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───


 スフィアはエドにエスコートされ、私はアーロンさまにエスコートされ社交界パーティーに参加する。表面上、私達は穏やかな日常を過ごしていた。

 特にアーロンさまが私をお姫さまのように大切に扱って下さるので、エドと私がパートナー解消した当初の仲違いしたのでは、とか、私がエドを寝取られたのでは、などと言うおかしな詮索はすぐに鳴りを潜めた。私達は誰が何と言おうと、2人が合意のもと、円満にパートナーを解消したのだ。


 その日、私はいつものようにアーロンさまにエスコートされて舞踏会に参加していた。会場で友人のご令嬢とお喋りをしていた私は、今日も鈴の鳴るような可愛らしい呼び声に振り向いた。


 私の後ろには予想通りの人物、スフィアとエドがいた。スフィアは私を見つけたことで嬉しそうに微笑んでいる。


「アニエスさま、ご機嫌よう」


「ご機嫌よう、スフィア」私は返事をすると今度はエドにも挨拶した。「エドもご機嫌よう」


 エドは笑顔で私に挨拶を返すと形式上私の手にキスを落とした。そのキスを受けた後、スフィアに向き直った私は違和感を覚えた。


「スフィア。今日のドレスは素敵ね」


 今日のスフィアは流行最先端のふんだんにレースのあしらわれた空色のドレスを着ていた。艶々とした空色の布は恐らく上等なシルクだろう。いつもは私のドレスのお下がりを着ていたのに、今日のは見たことが無い。どうしたのかしら、と不思議に思った。


「実は、エドウィンさまが贈って下さったのです」


 私に聞かれて嬉しそうにはにかみながら答えるスフィアの言葉に、私は頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を受けた。豪華な空色のドレス。エドの瞳の色。そんなドレスを未婚の女性に贈り、多くの貴族が出席する舞踏会に同伴させる。その意味がわからないほど愚かな私では無い。


「まあ、そうなの。似合ってるわ。よかったわね」


 仮面の笑顔を被ってにこやかに賛辞を言う私は最早無意識に近かった。私の目の前では、スフィアとエドがお互いに見つめ合って微笑んでいる。


 ああ、そうか。そうなのね・・・


 社交界で揉まれて、鉄の仮面を被り、にこやかに受け答えをする。その一連の条件反射だけが今の私を支えていたと言っても過言では無い。


 私の中の黒いものは、最早全てを覆い尽くしていた。


 この子が居なければ、彼の隣は私だったのに。


 今も市井で貧相な暮らしでもしてればいい気味だったのに。


 こんな子、居なくなればいいのだわ!


 そこまで考えて、私はハッとした。


 私は今、何を考えていたのか。妹のような存在のスフィアに、なんと恐ろしい感情を持ったのか。

 

 私は己の内面の醜悪さに恐怖し、思わず自分の身体を抱きしめた。きっと顔は真っ青だったと思う。真っ青どころか、盤若のような恐ろしい顔だったかもしれない。

 私の異変に一番に気付いたのはやはりアーロンさまだった。


「アニエスさま。実は私、アニエスさまから頂いた髪飾りを一つ・・・」


「アニエス、顔色が悪い。休憩室に行こう」


 茫然とする私に対して何かを言い始めたスフィアを遮り私の腰を強く抱き寄せると、アーロンさまは私を休憩室に連れて行ってくれた。


 休憩室とは、舞踏会の会場に必ず何部屋か用意される個室のことだ。休憩用のベットやソファ、机が置かれた客室のような造りになっていて、文字通りに体調不良や疲れで休憩するために使用する人もいれば、一晩の燃え上がる恋に身を任せるために使用する人もいる。

 一つ言いきれるのは、使用中の休憩室に人が立ち入ることは無いと言うことだ。


「アーロンさま、ありがとうございます」


 休憩室のソファーに座らされた私は力無くお礼を述べた。完璧な淑女であるならば、いかなる時も背筋を伸ばして凜と佇んで居なければならない。けれども、もう私は限界だった。止めなければと思えば思うほど、みっともなく涙が頬を伝った。


「アニエス」


 滲んだ視界の端にアーロンさまの艶のある靴が映った。アーロンさまはソファーで項垂れる私の前の床に跪いて、少し見上げるように私と目線を合わせた。


「アニエス。僕は彼とは見た目も違うし人格も違うから、どんなに努力しても彼の代わりにはなれない」


 アーロンさまは一旦、言葉を止めた。私はアーロンさまが何を言い出すのかと首を傾げた。彼の栗色の双眸はまっすぐに涙に濡れる私を射貫いた。


「でも、これだけは天に誓おう。君が辛いときは僕は君の隣にいる」


 私は目を見開いてアーロンさまを見つめた。アーロンさまは冗談を言っているふうでもなく、私の膝の上の手にその大きな手を重ねた。

 温かな手は彼の真摯さを表しているように感じた。私は彼を見つめて息を飲んだ。


「君が抱えている悲しみや苦しみも丸ごと僕が引き受けるよ。だから、僕に落ちておいで。君を愛してるんだ。もう10年以上、君の虜だ」


 そう言って私を見上げた栗色の双眸は、優しさと愛情に満ちていた。そして、アーロンさまは私の頬を伝う涙を指先で掬い取って頬を撫でた。


 いっそのこと落ちてしまいたい。でも、私はエドが好きだ。初めて会った時から、もう10年以上・・・

 そこまで考えて、私はふと疑問を覚えた。


「10年以上、私の虜?」


 私の呟きに、アーロンさまバツが悪そうに指先で頬をかいてプイッとそっぽを向いた。


「初めて庭園で君に会った時、君があんまりにも可愛くて妖精なんじゃないかと思った。泣いた顔もすごく可愛くて、あの時はごめん」


 よく見るとアーロンさまのお耳が赤い。10年以上?庭園で?泣いた顔??そこまで考えて私の中で一本に記憶がリンクした。


「アーロンさま、もしかして私に虫を付けたいじめっ子・・・」


「あ、あれは、怖がって泣く君が可愛すぎてつい。本当に反省してる」


 焦ったように言い訳をするアーロンさまの顔が益々あかくなった。私は普段見ることの無いその様子に、思わずくすりと笑った。

「あー。俺、格好悪いな」とアーロンさまは顔を真っ赤にしてバツが悪そうに片手で首の後ろをかいている。


「アーロンさま。私はエドウィンさまを慕っております」


「うん、知ってる」


 アーロンさまは私の言葉に辛そうに目を伏せた。


「しかし、私もいつまでも実らぬ初恋に引きずられている訳にはいきません。私のリハビリを手伝って下さいますか?」


 客観的にみて、とても酷い事を言っていると思う。私を好きだと言う男性に対して、他の男が好きだけど成就は無理そうだから忘れる協力をしろと言っているわけなのだから。それでもアーロンさまは嬉しそうに微笑んだ。


「もちろんだよ、アニエス。僕より君を愛してる男なんて絶対に居ない。アニエスがエドに捧げた以上の愛情を僕が君に捧げよう」


 大人の男の人が、子どものように嬉しそうにはしゃいでいる。その姿に、私は胸の奥に今まで感じたことのないようなむず痒さのようなものを感じた。


「いいね?辛いときは必ず僕は君の隣にいる。アニエス。僕を信じて」


 アーロンさまはもう一度そう言うと、手を握り優しく私に微笑みかけた。


 


 







──

───


 この日も図書館に行った私は勇気を振り絞って、とある資料を探し始めた。

 もっと前に見るべきだったのかも知れないけれど、私には勇気が無くてずっと見ることが出来なかった。おぼろげな記憶の中の年月を辿って、目を皿のようにして新聞記事を睨めつけてゆき、小一時間以上かかってやっとそれらしき記事を見つける事が出来た。

 当事者にはあれだけインパクトを与えたのに、記事はとても小さいものだった。


 平民の男2人が舞踏会の会場に忍び込み貴族令嬢に対して暴行を働いた。犯行を行った男2人はすでに投獄され、極刑となるだろう。


 手のひらにおさまるほど小さな記事には、そのような内容が書かれていた。暴行犯の2人の平民は名前と年齢が出ているのに対し、貴族令嬢の名前などは一切触れられていない。恐らく、事件性から令嬢の素性が知られると悪評が立つため伏せられたのだろう。


 私は記事から顔を上げると溜息をついた。出来れば私の勘違いであって欲しかった。けれど、やはり夢の結末も事実なのだ。

 スフィアさまはどんなに傷付かれただろう。エドウィンさまはどんなにお辛かっただろう。一生消えない心と身体の傷を負わせたのは、きっと私なのだ。そして、その悪事に手を貸した男2人は処刑された。


「私は最低ね」

 

 そう呟いた声は震え、止めどなく涙が溢れてきて頬を伝った。


 最近の夢で、アーロンさまと居るアニエス(わたし)は精神的に落ち着いてきているように思えた。アーロンさまはひたむきに愛情をアニエスに注いでいた。そして、アニエスは段々とそれを受け入れてきていた。アーロンさまといるとき、アニエスは間違いなく幸せを感じていた。

 だから、アニエスがスフィアさまに嫉妬してこんな恐ろしい事件をおこすことに私はかなりの違和感を感じたのだ。もしかしたら、本当は恐ろしい事件など無かったのではと、今さっきまで心の奥底で期待していた。


 どんなに悔いても起こってしまった事実を変えることは出来ない。私はなんという愚かなことをしてしまったのだろうか。


 アニエス。あなたは何を思ってそんなことをしたの?


 私の中のもう()()()の私()に問いかけても、返事が返ってくることは無かった。

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