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晩餐会の日から数日後のこと。
いつものようにバレット商会を訪れていた私は唐突なウィルからのお誘いに信じられない思いで歓喜の声をあげた。
「ウィル、本当に?本当に私も行って良いの??」
「ああ。父上もカンナも行ったら勉強になるんじゃないかと言ってたよ。滅多に行けないし、良いチャンスだろ?」
ウィルは形のよい口の端を持ち上げてにんまりとした。私は感激のあまりに握り締めていた拳をふるふると震わせた。だって、嬉しすぎて信じられないわ!
「ありがとう!エドウィンさまとゴーランド伯爵にすぐにお礼状を書くわ!」
「ああ、そうするといい。君の父上のウィルハム伯爵には父上から言ってくれるそうだよ」とウィルは頷いた。
それを聞いて、私は早速イールさんと侍女のカテリーナにお願いしてお礼状を書く準備を始めた。だって、お礼は早いにこしたことはなもの。
私が大層感激したウィルからのお誘いの内容は、ウィルが仕事の視察のために隣国に行くので、それに私も同行してはどうかというものだった。
これは、先日の晩餐会でウィルがバレット商会で現在修行中であると知ったゴーランド伯爵が、留学していた当時の伝手と取引先などの伝手を利用して外国の同様の事業を視察してより知見を広げられるようにと計画して下さったものだ。その提案を受けたときに、熱心に勉強中である私も一緒に行けば将来の為になるのではないかとエドウィンさまが提案して下さり、ゴーランド伯爵も同意されたようだ。
外国なんて一度も行ったことがないわ!
しかも、ウィルも一緒によ?
こんな嬉しいことってあるのかしら!!
私は気持ちは否が応でも浮ついた。ウィルはそんな私の様子を見てにこにことしている。
「行き先は隣国のチェルドニ王国だよ。ディルハム伯爵領から船で行くことになる」
「チェルドニ王国と言うことは、バレット商会で鉄鉱石の精製に使用しているコークスの産地ね?」
「ああ、そうだよ」とウィルは頷いた。
鉄鉱石から鉄を精製するためには高炉を使い、その過程で『コークス』という原料が必要になるということは既にイールさんに教わった。このコークスは石炭を加工したもので自国での生産も技術的には十分に可能だ。しかし、我が国の場合は基本的にはチェルドニ王国からの輸入に頼っている。そして、最終的に完成した鉄鋼製品の一部を再びチェルドニ王国に輸出しているのだ。
これは、わが国とチェルドニ王国が強い信頼と同盟関係によって結ばれているからこそ、win-winの関係を築くために行っていることだ。
なぜならば、チェルドニ王国は基本的にはさほど資源が無く、良質な工業製品の原材料が欲しい。逆にチェルドニ王国には高い技術力があり、我が国はその技術力が欲しい。ただ、それでは片方の国の貿易黒字が増大して貿易摩擦を生んでしまうため、様々な工夫がされている。
争いを防止するための政治的な側面がかなり強く、何年か前にはわが国の王女もチェルドニ王国の第1王子に嫁がれて正妃となっている。政略結婚にも関わらず、とても仲むつまじくて両国民からの人気の高いご夫婦だ。
「チェルドニ王国なら、ディルハム伯爵領の港から船で2日もあれば着くかしら?」
「そうだね。海峡を越えるだけだから、そんなものだろう」
私は頭の中で瞬時に世界地図を思い浮かべた。
ディルハム伯爵領は王都の北側に位置しており、その更に北には海が広がっている。チェルドニ王国はディルハム伯爵領に接する海を超えた向こう側にある。なので、チェルドニ王国にはディルハム伯爵領の港から船を使って移動する。
ちなみに、お父さまの治めるディルハム伯爵領の港はわが国の輸出入を担う中心的な港でありわが国最大の海の玄関口でもある。だから、ディルハム伯爵領の領地収入はそこで得られる港使用料や関税が多くを占めているのだ。
私は本当にウィルからのお誘いが嬉しくて、その日はご機嫌なままタウンハウスへと帰っていった。
屋敷に戻ると、私は早速執務室にいるお父さまを訪ねた。部屋の前でトントントンと扉をノックをすると、中から「入りなさい」とお父さまの声がした。
扉を開けるとお父さまは執務机に向かって、部下が行った輸入品目録と入港許可証のチェックをしているところだった。ちらりと見えるその書類には表に文字と数字が羅列しており、とても難しそうだ。私はきりが良さそうな所まで黙って待つことにした。
お父さまが承認印をドンッと勢いよく押して顔を上げたタイミングで、私は「失礼しますわ」とスカートを抓んで淑女の礼をした。
「お父さま。実は私、ウィルの海外視察に同行させて貰えるみたいなんですの」
「ああ。今日の午前中、バレット候爵から手紙が来てたよ。しっかりと勉強してきなさい」
お父さまには既にエドウィンさまからの手紙が届き話が通っていたようで、私がその話を切り出すと柔らかく微笑んだ。
「ウィルがいるとは言え一人は心配だから、カテリーナは一緒に連れて行くんだ。いいね?」
「はい」
お父さまに言われて私はしっかりと頷いた。
「チェルドニ王国には私も仕事で何度か行ったことがある。距離は近いのに海を挟んでいるせいか、文化が色々と違っていて面白いところだ。しっかりと勉強して、そして、楽しんで来るといい」
「ありがとうございます!しっかり勉強してきますわ」
私がお父さまに笑顔で返事すると、お父さまはにこりとして頷いた。
チェルドニ王国の商人達は領地に居るときは時々見かけたことがあるわ。
顔や体付きの見た目はそんなに変わらないけれど、服装はだいぶ違っていた。特に、女の人もふんわりとしたズボンを履いているのが印象的だったわ。そのズボンは裾が広がっているのでまるでスカートのように見えるけれども、ドレスやワンピースよりも動きやすく機能性に優れていそうに見えた。
私はウィルの視察に同行する許可を得たことで満足してそのまま部屋を出ようとしたとき、ふと執務室の本棚が目に入り、お父さまにもう一つお願い事をしてみることにした。
「お父さま。そこにある輸出入品の実績管理簿を見ても構いませんか?」
「輸出入品の実績管理簿?何故だい?」
お父さまは私の申し出に怪訝な表情をされた。
「チェルドニ王国に行く前に、関係するコークスの輸入量や鉄鋼製品やガラス製品などがどれくらい輸出されてるのかを知っておきたいのです」
「なるほど」とお父さまは頷いた。「無くなったりすると困るものだから、カンナにも貸すことは出来ない。ただ、この部屋で今見るのであれば構わないよ」
「この部屋で見るので勿論構いませんわ」と私は頷いた。
私は早速過去5年分の輸入品目表を確認した。輸出入品目は多岐にわたり、農作物や肉などの畜産物、布、紙、家具、はたまた工業用の原料にまで及ぶ。
その中でコークスの部分を確認すると、コークスは毎年ほぼ同量がチャルドニ王国から輸入されていた。
対する鉄鋼製品は数年前から輸出量が減少している。バレット候爵領製とゴーランド伯爵領製は変化が無いものの、3年ほど前からゴーランド子爵領製の輸出量が減っているのだ。
「そう言えば、前にウィルがゴーランド子爵領の鉄鉱石の採掘高が近年減ってるって言ってたわね・・・」
それがこの3年前からの事なのだろうか。でも、コークスの輸入量は変わらないのね・・・
私はその数字を睨みながら、深い思考の奥底に入りこんだのだった。
すっかりと読み飛ばした方へ
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ウィルは前世の罪の章「12」で鉄鉱石の産出が落ちたことをぼやいています。
このお話の布石はここまでで回収したものも含めてどれもさらりとしているので、気付かない人の方が多いのではとちょっと心配・・・(._.)φ




