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その日、私はディルハム伯爵家の屋敷を訪ねてきたウィルとお喋りを楽しんでいた。ウィルは私が何度言っても前触れなしの突撃訪問を改めない。なので、なぜか私とウィルは定期的にお茶する仲になりつつあった。
そんなわけで、今日もいつものようにディルハム伯爵家の応接室で私達は向かい合って座っているのだ。
「ウィル。いつも前触れを出してって言っているでしょ?」
「カンナに前触れを出すと都合が悪いって返事が来そうだから。本当にカンナは他人と関わるのを嫌がるよね」
澄まし顔のウィルに対し、私はうぐっ、と言葉に詰まった。確かにウィルから前触れが来たら、私は何かしらの理由をでっち上げて来訪をお断りしただろう。
「一人が好きなのよ」と私は口を尖らせた。
「よく言うよ。本当は人と話すのが好きなくせに」
ウィルはそんなことはお見通しといった調子で紅茶と共に出されたクッキーを1つ口に放りこんだ。ちなみにこのクッキーは私のお手製だ。私、引きこもりなだけにお菓子作りスキルは結構高いのよ。
ところで、本当は人と話すのが好き?私が?ウィルは一体何を言ってるのかしら??ウィルは私の訝しげな視線も全く意を介していない様子だ。
「今日は髪を下ろしているんだね。珍しい」
ウィルは私のふわふわの髪を指さした。確かに、再会以来ウィルと会うときはいつも私は髪を纏め上げていたが、今日はハーフアップにしている。
「広がっててみっともない?」
「なんで?ふわふわで軟らかそうで触りたくなる」
ウィルはにこにこしながらそう言うと、手を伸ばして私の髪を一房つまんでくるりと指に絡めた。
「ウィルはストレートが好きでしょう?」
「どこからそんな出鱈目な情報を仕入れたの?」
眉を寄せたウィルに私は首を横に傾げてみせた。ウィルといえば、小さな時はいつも私の髪を引っ張る子だったのだけど、ストレートヘアが好きでやってたわけじゃ無いのかしら?
ウィルは私から情報源を聞き出すのは無駄だとわかったのか、すぐに話題を変えた。
「今日はカンナにお土産があるんだよ」
「お土産?何かしら?」
意味ありげに口の端を持ち上げるウィルを見て、私は今度は違う意味で首を傾げた。ウィルは荷物を持っていないから、小さな砂糖菓子とかかしら?
「有名なスイーツショップのお菓子かなにか?」
「うーん、残念!食べ物であることは当たりだけどね。正解はこれだよ」
勿体つけたウィルの胸元から出て来たのは、小さな小瓶だった。それを見た瞬間、私は思わず歓声を上げた。
「まあ!!それはもしかしてジャムかしら!?」
小瓶には濃い紫色のものが詰まっていた。ウィルの意味ありげな行動から察するに、きっとマンセル伯爵領のブルーベリージャムを商品化したに違いない。ウィルは私の片手をとると、その宝石のようにきらきらした小瓶をポンと手のひらに置いた。
「はい。カンナにプレゼントだよ」
「ありがとう!!早速商品化するなんて、流石ね」
「善は急げって言うだろ?」とウィルは得意気に胸を張った。
ジャムの小瓶は私の手で握ると丁度良いサイズだった。透明のガラスの中に、煮込まれてドロドロになったブルーベリーと果汁が揺れている。蓋にはコルクがはめ込まれていた。
シンプルなデザインのそれを見ていたら、私はふと良いことを思いついた。
「ねえ、ウィル。この小瓶に飾りを付けたらどうかしら?」
「飾り?」
「ええ。内容物の表示の紙を貼って、リボンで飾るのはどう?お洒落に見えて、見栄えすると思うの」
私は近くにあった紙にさらさらとカリグラフィーで『ブルーベリージャム マンセル伯爵領産』と書き、更に青いリボンを瓶のコルクの口の下のくびれたあたりに簡単に飾り付けた。こうやって飾ると、ただのジャム瓶がなんだかとてもお洒落に見えた。
「こんな感じよ。どう?」
私が見せたそれに、ウィルは顎に手をあてて感心したように頷いた。
「驚いた。ちょっとしたことなのに、何だかすっかり別物だね。高級感が出る」
「でしょう?これなら、そのままテーブルに置いてもお洒落に見えるわ」
いいことを思いついたと得意気な私に、ウィルは「ありがとう」とにっこりと微笑んだ。
「やっぱりカンナは良いよね。欲しいなぁ」
「何が欲しいの?」
「いや、こっちの話だよ」
またもや首をかしげる私に、ウィルはもう一度にこりと微笑むと話題を変えたのだった。
それから私達は暫くの時間を世間話を楽しんだ。王都の庭園の話だったり、食べ物の話だったり、本の話だったり。貴族の噂話は私は殆どお茶会に参加しないから判らないので、ウィルの話すことをただ聞いていた。
「伯父上の領地の鉄鉱石の産出量がここ数年落ちてるんだ。それにうちの鉄製品に最近不良品のクレームがくるんだ。何でだろう。」
ウィルは両手を頭の後ろで組んで身体を伸ばすポーズをすると、眉間に皺を寄せてそう言った。伯父上と言うことは、現ゴーランド伯爵だろうか。
「伯父上ってゴーランド伯爵領?」
「いや、違う。ゴーランド子爵領の方。カミーユさまの領地」
なるほど、と私は頷いた。スフィアさまの父親である前ゴーランド伯爵には2人のご子息がいたので長男が伯爵位を、次男が元々もっていた子爵位を継いで領地の一部を分割した。ゴーランド子爵のカミーユさまの領地も鉄鉱石の産地の筈だ。
「採り尽くしちゃったのかしら?」
「そんなことは無いと思うんだよなぁ」
ウィルは納得行かないように眉間に皺を寄せている。ウィルはもうすっかり将来のバレット侯爵としての役割を背負い始めているようだ。9歳の時の悪戯っ子のウィルと今のウィルの表情があまりにも違いすぎて、私は思わずクスッと笑ってしまった。
「え?」
ウィルの驚いたような声にそちらを向けば、ウィルは私の顔を見つめたまま、目を見開いた。一体どうしたのかしら?
「ウィル、どうしたの?」
「え、いや。思いがけないところでカンナの素の笑顔を見られて驚いた。7年ぶりだ」
目を見開くウィルに、私はちょっとムッとした。貴族令嬢である私は普段、訓練により手に入れた外向けの作られた美しい笑みで微笑む。それが、さっきは素で笑ってしまったわ。でも、私は確かにそんなに美人ではないけれど、素の笑顔を見られて驚かれるほど醜悪でも無いはずだわ。
「そんなに驚くほど酷い笑顔だったの?」
「まさか!天使みたいに可愛かった!!」
ウィルの言葉に今度は私が目をまんまるに見開く番だった。失態をフォローするためとは言え、『天使みたいに可愛い』とは言い過ぎな気がするわ。
アニエス時代は散々歯の浮くような美辞麗句を贈られ慣れていた私だけれども、カンナになってからは社交界に顔を出さないこともあり、そう言う言葉は言われ慣れてなかった。私は気恥ずかしさから頬があかくなるのを感じた。
ウィルはそんな私の姿を見て益々驚いたような顔をした。よくみるとウィルまで頬があかい。
一体何なの?私の顔はそんなに変なの??みてる方が恥ずかしくなっちゃうくらい!?確かに地味なのは否定出来ないけど、ちょっとショックだわ。
「あ、そうだ。忘れるところだった」
ウィルが突如、何かを思い出したように慌ててガサゴソと胸ポケットから上質な封筒を取り出したのを見て私は嫌な予感がした。
「まさか、また夜会に付き合わせる気?」
「違うよ。夜会のパートナーももちろんまたお願いしたいけど、これは別物。トルク座の中央ボックスシートをとったんだ。一緒に行こう」
「トルク座の中央ボックスシート!!」
私は思わず本日二度目の歓声を上げてしまった。
トルク座とは、我が国で一番由緒ある歌劇場だ。私はアニエスの時代に一度しか行ったことは無いけれど、外観も内装も豪華絢爛という言葉がぴったりの歌劇場である。遠い記憶では、絨毯が敷き詰められシャンデリアが幾つも掛かった大きな歌劇場には細部まで繊細な彫刻が施され、金箔が貼られていた。歌劇場なのに、王宮の中と見紛う程だったわ。
中央ボックスシートはそのトルク座の最上級の座席であり、貴族でもおいそれとは取れない。王族がトルク座を訪れる際の指定席であるし、チケット代もかなりのものだし、そもそも、予約がいっぱいでなかなか取れないのだ。しかも、トルク座は先週新しい演目が始まったばかりの筈・・・
「行くだろ?」
ウィルは私が当然行くものとして笑顔を向けてきた。
トルク座の中央ボックスシート。もちろん行きたいわ!行きたいけど・・・
返事を言い淀む私に、ウィルはとどめの一撃を入れてきた。
「ジャム瓶のお礼だよ。カンナが行かないならチケットが無駄になっちゃうな」
「行くわ!」
駄目押しのように言われた一言に私は思わず行くと答えてしまっていた。
もしかして、またうまく口車に乗せられて連れ出されているのでは?と気付いたのは、既にウィルが帰宅してすっかり夜になってからだった。
久々にほのぼのとした回です!




