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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【第四章】笑う鬼

 美月がいなくなった。


 電話も出ない。家にも訪ねてみたが、誰もいない。ここ暫く、美月の家はしんと静まり返って人の気配がしない。

 学校に来てももちろん、彼女はどこにもいなかった。夏海にも、美月はどうしたと問われ、首を横に振ることしか出来なかった。

 夏海はクラスメイトの意識を操作し、美月の不在に違和感を覚えさせないように努めた。


 そして、彼女のいない時間は呆気なく去っていった。


 優は美月のいない場所に興味が無くなり、学校をサボり、一日中彼女を探し回った。

 手当たり次第探し回ったが見つからず、とうとう彼は疲労のあまり倒れてしまった。



「夕霧、気分はどう?」


 布団の中に居ても、美月の居場所を頭の中でずっと探していた。

 弥生と琥珀は精神的に疲れ切った様子の夕霧を見て心配そうに眉をひそめた。


「とにかく、今日はここで休んだ方が良いわ」


 弥生は夕霧の額を冷やす布を取り替えながらそう言った。夕霧は「ありがとう」と情けない声を返した。


「少し、痩せた気がするんだけど……ちゃんと食べてるの?」

「食べてる」


 しかし、そう言われても、今の状態の夕霧の言うことは信じられない。


「なー、瑠璃もいないんだろ?」

「そうね、三人とも居なくなったもの……」


 瑠璃が忽然と姿を消したことで、琥珀も非常に戸惑っていた。消えたのは、美月と、お蝶と瑠璃の三人だ。


「夕霧。何も食べずに、寝ずに、ひたすら姫様を探しているの? それでは、体を壊してしまうのも当然だわ」


 弥生に指摘されて、夕霧は自分の馬鹿さ加減に何も言えなくなった。

 確かに、ひたすら美月を探し、勝手に疲れて勝手に倒れて、弥生と琥珀に救われた。何をやっているのだろう。


「……弥生、思うんだけど、竜宮に協力を求めるのはどう? お蝶まで居なくなったから、きっと疾風も手を貸してくれるはず」


 このままでは、夕霧は弱っていく一方だ。何か行動を起こさなければ。


「夕霧……」

「わかった……そうしよう」


夕霧は疲れ切った顔で素直に頷いた。とにかく、どんなことをしても美月を探し出さねば。もしかすると、どこかで助けを待っているかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなくなった。




…………………………………………………………



 一方その頃、妊娠が発覚した美月は睦月が住む、菊ノきくのしん城に強制的に連れて行かれた。

 美月を一人にするわけにもいかず、お蝶と瑠璃も許しを得た上で、美月について行った。


 美月の腹の中にいるのが、鬼の子だからだろうか、腹が大きくなるのは早かった。しかし、まるで腹の子に栄養を吸い取られているかのように、日に日に美月は弱っていった。

 そんな美月の部屋に訪ねてきた睦月は、暗い顔でこう言った。


「よいか、選ぶのだ。己か、腹の子か」

「何を言っているのですか……」

「お前は、沙華の呪いを使い過ぎた。そのせいで、体が弱っている」


 美月は次に発せられる父の言葉に絶望した。


「子を産んだ頃には、お前はこの世にはいないであろう」


 何を言っている。美月は咄嗟に自分の腹に触れた。子の温もりを、生きている音を、この手に感じる。

 あの人の子を、産んではならぬというのか……。


「今のお前を、外に出すわけにはいかぬ。この城は、誰も撃ち落とすことが出来ないが故に、最も安心出来る場所。ここで、よく考えるのだ。己か、腹の子か」


 父は、同じ選択肢をもう一度伝えた。


 不安だ。不安で仕方ない。もしかしたら、ここで死ぬのか。愛する人にも会えず、生まれてくる我が子をこの手で抱けないまま、呆気なく散っていくのか。


 父は、思い悩む娘から離れると、静かに部屋から出て行った。

 残された美月は自分を恨み、悲しさのあまり涙を流した。

 それにしても不思議だ。あれほど死を望んでいたというのに、今度は生に未練があった。きっとそれは、仲間と出会い、今更ながらこの世の温かさに気づいたからだろうか。


「夕霧……」


 目から溢れ出る涙はこの痩せた手では受け止めきれず、布団を濡らしていった。


 ──とん、とん。


 腹の中で音がした。


「え……」


 美月は視線を落とした。


「もう、そんなに大きくなったの……? 少し早い気がする……」


 大きな腹を撫でると、またしても、腹を蹴る音がした。

 なんて、愛おしいのだろうか。


「あなたのお父さんはね、無口で素直じゃないの。でも、すごく優しい人で、私の大切な人。……会いたいね」


 二人で、必ず、会おう。


 ここに来て大分経つが、夕霧は心配しているだろうか。お蝶も、瑠璃もついてきてくれたから、きっと他の皆も今頃大慌てだろう。


 ──会えた時には、謝らないと。謝ること、出来るかな。


 誰も知らない死への不安がまたしても頭を過ぎった。


「大丈夫、私は強いから。あなたのために、あなたと一緒に生きるよ」


 美月は微笑んで、自分の腹を撫でた。





 しかし、美月はどんどん弱っていく。

 お蝶も瑠璃も、その姿には限界だった。


「私は、反対」

「瑠璃……!」


 瑠璃はお蝶の制止も聞かずに、美月に言った。


「あんた、死ぬつもり? 子を産んだらどうなるか、ちゃんと分かってんだろ」


 瑠璃の言葉はいつにも増して厳しかった。だが、その声は、美月を失う恐怖に震えていた。


「私は、会いたいの」


 美月は弱った声でそう、答えた。その言葉に、何も返しようがなくて、瑠璃は下を向いた。

 お蝶だって、瑠璃と同じ気持ちであった。だが、もしも主がそれを選ぶのであれば、最後の瞬間までお傍に居ようと心に決めた。




………………………………………………………………



 翌日。美月は偶然にも、家臣たちのとんでもない会話を聞いてしまった。

 その内容は、父が葉月と長月を死罰するかもしれないというもの。

 美月は腹を守りながら、父の元へ向かった。


「葉月と長月を、どうか、お許しください」


 そう頼み込んだ美月を見据えて、睦月は訝しげに目を細めた。


「何故、お前があの虚け共のために頭を下げる。まさか、何の罰も与えさせぬつもりか」

「全ては、私と葉月の頭領争いにより起こったこと。私を含めた、三人で罰をお受け致します。ですから、せめて、せめて二人の命だけはお助けくださいませ」


 美月は葉月と長月の命乞いをした。


「葉月も長月も、私や兄様とは全く違った扱いを受けていたのを、知っております。これも、放っておいた私の罪です。それなのに、あの二人が死ぬなんてあんまりです」


 美月の必死の訴えが届いたのか否か、睦月の表情は険しくなっていくばかりだ。


「それだけか。下がれ」

「父上……! 二人の命は、どうでも良いのですか」


 父は、これ以上聞き入れようとしない。でも、このまま放っておけば、葉月も長月も居場所をなくし、生きる理由も問答無用に奪われ、刑に処される。


「お前はまず、"それ"を片付けてからにしろ」


 そう言った睦月の視線は美月の大きな腹に向けられていた。


 ──"それ"?


 耳を疑った。腹の中にいる小さな命は、たった一言で傷つけられた。


「下がれ」


 睦月は美月を突き放す。後ろにいた女鬼たちは父にまだ何かを伝えようとする美月を取り押さえた。


「離しなさいっ」

「姫様、落ち着いてくださいませ」

「取り乱してはなりませぬ、腹の子に伝わります」


 美月は、自分から顔を背ける父親を見据えた。


「葉月も長月も、頭領の血は流れているはずです! もう一度私たちだけでも話を……!」

「頭領の血を持つのは、お前と水無月だけだ。あの者達など知らぬ」

「それはあんまりです。どうか、一度だけで良い、葉月にも長月にも、愛情を……!」

「何故、あの者達を頭領の血筋に加えなければならぬか」


 父の言葉はあまりにも理不尽であった。如月も、父でありながら、葉月と長月には何もしてあげない。もはや、あの二人の味方は野々姫だけだ。


「お願い……!」


 美月の悲痛の訴えは父には届かなかった。



 その会話を外で盗み聞きしていた瑠璃は、暗い瞳を伏せて、拳を握りしめた。


…………………………………………………………




 葉月は考えた。父も伯父も、味方してはくれない。それでも、母は葉月と長月を守ろうと必死になっている。


「今更……」


 母だって、まだ幼かった葉月と長月をあそこまで庇ってはくれなかった。それなのに、今更、どうして助けようとするのだろう。


「葉月様」


 いつだってにたにたと笑っている隻眼の鬼は、葉月しかいない静かな大広間を訪れた。


「何がおかしいのやら……」

「この世が、楽しいからに決まっているでしょう」


 ああ、そうだな。実に楽しそうだ。

 結局、葉月の元に残ったのは鬱陶しい鬼蛇だけだった。


「お困りのご様子。私に何か出来ますでしょうか」


 鬼蛇は不気味な笑みを浮かべて親切に手を差し伸べる。だが、葉月はそれを拒否し、顔を背けた。


「いらん」

「おや。では、母上様と共に帰るおつもりですか? そんな平和な選択をするとは思いませんでしたよ」

「たとえ、帰ったとしても、俺が死ぬ運命は変わらない。母上が説得しても、無意味なんだ」


 鬼蛇は目を細めた。

 なんと、死ぬ覚悟があったとは。


「鬼蛇様……」


 そこへ、般若面をつけた少女が鬼蛇の元へと歩み寄る。


「繭、良い子ですね。よく戻ってきてくれました」


 鬼蛇に褒められ、繭は何度も、何度も頷く。そして、申し訳なさそうに俯いた。


「ごめんなさい、鬼蛇様。文月姫を殺せなかった。私そっくりのお人形さん、壊されちゃった」

「いいえ、よく頑張りましたね」


 繭は嬉しそうに顔を上げた。般若面の内側で無邪気な微笑みを浮かべて、その場で集めた情報を鬼蛇に報告した。


「あのね、文月姫様、お腹に子がいるんですって」


 それは、鬼蛇にとって、大変な美味しそうな話であった。

 それを一緒に聞いていた葉月は驚きを隠すことが出来ずに目を見開き身を乗り出した。


「文月が子を? ということは、夕霧との子か……!」


 繭は葉月の声にびくりと肩を震わせて、鬼蛇の後ろに隠れた。


 葉月は知っていた。長月が文月の事を好いていたのを。長月がこの話を聞けば、どう思うだろう。


「半妖の母となる女……。それでも血筋では文月が頭領となるのか。何故、俺は……俺は選ばれないんだ。あれだけ努めても、誰も相手にしてくれなかった」


 何故、皆、こっちを見てくれない。

 嘆く葉月に、鬼蛇はこくこくと何度も頷く。


「そうですね。あなたは立派な方です。でも、大人達はあなたを見てくれなかった。でも、それだけです。ええ、それだけなんですよ。もう、過去ばかりを追いかけずに、次に参りましょう。そう、次に」


 鬼蛇は唇の端を吊り上げて、掌を広げた。


「葉月様。もう、あなたがすべきことは、理想の過去を追い続けるのではなく、…………復讐です。あなたを、長月様を、傷つけた鬼共への復讐です」


 復讐。この言葉がはっきりと耳に届いた。

 そう、復讐だ。全ては復讐のために動いているのだ。


「そうだな……復讐だ……」

「そう、全ての鬼を殺すのです。……もちろん、文月姫様の子も」

「それが良い……」


 葉月はゆっくりと首を縦に振った。


 鬼蛇は、ずっとにたにたと笑っている。

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