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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【第四章】閉じ込めて

 お弁当の具を少しづつ齧りながら溜息をつくと向かい側でメロンパンを食す夏海は首を傾げた。


「どうしたの」


 夏海に頬をつつかれてはっとした。


「何?」

「何じゃない。なんか元気なさそうだから、どうしたのかなーって」


 夏海は美月が話しやすいようにか、不安を覚えさせないようにするためか、優しく話しかけた。

 美月は箸を置いて困ったように笑った。


「ごめんごめん、変な顔してた?」

「してた」

「はっきり言わないでよ。実は、今朝優の家に行ったんだけど」

「わあ、大胆ね。朝から」

「ちょっと変な事言わないで。熱あったの。風邪みたい……」


 それで心配してたの、と言うと夏海も納得した。実は、心配なのはそれだけじゃない。




 今朝のこと。優からの電話があった時、受話器から物の怪の声が聞こえて、急いで家を飛び出した。

 家に着いてインターホンを押すとすぐに彼は出てきた。

 どこにも物の怪の気配は感じられないので安心していると玄関先で優に抱きしめられた。突然だった。何があったのか問うつもりだったが、彼の精神が弱まっていることを悟り、何も言えなかった。



 とても強く抱きしめられた。まるで安息の地を求めるように、美月に縋り付くように。

 何か不安なことでもあるのだろうか。

 美月はちらっとメロンパンを頬張る夏海を見る。


「……なに?」


 視線に気づいたのか夏海が首を傾げる。


「ねえ、最近物の怪を見かけた?」


 こっそりと耳打ちする。

 夏海は見た目は人間だが、文月の鈴に宿った付喪神である。つまり、"こっちの世界"の住人だ。故に、何か情報を持っているかもしれない。


「なんで?」

「実は、優の部屋に物の怪がいたの。多分だけど」

「まあ、見かけたは見かけたよ」

「え、いたの?」


 夏海は険しい顔で、美月を見つめる。


「──田んぼに、物の怪いっぱいいるんだけど。鬼神、皐月はどうしたの」


 その言葉に絶句した。

 恵を司る者は、もういない。それは田畑などに影響を及ぼすだろう。この田舎町には、田んぼが沢山ある。優の部屋にいた物の怪は、田畑に住み着いていたものだろう。

 夏海は付喪神ではあるが、鬼神についての知識はある。この状況からして、皐月に何かあったのだと悟っていた。


「皐月は、死んだよ」


 やっとのことで絞り出した声は、自分が思っていたよりも暗く、沈んでいた。

 皐月という存在はとてつもなく大きかった。

 落ち込む美月の肩を叩いて夏海は微笑んだ。


「ごめん、変な事聞いたね」


 美月は首を振った。

 夏海はメロンパンを握りしめて、何か呟いた。


「……美月も…………」

「?」

「そうだ、ねえねえこのメロンパンさ……」


 夏海が何を呟いているのか気になって耳を傾けるとはぐらかされてしまった。

 もしかしたら、何か明るい話題を出して気を紛らわそうとしたのかもしれない。美月はさっきまでの暗い空気を吹き飛ばしたくて親友の話に相槌を打ちながら必死に笑顔を見せ続けた。





……………………………………………………



「それじゃあね」

「またね、夏海」


 校門で夏海と別れると優の家へと足を進めた。

 見渡せば、連なる山々と田んぼ。この静かな道を一人で歩くことが美月のささやかな楽しみだ。

 ふと、足を止めて両脇に広がる田んぼを見下ろした。昼休みに夏海が言っていた、物の怪の気配を察知したのだ。

 周りに誰もいないことを確認し、曼珠沙華を呼び出して地面に突き立てた。


『…グゥ……』


 途端、苦しげな唸り声が足元から聞こえてきた。やがて、その存在が消滅したのを感じ取り、美月は曼珠沙華を地面から引き抜いた。

 いとも簡単に終わった。そこまで強くはなかった。

 ほっとして曼珠沙華を仕舞った時、前方から「にゃあ」と弱々しい声が聞こえてきた。


「……ねこ?」


 蹲って、か細い声で鳴いている三毛猫がいた。

 美月が近づくと三毛猫は立ち上がって美月から遠ざかるように歩いて行く。その歩き方に違和感を覚えて、美月は三毛猫の後ろからそっとついて行った。


 ───あの子、怪我してる?


 ふらふらとした足取りでまるで前足を引きずるように歩く三毛猫は、振り返って美月を見つめる。金色の眼差しで見つめられ、美月は動きを止めて、じっと猫を観察した。


 ──え……!


 三毛猫は突然走り出した。それも怪我した前足を引きずり痛々しげに鳴き声を上げている。

 美月は三毛猫の後を追った。


 ──足、はやっ!


 三毛猫の後を必死に追いかけて青々とした竹やぶの中へと進んでいく。


「捕まえた…っ…!」

「……!」


 三毛猫を抱き上げてほっと一息つくとその場に座り込んだ。鬼化が進むこの体なので、体力の消耗が前ほど激しくなくなった事に感謝した。

 抱き上げられた三毛猫は意外と暴れることなく美月の腕の中に静かに収まって、美月を見上げている。

 美月は三毛猫の足を見る。案の定、怪我しており、血が流れていた。


 ──この怪我、随分と新しい……。ついさっき怪我したのかな。


 美月は猫の傷口にハンカチをあてて出血を防ぐと前足をハンカチで縛った。


「ごめんけど、今はこれぐらいしかできないよ。家まで連れていきたいけど……」


 妙に大人しいな、この猫。飼い猫だろうか。しかし、さっきは逃げていたのに突然大人しくなったのは一体……?


「やっぱり、お前は優しい子ね」


 突如、両腕を掴まれて取り押さえられた。

 見ると、美月の手を掴んでいるのは体の大きな鬼が二人。そして、前方にいるのは妖艶な笑みを浮かべる野々姫だ


「野々姫様……!?」

「お前たち、文月の体に傷をつけてはダメよ。頭領の娘なのだから」

「わかりやした」


 美月は振り払おうともがいてみたが、男の鬼二体相手に力が及ばなかった。


「大丈夫、文月。妾の言う通りになさいな」

「……まさか、あの猫」


 美月は三毛猫に視線を移す。だが、そこにいたのは三毛猫ではなく、おかっぱ頭の可愛らしい少女であった。


「ごめんにゃさい文月姫さまぁ〜。野々姫様のご命令にゃの」


 頭から生えた三毛柄の大きな耳を動かして愛らしい謝罪をするその少女に美月は溜息をついた。


 ──嘘でしょ……。


 まんまと罠に引っかかった美月はそのまま野々姫に強制的に連れていかれた。



…………………………………………………………



 熱が37:8。なかなか下がらない。体温計を枕元に置いてベッドの中で「だるい」と愚痴をこぼした。

 熱いのか寒いのかわからないので布団もかけようかかけまいか迷う。

 今朝、美月が訪ねてきて驚いた。と、同時に酷く安堵した。つい、彼女を抱きしめてしまった。


 ──何してんだか……。


 美月を抱きしめたこの手を見つめて、自分の行いを深く反省した。美月の戸惑った表情を覚えている。驚かせてしまった。

 放課後、またここに来るからその時に謝ろう。そう思い、ふと目覚まし時計を見た。


「あいつ、遅くないか……?」


 放課後とは言っても、もう5時半だ。何かあったのだろうか。

 今から探しに行っても、入れ違いになったらまずい。というより、熱があるのに動き回っていると美月に怒られそうだ。

 もう少し、待ってみよう。




………………………………………………………



「落ち着いているわね、文月」

「もう、こういうの慣れてしまいました」


 美月の周りを囲うのは木で出来た格子。そして、更に取り囲むのは体の大きな男鬼たちだ。

 穏便に話し合いましょう、という雰囲気からかけ離れている。

 檻越しに野々姫は微笑んだ。


「だって、あなた逃げるじゃない?」

「当然です。私、用事があるんですけど」

「あら、それと妾のどちらが大切かは賢いお前になら、わかると思うの」


 野々姫には何を言っても聞かない。諦めて大人しくしていると野々姫は満足げに頷いた。


「文月、葉月の嫁になりなさいな」


 思考が止まった。聞き間違えだろうか。とんでもないことを要求されたような気がした。


「今、何──」

「葉月の嫁になりなさい」


 何言ってんだこの女。と、はしたない言葉を口走ってしまわないように深呼吸。


「何故、私が、葉月の……?」

「頭領の座を争っているのはお前と葉月よ。だったら、夫婦になった方が早いんじゃなくて?」

「そんなの、私も葉月も反対です。この話は成立しません」

「そう。なら弟の方はどうかしら」

「どういう意味です?」


 野々姫は紅い唇を吊り上げた。


「ああ見えても、あの子たち兄弟は仲が良いの。長月に頭領の座を譲っても葉月は何も言わないわ。それに、昔はお前も長月と仲が良かったじゃない」

「それでも、長月も納得しない。それに、仲が良かったのは昔のことで──」

「ああ、お前は鋭い子だと思ってたわ」


 野々姫の残念そうな声に話を遮られた。


「野々姫様……私には、既に心に決めた方がいますので」

「おかしなことを言うようになったわね」


 突然檻の隙間から伸びた手に顎を掴まれて引き寄せられ、女でも見惚れる程に美しい顔が目前に迫った。


「知ってるわよ、お前が人間を想っていることを。馬鹿な子ね、傷つくのはお前よ。というより、もう既に傷ついたでしょう?」


 美月はぐっ、と唇を噛んで野々姫から目をそらそうとしたがそれを許すまいと顔を固定される。


「妾の美しい顔を見れるというのに勿体ないことしないでちょうだい。目をそらすな。聞きなさい、文月。お前は鬼、あっちは人間よ。どういうことかわかる?」

「種族が……違う」

「ふふ。そうね、そうなるわね。お前が傷つく理由は、ただ一つ。寿命よ」

「…………」

「あら、気づかなかったわけじゃないでしょ? お前はいずれ、完全な鬼となって我らが鬼神の元に完全に帰る身。妖の寿命は百年やちょっとじゃないわよ」


 野々姫の言っていることは全て正しい。野々姫の言う通りにすれば、今起こっている問題はちゃんと片付くだろう。

 優と結ばれると、優の死後も自分だけ長い時を生きなくてはならないということ。考えただけで胸が苦しくなった。


「妾は、家族のことを考えて生きているの。妾は鬼神にはなれなかった。立場が違うもの同士というのは、辛いものよ。愛があれば何も怖くないなんて綺麗事。文月、全てはお前のことを守るため、救うためよ」


 俯いた美月から手を離すと野々姫は煌びやかな着物の袖で口元を隠して鋭い目を細めた。


「葉月と長月なら心配いらないわ。妾があの子達の首根っこ掴んで連れ戻すわ」


 何も言い返してこない美月に野々姫は首を傾げる。


「あら、諦める気になった? 人間はいてもいなくても良いような価値無き存在。そして、臆病。もしもお前が絶体絶命の危機に瀕した時、助けてはくれないわよ」

「野々姫の言うことは、正しい。私の方が考えなしでした。申し訳ございません」


 檻の中で正座をして、地に手をつき、頭を下げて謝罪する美月を見下ろして、野々姫は可憐に微笑んだ。


「……おやめなさいな。お前が頭を下げていいのはお前の父だけよ」


 野々姫は、ちゃんと睦月に敬意を持っている。

 野々姫に負けない美しさを持つ美月は顔を上げて綺麗な微笑みを見せて、こう言った。


「でも、あの人は、臆病ではない」


 その時、一体の鬼が吹っ飛ばされてその大きな体で地面を抉りながら野々姫の足元まで滑り込んできた。

 野々姫はそのうつ伏せに倒れ込んだ鬼の大きな体に腰掛けて鬼が飛ばされてきた方向を見据える。


「あら、たまには文月も正しいことを言うのね」


 美月は格子を掴んで予想外の人物に目を見開く。


「優……」


 野々姫の周りにいた鬼たちも警戒し、戦闘態勢に入る。刀を持ってゆっくりとこちらに歩いてくる優も望むところだと鬼たちを睨みつける。


「おやめ」


 野々姫は鬼たちを鋭い声で一喝すると優に視線を送る。

 優は鬼を尻に敷く妖艶な女とその傍らで檻に捕えられている美月を交互に見て立ち止まった。


「そこの人間、心配しなくてもお話が済んだらこの子は帰すつもりだったのよ。そんなに怒らないで頂戴な」


 野々姫はそういうと片手で格子を打ち壊した。美月は檻から出ると野々姫に視線を送る。


「確かに、良い男ね。でも、このお話はなかったことにしましょう、なんて言わないわよ」

「……また、お話しましょう。今度は閉じ込めないでください」


 美月はそう言って愛想笑いすると優の元へと歩いて行く。

 優は美月の背中に手を添えて、何度も後ろを警戒しながら二人で去っていった。

 野々姫の下敷きにされている鬼は興奮気味に野々姫を見上げて言った。


「ああ、野々姫様……お美しい……」

「黙れ下郎」


 野々姫は鬼に向かってそう吐き捨てた。



……………………………………………………



 慈屋敷の庭を縁側で眺めながら、長月は頭の中で、どうやって鬼蛇を兄から引き離すか考え込んでいた。

 兄は訳ありの鬼共を拾って部下にしていた。そして、突然現れたのが鬼蛇だ。あの男の目的は睦月と戦うこと。鬼神の命を奪うことを目的としている兄にとっては都合の良い存在だ。

 だが、あの男は気に食わない。兄を慕ってもいない男は邪魔でしかない。


「……なんだ、鬼蛇」


 背中越しに話しかければ隻眼の鬼が姿を見せた。


「はい、長月様。ごきげんよう」

「去れ」

「お客様がいらっしゃってますよ」

「……客?」





 大広間に向かうと、兄の強ばった表情が見えて長月は戸惑った。そして、兄の視線の先にいる人物を見た瞬間、長月も目を見開き、その場に立ち尽くしてしまった。


「長月、こっちに座れ」


 硬直している長月に葉月は必死に冷静を保った声で傍らの席に促した。

 長月は葉月の近くに座ると、その女を兄弟で見据えて警戒する。


「あらあら、二人とも元気そうね」


 その妖艶な女、野々姫は葉月と長月を懐かしそうに見つめて優しく微笑んだ。

 葉月はその優しさにさえ警戒して、その女のことをこう呼んだ。



「──母上…」






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