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 ─

 ──

 ───


 私は薄暗い部屋に閉じ込められている。


 そして私の上には下品な男が馬乗りになってにやにやと笑ってる。


 力の限りにどんなに助けを呼んでも誰にも私の声は届かない。耐えきれずに泣き出した私を見て、男たちは益々楽し気に笑った。


『私、アニエスさまが大嫌いでしたの』


『スフィアさまと仲良く社交界から去って下さいませ』


 くすくすと笑いながら言われた言葉が脳裏に反響する。黒曜石の様なつぶらな瞳と美しい漆黒の髪を持つその少女は、可愛らしい見た目に反して悪魔のようだった。


 体を切り裂くような激痛が走った。


 私が悪いからこうなったの?


 いやだ。助けてアーロンさま。


 助けて、アーロンさま!


 助けて。


 助けて。


 助けて!ウィル!!


 ─

 ──

 ───


 耐えきれない恐怖が襲ってきて飛び起きた時、私はいつものディルハム伯爵家の自分のベットに寝ていた。寝間着がぐっしょりと濡れるほどの汗が噴き出していて、肌にあたってひんやりと冷たい。


 窓に目を移すと、まだ夜明け前のようで薄暗い。


 私は自分の身体をぎゅっと抱きしめた。アニエスの記憶が蘇って以来、時々みる私の悪夢はスフィアさまが泣き叫ぶ姿から自分が泣き叫び助けを求める姿へと変化した。


 怖い。あの黒曜石の様な瞳を思い出すたびに、底知れぬ恐怖が私を襲う。


 また私の幸せを壊す悪魔の様な存在が現れるのではないかと不安でならなくなる。そして、今現在の私が幸せであればあるほど、それを壊されることへの恐怖心は益々大きくなった。

 その日の夜中、私は眠ることが怖くて朝になるまでベットの上で膝を抱えて過ごした。




「カンナ。疲れてるだろ?今日は休んで」


 その日私と顔を合わせるなりそう言ったウィルは、せっかく時間を空けてきてくれたイールさんを彼の通常の仕事に追い戻してしまった。

 私は今日もイールさんに鉄鉱石の講義を受けるためにバレット商会に訪れていた。しかし、部屋に入る前にウィルに顔を合わせてしまい、強制的に今日のお勉強は中止になってしまったのだ。


「あーあ。目の下にクマが出来てるよ。ちゃんと寝てる?」


 ウィルは私の目の下を親指で撫でると、心配そうに顔を覗き込んできた。本当になんでウィルは私のことにこんなに敏感なのかしら?


「あんまり昨晩は寝られなかったの」


「勉強が大変?カンナは無理しなくてもいいんだよ?母上もバレット商会には一切関わってないし」


 私は首を横に振って見せた。勉強は確かに難しいけれど、私にとってはとても楽しいものでもあるわ。


「違うわ。怖い夢をみるの」


「怖い夢??」


 ウィルは私の返事がとても意外だったようで、目を丸くした。そして、くすくすと笑い出した。

 私はウィルの態度にムッとして口を尖らせた。夢ぐらいで大袈裟だって馬鹿にしてるわね?なによ、人を怖がり扱いして酷いわ。


「もういいわ。ウィルに言った私が馬鹿だった」


「ごめんごめん。カンナがそんなこと言うなんて意外だったんだ。機嫌を直してよ」とウィルは慌ててフォローしてくる。「そうだ、僕がカンナを寝かせてあげる」


「ウィルが私を??」


 怪訝な顔をした私にウィルはにんまりと笑って見せた。


「うん、おいで」


 バレット商会の接客室に置かれたソファーにドシンと腰を下ろしたウィルは、両腕を広げてまるで仔犬でも呼ぶようなポーズをした。もしかして、私に来いと言ってるの??


「行かないわ」と私は頬を膨らませてそっぽを向いた。


「えー。じゃあ、僕が疲れたから寝たい。カンナが隣に居たらいい夢が見られそうだから来て」


「眠いなんて、嘘でしょう?」


「本当。カンナは僕が疲れてても気にしてくれないの?」


 シュンとした顔をしたウィルに、ついついまた絆されてしまう。私は無言でウィルの隣にポスンと腰を下ろした。

 ウィルは嬉しそうに微笑むと、横から私の頭にコツンと自分の頭を寄せて目を閉じた。触れている場所が温かい。金色のサラサラとした長めの髪が、さらりと私の頬に触れた。


 ウィルは暫くすると、スースーと言う規則正しい寝息をたて始めて本当に眠ってしまった。次期バレット候爵家当主として学ぶことが沢山で、彼は私が思った以上に疲れていたようだ。私もその寝息を聞きながらそっと目を閉じる。いつの間にか、私は心地よい眠りの世界へと誘われた。



 ─

 ──

 ───


「アニエス、しがみつくんじゃなくて腰を起こすんだ」


「そんなこと言っても、難しいわ!私、この前お尻と太股が痛くなって椅子に座れないほどだったのよ?」


 私が膨れっ面で文句を言うと、アーロンさまは苦笑した。


 私は今、アーロンさまに乗馬を教えて貰っている。私はいつも馬車で移動するので馬には一人で乗れない。けれど、一度遠乗りというものをしてみたくてアーロンさまにその話をすると、アーロンさまが乗馬の先生を引き受けて下さったのだ。


 馬というのは想像したよりだいぶ乗り心地が悪いわ。揺れてお尻が痛くなるし、色んな所が筋肉痛になるし、目線が高いから怖いし。

 でも、アーロンさまは出来の悪い私を辛抱強く指導して下さる。手綱をひいて貰いながらだけど、ゆっくりなら一人で長い時間も乗れるようになってきた。


「アーロンさま、私が上手に乗れるようになったら遠乗りに連れて行って下さいませ」


「もちろんだ。どこに行きたい?」


 アーロンさまは柔らかく微笑んで行き先を聞いてきた。


 どこがいいかしら?北に行けば海があるけれど、アーロンさまのご実家の領地のある南方も自然豊かな場所だと聞いたことがあるわ。

 私はクランプ候爵領と王都以外は殆どどこにも行ったことが無い。少し考えてから、私は行き先をアーロンさまに任せる事にした。


「どこでも構いません」


 アーロンさまは豆鉄砲を食らったハトのような顔をされた。


「どこか行きたい場所があるから遠乗りに行きたいのでは無いのか?」


「行きたいところが沢山あるので決められないのです」


 私の答えにアーロンさまは目を丸くして、くすくすと愉しげに笑った。


「では何回も行かないとだな」


 何回も連れて行ってくれるの?楽しみだわ。アーロンさまと行くなら、どこだって楽しいと思うの。


 いつか行く遠乗りを想像して、私はとっても嬉しくなった。


 ─

 ──

 ───


 目が覚めるとウィルの青色の瞳と目が合って私は飛び起きた。しまったわ、不覚にも寝てしまったじゃないっ。しかも、私はいつの間にか上半身をウィルの膝の上に預けてぐっすりと熟睡していたようだ。


「よく眠れた?」


 にこにこしたウィルに聞かれて、私は恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じた。


「よく眠れたわ」


「怖い夢は見なかった??」


「ええ、楽しい夢だった」


 そう、楽しい夢だったわ。アニエスが一番幸せだった頃の夢だもの。アニエスはアーロンさまと馬で遠乗りに出かけることを本当に楽しみにしていた。


「へえ、どんな夢?」


 ウィルは興味深げに身を乗り出した。でも、「馬に乗る夢よ」と私が教えると、「カンナって馬に乗れたっけ?」と、今度は不思議そうに首をかしげた。


「乗れないわ。でも、いつか遠乗りに行ってみたいの。だから、ウィルが教えて?」


 ウィルは思いがけない私のおねだりに驚いた顔をしてから、「喜んで」と言って微笑んだ。ふふっ、今度こそは絶対に連れて行ってね?


「絶対に絶対よ?」


「もちろん約束は守る。僕を信じて。でも、カンナがそんなに馬に乗りたがってたなんて知らなかった」


「馬に乗りたいんじゃなくて、あなたと遠出して知らない景色を見たいのよ」


 私の返事が予想外だったのか、目を瞠ったウィルの頬はほんのりとあかく色づいた。ウィルとならどこに行ったって楽しいわ。アニエスとアーロンさまが出来なかったことを、今世ではウィルとやってみたい。


 穏やかな日の午後、窓の外では心地よい風がふいていた。





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