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【注意!!】
残酷な描写有りです。女性への暴力的シーンがあります。
今話はとても暗くて重い話なので苦手な方は読まないことをおすすめします。
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私は舞踏会会場の端に居ながらもイライラが収まらなかった。スフィアがアーロンさまに言い寄るなんて、想像だにしていなかった。扇を持つ手が怒りで震えそうになるのを必死に理性で抑えつけた。
「アニエス。スフィアを見なかったか?」
エドは姿が見えなくなったスフィアを捜していた。きっと、愛しのスフィアがアーロンさまと逢瀬中なんて思いもよらないのね。
「さあ、知りませんわ」
「そうか・・・」
エドは私からもスフィアの居所を知ることが出来ず、がっかりした表情でほかの場所を捜しにいった。スフィア、スフィア、スフィア!どうしてみんなスフィアなの?私は誰にも会いたくなくて人気のない廊下に一人抜け出した。
「アニエス。1人にして済まなかった」
いつの間にかスフィアとの逢瀬を楽しんでいたアーロンさまがすぐ横に居た。アーロンさまは外から戻ってきてから私を捜し回ったのか、少し息が上がっていた。
私はアーロンさまに対してもふつふつと怒りが湧いてきた。私を愛していると言いながら、スフィアに抱きつかれて大人しくしているなんて。私を良いように扱っておいて、結局あなたもスフィアの方がいいのね?私が何も知らないと思って!
「アニエス、どうした?」
「どうした?どうしたですって??」
私はアーロンさまを睨めつけて、大きな声で詰め寄った。アーロンさまは信じられないと言う顔をした。いつも静かに微笑んで佇んでいる私が人に見られる可能性のある場所でこんな事するなんて、信じられないのでしょうね。でも、信じられないのは私の方よ。
「アニエス??」
「私が何も知らないとでも思ったのです?いい気なこと!私が知らないと思って他の女にも手を出そうとしているのね?あの泥棒猫に!!」
「アニエス!何を言ってる!!」
呆然とした表情をしていたアーロンさまの顔が、私の叱責を聞いてたちまち苛立ちを含んだものに変わった。これまで一度も見たことのないような怒りに満ちた表情に、私は彼とはこれでお終いかもしれないと思った。あなたも私を置いてあの子のところにいくのね。
「スフィアと外で逢い引きしてたじゃない!」
「何を言っている!知らないご令嬢から気分が悪いから外に連れて行って欲しいと言われてお連れしただけだ。もう彼女のことは会場の給仕に任せてきた」
「嘘つき!私は見たのです!!」
「アニエス、僕を信じろ!」
だって、見たのよ。遠目だったけれど、あれはアーロンさまだったわ。私があなたを見間違うと思っていたの?私も見くびられたものだわ。そして、金髪の女の髪に着いていたのは私がスフィアにあげた髪飾りだったわ。私がデザインしたオーダーメイドの品だもの、見間違えるわけがないわ。
みんな私を置いてあの子のところに行ってしまうのね。私が一体何をしたというの?何故こんな酷い仕打ちをするの?
「あなたのことは信じられません!嫌いよ。あなたなんて大嫌いだわ!二度と私の前に現れないで!!」
そう言った途端、アーロンさまは酷く傷付いたような目をして顔を歪め、呆然としてその場に立ち尽くした。何故そんな顔をするの?私を騙していたのはあなたでしょう??
もうわけがわからなかった。私はみっともなく泣きながら、アーロンさまから逃げるように公爵邸の廊下を駆けた。正面からたまたま歩いてきたルシエラが驚いた顔をして目を瞠っていた。
「まあ、アニエスさま!どうされたのです?」
「私、私・・・」
もう頭がごちゃごちゃで言葉にならなかった。エドもアーロンさまも、みんなあの子にとられていく。私の何がいけないの?
「きっとお辛い思いをされたのですね。こちらに休憩室があるから参りましょう」
私の手をとったルシエラはゆっくりと歩き始めた。そして一つの部屋の前で立ち止まると、私に中に入るように促した。
「ありがとう」
「いいえ、お礼には及びませんわ。ねぇ、アニエスさまご存じでした?」
扉に手を掛けて私をみつめるルシエラはにっこりと淑女の作られた笑みを浮かべた。
「え?」
「私、アニエスさまが大嫌いでしたの。アニエスさまは私のことなど視界に入っていなかったでしょうけど。誰よりも美人でいつも澄まして、常にまわりと一線を引いていて、鼻につくことこの上無かったですわ。それに、皆の憧れのエドウィンさまを独り占めして、次はアーロンさまでしょう?」
私は何を言われているのか理解できなかった。ルシエラ、あなたは何を言っているの?ルシエラは硬直する私に構わず、楽しそうにくすくすと笑った。
「ユリアさまとフロリーヌさまはスフィアさまがお嫌いみたいですけど、私はアニエスさまの方が大嫌いです。ねぇ、アニエスさま。私、アーロンさまを慕ってましたのよ。それなのに、最近はあなた様のエスコートに付きっきりでダンスにすら誘って頂けない。本当に腹が立ちますわ。だから、スフィアさまと仲良く社交界から去って下さいませ」
そう言ってルシエラは扉をあけた瞬間に私の肩をドンと強く押した。ガシャンと外から鍵が掛かる音がして、部屋の入り口で崩れ落ちた私が見たものは信じられない光景だった。扉の内鍵の取っ手がない。これでは扉が開けられないわ。
「誰か!!」
扉を叩いて叫ぶ私はすぐに背後の異常に気づいた。
男に押さえつけられたスフィアが泣き叫んでいる。私が入ってきたことに気づいたようで、必死に声を上げて手を伸ばして助けを求めている。男達は泣き叫ぶスフィアを黙らせるためにスフィアの頬を張り、髪飾りが弾け飛んだ。そして、スフィアは声を上げなくなった。
なんなの。これは現実なの?何がおこっているの?
想像すらしなかった事態に恐怖のあまりに足が震える。でも、私が止めなければ。それだけを思った。
ルシエラはユリアさまとフロリーヌさまの申し付け通りにスフィアを痛めつけ、この件は全て私に指示されたとでも言うつもりだったのだろう。
『好きにしなさい。任せるわ』
その言葉の先がこれなの?私のせいなの?
「お止めなさい!」
私震えそうになる声を必死に抑え、扇で口もとを隠して精一杯に美しく気高く微笑んだ。案の定、男2人は気絶したスフィアから私へと興味を移した。
「こりゃあ、えらく綺麗なお嬢様だな」
男の一人が下品に笑った。口もとから見える歯が一本欠けており、私が知る紳士的な男性達とは全く違う人種に思えた。
怖い。恐ろしくて足が震える。すぐに助けは来るだろうか。
私がこっちの方向に来たのを知っているのは、ルシエラとアーロンさまだけ。あんな暴言を吐いた私をアーロンさまは捜してくれるだろうか?
でも、きっとアーロンさまなら助けてくれる。私はそう自分に言い聞かせ自らを叱咤した。
「あなたたち、気絶した子を相手するなんて趣味が悪いわ。私が起きているのに」
そのあとのことなんて思い出したくもないわ。
私達は私達を捜し回ったアーロンさまとエドウィンさまにより休憩室から悲鳴が聞こえると連絡を受けて鍵を開けたウインザー公爵によって発見された。
事件はウインザー公爵家とクランプ候爵家の力により極秘に処理され、男達はすぐに捉えられた。そして、手引きしたルシエラは貴族の世界から追放された。
スフィアは気絶していたから何がおこったか知らないし、痣と擦り傷程度の怪我をしただけで無事だったわ。そのかわり、私は貴族令嬢にとって結婚に最も重要とされるものを失った。
抵抗しようと泣き叫ぶスフィアが脳裏に蘇る。殴られた時に、スフィアの髪に飾られた真珠の髪飾りが弾け飛んだ。初めて見る髪飾りだったわ。
私はなんて愚かなのだろう。
スフィア、あなたはきっと私のために嘆き悲しむでしょうね。こんな結末を招いた責任の一端が私自身にあるなどとは思いもよらないのでしょうね。あなたはいつも屈託のない笑顔で私に寄ってきて、姉のように慕ってくれる。
私はそんな純粋なあなたが眩しくて、羨ましくて、嫉ましくて・・・
大好きだった。
暴行の後から精神的ストレスで食事を受け付けなくなった私はみるみるうちに痩せ細り、白く美しかった手は枯れ枝のように細く土色になった。
体中に残る痣や擦り傷、痩せ細った姿、何より彼の妻にはなれない体になった自分自身を見せたくなくて面会を拒否する私に、アーロンさまは毎日のように会いに来ては部屋の扉の前に花を置いていった。
もう目を開けるのが辛い・・・
そんな時、私の前に彼が現れた。スフィアのような美しい金髪の髪に、見たこともない金色の瞳。
「私は死ぬの?」
「そうだよ。迎えにきた」
男は私に手を差し出した。重ねた私の枯れ枝のように細かったはずの手は、ふっくらとして美しかった。
男に連れてこられた先には、女神さまが居た。眩しくてその姿は見えなかったけれど、何故だかこの目の前の存在が女神であると直感した。
「君は来世に何を望む?」と金髪金眼の男は私に尋ねた。
私が来世に望むもの?それは現世の心残りでも構わないのかしら?心残りは沢山あるわ。
もっとお父さまやお母さまやお兄さまと沢山の時間を過ごせばよかった。
侍女達に労いの言葉をもっと掛けてあげればよかった。
作りかけの刺繍を仕上げたかった。
馬で遠乗りをしてみたかった。
一度くらい外国に行ってみたかった。
大好きな人達の幸せな瞬間を、一緒に共有したかった。
結婚して子供を産んでみたかった。
でも、一番の心残りは・・・
アーロンさま、あなたに愛してるとちゃんと伝えたかった。
一度も言葉に出来なかったそれが、悔やまれてならない。
そして、使用人の子供でもいい。
近所でたまたまあった子供でもいいの。
もう一度、あなたに私の名前を呼んで微笑んで欲しい。
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