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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【第四章】優しい君を救うため

 空が茜色に染まった頃、優と美月は二人で仲睦まじく歩いて家に向かっていた。その間、学校の事や家の過ごし方など話は絶えることなく弾んだ。

 その時、美月のポケットからはみ出ていた白いハンカチが地面に落ちてしまった。それを拾って美月に渡したのは美月の影から現れた物の怪だ。


「あなたたち、紳士ね」

『姫様、褒めて』

「はい、良い子」


 美月は人の形を成した物の怪の頭部と思われる部分を優しく撫でた。

 その様子を隣で見ていた優は物の怪を見つめて難しい顔で考え込んだ。


「どうしたの、優」

「そいつらって、結局何なんだ?」


 優に見つめられた物の怪たちは子供のように怯えて美月の腰元に引っ付いた。


「俺が怖いか」

「この子達、怖がりなところがあるんだよね」


 暫くして物の怪たちは美月の影の中に潜り込むようにして姿を消した。

 確かに、この奇妙な存在の事は気になっていた。


「長月や瑪瑙も物の怪使いだけど、美月のはちょっと違うんだよな。あの物の怪たちは美月の言うことしか聞かないし、他の物の怪と比べて賢い。どうも、悪霊には見えないんだが……」


 物の怪は悪霊により生まれた獣。時には動物に、時には人に姿形を帰る化け物。それが、ある特定の者にしか従わないとは、余程美月に未練があると思われる。


「でもね、この子達、怒るとすごく暴れたり喚き散らしたりして自我を保つ事が出来ないから物の怪で間違いないね」


 美月は自分の影を見つめて、困ったように微笑した。


「どうして……私のためにそこまでしてくれるのかな」


 美月の中に生まれた小さな疑問。いつも無邪気で子供っぽいが、傷ついてでも自分を守り通す物の怪たちに、美月は愛情というものが芽生えていた。

 ──私のために、どうして。美月の本気で不思議そうな横顔に優は溜息をついた。


「お前の事が本気で大切なんだろ。自分が守られることに対して疑問を抱くな。お前は大切にされて良い奴なんだよ」


 いつも他人の事ばかり考えて自分の命に対しての執着が足りなさ過ぎる美月には、守られても良い存在である事を知ってほしかった。前世も、夕霧のために、わざと手加減して自ら死を選んだのだから。


「お説教?」

「お説教」


 挑発するように聞いてきた美月に、正直に返答した。


「……ありがとう」


 だが、美月は嬉しそうに目を細めた。



…………………………………………………………


 あんなにも温もりに溢れ、賑やかであった神社は静まり返り、暗闇の中、木々が不気味に唸っている。

 部屋の中で一人、障子にもたれかかって動かない少女は、呼吸や瞬きすらも忘れてどこか一点を見つめていた。もう夜だというのに、明かりもつけずに暗闇の中で静かに身を潜めていた。

 何も考えたくない。そんな思いが少女を行動不能にしてしまったのだ。

 外で足音が聞こえた。敵だろうか。別に、構わないが。もう、何も望むものがない。


「弥生」


 障子の向こうから聞こえてきたのは少年の声だ。返事する気力もなく、何も反応出来ずに居ると障子が開かれた。開いてすぐ傍に弥生がもたれかかっているのに驚いたのか、少年は肩をびくりと震わせた。


「何してんだ?」


 少年には目もくれず、弥生はじっと動かない。

 まさか、死んでいるのかと少年は弥生の肩を揺さぶる。僅かに睫毛が震えたので少年は安堵した。


「なあ、一日中ずっとこうしてるのか?」


 弥生は答えない。


「なあって!」

「……何」


 やっと、発せられた声は掠れていて脱力感があった。


「体壊しちまうって! 文月姫を呼んでやるから!」

「──いいよ、琥珀」


 弥生は微かに口角を上げた。


「何、姫様に言われて来たの? だったら、弥生は元気そうだったとでも伝えて」


 全てを諦めたかのような目をして笑う弥生を睨みつけて、琥珀は弥生の襟元を掴んで引き寄せた。


「別に、文月姫に言われて来たんじゃねーし! 元気? んなわねぇ! このままだと体壊して死ぬぞ!」

「姫様に言われてないのなら、どうして来たの」

「それは……心配だったから」


 弥生はそこで初めて虚ろな目を琥珀に向けた。琥珀のまだ経験の浅い顔は、どう説得すべきか必死に考えていた。


「ただ、弥生が心配だった。それだけじゃ、駄目かよ!」


 琥珀は叫んだ。全身が震えるほどにその声を受けた弥生は、自分を守るために作った心の壁が打ち壊されて、一筋の涙を流した。


──これ以上、入ってこないで。何も、聞きたくない。


 弥生は矢を呼び出すと矢の先を自らの耳に向けて振りかぶった。だが、琥珀がすかさず弥生の手を掴んだ。


「この馬鹿野郎!」

「うるさいなっ、弥生はそこまで優しくないから、あんまり騒ぐと怪我させるよ」

「お前は優しい!」

「何が優しいの!!」

「俺を鬼蛇から守ってくれただろ! 俺の話を聞いてくれただろ!」


 弥生は琥珀の手を振り払おうともがくが、琥珀は全く手を離さない。


「離しなさいよ!」

「い、や、だ!」

「弥生は卯月様と皐月の所に行くの! ずっと、三人で一緒なの! だって、家族でしょう?」

「そんなの二人にとっちゃ迷惑だ! だったら精一杯生きて、やがて再会した時に、沢山話してやれよ! この、分からずや!」

「黙りなさいよ馬鹿! 黙って……」


 琥珀と言い合ううちに、弥生は涙が止まらなくなってそのまま崩れ落ちた。

 畳に弥生の涙がどんどん染みていく。家族を失ってしまった。大事な兄と姉が居なくなってしまった。そう考える度に畳を涙で濡らしていく。

 琥珀は弥生が握りしめていた矢を奪い取ると弥生の手を握った。

 弥生は唇を噛んで、もう戻ることのない幸せにすがりついていた自分が情けなく思えて悔しくなった。今、自分は何をしているのだろう。何をしたかったのだろう。


「もう戻れないのに、弥生は、何を望んでいたの……。そうね、元々弥生は一人だったのだから、今更……」


 呟く弥生を見つめて、琥珀は名案を思いついたのか弥生の肩を掴んでこう言った。


「じゃあ、俺が弥生と一緒にいるよ!」


 弥生は目を見開いて涙で腫れた目を琥珀に向けた。


「何、言ってるの……意味がわからな……」

「お前な、一人だって言うけど、文月姫とかいるだろ? あいつ、弥生の事ずっと心配してるんだ。一人じゃない。それでもあーだこーだ言うなら、俺が一緒にいる!」


 一緒に……。一人じゃない……。

 弥生の頭の中に何度もその言葉が響く。

 今の弥生には、必要だったのだ。美月のように黙って抱きしめてくれる誰かが。琥珀のように何をしているんだって、叱ってくれる誰かが。

 こんな自分の手を引いてくれる誰かを求めて泣いていたのだと気づいた瞬間、冷めきっていた心が少しずつ温かくなった。



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