【第四章】世界で一番美しく散った花
瑠璃は、美月宛に一通の手紙を残して静美の館を去った。彼女の行先は、始を司る鬼神、睦月のいる菊ノ清城だ。そこで彼女が口にした言葉は悲しい結末しか見えないものであった。
──私の寿命を、文月に与えてください。
瑠璃はずっと考えていた。自分が生まれてきた理由を。最初は、葉月のために自分が居ると思っていた。だけど、今は、違う。文月を救いたい。
無論、睦月の表情は険しかった。娘の従者の一人が、自分を犠牲にするとは思わなかった。それほど、娘を慕っていることが伺えた。
「それで、お前は良いのか」
「それが、良いのです」
本当は、生に全く未練がない訳では無い。まだ、仲間と一緒に居たかった。それでも、文月を救いたいという気持ちの方が強かった。
「ですが、お願いがあります」
「よかろう。お前は娘のためによくやってくれた。願いを聞こう」
ありがとうございますと、頭を下げて、願い事を口にした。
「あと数日分の寿命だけ、残しておいて欲しいのです。やるべき事がありますので」
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目を覚ました美月は、重い体を起こして、溜息をついた。あと、どれぐらい生きられるのだろうか。日暮に、夕霧に、会えるだろうか。
ふと、視線を枕元へと移した。そこに、綺麗に折りたたまれた文がおいてあった。
「……?」
そっと文を手に取って、広げてみた。丁寧な字で書かれた文章を読んでいくうちに、これが瑠璃からの手紙であることが分かった。
読み終えた途端、美月は起き上がって、部屋を飛び出した。
「瑠璃、どこにいるの!」
体の自由が利かず、そのまま部屋の外で倒れ込んでしまった。
そこを通りかかったお蝶は、急いで美月の元に駆け寄った。
「姫様!? どうしたんですか!」
美月は近くまで来たお蝶の肩を掴んだ。
「瑠璃は? 瑠璃はどこ?」
お蝶は目を見開いた。そういえば、今日は瑠璃を見かけていない。何かあったのだろうか。
美月は無理矢理にでも立ち上がり、瑠璃を探し始める。だが、顔を歪めてまたしても倒れてしまう。
「いけません、姫様! どうか安静に…!」
お蝶は倒れた美月を抱き起こして、部屋へと促した。
「瑠璃……どうして、あなたまで……」
美月は悲しみに暮れた顔でそう呟いた。
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瑠璃が突然、草木帳を訪ねてきた。 そこに居たのは、美月を待つ、弥生と琥珀、そして、夕霧と日暮だ。
琥珀は姉のように慕っていた瑠璃との再会にとても喜んでいた。弥生に叱られるほど。
「琥珀、元気にしてたかい」
「瑠璃! ずっと会いたかったんだ! すぐに文月姫とあのくノ一も帰ってくるんだろ?」
「ああ」
瑠璃が優しく微笑むと、琥珀も嬉しそうに無邪気に笑った。
夕霧は、日暮を抱えていた。どうやら、自分の子が可愛くて仕方ないようだ。彼は瑠璃に歩み寄ると、神妙な顔つきで、美月は無事なのかと聞いてきた。
「心配するな。あんたの嫁は無事だよ」
「よ、嫁……」
子もいるのだから、嫁に貰わないでどうすると、瑠璃は眉をひそめた。
「でも、早く会いに行ってやりな」
今の美月が壊れないようにするためには、夕霧が会いに行かねばならないのだ。
夕霧は、真剣な表情で頷いた。
「ああ、迎えに行く」
それを聞いて、瑠璃は心底ほっとしていた。美月を支えてくれる存在がちゃんといるのだと、確認出来たから。
琥珀は瑠璃の手を引いて、一緒に話そうと誘ったが、瑠璃は首を振る。
「ごめんね、琥珀。私はもう行くよ」
「忙しいのかー?」
琥珀は残念そうに肩を落とした。琥珀のすぐ後ろには、弥生がいる。弥生と琥珀はとても仲が良さそうだ。
「弥生」
「……!」
「琥珀を、頼んだよ」
「ええ、もちろん……」
それは、どういう意味なのだろうか。自分が不在の間、琥珀の面倒をよろしくという事なのだろうか。それとも……。
瑠璃はすぐに草木帳を去った。本当に忙しいようだ。だけど、何か違和感があった。琥珀は瑠璃の異変を感じ取っていたが、また会えると信じて、瑠璃に向かって大きく手を振った。
最後に、瑠璃は微笑んで、手を振り返してくれた。
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最終的に、瑠璃が訪れた場所は、慈屋敷であった。この屋敷の庭は、多くの花が鮮やかに咲いていて、品の良い香りが広がっている。
瑠璃は物陰から様子を伺い、葉月を見つけた。懐から短刀を取り出す。
これで、良いんだ。
「葉月様!!」
瑠璃は葉月に向かって全力で走ると、短刀を振りかざした。
突如飛び出してきた瑠璃。葉月は咄嗟に、短刀を持つ瑠璃の右手を掴んだ。
「瑠璃…っ! 貴様、俺を裏切っただけではなく、命までっ!!」
葉月の闇に染まった目を見つめて、瑠璃は眉間に皺を寄せた。
「葉月様。あなたは、鬼蛇の術に惑わされているのです! 目を覚まして!!」
「貴様も結局は俺に従うふりをしていたんだ!!」
瑠璃の言葉が全く届かない。それでも訴えた。訴え続けた。
「私は、あなたを救いたいのです!」
葉月の手を振り払い、短刀で何度も攻撃を繰り出す。
孤児で、体を売って生きてきたこんな自分に、唯一、手を差し伸べてくれた大切な御方。心から愛していた。
そんな御方に捨てられて、今は文月の味方だが、それでも、愛していたかった。
──愛されたかった。
この想いは、もう届かないだろう。
瑠璃が突然現れて、殺されそうになった。何故だろう、この世の全てが敵なのだと錯覚してしまいそうになる。
分かっている。瑠璃はそんな奴ではない。
──違う、敵だ。
何故、彼女を殺せない。
──何を迷っている。
こんな事を望んでいたわけでは……。
──迷う必要はない。全て敵なんだ。
──さっさと、殺せ。
葉月は、ピタリと足を止めた。
今、何が起こった? 目の前に広がる鮮血を見つめて、大鎌の柄を握りしめる。
「……瑠璃?」
何故、瑠璃が血塗れで倒れているのだろう。
ふと、自分が今握りしめている大鎌へと視線を落とす。大鎌は、血で赤く染っていた。
「瑠璃……!」
大鎌を捨てて、花々に埋もれる瑠璃を抱きかかえて、彼女の名を呼びかける。
瑠璃の睫毛が震えて、ゆっくりと瞼が開く。
血が止まらない。瑠璃の血は、慈屋敷の花々を赤く染めあげていく。どうすれば良い。どうすれば……。
「俺が……お前を…っ…」
「良かった……」
瑠璃の掠れた声が耳に届いた。
「やっと、元に戻ってくださったのですね……」
瑠璃の頬を、涙が伝った。
「文月は私の、かけがえのない友です。私は、文月に、私の寿命を与えました……。だから、私が死んでも、自分を責めないで……」
ついに、最も信頼していた女をこの手にかけてしまった。こんな自分を責めないでいられない。
「綺麗な、場所ですね……葉月様……」
美しい花々が、風に揺れる。慈屋敷に来て、こんな所目にもつかなかった。
だけど、瑠璃は満足そうに微笑む。
「──私は、あなたに、この言葉を伝えるために生まれてきたのです……よく、聞いておいて……ください……」
瑠璃の目が、少しづつ、閉じていく。
「待て……瑠璃……待ってくれ……!」
「葉月…様……」
瑠璃の手が、葉月の頬に触れた。
瑠璃は動きの鈍くなってきた唇を、開いて、最後に……
「葉月様、愛して……る…」
葉月の頬に触れていた瑠璃の手が、ぱたりと落ちた。
瑠璃は、動かなくなった。
事切れる寸前、涙する愛しい葉月の顔が見えた。
──文月へ
あなたに、伝えられていないことが沢山ある。
私を、受け入れてくれて、ありがとう。
あなたを、沢山傷つけて、ごめんなさい。
もしも、あなたに出会わなかったら、私は温かさを知ることは無かった。
友達になれて、嬉しかった。
あなたの進む先に、きっと、私はいない。
ずっと、大好きです。さようなら。
瑠璃。