3
バレット候爵家の当主夫婦であるエドウィンさまとスフィアさまが主催する親族を招いた晩餐会には、バレット候爵家の方達に加えてスフィアさまのご兄弟であるゴーランド伯爵家の面々が招待されていた。
昔は良く訪れていたバレット候爵家の晩餐室の長いテーブルには沢山の料理が並んでいて、それは私にとってはとても懐かしい光景だ。ここで食事していると、よく小さなウィルが紛れ込んできては私にちょっかいを出してきたのだっけ。あの頃のウィルは本当に天使のように可愛らしかったわ。
ウィルは私の手を取るとまずはゴーランド伯爵夫妻に私を紹介した。
「伯父上、こちらが僕の婚約者のカンナです。彼女の父上は私の父上の従兄弟に当たるディルハム伯爵なんです」
「はじめまして。カンナ・ディルハムですわ」
私はウィルから贈られた空色のドレスの裾を抓んで淑女の礼をした。ゴーランド伯爵はアニエスの時からは代替わりしていて、現在の当主はスフィアさまの上のお兄さまだ。ゴーランド伯爵は私と目が合うと淡い茶色の目を柔らかく細めた。
「こんなに可愛いらしいご令嬢を射止めてウィリアムは果報者だな。以後、よろしく」
そして彼は私の指先に軽くキスをした。
初めて会うゴーランド伯爵はとても人当たりのよい人だった。アニエス時代には、確か彼は勉強のために海外留学をされていたはず。この人が屋敷に居れば、スフィアさまもあの当時あれほど冷遇されることもなかったのかもしれないと私は感じた。
そして、次に紹介されたのはゴーランド子爵のカミーユさまだった。スフィアさまの下のお兄さまであるカミーユさまはゴーランド伯爵家から余っていた爵位といくらかの領地を譲り受けて、今はゴーランド子爵を名乗っている。
カミーユさまは髪色こそ違うもののスフィアさまにどことなく似ていて、とてもハンサムな方だった。
「はじめまして。カンナ・ディルハムです」
「カミーユ・ゴーランドだ。ゴーランド子爵、またはゴーランド少将と呼んでくれ」
私が礼をするとカミーユさまも指先に軽くキスをした。
爵位を継げないと思って若い頃は近衛騎士目指していたカミーユさまは今も現役の騎士団員で少将の地位にいる。鍛えられた体は引き締まっていて、年齢に比べて見た目はとても若々しい。
そして、カミーユさまの傍らにはかつてのアニエスの友人の一人であるユリアさまとお二人のご子息達がいた。ユリアさまは20年近い年月を経てもまだあの当時の面影があり、当時から彼女のチャームポイントだった赤みのある金髪を美しく結い上げていた。ユリアさまは私と目が合うとにこりと微笑んだので、私もユリアさまに向かって軽く微笑んで会釈した。
年に数回ほど行うというその晩餐会はとても和やかに進んだ。皆さんは私に気さくに話しかけて下さり、私は歓迎されていることを感じてとても嬉しく思った。そして、少し離れた場所に座ったエドウィンさまとゴーランド伯爵はやっぱりお互いの領地の共通の基幹産業である鉄鋼製品やそのほかの工業製品の話をしている。
「カンナは自分から進んでバレット商会に勉強しに来ているのですよ」
話の流れからか、エドウィンさまがそう私の話を振ると、ゴーランド伯爵とカミーユさまは感心されたように私を見て何度か頷いた。
「領地の主力事業について勉強する事はとてもいいことだ。その事業に実際に関わるかどうかは別として、我々と我々の領民の日々の暮らしはそれに支えられているのだからね」とゴーランド伯爵は言った。
「私は騎士としての仕事もあるから領地の鉄鉱石事業は妻のユリアが中心になって管理しているんだよ。そろそろ息子達も勉強し始める時期だが、やはりユリアが一番頼りになる」と、横にいたカミーユさまも頷いた。
「まぁ、そうなのですか?」
私はとても驚いた。領地経営は様々な交渉ごとや管理する項目が沢山あり、元々そのための教育を受けたわけでもない女性が取り仕切るのはとても大変なはずだ。それをユリアさまはやっていると聞いて、純粋に凄い人だと思った。
「ユリアさま、凄いですわ」
私はユリアさまを見て目を輝かせた。ユリアさま少し照れくさそうにされて、嫁がれた当初のことを思い出したのか苦笑された。
「ありがとう。でも、それはもう、ものすごく大変だったわ。右も左もわからなくて、ゴーランド伯爵家から連れてきたベテラン執事に一から十まで全て教えて貰って必死に勉強したのよ。妊娠中はもちろん、子どもが生まれても夜遅くまで書類を睨んで、社交パーティーも仕事に必要なもの以外は全く行かないでよ?」
「まぁ!投げ出したくはならなかったのですか?」
ユリアさまは社交パーティーが割とお好きだったはず。それを殆ど行かずにお仕事に専念されるなんて!
「つらいと思ったことは何度もあるわ。でも、私は騎士であるあの人が好きなのよ。だから、私が頑張って彼を騎士業に専念させてあげたかったの」
ユリアさまはちらりと前バレット候爵と歓談するカミーユさまに視線を送った。そして、口元に人指し指を一本あてて「これは秘密よ?」と微笑んだ。
わたしの知るユリアさまは、お洒落とスイーツと噂話が大好きな普通の女の子だった。なぜかスフィアさまが嫌いで時々ちょっとした意地悪をすることはあったけれど、アニエスにはにこにこして寄ってくる、そんな子だった。この20年近い月日が彼女を努力家の夫人に変えたのだろうか。
「カンナさんはウィリアムさまと幼なじみでしたかしら?」とユリアさまに聞かれて、私は頷いた。
「幼なじみですし、父上同士が従兄弟にあたります」
「そうなのね。ウィリアムさまは昔からカンナさんがお気に入りだったようよ?もしかして、カンナさんもかしら?」
ユリアさまは興味津々に目をきらきらとさせた。今も噂話がお好きなのは変わらないようだ。特に恋愛話は彼女の大好物だった。
「私もウィルが好きだったのだと思います。多分、まだ自覚のないころから」
ユリアさまはそれを聞くと、扇で口元を隠して満足げにふふふっと楽しそうに笑った。
「それは良いわね。お幸せに」
「ありがとうございます。ユリアさまは恋愛結婚なのですか?」
私は逆にユリアさまに聞き返してみた。ユリアさまはアニエスが亡くなった翌年に結婚したのだったかしら?貴族年鑑を見たのに、良く覚えていないわ。
「私はね」とユリアさまは私にそっと顔を寄せた。「騎士団にいるカミーユさまを初めてお見かけしたときにその凛々しい姿に見惚れて恋に落ちたの。まだ15歳の時だったわ。それで、社交界デビューしてからはお父さまにお願いして色々して貰ったの」
15歳。それはまだアニエスとユリアさまがよくお茶会をしていたし、スフィアさまとは知り合う前の事だ。ユリアさまがカミーユさまに想いを寄せていたなんて、私は全く知らなかった。そう言えば、カミーユさまがユリアさまをエスコートしているのを見たことがあるような気もするわ。
もしかして、ユリアさまはカミーユさまの近くに突然スフィアさまが現れたのが気に食わなくて、嫉妬心から色々と意地悪していたのだろうか?その日、私はユリアさまと沢山のお喋りをしたけれど、彼女は終始ご機嫌な様子だった。
「カンナはユリアさまと随分打ち解けたのね。私は昔から嫌われてしまっているの」
晩餐会終了後に私が現在のバレット候爵家の女主人であるスフィアさまとお喋りしていると、スフィアさまはそう漏らして少し表情を曇らせた。
「そうなのですか?」
「ええ。話し掛ければ表面上は和やかに返事をして下さるのだけど、ユリアさまからは決して話しかけては下さらないわ」
私は今日の晩餐会の時のことを思い返した。ユリアさまとスフィアさまはそもそも席が離れていたので、端から見る分には二人の関係が悪いとは感じなかった。それに、ユリアさまは私にはむしろ友好的だった。
未だにユリアさまはスフィアさまが嫌いなのだろうか?
でも、既にユリアさまはカミーユさまの妻であるのだし、何故ユリアさまはそんなにスフィアさまがお嫌いなのだろう?と、私は無言で首をかしげた。




