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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【第四章】雨の瞳

 野々姫の後を追って慌てた様子の女中が数人、大広間に現れる。

 如月は堂々と胸を張る妻を見据えて、眉間に皺を寄せた。


「呆れたわ。自分の子ぐらいさっさと探しなさいな。じゃないと妾、睦月の所へ行っちゃうかも」

「何しに参った」

「葉月と長月とはちゃんとお話しておいたから。妾はあの子達が戻ってくると信じているの。だから、ちゃんと歓迎してあげて」


 勝手なことをするなと、如月は立ち上がって野々姫と対峙する。

 野々姫は崩れることを知らない美しい笑顔を如月に向けたまま、腕を組んだ。夫とは言えども、相手は鬼神。立場の違いがある。だが、野々姫は誰にも負けない自信があった。


「野々。あの虚けどもは兄上に任せる。お前は黙って我に従うが良い」

「ふふ。妾があなたに従うとでも? あの子達を睦月に任せるなんて、何されるかたまったもんじゃないわ」

「全ては兄上に委ねよ」

「睦月は妾の二番目のお気に入り。一番はあなた。葉月と長月はそれ以上なの」


 夫婦で溢れんばかりの殺気を放ち合い、その場にいる鬼たちはそのおぞましさに耐えきれずに腰を抜かしてしまった。


「あなたも妾も、まだ幼いあの子達を庇いもしなかったわ。そして、あの子達を救おうともしない」


 親失格ね。野々姫の言葉に徐々に険しくなっていく如月を見て、野々姫は理解した。


 ──あらあら。本当はあなたも、分かっていたのね。


 威圧に押し潰されそうになる鬼たちは必死に夫婦を宥める。


「御二方、どうか怒りをお鎮めください。ここは草木帳の大事なお屋敷。ここで妖気を放たれては……!」

「あら、良いじゃない。この男の屋敷なんか、潰れてしまえば良いのよ。何か問題あって?」

「戯け! お前如きに我が屋敷を潰せると思うか!」


 勇気を持って間に入ったのにいとも簡単に追い返された鬼たちは死ぬ気で二人を説得し続ける。

 今から戦でも起こるのだろうか。夫婦を中心に大広間が揺れ始める。その時。



「──そこまでだ」



 如月よりも、野々姫よりも、遥か上を行く威圧。その鋭い声が大広間に広がる夫婦の妖気を裂いた。

 これまた堂々と大広間に足を踏み入れる男に、その場にいた全ての鬼たちは身構えた。威厳を持ったその存在。


「兄上……」


 その男と共にいるのは魂を司る鬼神、師走だ。

 師走は怖気付く鬼たちに鋭い眼光を向ける。


「何をしている。この方は鬼神一族頭領、睦月様であらせられるぞ」


 鬼たちは慌てて床に手を付き一斉に頭を下げ始めた。


「あら、睦月」


 睦月は如月と野々姫の元に歩み寄る。


「久しいな、我が弟、義妹よ」


 何故、突然、睦月が来たのだろうか。

 来るなんて聞いていない。しかも、今の会話、聞かれていただろうか。


「兄上……何か、急ぎの用でも?」


 睦月は魔王の如く野太い声で笑う。


「葉月と長月は今、どこにおる。野々よ」


 やはり聞いていたか。如月はこのとんでもない発言をポンポン言う妻を不安げに横目で見据えた。


「誰が教えるものですか。あなたが妾のモノにでもなってくれるの?」


 ──野々ッ!


 如月は鋭く睨みつけるが、野々姫は何も気にせず優雅に微笑んでいる。

 だが、如月の予想に反して睦月は豪快に笑った。


「余には既に濡烏がおるわ」


 その答えに対して、野々姫は面白くなさそうに呟いた。


「死んだ女に、何故そこまで一途になれるのかしら」


…………………………………………………………



 母が去ってから、葉月はずっと考えこんで、黙り込んでしまった。

 母はこう言った。


 ──睦月から直々に罰せられるわ。妾と共に帰りましょう。妾が何とかするから。


 鬼蛇がいたから、鬼神の命をいくつか奪うことは出来た。そして、自分たち兄弟を除け者にした頭領一家は、自分たちの手で殺るつもりであった。

 だが、鬼神の中でも最も敵に回してはいけないのは、その頭領一家である。


「結局……睦月は俺達に自由など与えぬ」


 葉月はそう、呟いた。長月は兄に対して、どう接すれば良いのか分からずにただ黙り込んでしまった。


「長月、一人にしてくれ」



 ──水無月様と文月姫様は大変優秀ですね。



 鬼族の者達に言われ続けた言葉。

 その頭領の子である水無月と文月がどんな者達なのかと実際に会ってみれば、文句無しの賢さと美しさを兼ね備えた賜物。しかも、その妹の方に長月は惚れてしまったぐらいなのだから。

 だけど、兄が気の毒で仕方なかった。


 何の取り柄もない自分の事は良い。だが、努力を惜しまなかった兄の姿を皆に見てほしかった。




「──」


 屋根の上で盗み聞きしていた隻眼の鬼。

 まさか、葉月と長月の母親が訪ねてくるとは思わなかった。このまま二人が頭領たちの手に下って全てが終われば、面白みに欠ける。


「──まあ、良いですよ。もっと面白い事を前もって準備しておきましたから。文月姫様、驚くでしょうねー」




……………………………………………………



 庭で洗濯物を干していると徐々に暗くなっていく空を不安げに見上げた。


「雨、降りそう……」


 さっきまで天気も良かったのに。

 干していた衣服を仕方なく取り込んでいく。

 衣服を全て回収した直後、雨が降り始めた。


「危なかった……」


 洗濯物を室内に干し直し、ふと、窓から外の景色を見つめた。

 雨はどんどん酷くなり、横殴りになっていく。その雨に混じって誰かの声が聞こえてきた。


 ──美月。


 誰かが、自分の名を呼んだ。

 もう二度と聞くことはないと思っていた声が、自分の名を呼んだ。

 ありえない。幻聴かもしれない。でも、確かに聞こえてくる。


「まさか……」


 突如、窓の外から飛び込んできた大量の雨粒が、美月に襲いかかった。


 ──『お願い、来て姫様……』

 ──『私たちの主が……』


 まさか、水が喋ってる……?

 雨からひそひそと話し声が聞こえてくる。


「ねえ、あなたたち──ちょっと待って!?」


 大量の雨粒に囲まれてとても強い力で強制的に家の外に連れ出されてしまった。








 気がつくと、そこは家ではなく、近所の竹やぶだった。

 雨に打たれて、服も髪もびしょびしょに濡れてしまい、睫毛から雨粒が滴り落ちて視界が悪い。

 顔を拭って前方を見つめた時、驚愕した。


「え……」


 間違いなかった。幼い頃からずっと一緒だったのだ。間違えるはずがないのだ。


「あ………」


 その人物は少しずつこっちに近づいてくる。


 ──会いたかった。


 美月は雨の向こう側にいる大好きだった彼を見つめて、震える声でいつものように呼んだ。


「にい……様……生きてたの……」


 どうして、どうしてここに居るの。あの時確かに死んだはず。もう会えないと思ってたのに。

 涙が流れた。しかし、それは雨によって尽く流されていく。


「…………」


 しかし、美月は兄の持っているものを見て、絶句した。

 ぎらりと光るそれは、刀だ。


 ──兄様は、私を見ていない。


 水無月は空虚の瞳を立ち尽くす妹に向ける。

 雨が竹やぶに打ち付けられる音が木霊する。


「──美月」

「………」


 その声は確かに兄だ。大切な兄だ。


 ──それなのに、どうして、刀を私に向けているの……。


 混乱する美月に向けて、水無月は無機質な声でこう言った。


「……逃げてくれ」


 その動きは一瞬だった。目前に迫った刀を自分の刀で咄嗟に防いだ。

 兄が持つ刀は、水無月の刀、『紫陽花ノ雨』だ。次の代の水無月がなかなか決まらなかったのは、兄がまだこの世をさまよっているからだろうか。


「兄様、私の声、聞こえる!?」


 語りかけても何の反応もない。

 水無月の力が強くてこっちが押されてしまう。


 ──誰が、兄様を操っているの……。




「──やはり、面白いですね。とても感動します」


 美月は耳障りな声に溢れんばかりの殺気を出した。片目を布で覆った不気味な鬼。兄を殺した憎き男。

 兄を押し返すと美月は殺気に満ちめ目を鬼蛇向けて曼珠沙華を握りしめる。


「ああ、そういうこと。お前が兄様を…っ………!」


 美月の反応が実に愉快だったようで、鬼蛇は手を叩きながら満面の笑みで答えた。


「良かったですね。お兄様と感動の再会ですよ。分かち合い、笑い合い、殺し合い、美しく散っていく。良いですね、最高です!」

「鬼蛇……!!」


 隻眼の鬼に斬りかかろうと駆け出したが、刀を水無月に食い止められてしまった。


「ああ、まずはそうですね、痛めつけるだけで良いんです。一日で終わるなんて面白くない。何日もかけて、兄妹で血の塗りあいをするのです。どっちが勝つんでしょうね? 楽しみですね!」


 鬼蛇を酷く憎んだ。兄にこんな運命を辿らせるなんて、なんて残酷なことをするのだろう。

 兄と交える刀の重みに耐えながら、美月は必死に叫んだ。


「兄様、ごめんなさい、すぐに助けるから……!」

「───」


 悲しくも再会してしまった兄妹。雨音と、刀の衝突音が木霊する竹やぶ。

 美月は兄を突き飛ばした。水無月はそれでも美月に襲いかかり、美月の肩に傷をつけた。


「……っ!!」


 肩から滴り落ちる血が雨に流されていく。

 その隙に、次なる攻撃を繰り出す水無月。それを避けた際に足元がよろけて倒れてしまった。

 仰向けに倒れた美月は兄が刀を振り上げたのを見て、すかさず曼珠沙華で食い止めた。


「……!」


 雫が自分の顔に何滴か落ちてきた。それは、雨ではなく、兄の涙だ。

 すぐ目の前にある兄の目から、涙が流れ落ちていた。


「兄様……」


「──はい、そこまでです」


 鬼蛇がそう呼びかけると水無月はさっと美月から退いて立ち上がった。

 やがて、水無月は鬼蛇の掌の中へと吸い込まれていった。鬼蛇の手には、楕円形の白いものがあった。


 ──あれは、繭……?


 繭は完全変態をする昆虫の幼虫が口から繊維を吐いてつくる覆いのことだ。その中に、兄は吸い込まれていった。


「良いですね。これからもこういう風に戦わせましょうかね。すごく面白いではありませんか」

「待ちなさいよ……」


 美月は曼珠沙華を握りしめて鬼蛇を睨みつけた。


「兄様に、何をした!」

「知りたいですか? これ、あと一人の私の分身、繭に頼んでおいたんですよ。あなたのお兄様が亡くなった日に。おっと、私はこれにて失礼します」

「待って、連れてかないで──!」


 美月はさっき水無月に切られた肩を押さえながら鬼蛇を追ったが、瞬間移動で逃げられてしまった。

 取り残された美月は、雨に打たれながらその場にへたりこんだ。

 最愛の兄とこんな形で再会するなんて。


「…………」





…………………………………………………………



 インターホンが鳴り、玄関のドアを開けてみると、目の前にいた人物に目を見開いた。


「美月……?」


 美月はずぶ濡れで、長い黒髪の先からぽたぽたと雫を零して地面を濡らしていく。しかも、彼女の表情は暗く、いつもの明るさは微塵も感じられない。


「どうし……──!」


 彼女の肩を掴んだ時、ぬるりとした感触に驚愕した。掌を見ると、そこにはべったりと血がついていた。


「美月、これは……」


 だが、美月は何も答えない。

 優はその冷え切った手を引いて彼女を家に入れた。





…………………………………………………………



「はい、お願いします」


 お蝶は受話器を置くと突然消えた美月の居所が分かって安堵した。


「おい、文月は」

「姫様は今日は夕霧様の所に泊まるそうよ」

「あっそう」


 瑠璃は面白くなさそうに頬を膨らませると床に寝転がる。

 お蝶は困り顔でふっ、と笑った。瑠璃は自分で気づいているのか知らないが、美月が夕霧と仲睦まじいのでちょっとしたヤキモチを妬いているのだ。

 意外と美月の事を気に入っているらしい。








 お蝶に電話し終えると、優はベッドの上で膝を抱える美月の傍に寄った。

 美月はずぶ濡れだったので、すぐに風呂を貸した。サイズの合わない服を着てもらって、肩の傷を手当して今に至る。


「美月……」

「ごめん、出かけてたら雨降ってきて。近かったから寄ったの。お風呂貸してくれてありがとう。ごめんね、突然──」

「何でいつも、苦しいはずなのに、笑うんだよ……」


 そう言って、美月を抱きしめた。

 優の腕の中は温かくて、さっきまでの冷たい雨が嘘のように感じた。

 優は美月の黒髪を撫でて、もう一度力を込めて抱きしめる。


「なあ、何があったんだ」


 あなたは、本当に優しい人。美月は優の肩を涙で濡らした。


「さっき、兄様と戦ってきたの」

「何……」

「鬼蛇が、兄様を操ってて」


 どうすれば、兄を助けられるのだろう。鬼蛇を憎めば憎むほど、疲れて分からなくなってくる。


「ごめん、助けに行けなくて」

「どうして、謝るの。あなたは何も悪くないのに」


 優は美月を離すと彼女の頬を伝う涙を拭う。

 美月は自分の涙を拭ってくれるあたたかい手を両手で包んだ。


「夕霧」


 本当の名を呼んであげれば、彼のまつ毛が震えた。外は既に暗く、雨たちは怒りと悲しみのまま降り続け、助けを乞うように窓ガラスを叩く。夕霧と呼ぶ声が耳元に聞こえてきて、美月を抱きしめる腕が強くなる。美月の声は優しい母の声と似ていて、懐かしくなって、寂しくなってくる。

 顔を引き寄せると、そのまま受け入れてくれた。薄紅色の唇を喰むと欲が出てきて、美月の体を離さないように強く抱き寄せてもっと深く口付けていく。雨の音が遠くに聞こえて、それと引き換えに耳鳴りが不安と共に迫ってくる。


「夕霧…ずっと一緒だから…」


 美月の声が耳鳴りを押し退けて耳に届く。

 ああ、そうだ。ずっと一緒にいたくて、失いたくなくてこの手を引いて、逃げようと誘ったのだ。どこか遠くで、誰も知らない場所で二人だけで暮らそうとした。でも、あの時文月は自分と夕霧の身を案じて断った。今度は、今度はこの手を離さないようにしなければ。

 深く深く、もう戻れないところまで一緒に落ちて、美月を求めた。美月は全てを受け入れるように夕霧の背中に手を回す。

 ふと、美月の目から涙が零れ落ちた。


「嫌だった?」

「違うよ、違う…」


 美月は自分で涙を拭って、塞き止めるように瞳を伏せる。これは、大切なものを失い続けた者たちのただの慰め合いだ。せめて、目の前にいる相手まで離れていかないように、繋ぎ止めるだけの行為だ。


 ずっと一緒だから。


 その言葉が信じて良いのか分からなくて、可哀想なもの同士で傷を舐めあった。


 無様だろう、哀れだろう、愚かだろう。


 ──美月、どうか、離れないで。



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