【第四章】母娘の呪い
その田舎町は珍しく騒がしかった。夏祭りが始まり、多くの屋台が並び、提灯の明かりが暗い夜を照らしていた。
優と美月は夏海に半強制的に連れ出され、祭りを堪能していた。
「美月可愛い浴衣持ってるのね。着付けは誰にしてもらったの?」
「家に居る可愛い可愛い鬼たち」
美月は朝顔が咲き誇る綺麗な袖を見せつけながら自慢げに答えた。
お蝶は品の良いものを、瑠璃は色っぽいものをと二人で喧嘩しながら着せ替えを繰り返し、ようやく解放されてきた。
瑠璃は首筋が見えていた方が良いと美月の黒髪を纏めて、大人っぽく仕上げてくれた。
「えー、じゃあ桐崎君も浴衣着てきなさいよ」
「家に浴衣はない」
優は困った顔でそう答えると美月に視線を移した。最初にクラスで出会った時に比べて、彼女はもっと大人っぽく、綺麗になった気がする。
夏海は優と美月を交互に見ると、溜息をついて二人から離れた。
「夏海……?」
「ごめーん、急用なのーじゃあね」
「はい?」
そう言って、鈴の音と共に姿を消した。
夏海は神社の屋根の上に移動すると二人を見下ろしてにやにやと笑った。
「良い感じね。夕霧、文月。──?」
「こおら、いくら使ったの琥珀!? こんなに買って……」
「良いだろ別に腹減ってんだこっちは!」
屋根の上で焼きとうもろこしやらりんご飴やら食い尽くす琥珀と、琥珀を叱る弥生。
まさか、この二人に出くわすとは。
「優、次あれ! あれ食べたい!」
「はいはい」
こっちもよく食べるのである。
美月は右手にわたあめ、左手にりんご飴を持って真顔で食べ始める。
「意外と食うよな」
「せっかくのお祭りだから、色々食べておきたいじゃない?」
「お祭りの食べ物全部、美月に食い尽くされるんだろうか」
「流石に全部はきついでしょ」
そう言って、可笑しそうに笑った美月を見て、自然と口元が綻んだ。
すごく楽しそうで良かった。この間は心が弱っていたのでどうなるか心配していたが、いつもの美月に戻ってくれた。
「これ、浴衣に合ってるな」
黒髪を止めているのは、竜宮で美月のために買った髪飾りだ。薄紅色の花弁は美月の黒髪によく似合っていた。
「ありがとう。お礼に何か奢ります」
「え、いや結構です」
「あ、焼きそば食べるー?」
「……もらう」
「りんご飴美味しい。わたあめとどっちが美味しいと思う?」
「焼きそばと関係ないと思うのだが」
この奇妙なのに、何故か噛み合う会話。二人にしか出来ないことだろう。
屋根の上で、夏海は顔を顰めながら二人の会話に必死に耳を傾けていた。
「後で粉雪に謝りましょうね」
「謝る」
これまた屋根の上で、りんご飴とたこ焼きを食べながら、人々を見下ろす双子の鬼神。
「あ、いらっしゃいました。姫様です」
「それと、あいつ」
「姫様と夕霧が夫婦になったら、どうなるんでしょうね」
小桜の言葉を聞いた途端、たこ焼きを口に突っ込んだまま硬直する小雪。
小桜はあら、とわざとらしく口元を手で押さえた。
「良いではありませんか。二人が結ばれたら姫様は私達のお姉ちゃんですよ」
「それはそれで良いと思う」
小雪の答えが意外だったのか、小桜は目を見開いた。
「姫様のことは、もう良いのですか」
「……初恋って叶わないよね」
手を組みながら祭りを楽しむ男女の会話を聞きながら、小雪は悲しげに瞳を伏せた。
小桜はもう一度、仲睦まじく肩を並べて歩く美月と優を見つめた。
あの二人に、誰も入る隙間がない。
一通り屋台を見て回って神社の石段に腰掛けた。
十分食べた。もう満足だ。優と美月は肩を並べて、笑い合った。
「いっぱい食べたね」
「わたあめとりんご飴と焼きそば、たこ焼き……お前腹大丈夫なの」
「何真面目な顔で言ってるの。お祭りだから当然です」
美月は腕を組んで少し自慢げに言った。
当然なのかと疑問を抱きながら優が適当に頷くと何が嬉しいのやら美月はにっこりと笑った。
その笑顔を見て、優はぎこちなく口を開いた。
「なあ」
「何?」
「その……」
何て言えばいいのだろうか、こういう時。元気になって良かったと言うべきか。美月は首を傾げてじっと優の言葉を待っている。
話し下手だな。
「もう、泣くなよ」
必死に考えて、最終的に出てきた言葉はこれだった。
美月の反応が知りたくて横目で彼女の顔を確認する。美月は口角を上げて、ゆっくりと頷いたのだった。
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「神無月様、どちらへ」
「草木帳の都」
荷造りを済ませて馬の手綱を引く神無月の後を追いながら疾風は顔を顰めた。
「あ、疾風も来るー? あー、やっぱり疾風は留守番ね。竜宮頼むわ」
「待ってください。如月様のお屋敷に行くおつもりですか?」
「正しくは、草木帳の宵闇の峠。如月様には許可もらってまーす」
「え、いつの間に……!? ちょっと、神無月様!」
慌てて止めに行く疾風に溜息をついて、神無月はようやく説明し始めた。
「もー、俺は峠にいる黒竜に話をしに行くだけだよ。色々とね」
だがその説明も簡単なもので、疾風は納得出来なかった。竜宮の当主代理である神無月が突然出かけるとは何事だ 。
疾風は神無月の行動の意味を理解しようと努めたが、やはりよくわからない。
「疾風、俺は馬鹿じゃない。ちゃんと考えて行動してるんだ。それに、これは竜宮にも関わる」
「ですが、お一人では危険です。忍び隊の中から何人か連れて行かせますので」
「はいよー」
神無月が困り顔で承諾すると疾風は自分の部下達を数人、神無月の護衛につかせた。
物陰から現れた黒づくめの忍たちに囲まれて、神無月は竜宮を出発した。
「神無月様が黒竜に会いに?」
翌日、竜宮の屋敷に訪れたお蝶は夫と共に持ってきたお菓子を食べながら目をぱちくりとさせた。
「あのお方何を考えていらっしゃるの? よく如月様に許可をいただけたね」
「まあ、神無月様の行動が読めないのは今に始まったことじゃない。でも、何故黒竜に……?」
「あの黒竜様、千年もの時を生きてきたのでしょう。大変物知りだそうで。でも、宵闇の峠は危険な場所。神無月様は大丈夫なの……」
お蝶が心配そうに瞳を伏せると疾風も腕を組んで難しい顔で考え込んだ。
疾風も一応、主が心配ではあったが不思議と神無月なら大丈夫だという安心感もあった。信頼はしているのだ。
ふと、疾風は庭に咲く花々を見つめた。水が枯れたこの都では、草木も満足に育つことが出来ないだろう。
「竜宮もこんな状況だ。何か行動を起こすべきだ」
疾風は溜息をついた。
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如月は忌々しげに妻を横目で見つめて、野々姫はそんな夫に対して挑発するように微笑んだ。
その夫婦の隣で、茶を啜って一息ついた後、可笑しそうに低いで笑ったのは鬼神の頭領、睦月だ。
「相も変わらず仲が良いことよ。御主らと茶を飲むのも、久しいな」
空の湯呑みを師走に渡して新しい茶を入れてもらうとまたそれを啜りながら愉快そうに笑う睦月。
その言葉全てを正したくて仕方の無い如月は自分の湯呑みを握りしめた。
「兄上、勘違いされては困ります。この女とは後でみっちりと話し合わなければなりませぬな……」
「妻は大事にするものよ、あなた。特に、妾というこの世で最も価値の高い妻は丁寧に扱うものよ」
「わかる?」と野々姫は余裕の笑みを浮かべて優雅に茶を飲む。それが腹立たしくて如月も顔を顰めながら茶を飲む。その仕草が夫婦でそっくりなことに本人たちも気づかない。
睦月はまた、低く太い声で笑った。
「師走よ。この者達はどうなることやらと思うておったが、心配いらぬようだ」
「そうですね、睦月様。しかし、このように過ごしていた頃が、ついこの間のよう。私も歳をとりましたな」
「御主も長生きよのう。これも何度目の会話か」
右に左にと、楽しませてくれるものがあって睦月は満足だった。
「濡烏は……酒は好まなかったからな。茶を飲んだのだ」
師走は口角上げて瞳を伏せた。
──この御方は、まだ奥方を……。
「まだ飛び立った濡烏を追い続けているの? 少しは目の前の女に目をくれたって良いじゃない」
「ククク……。余はな、鮮やかな羽より烏の濡れ羽色の方が美しいと感じるのだ」
「あらま。うちの夫の方が女を見る目があるのね」
如月は訝しげに妻を見つめて、何を企んでいると眉間に皺を寄せる。
とにかく、この鮮やかなのか目障りなのかわからない女は置いておいて、如月は軽く咳をすると本格的に話し合う為に、ある事を切り出した。
「兄上。この短い間に一族の間で起きた様々な出来事。全ては、葉月と長月の親である、我らの責任であります」
睦月は湯呑みをそっと、盆の上に乗せた。
「弟よ、覚悟を決めて聞くが良い」
弟と義妹に、兄としての配慮はあった。だが、その一言には僅かな怒りを孕んでいた。
「鬼神が守護する都に手を出し、そして、我が子二人の命を奪った」
それまで燃え上がる怒りが見え隠れしていた睦月の感情が、とうとう剥き出しになった。
「愚かな甥よ、二人とも刑に処してくれわ」
その言葉を聞いた瞬間、如月の眉がピクリと反応した。だが、頭領の子に手を出し、これほどの騒ぎを起こした者が何の罰も与えられないなんて有り得ないのだ。
そうは言っても、育て上げてきた息子たちに、何の愛情も抱いていないわけでは──
「冗談じゃないわよ」
誰も逆らうことが出来ない相手に、こうも簡単に反論出来るのはただ一人であった。
「野々……何を──」
「睦月……子を殺された恨みを妾の子にぶつけようというのね。その恨み、妾にぶつけなさいな。全ては親の責任だ」
野々姫の決意に満ちた目。その目元は、息子たちにそっくりだ。
「野々、兄上を誰と心得ている」
「誰だろうとどうでもいいわ。妾は鬼としてではなく、親として話をしているの」
これ以上、頭領に失礼を働けば、今すぐにでも命を取られかねない。それなのに、野々姫という女は睦月に恐れることなく目をそらさない。
「野々。では、連れて参れ。御主の子を」
「連れてきて、そのまま殺すつもりね」
「当然の事を抜かすな」
野々姫は顔を強ばらせた。母親として、子を守りたかった。命を奪う気のある男の元に、我が子を引き渡すほど野々姫の心は弱くなかった。
「──失礼します」
その時、障子の向こう側から若い男の声がかかり、如月は顔を顰めた。
「誰だ」
「今朝方到着致しました。竜宮当主代理、守を司る鬼神、神無月と申します」
突然訪ねてきたのは、意外な男だった。というより、如月が呼んだのだ。
頭領一家を前にして全く物怖じせずに話し始めるのは普段は頼りない男、神無月だ。
「ちょっと、この鬼がくるなんて聞いてないわ。何なの、如月」
「お前が気にすることではない、静かにしておけ」
如月夫婦の横にいる、他の鬼とは違う威圧感を持った鬼。この御方こそ、頭領だと瞬時にわかった。
「お初にお目にかかります、我が頭領」
睦月は訝しげに目を細めた。
「御主、神無月と申したか」
「はっ」
「何故、この草木帳に」
「宵闇の峠、黒竜殿にお会いするために参りました」
睦月は如月に視線を移すと、如月が代わりに神無月と対応した。
「神無月、色々と情報を集めたそうだな」
この屋敷に足を踏み入れる条件として、頭領一家が満足出来る情報を提供せねばならない。神無月は唇の端を吊り上げて、首を振った。
「はい、もちろん。まず一つ、次の代の水無月が決まらないのには理由がございます」
「ほう、聞かせてもらおう」
「鬼蛇という隻眼の鬼。この男の分身、繭は、どうやら魂を捕らえて意のままに操る力を持っているらしく、四代目水無月様はそのせいで天上に行けずにいると。文月姫様はその術に襲われたそうで」
つまりこれは、文月が実際に経験したことだ。
頭領の娘の情報。これを言って信用出来ないわけがない。
「鬼神の武器は生きている。恐らく、雨音紫陽花は四代目水無月様を野放しに出来なかったのでしょう。操られている主に付き添っているようです」
神無月は淡々と説明していく。疑われるはずがない。何故なら、あの如月と話しているのだから。
「続いて二つ目。全ての元凶ともいえる鬼蛇は分身を三人持っており、その三人が死んで初めて自分自身も死ぬことが出来るのです。不死身だったのは、分身の三人が今まで健在だったから」
神無月は彼にしては真面目な顔を崩しもしない。
「しかし、文月姫様が分身二人を倒しました。残るは、あと一人。繭のみとなりました。恐らく鬼蛇は分身の数を減らす事で死への可能性を高め、その状態で睦月様と殺し合いをしたがっているのでしょう」
睦月は鬼蛇という男の顔を思い出したのか、鼻で笑った。
「あの男か。実に奇妙な鬼であった。片目を潰してやれば歓喜しておった。命の奪い合いに対して異様な拘りがあった。──他に、何かあるか。聞かせてくれ」
睦月は徐々に神無月の話に興味を持ち始めていた。恐らく、娘の話題が出たからだ。神無月の思っていた通りだ。頭領一家は文月の名を聞くだけでも興味を示す。
「はい。三つ目は、文月姫様の事です。これは、重要な事です。個人的にも特に心配していることです」
頭領一家三人の顔が引き締まった。
「文月のみが使える沙華の呪い。文月に対して未練のある悪霊たちが、文月だけに付き従うという特殊な力。これの代償は寿命。これは、私の憶測なのですが」
神無月は睦月を真っ直ぐ見つめた。
「文月姫様の母君、先代の文月様は、沙華の呪いで病にかかったのではありませんか」
睦月は眉間に皺を寄せた。
──やはり、か。
睦月の反応を見て、神無月は確信した。
「先代の文月様は、盲目だったのでは」
睦月の顔がどんどん険しくなっていく。
「……もしかすると、文月姫様も、体に異常が見つかるかも知れません」
カーテンを開いて朝の眩い光に目を細めながら背伸びをする。
今は夏休みで、特に予定もない。家でゆっくり過ごすか。
お蝶がもう朝ごはんを作っている頃だ。リビングに向かおうと部屋の出入口であるドアノブに手をかけた時だった。
「……?」
目の前が霞んで見えた。
首を傾げて、目を擦った。すると、すぐに視界は元通りになり、特に異常は見られなかった。
「変なの……」
神無月の話を聞き終えて、睦月は瞳を伏せた。
「如月……この話の中に偽りはあるか」
睦月にそう、聞かれて如月はゆっくりと首を振った。
「全て、真実です。兄上」
如月は真を司る鬼神。嘘は通用しない相手だ。
睦月は低い声で呟いた。
「あの子は、沙華の呪いを使ってしまったのか。あれほど一人にさせたというのに……」
睦月の言葉に、野々姫は眉をひそめた。
「あなたって、文月を孤立させてたわよね」
「ああ、そうとも。周りの者には、文月に近寄らぬようにと言い聞かせていた。さすれば、その者達が死に絶えた時、文月に対して未練を抱く事は無いだろうと思うておった」
「文月に、沙華の呪いを使わせないように?」
野々姫がそう聞くと、睦月は皮肉そうに笑った。
「野々、お前になら分かるだろう。親として」
野々姫は目を見開いた。
睦月は、妻を殺したあの呪いから、娘を守りたかったのだ。