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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【第四章】楽にしてあげる

 親鳥が少しだけ成長した子鳥に、口移しで餌を与えている。その様子をぼんやりと見つめていると、腕の中の赤子が泣いて、美月は視線を左下に移動させる。

 昨日の夕方に生まれた赤子は何の問題もなく、健康的だ。

 美月は赤子に名前をつけた。


 ──日暮ひぐれ


 変わった名前だと瑠璃に言われたが、春日に、この赤子の祖母にあたる女性に言われた事を思い出して無性にこの名をつけてあげたくなった。

 日暮れは美しい。闇がかった紅き空は、なんて魅力的なのだろう。きっと、この赤子に相応しい名前だ。


 日暮は、誰に似いているだろう。美月の母、鈴紅から受け継いだ黒髪。烏の濡れ羽色を受け継ぐとは、なんて運のいい赤子なのだろう。

 美月はふと、鏡を見る。赤子を抱く母親の姿をがそこにあった。


 ──その首元に、黒い呪いの痕が広がっている。


 生きている間に、日暮に会えればそれで良いと思っていた。幸いにも、出産時に命を落とすことはなかった。でも、本当は。本当は……日暮の成長を見届けたかった。


 ──死ぬんだ。


 死んだら、日暮は覚えていてくれないかもしれない。母の存在を知らないまま、生きていく事になる。

 こんな自分、好きになれない。頭を垂れたとき、頬に何かが触れた。母を必死に探す日暮の小さな手が、美月の頬を撫でる。


「日暮……」


 美月は涙を堪えながら、明るい声でそれに応えた。


「大丈夫。私は、あなたの傍にいるよ」


 日暮に、この気持ちが届いていると良いけど。


 その時、違和感を感じた。本当に変な気分になった。何かがおかしい。

 その違和感を探るために、目を動かして、あたりを確認する。


「静かすぎる……」


 生き物の声が聞こえてくるはずなのに、ぱったりと止んでしまっている。全ての音が止んだ代わりに、耳鳴りがする。

 美月は日暮を抱いたまま立ち上がり、外の様子を見る。


 ──時間が、止まっている……。


 あの鳥の親子が身を預け合いながら、止まっている。


「葉月……」


 時間を操作するのは葉月だけだ。まさか、居場所がばれたのか。

 お蝶と瑠璃を探さなければ、と出来る限り音をたてぬように、戸を開けて部屋を出た。




 廊下を歩く女中、庭でじゃれ合っている子供たち。全ての時間が止まっていた。


 ──なんてこと……。


 そして、まさかのお蝶と瑠璃までも止まっていた。ここで、無事なのは美月と日暮だけだった。

 そこで、美月は思い出した。自分は滅を司る鬼神なのだ。だったら、一人や二人、術式の解除が出来るはず。

 美月はお蝶と瑠璃に触れて念を送り込む。術式が解けると、二人の時間が動き始めた。


「……姫様?」


 驚いて声を出すお蝶の口を押さえて、美月は二人を外へと連れ出した。

 事情を話すと、賢いお蝶と瑠璃はすぐに理解してくれて、三人で時間の止まった館を脱出する事となった。



 暫く走って館から遠ざかった場所で、美月は新たな違和感を覚えて立ち止まった。


「どうなさいました、姫様。早く逃げなければ……」

「おかしい……」

「え?」


 美月は目を見開き、どこかを見つめている。いや、どこを見つめているのか分からない。

 美月は左目を瞑って、次に、右目を瞑る。


「左目……が……」


 おかしい。おかしい。変だ。美月は困惑した。片目づつ確認して、驚愕した。


 ──左目の視力が失われていた。


 右目にも違和感を感じる。だが、左目から見える世界は確実に真っ黒であった。


「姫様……」


 心配そうにお蝶が声をかけるが、美月からは何の反応もない。


 違う。そんなはずない。認めない。


 美月は何度も左目で景色を見渡す。だが、その左目には、何も映らなかった。


 嫌だ。そんなの嫌だ。


 経験したことのない悲劇に、美月の心臓がうるさく鳴り響く。


 ──何で、なんで見えないの!?


 美月は、自分の腕の中にいる愛する我が子を見つめた。しかし、右目でしか確認出来ない。

 瑠璃は突然立ち止まった美月の手を引いて、走った。

 お蝶も後ろからついて行く。


「瑠璃……」


 ここで美月を死なせる訳にはいかない。美月を守らなければ。鬼神族の希望を、守らなければ。



「──逃げ惑うがいい。虫のように」



 金属のような何かを引きずる音が、近づいてくる。影から、大鎌を引きずりながら姿を見せる葉月。

 お蝶と瑠璃は美月を、美月は我が子を守るために、構える。


「葉月様……」

「瑠璃……お前も琥珀も、俺を裏切ったな……よくも……」


 裏切った。そうだ、裏切ったのだ。あんなにも愛していたのに、簡単に裏切ってしまった。最低な女だ。


 葉月は、美月が大事に抱えている赤子を見つめて、唇の端を吊り上げる。


「生まれたか。そいつを寄越せ、八つ裂きにしてやる」


 葉月が徐々に近づいてくる。日暮を抱く美月は、一歩一歩後退して行く。

 葉月の目を見る限り、やはり鬼蛇の術式にかかっているようだ。


「葉月、目を覚ましなさい! あなたは鬼蛇に惑わされているの!」

「何を言っているのか分からん!!」


 葉月は鎌を振り上げ、美月たちに急接近する。お蝶が葉月を食い止め、瑠璃が火を放った。青い火を避けて、葉月は瑠璃を睨みつける。


「瑠璃…っ……!」


 愛する人を焼き殺そうとする瑠璃は、今までにないほど悲しい表情をしていた。


 葉月から感じる瘴気の根源を探し、美月は曼珠沙華を草むらに向かって投げつけた。


「──っ!?」


 草むらに潜んでいた繭の肩に、曼珠沙華が突き刺さる。


「今すぐ術式を解きなさい!」


 肩から流れ出る血を手で押さえながら、繭が草むらから姿を現した。繭は美月を睨むと、葉月の体を纏う瘴気を抜き取る……ふりをした。


「そいつ、連れてって」


 繭は苦痛の表情を浮かべながら、宙を舞う妖怪にそう命令を下すと、妖怪は葉月を気絶させてどこかへ連れ去ってしまった。


「ああ、鬼蛇様、がっかりしちゃうかも……繭は、お役に立てない……」


 しゅんと落ち込む繭の姿は、塵となって風に流されて行った。それは睦月に真っ二つに斬られた時と同じ光景であった。彼女も簡単には死なないのだろうか、あるいは……。


「偽物……」


 あの体自体偽物で、本物が別の場所に潜んでいるのかもしれない。

 繭は糸と絹にはないものを持っている。それで鬼蛇には特に可愛がられているのだろう。


「姫様、今日中にこの里を発ちましょう。草木帳に向かうのです」


 お蝶の提案に、美月も頷いた。ここにずっと居ては、いつかこの里も被害に合うだろう。

 日暮もいるのだ。安全な場所に行くしかない。それに、左目の失明に関しても、叔父の如月と相談しなくてはならない。



 止まっていた時間が動き出し、世界に音が戻ってきた。葉月の術式が解除され、美月もお蝶も安堵する。

 だが、瑠璃だけは、二人の後ろで俯いていた。



…………………………………………………………



 準備は整い、草木帳へ向かう時となった。美月は日暮を抱き、牛車の中にゆっくりと入っていく。

 それに続き、お蝶が牛車へと足を踏み入れた時、後ろから低くて渋い声が蝶、と呼んだ。


「父上……」

「お前は、今、幸せか」


 お蝶の父親である、蟷郎とうろうは何故、そのような事を聞いてきたのか分からない。でも、お蝶は少しだけ口角を上げて頷いた。


「幸せ……です」


 その答えに満足したのか否か、眉をひそめた。

 さあ早く、逃げよう。牛車が動き出したその時。

 館で働いている男が前方を指さして、慌てた様子で蟷郎に声をかける。


「お、お頭! あれを……!」


 その呼びかけに、蟷郎とお蝶も同じ方向を見つめる。その人物に、最も反応を示したのはお蝶であった。


「水無月様……?」


 何故、あの御方がここに居る。確かに亡くなったはずだ。何故……。

 異変を感じた美月も、牛車の中から外の様子を覗いた。兄が、静美の里に来てしまった。


「水無月様……ですと? 何故、ここに……」

「近づいてはいけない!!」


 水無月に近づいた男の腹が斬られたのと、美月が叫んだのとが、ほとんど同時であった。

 水無月の武器、紫陽花ノ雨は、男の血で赤く染った。


「兄様っ!」


 兄が、罪なき命を奪ってしまった。里の中でも特に戦える者達は、水無月に対して一気に警戒を強め、戦闘態勢に入る。

 しかし、更に慌てた様子の男が向こう側から駆けてくる。蟷郎は今度はなんだと顔を顰めた。


「川が、突然氾濫して……!」

「なんだと!?」


 一同は里に流れている川の方角を向いて、驚愕した。川は有り得ぬほどに氾濫し、里を飲み込もうとしていた。このままでは、洪水で里が滅びる。


「女子供は早く逃げよ! 溺れ死ぬぞ! 戦える者はわしに集え!」


 蟷郎は野太い声で叫び、指示を出し始めるが、水は待ってくれなかった。

 美月は牛車の外に出て、お蝶と瑠璃に声を張った。


「二人とも、私は大丈夫だから静美の者達を助けに行って!」

「わかりました……!」


 浸水し、倒壊し始める建物から逃げ惑う里の住人を救出しに、お蝶と瑠璃は急いで駆け込んだ。

 多くの者が水に流されていき、多くの者が悲鳴をあげている。その殺戮的な津波は、水無月を中心に蠢いていた。


 水無月は向かってくる忍びを全て斬り倒し、無双していく。

 だが、一人、水無月の刀を短刀で食い止めた者がいた。お蝶の父、静美の頭、蟷郎である。


「水無月様、お会いしたのは、あなたがまだ子供の頃でしたな…っ……!」


 水無月はもちろん答えない。ただ、空虚の瞳を蟷郎に向けていた。


「静美の頭、このわしが相手じゃっ!」


 水無月と蟷郎の激戦が始まった。


 母親の不安を感じ取ったのか、日暮が泣き始めた。美月は日暮をしっかりと抱き、牛車から出て建物の上へと移動する。


「ぐぁっ…!?」

「……!」


  下で兄と戦っていた蟷郎が、痛々しげな声をあげた。美月は目を見開き、泣き叫ぶ日暮を抱きしめた。

 蟷郎の腹を、藍色の刀が貫いていた。


「父上っ!」


 女や幼い子供の救出をしていたお蝶が、悲痛な声で叫んだ。今すぐ父親の元に駆け寄りたい。だが、まだ取り残されて今にも波に攫われそうになっている子供がいた。


「蝶…っ! 余計な事を考えるな!」


 喉の奥から沸き上がる血で声ががらがらになっていた蟷郎。だが、厳しく、必死な声で、迷う娘を叱りつけた。


「わしは……わしは、この里を守らねばならぬ漢じゃ! どうってことないわっ!!」


 蟷郎は地を踏みつけ、自分の腹に刺さった刀を掴み、水無月ごと投げ飛ばした。

 大量の血を流しながら、蟷郎は短刀を握りしめて、水無月の腹を貫いた。


「……!」


 とうとう、やったのか。そう思ったのも束の間、水無月は胸から腰にかけて、蟷郎を斬った。血飛沫をあげながら仰向けに倒れた蟷郎は、襲いかかってくる波に飲み込まれてしまった。


「父上!!!」


 お蝶は波に飛び込んで流されていく父親を追いかける。何とか着物の裾を掴んで父親を引き寄せると、お蝶は波に飲まれながら何度も呼びかける。すると、僅かに意識のあった蟷郎は、必死に自分を助けようとする娘の名を呼んだ。


「蝶……」

「父上、捕まって……!」

「ぁ……」


 しかし、父親を助けようにも、このままではお蝶まで溺れ死んでしまう。

 蟷郎は、最後の力を振り絞って、囁いた。


「──お前は、幸せに…なれ……」


 その言葉を最後に、蟷郎は娘の手を振り払った。


「父上!」


 手を離すとあっという間に蟷郎の体は波に飲み込まれて、お蝶と引き裂かれてしまった。


「嫌! いやよ!!!」


 お蝶は泣きながら必死に父親の姿を探す。しかし、家もろとも流してしまう津波は、父親をあっという間に何処かへと連れ去ってしまった。


「お蝶!」


 瑠璃はお蝶を洪水から引き上げて、建物の屋根へと連れて行く。

 お蝶はそれでも父親を探すと言って、もう一度水の中に戻ろうとするので、瑠璃は彼女をしっかりと捕まえて離さなかった。



 お蝶と瑠璃と離れた場所で、日暮を抱えた美月は、建物の屋根を次々に移って行く。鬼となった今では、身体能力が上がり、移動もしやすい。だが、体がどうも怠い。それでも、日暮を守らなければならない。

 赤子の泣き声を耳にした水無月は、その赤子を抱いている自分の妹を見つけてしまった。頭の中で、得体の知れない何かが、妹を殺せと命令し始める。

 水無月は刀を振り上げ、美月に襲いかかった。


「──!」


 美月は日暮を左手で抱き、右前腕ぜんわんで水無月の刀を食い止めた。美月が鬼でなかったら、右手を失っていただろう。

 刀の触れている箇所から血が流れ出ている。


「っ…!」


 そろそろ限界だ。美月は兄を洪水の中に突き落とした。だが、水は水無月の味方だ。兄は颯爽と水の中から現れて、再び斬りかかってくる。

 美月は日暮を抱いたまま、片手で曼珠沙華を持ち、兄の攻撃を防いだ。


 ──日暮を守れないっ!


 美月は物の怪たちを呼び出し、兄を捕らえた。

 その間に、美月は女性の姿をした物の怪に日暮を託した。


「この子を、草木帳の叔父上様の所に連れて行きなさいっ!」


 物の怪たちを使う沙華の呪いの影響で、美月の体の黒い染みが蝕むように広がっていく。日暮を抱く物の怪は、そんな美月をじっと見つめる。

 確かに、辛い。このまま沙華の呪いでこの子達を呼び続けたら苦しくて気が狂いそうだ。それでも、美月は悲しげに微笑んだ。


「お前たちを、恨んでなどいない……」


 美月にそう言われた物の怪は、寂しそうに俯くと、泣いている日暮を連れて影の世界に潜り込んで行ってしまった。


 捕えられていた水無月は物の怪たちの手を引きちぎって抜け出した。物の怪たちの痛みがそのまま美月に影響し、美月も苦痛に顔を歪める。

 兄は、早く楽になりたいのだ。ならば、すぐにこの世界から解放させてやろう。



 握り直した曼珠沙華と、兄の持つ刀が激突した。


「すぐに、楽にしてあげる、兄様」

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