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本日2話目です。
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庭園で本を読んでいた私は「アニエス」と呼ぶ心地よい低音が聞こえて顔を上げた。いつの間にか目の前には柔らかく微笑むアーロンさまがいた。本に熱中しているうちに約束した時間になっていたようだ。
「アニエス、あまり外にいると冷えるから中に入ろう」
「では、アーロンさまが連れて行ってくださいませ」
私はわざと子供っぽく拗ねて見せた。アーロンさまは仕方ないなぁと言った困った表情をされて、私を横抱きに抱き上げた。
「羽のように軽いですか?」
「そう言いたいところだけど、僕は軍人ではないから結構堪える」
確かにこの涼しい陽気なのに、私を抱えて歩くアーロンさまの額からは汗が噴き出していた。
「まあ、私が重いとおっしゃるの?」
「違うよ。僕がひ弱なだけだ。君の重みは心地いい。アニエス、機嫌を直して?」
私を屋敷の入り口近くの椅子まで運んだアーロンさまは私の額に柔らかいキスをした。
アーロンさまは約束通り、私に惜しみない愛情を示してくれた。親が子供に与えるような無尽蔵な愛情は、ずっと気を張って生きてきた私に人に甘えることの心地よさを教えてくれた。常に淑女として凛としていた私は、アーロンさまの前でだけは素の自分になれた。
私の隣に腰を降ろしたアーロンさまをよくよく見ると、少し息が切れている。アーロンさまはあまりお身体が強くないと聞いたことがある。もしかして、無理させただろうか?こんな我が儘を言って嫌われてしまっただろうか?
「ごめんなさい。無理をさせました」
「いや、良い運動になったよ」
「我儘すぎてお嫌いになりましたか?」
「まさか!そんなわけ無いだろう?」
アーロンさまは驚いて目を瞠った。
「でも、私のせいで大変な思いをしたでしょう?」
「僕の愛を見くびらないで欲しいな。アニエス、僕を信じて」
こんな相手の愛を試すような言葉も、アーロンさまには言える。エドにはこんなこと間違っても言えなかった。アーロンさまはことあるたびに「僕を信じて」と言う。僕の愛を信じて。それはいつも私の耳に心地よく響いた。
私がふふっと笑うと、アーロンさまも柔らかく微笑む。こんな時間が永遠に続けば良いのにと、私はそう思っていた。
その日、私はアーロンさまと公爵家主催の舞踏会に出席していた。私の知人友人の貴族の方々が沢山招待されているような大規模なパーティーだ。そこで最初の1曲をアーロンさまと踊った私は、2曲目を別のご子息にお誘いされてアーロンさまを見上げた。
「行っておいで。だけど、1曲踊ったら僕のところに戻って来るんだ」
アーロンさまが頷いたので、私は1曲だけその男性とダンスを踊ることにした。ダンスを終えた私はアーロンさまを探したけれど、彼はいなかった。どこにいるのだろうと、次々とダンスのお誘いをしてくるご子息たちをかわしながらきょろきょろホール内を見渡したけれどアーロンさまは見当たらなかった。
尚も私が彼を探していると「アニエスさま」と呼ぶ声が聞こえて、そちらに目を向けるとマクロニア伯爵令嬢のユリアさまとドニクール子爵令嬢のフロリーヌさま、それともう一人見覚えのあるご令嬢がいた。三人は神妙な顔をしてこちらに近づいてきた。
「私、先ほど信じられない光景を見てしまったのです」
「信じられない光景?」
私は首を傾げた。信じられない光景とはいったいどんな光景なのか。ユリアさまは扇で口元を多い、意味ありげに視線を足元に落とした。
「スフィアさまがアーロンさまに言い寄っていたのです。アーロンさまも満更じゃなさそうでしたわ」
「スフィアがアーロンさまに?それは見間違いではなくて??」
私は眉を寄せた。スフィアがアーロンさまに言い寄るなど、俄には信じがたい話だった。だって、スフィアとエドが仲睦まじくしている様子を何度も社交パーティーで見ていたもの。
「私もそう思ったのです。でも、あれはスフィアさまとアーロンさまでしたわ」
私は少し考えて、「では、私も確認に行きます」と言った。どうせ見間違えだと高を括っていた。だって、アーロンさまは私を愛していて、スフィアにはエドがいるのだから。なのに、私の思いは最悪の形で裏切られた。
テラスにでて手すりから庭園を見下ろした私が見たものは、広場の噴水の縁に座っているアーロンさまの胸に寄りかかる金髪の若い女。私からアーロンさまの表情は見えなかったけれど、金髪の女はアーロンさまの胸に縋り付くように寄りかかっていた。そして、その金色の髪には見覚えのある髪飾りが飾られていた。私がドレスと共にスフィアにあげた髪飾りだった。
「うそ・・・」
私は目の前の光景が信じられなかった。
なぜなの、スフィア?
私があなたに何をしたと言うの?
私からエドを奪ったのに、それでは飽き足らずに今度はアーロンさまを奪うの?
私の中で急速に黒いものが広がっていく。
嫌よ、アーロンさまを奪われるのだけは許せない。
あんな女、居なくなればいい!!
「あの子、調子に乗ってるのですわ。アニエスさまがお優しいからっていい気になって」
「そうですわ。最近目に余りますもの。少し痛い目に合わせた方があの子のためだと思いますの」
取り巻きのご令嬢達に次々と何かを言われたけれど、もう私には殆ど聞こえなかった。
あんな女、居なくなればいいのよ。
いなくなればいい。
「好きにしなさい。任せるわ」
私の言葉ににんまりしたユリアさまは早速どんな痛い目に遭わせるかを思案し始めたようでぶつぶつと何か言い始めた。
「赤ワインをドレスにかけるか、わざとぶつかって転んであちらの非だとを糾弾するか、ドレスを踏んで破いてやるか・・・どうしましょう?フロリーヌ、あなたなんとかして」
ユリアさまはフロリーヌさまにその大役を譲った。振られたフロリーヌさまは慌てた様子だ。
「私がですか?まあ、どうしましょう。食事にマスタードをたっぷり混ぜ込むとか?ちょっと、ルシエラ。あなたがなんとかして」
ルシエラと呼ばれたご令嬢はニコッと二人に微笑んでから、黒曜石のような瞳で私を見つめてきた。私はそれ以上その場に居たくなくて、三人に別れを告げた。
私の夢は、今日もそこから泣き叫ぶスフィアさまの悪夢へと切り替わる。夢の結末は今日も同じだった。
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気が付いたとき、真っ先に目に入ったのは見慣れたベットの天蓋だった。薄いピンク色のレースカーテンがひかれたそれは、私のお気に入りの一品。
どれ位寝ていたのだろう。あたりはすっかりと明るくなっていて、いつもとなにも変わらぬ景色を照らす。サイドテーブルに置かれた歌劇場で見た演目のパンフレットが無ければ、昨晩の出来事は全て夢だったのではないかと思うほどだった。
「私、ウィルに・・・」
段々と頭が冴えてきて、私はさーっと血の気が引いていくのを感じた。
昨晩、私はウィルに誘われてトルク座に行ってとても楽しい一時を過ごした。帰りには演出家の方にもお会いして、馬車で送って貰った。そして、、、最後にウィルに愛してるといわれた。それなのに、私は取り乱して挙げ句の果てに気を失ったのだ。
「ウィルにちゃんと説明しないと」
ウィルに昨晩の無礼を謝罪し、送り届けてくれた謝礼をし、きちんと気持ちに応えられないと伝えないと。私が起きる用意しようと呼び鈴を鳴らすと、カテリーナがちょうど部屋にきたところだった。
「おはようございます、お嬢さま」
「おはよう、カテリーナ。昨晩はウィルがここまで運んでくれたの?」
「はい。お嬢さまのことを大層心配されておりましたよ。でも、駆けつけたお医者さまはお嬢さまは寝てるだけだと申しておりました。あまり本ばかり読んで夜更かししないで下さいませ」
カテリーナに呆れたように苦言を呈されて、私はカーッと頬があかくなるのを感じた。確かに、最近寝るのが嫌で夜更かししている自覚はあるわ。
「ご、ごめんなさい。気を付けるわ」
カテリーナは私の謝罪に無言で頷いた。そして、エプロンから何かを取り出した。
「それと、今朝方ウィリアムさまからお手紙が届いてますよ」
「ウィルから?」
私はカテリーナが差し出したそのシンプルな封筒を受け取った。ウィルから手紙なんて、何の用件だろう?
カテリーナが部屋を出たのを見計らって封筒を開くと、中には一枚だけ手紙が入っており、見覚えのあるウィルの字で簡潔に要件が綴られていた。
***
カンナへ
昨夜は楽しい時間をありがとう。
君の気持ちを無視して話を進めて悪かった。僕は少し冷静になってこのことを考えるべきで、そのために君と暫く距離を置こうと思う。
段々と涼しくなるから風邪をひかないように気をつけて。
ウィリアムより
P.S. 君はトルク座の次の演目のシートを取ったら駄目だよ
***
読んだ瞬間に、目の前が真っ暗になった。
きっと私は度重なる大人気ない態度に呆れられて、ウィルから見切りをつけられたのだ。私が離れるまでも無く、彼は私から去って行ったのだ。私は急激に目頭が熱くなるのを感じた。
「ふっ、うぇ、・・っ、ふぇっ・・」
咽から嗚咽が洩れるのを止められない。涙が止めどなくこぼれ落ちた。
私はウィルを遠ざけたくて、ウィルは私が何かをするまでも無く私から距離を置いた。それは私が一番望んでいた筈のことだ。なのに、私の胸は痛みのあまりに張り裂けそうだった。
色々と拗らせ中・・・




