」
私はウィルの説明に首をかしげた。浮力って何かしら?聞いたこと無いわ。イールさんにも教えて貰ってないはずよ??
「うーん、今度ちゃんと教えてあげる。僕も本で読んだのがだいぶ前だから、詳しいことは自信が無い」
ウィルは苦笑して話を切り上げると、「海風が冷える。中に入ろう」と私を船内に促した。
船内はまるでどこかの貴族のお屋敷に居るかのような錯覚を覚えるほどに豪華だった。床には全面に濃紺の絨毯が敷かれ、メインのダイニングホールには小さなシャンデリアも飾られている。そして、小さいながらも歌劇場やダンスホールなどのエンターテインメント施設も揃っていた。
「客船って全部こんなに豪華なの?凄いわね」
私が思わず呟くと、イールさんは「この船は特別ですよ」と教えてくれた。
「特別?」
「はい。殆どの客船は椅子が在るだけの質素な移動船です。ただ、この船はこの海峡一帯をクルーズする観光用豪華客船ですからこのように豪華なのです。たまたまディルハム伯爵領の港とチェルドニ王国の港の両方に寄港するので今回はこちらの客船にしました」
私はふーん、と鼻をならした。観光クルーズか。他にはどんなところに行くのかしら?いつか行ってみたいわ。
「いつか一緒にクルーズにも行く?」
横からウィルに聞かれて、私は目を瞠った。なぜ私の考えてる事がわかったのかしら?
「カンナの顔に『いつか行きたい』って書いてあった。すぐには無理だけど、そのうち一緒に行こう」
ウィルに微笑みかけられて、私は思わずこくりと頷いた。遠乗りにクルーズ。ウィルとの未来には楽しみなことがどんどん増えてゆく。
私達が予約した部屋は一等と二等の部屋だったので、客船の中でも上層階フロアに位置する。ウィルにエスコートされてイールさんとカテリーナと共に部屋に向かいがてら船内を散策中に、その事件はおこった。
「だからっ、チケットはここにあるって言ってるだろ!?」
「悪いが5等はもう埋まった。諦めろ」
「一人ぐらい入れるだろ!」
「無理だな。次の船にしろ」
「次って7日後じゃねーか!!」
「では差額を支払って4等にしろ」
「そんな金あるかよ!」
幾つかある船内への入り口の一つで、少年と入り口の警備兵が何やら揉めていた。既に船は最終の乗船時間を迎えている。
かっちりと黒色の警備兵服と黒色のブーツを着込んだ男性は、乗船入口で少年に通せん坊をするような格好で立ち塞がっていた。断片的に聞こえる会話から、少年はチケットを持っているのに警備兵に乗船拒否をされているようだと判った。それを見たイールさんは肩を竦めて見せた。
「5等は一番下の雑魚寝の客室です。他の質素な客船と料金が変わらないかわり、5等客はエンタテインメント施設やメインダイニングは使えませんし日時指定もないのです。だから、その日の船に乗客が殺到するとチケットがあっても乗れないことも多いのですよ。所謂オーバーブッキングですね、お気の毒さまです」
「オーバーブッキング?では、彼はどうするの?」
「7日後まで待つしか無いかと。3等4等にはまだ空室があるようなので船の定員からすると1人くらい乗れないことも無いでしょう。ただ、あの職務に忠実な警備兵は頷かないでしょう」
私はとても驚いた。今日、国外へ発つ予定だった人がチケットがあるのに7日間も港で足止めを食わせられるなんて!しかも、相手はまだ子どもじゃないの!?
「もし、その子は私の連れです」
私は自分でも無意識にその警備兵に声を掛けてしまっていた。アニエス時代に初めてスフィアさまに会った時もそうだったけれど、どうも目の前で非の無い人が困っているとほっとけないわ。
「この少年がお嬢様のですか?」
警備兵は明らかに困惑している。見るからに貴族のご子息、ご令嬢とその付き人の集団である私達と、目の前の少年では明らかに格好が違っていた。まだ10代前半とおぼしき少年は薄汚れた衣服を着て、肩にはとても大きなリュックを背負っていた。
「ええ、そうよ。だから、通して頂戴」
「しかし、5等は既に定員です」
警備兵は困ったように眉尻を下げた。
「いいから乗せてちょうだい。船全体の定員には余裕があるでしょう?」
「そういう訳にはいきません。」
詰め寄る私に警備兵もなかなか引かない。少年は薄い唇を一文字に結び、濃い茶色の目だけをキョロキョロさせて私達の遣り取りを見守っていた。
「一等と二等客室はルームチャージで2名定員だったな?我々は全部で4部屋予約しているが4人しかいない。問題ないだろう?」
揉めはじめた私を見かねたのかウィルが助け船を出して一等客室のルームチケットを見せてくれたので、さすがに警備兵も黙った。一部始終を憮然とした表情で見つめていた少年は「そういうことだから」と警備兵を睨み付けて船内へと足を進めた。彼が歩く度に、背中の大きなリュックの中でガシャンガシャンと固い金属音がした。
少年は少し入り口から離れた階段の所まで歩いて行くと、こちらに振り向き訝しげに眉を寄せた。こちらを見据える焦げ茶色の瞳は彼の痩せた体のせいでぎょろりとして見える。
「あんた、なんで俺を助けた?」
「困ってたからよ」と私は答えた。無意識だったから、それ以外に理由の言いようが無いわ。
少年はフンと鼻を鳴らした。「変な奴。生憎いまの俺にはお礼に渡せる金も無い。このリュックの中身は商売道具だから数を減らすと親方からぶん殴られるんだ」
「あら、お礼なんていいわよ」
「恩に着るよ。今日絶対に乗りたかったから助かった。いつかまた会うことがあったらその時はお礼をするよ」
少年は少しだけ口の端を持ち上げてそう言い残すと、ガシャンガシャンと鳴る重そうなリュック背負ったまま下層階の大部屋のある階段を降りていった。
「あんな小さなうちから仕事なんて大変なのね」
「平民層、特に貧しい家庭ではあれ位の歳になると立派な労働力なのですよ」とイールさんは呟いた。そして、「さぁ、気を取り直して部屋に参りましょう」と私達を促した。
一等客室はベッドルームとリビングルームの二部屋からなる。一等と言うだけあって、部屋はさほど広くはなくとも清潔感がありお洒落に纏められていた。大きなダブルベッドにはセンスのよい布が掛けられており、リビングには統一感のある艶のある木製家具が置かれていた。
その客室のリビングルームでカテリーナに入れて貰ったお茶をウィルと飲んでいると、ウィルがいつもより無口なのに気付き私は首をかしげた。
「ウィル、体調でも悪いの??酔った?」
「違うよ」とウィルは短く答えて、少し間を開けた。「カンナ、船というのは定員が決まっていてそれ以上を乗せるのは駄目なんだ。重量の関係や救命胴衣の関係で定員以上を乗せることは禁止されている」
ウィルは眉間に皺を寄せ、声のトーンもいつもより固くて低い。もしかして、さっきのことで機嫌を損ねた?
「でも、私達の部屋だけでも4人分の定員の空きがあるわ」
だってあんな子供が困っていたのよ?放っておけないわ。私は納得いかなくて口を尖らせた。
「それと、もう少し警戒心を持ってくれ。例えば、あの子が僕たちの部屋を寄こせと言ってきたらどうするつもりだったんだ?」
「カテリーナの部屋を譲って、カテリーナには私と同じ部屋に寝て貰うわ。ウィル、怒ってるの?ごめんなさい」
ウィルに初めて怒られて項垂れる私の様子を見て、ウィルはおでこに片手をあててはぁとため息を一つついた。
「怒ってる訳じゃ無くて心配してるんだ。お人好しなのはカンナの美徳の一つだけど、人を騙す悪人だっている」
「うん、わかってるわ」
「本当に?」
「本当よ」
ウィルは私のことを探るようにじっと見つめてきたので、私は居心地の悪さからつい目を逸らしてしまい、気まずさから俯いた。
ウィルの言うことが正論だって判ってるわ。でも、あの時はつい体と口が先に動いちゃったのよ。
「心配かけてごめんなさい・・・」
私が俯いたままもう一度小さく呟くと、ウィルは手を伸ばしてきて私の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「カンナが何ともないから、今回は別に良いんだ。でも、これからは気をつけてね?」
「うん」
そして、シュンと落ち込む私に気遣ってか、ウィルは頭に一つ優しくキスを落とした。
「夕食の後に歌劇場で短い劇があるみたいだよ。カンナは好きだろ?一緒に行こうか」
「歌劇?行くわ!」
「そういうと思った。後で一緒に観に行こう。そうそう、トルク座の次のチケットもとったよ。帰国したら行こう」
「本当??ありがとう、ウィル!」
歌劇と聞いてすぐに笑顔になって顔を上げた私に対し、ウィルはすっかりいつもの様子でにこりと微笑みかけてくれた。




