1
「鉄鉱石とは鉄の原料であり、産地によって含まれる成分が異なります。我が領地の鉄鉱石の純度は鉄製分が50パーセント程度で、これは世界の鉄鉱石の中でも高純度であります。鉄鉱石から鉄を抽出するためには『コークス』と呼ばれる材料を混ぜて高炉で精製する必要があります。この抽出した鉄成分を『銑鉄』と言い、俗に鉄くずと呼ばれるものです。ここから良質の鉄鋼製品を作り出すためにはさらにこの『銑鉄』を『鋼』や『鋳鉄』と呼ばれるものに精製する必要があります。これらの二つは炭素の混入率に差があり、この炭素の混入率により粘り強さや硬さが異なってくるのです。この炭素量を調整するためには高い技術力が必要とされ……」
私は今、バレット候爵家の経営するバレット商会に勤務するベテラン社員のイールさんに個別教師をして貰って勉強中である。
イールさんは薄くなった頭がチャームポイントのおじさんで、歳は私のお父さまよりもずっと上だ。平民だけれどもとても頭の回転が速く優秀な方で、バレット候爵家当主であるエドウィンさまの信頼も厚いという。
バレット候爵家の最大の領地収入は鉄鉱石を始めとする鉱物資源の産出、及びそれらを加工した製品の販売で、全体の6割がそれによって賄われている。だから、この勉強はウィルと結婚するに当たって領地の事くらいは知っておきたいと思った私が希望して行われているものだ。
私は将来自立出来るようにと何年ものあいだ勉強の虫だったけれども、イールさんに教えて貰う事はそんな私にとっても初めて知ることばかりでとても興味深い。しかし、同時にとても難しい。はっきり言ってちんぷんかんぷんだわ。
「イールさん、高い技術力が必要と言うことは、同じ材料が揃えば同じ品質の製品が出来るという訳では無いのね?」
「さようです。バレット商会で扱う鉄鋼製品の品質は世界最高品質と言っても過言ではありません」
イールさんは私の質問に鷹揚に頷いて答えた。世界最高品質って世界の中でも最も良質なものを作っているという事よね?すごいわ。
「高炉と言うのはどこにあるの?」
「領地の鉄鉱山の麓にございます。そのうちご覧になりますか?地味な石積みの建造物であまり面白いものではありませんが、鉄を精製して溶鉄が流れでる様は圧巻です」
「見られるの?見たいわ!」
「では、領地に戻られた際にでもご視察出来るように手配しましょう」
目を輝かせた私に対して、イールさんは年相応の柔らかい笑みを浮かべた。目尻の皺が彼の印象をより柔らかいものにしている。私はイールさんにふと思いついた疑問を尋ねた。
「そう言えば、鉄鉱石は無くなったりしないのかしら?」
「無くなるとは?」
「掘り尽くしてしまったら領地収入が無くなるのではないかと思ったのよ」
イールさんは私の質問の意図を理解したようで、目をしばたかせてから口の端を持ち上げた。
「少なくともあと100年以上は採掘可能ですよ。その間に新しい採掘技術も開発されるでしょうし、新しい鉱脈も見つかるはずです」
ふーん、と私は鼻をならした。あと100年以上と言ったら、私の孫の代までは採れるということだ。それはとてつもなく長い時間に感じた。
そのまま私はが暫くイールさんと勉強がてらの世間話を楽しんでいると、「カンナ」と呼ぶ声がして私は振り返った。いつの間にか部屋の入り口近くにウィルがいてこちらを見つめて微笑んでいる。
「ウィル!もう終わったの?」
「いや、まだだ。でも、そろそろカンナが帰る時間だから様子を見に来たんだ。屋敷まで送っていくよ」
ウィルは将来のバレット候爵家当主なので、今はバレット商会で事業のノウハウを学ぶ修行中の身だ。将来の領地経営の為に一番の柱である鉄事業には学ぶことが沢山有り、とても忙しそうにしている。
「馬車に乗るだけだから気にしなくていいのに。忙しいのに時間を取らせるのは悪いわ」
「僕がカンナと一緒に居たいんだよ。ほら、行こう」
肩を竦める私にウィルは手を差し出した。座ったままの私が手を重ねると、ぐいっと引っ張りあげられるその力強さにドキッとする。最近ウィルは益々背が高くなり、体格も立派になった。段々と男らしさが増すその姿に私はいつもどぎまぎしてしまうのだ。
「鉄って色んなところに使われているけれど、とても奥深いのね」
帰りの馬車の中でも私たちの会話は鉄談義だった。色気のないことこの上ないけれど、ウィルをずっと支えていきたい私にとっては重要な話なのだ。ウィルは「そうだね」と言って頷いた。
「バレット侯爵領はわが国一番の鉄鉱石の産地だから安定して供給することも大事なんだ。金と同じくらい価値があるとも言われることもあるんだよ」
「金と同じくらい?」
「うん。鉄は武器や防具の材料にもなるし、これから先の産業の柱だろ?だから、上質な鉄鋼製品が安定して供給できるって言うのは国にとってとても重要なことなんだ」
なんだか私の知らないことを教えてくれるウィルがとても眩しく見える。私がウィルの横顔をほぅっと見とれていると、ウィルは不思議そうな顔をして私を見返した。
「なに?どうかしたの?」
「ううん、どうもしないわ。なんかウィルが凄く大人に見えたの」
ウィルは目をぱちくりとすると、少しすねたように口を尖らせた。
「年下扱いするのやめてよ。ちゃんと成人してる」
ウィルは自分が私より2つ年下であることをとても気にしている。
年の差が2つある夫婦など沢山いるけれど、特にウィルの場合は年齢が若すぎるということですぐに結婚することをお互いの両親から止められたことが彼が年齢を気にする理由として大きい。
18歳の私は今まさに貴族女性の結婚適齢期だけれども、まだぎりぎり16歳のウィルは男性としてはまだ結婚適齢期前とされても仕方のない年齢だ。ウィルはすぐに結婚したかったようだけれども、もう少し領地経営を学んで一人前になってからにしなさいとエドウィンさまから諭されてしまったようだ。
「気を悪くしたならごめんなさい。ウィルが色々な事を知っているから頼もしく見えただけなのよ」
「本当に?」
「本当よ」
私が微笑むとウィルは嬉しそうにはにかんだ。
こういう表情は年下っぽいと思ってしまうけれど、口に出すと拗ねてしまうので心の中にしまっておくわ。そういえば、アーロンさまはアニエスより年上だったけれどよく屈託のない笑顔を見せて下さった。もしかしたらウィルもずっとこういうかわいい一面を残したまま成長していくのかもしれない。
「そうだ。再来週、うちの主催で親戚を呼んで晩餐会をするんだ。僕の婚約者なんだからカンナも出席してくれよ」
「再来週?わかったわ」
ウィルからのお誘いに私はすぐに頷いた。ウィルの婚約者であるからには今までのように社交の場に出たくないなどと我儘ばかり言ってはいられないわ。
「ドレスをプレゼントするよ。時間がないから既製品になっちゃうけど」
「既製品で十分よ。舞踏会じゃないんだから。ありがとう」
私は慌てて目の前に両手を出して手のひらを左右に振って見せて遠慮した。ウィルはにこにことしながら上機嫌に胸の高さにあげられた私の手を握った。
「着飾ったカンナをみんなに見せびらかしたいんだよ。今度の休みに一緒に見に行こう」
見せびらかしたい?私を??
私はアニエスの様な華やかさのある美人ではない。どちらかと言うとやっぱり地味な見た目だと思う。それでも、ウィルが着飾った私を楽しみにしてくれているのは嬉しかった。
「わかったわ。楽しみにしてる」
好きな人にドレスを贈られるというのはたとえ既製品だとしても心が躍る。ドレスの色はウィルの瞳と同じ空色がいいわ。私はなんだか今度のお休みがとっても楽しみになり、ウィルににっこりと微笑んだ。
徐々に糖度を上げていきたい!




