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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第四章 『頭領一家編』
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【第四章】変化

 四季の全てが揃った都、竜宮。 華やかな花々が咲き誇り、清らかな水が流れる美しい都、のはずだった。

 竜宮の当主である水無月が亡くなってから、次の代の水無月が一向に決まらないのだ。それからというもの、水が徐々に枯れつつあり、草木が滅びの道を辿っている。

 鬼神というとのは、鬼神の武器が主を決めるものであり、簡単に鬼神を名乗ることは出来ない。だからこれほどまでに困り果てるのだ。

 そして今日、その問題を解決しようと竜宮に参った一人の女鬼と、神無月は向き合って話し込んでいた。

 黒地に松竹梅の柄を散りばめた絢爛豪華な着物を身に纏った女は、出された茶を啜ると、唇の端を吊り上げた。


「ふふ。この都が崩壊していく様を高みの見物というのも、悪くないわ……」

「冗談が過ぎますよ、野々(のの)姫」

「あら、気に障って?」


 妖艶な女鬼、野々姫は三つ編みにした右横髪を指で弄りながら、赤く光る唇を震わせた。


「ふふ。今は誰も座っていない水無月という座を、妾がものにするという手もある」

「……おかしいな、俺、美女は好きなはずなんだけど」

「妾は特別? 当然よね」


 文句は言わせない。そんな眼光で野々姫は見つめてきた。

 神無月は溜息をつきながら、適当に頷いた。


「よろしい。まず、一つ一つ解決させましょう。全ては葉月と文月の頭領争いにより起こった事。ここは、葉月に頭領の座を譲るのよ」

「争い、というよりも、葉月殿が一方的に文月姫に仕掛けたという方が正しいのでは。しかも、葉月殿と長月殿は一族から追放された身でしょう? そのような方が、頭領になれるとは思いませんが」


 神無月は貼り付けたような笑みで野々姫に対応した。それでも、無理して表情を作るというのには限界があった。


「あなたは、あくまで文月の味方というわけね。それもそうね、親友の妹を見捨てるわけないものね。いけないわ、私情を挟むなんて……」

「野々姫様こそ、似たようなものでしょう。どちらの味方なのですか」

「勘違いしないで妾は別に文月のことが嫌いというわけではないの。ただ、この事態を穏やかに終わらせたいだけよ」


 野々姫も微笑んでいるが、その目は笑っていなかった。

 張り詰めた空気の充満する部屋を庭の木の上から眺めていた疾風は疲労による溜息を盛大に零した。


「頼むから、戦は止してくれよ……我が主……」


 しかし、野々姫の提案は鬼神の統率力を葉月に譲れということ。そうなれば、どういう混乱に陥ることか。

 そこで、野々姫ははたまたとんでもない提案をぶっ込んできた。


「そう言うと思ったわ。ならば、葉月と文月を夫婦にすれば?」


 神無月は飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。

 神無月が咳き込んだところを、野々姫はおかしそうに笑った。


「あらあら、大丈夫?」

「……本気ですか?」

「だぁって、葉月が頭領になることに不安を抱くのであれば、その嫁を文月にすれば何も問題はないと思って。ふふ」


 野々姫は袖で口元を隠しながら上品に笑った。


「しかし……」

「しかし……何?」


 神無月のその最初の一言に否定が含まれていると判断した野々姫は眉毛をぴくりと動かし、首を傾げる。

 問題ありすぎる。そもそも、文月は夕霧と愛し合っているというのに。わざわざ二人の仲を引き裂くなど出来るわけがない。


「野々姫様。葉月殿と文月姫様がたとえ夫婦になろうと、お互い満足はしないでしょう」

「……ああ、人間と恋したんですってね」


 野々姫の声が僅かに低くなった。


「本当、身分違いの恋に幸などないのに」


 野々姫は初めて無表情を見せて、神無月は身構えた。

 だが、すぐに紅の塗られた唇は吊り上げられた。


「あまり、話は進まなかったわね。残念だけど、この話に賛同しなければ、竜宮は救えないわよ?」

「来て頂いてありがとうございました。では」


 野々姫はふふ、と笑みを零すと立ち上がった。


「いいえ、こちらこそ。タマ、行くわよ」

「ハイにゃー、野々姫様」


 おかっぱ頭の猫の耳の生えた少女が野々姫のそばに駆け寄った。その着物の裾からは、二つに裂けた尻尾が見えていた。

 妖艶な女鬼と化け猫が去ってからは神無月に残ったのは疲れだった。


「このところ、働きすぎかな……」

「でしょうね」


 部屋の外から疾風の声が聞こえた。


「神無月様。このままでは、竜宮だけでなく、人間界にも影響を及ぼすことがあるでしょう。何故、ここまで次代の水無月様が決まらないのでしょう」


 神無月は首や肩を回しながら答えた。


「鬼神の武器は普通の武器と違って、命が宿っているからね。気に入った主が見つからないんだろうね」

「はあ……困りますね、それ」

「疾風、鬼神になりたい?」

「それは、よくわかりません。俺はただ、妻と平穏に暮らせれば良いですから」


 疾風の答えが予想通りだったのか、神無月は笑みを浮かべた。



………………………………………………………………



 一人の女子生徒の「スタート」を合図に一斉に走り出した。

 走り終えてからゴールで待ち構えていたストップウォッチを持った別の女子生徒が目を丸くして駆け寄ってきた。


「十六夜さん、足速いんだね!」

「え? 何秒?」

「ほら」


 女子生徒の持つストップウォッチを見て自分ではありえない記録に絶句した。

 そこには、7秒の数字が表示されていた。


「え、別の人じゃない?」

「四人の中で十六夜さんが一番速かったから間違いないよ」


 運動はそこまで得意ではなかったのにいつの間にこんなに足が速くなっていたのだろう。今まで戦ったり走ったりとしてきたから自然と足も速くなっていったのだろうか。


 その後、握力を計ると両手共40kg越えていることが明らかとなった。


「美月ちゃんて、こんなに力持ちだった?」

「えーと、この日のためにずっと運動してて……」

「真面目ね、それにしても凄くない?」


 クラスの女子生徒からは褒められたのだが、美月にとっては気味の悪いことこの上なかった。

 それだけではなかった。

 あの体力測定の日から身体能力の伸びが著しく、この間はガラスのコップを素手で打ち砕くほどであった。



  お蝶の作った夕飯を口にして、今度は気をつけてコップを握った時、その透明な表面にヒビが入った。


「おかしい」


 美月が眉間に皺を寄せて呟くとお蝶は首を傾げて美月の元に歩み寄った。


「どうなさいました?」

「ほら、またコップ割っちゃった」


 お蝶は美月からヒビの入ったコップを受け取ると台所へと持って行って新しい物と交換した。


「最近、私、変なの」


 お蝶は新しいコップに水を注いで美月の目の前に置いた。


「姫様。恐らく、姫様の体は鬼化してきているのです」

「鬼化……? 人間じゃなくなってるってこと?」


 美月は自身の両手を見つめて呟いた。

 そんな美月の肩に手を置いて、お蝶は優しく悲しい口調で囁いた。


「元々、姫様が生まれ変わった理由は睦月様が姫様にもう一度会いたいと願ったから。あなたはもう一度、文月という鬼神の道を歩むために生まれ変わったのです」


 心臓が嫌に鳴り響いた。まるで、内側から徐々に鬼へと変わろうとしているかのようで、なんだか、怖かった。

 それ以前に、もっと怖かったのは、大切な者を傷つけるのではないかということ。


「お蝶たちはいつも、力加減を考えて行動していたの?」

「はい。人の身である、姫様を傷つけぬよう、細心の注意を払って」


 美月はそこで初めて知った。鬼と人間は力の差というものがある。人間である美月に対して、皆は傷つけぬようにそっと手を引いてくれていたのだ。

 美月は拳を胸の前で握りしめた。


「お蝶、私も練習する。手伝ってくれる?」

「はい、我が主よ」


 お蝶は微笑んで首を縦に振った。



 目の前のコップに神経を使い、慎重に、慎重に触れてみる。そっと、持ち上げてみる。

 途端、またしても表面に小さなヒビが入る。さっきよりもまだマシだ。

 しかし、思うよりも上手くいかず、美月は盛大に溜息をついた。


「上手くいかない……」

「大丈夫です、姫様ならすぐに出来ますよ」


 お蝶に励まされ、再びやる気を取り戻すともう一度挑戦した。割れないように、そう願いながらゆっくりと持ち上げる。

 今度はヒビが入らない。その感覚を覚えていく。


「これが出来ないと困るな」


 誰かを傷つけてしまったら。

 駄目だ、傷つけるものか。美月は何度も練習して自分の力加減を確かめていく。

 前世の自分はどうしていただろう。どうやって夕霧に上手く接することが出来ていたのだろう。

 とにかく思い出すしかなかった。あの感覚を。


「まったく、力加減など簡単なことだろう」

「瑠璃、お黙りなさい」


 美月の側に歩み寄って来た瑠璃の言葉は何処と無く刺刺しい。

 お蝶と瑠璃が喧嘩を始める前に、美月は瑠璃に声をかけた。


「それじゃあ、瑠璃も教えて頂戴な」

「へえ、私に教わりたいのか。なら、頭の固いくノ一はすっ込んでいな」

「何を言うの。姫様は特にあたしに教わりたいの。乱暴者こそお静かにお願いします」


 悪化したようだ。

 自分がいない間、この仲の悪い二人がどう過ごしているのか想像するだけで頭が痛くなる。


「二人に教えてもらいたいから少しだけ仲良くなっていただけるかな」


 美月の言葉を受けた二人は渋い顔を互いに見合わせると肩を竦めた。

 主はどんな状況でも堂々とした姿を見せていなければ。美月は落ち着いた声色で二人を諭し、喧嘩が始まらぬように事を進めるのであった。


 ──まずは、二人が仲良くなる方法でも見つけよう。


 どうすれば二人が仲良くなれるか頭の中で多くの策を練っていると、リビングに電話が鳴り響いた。


「私、出てくるね」


 美月は早足で電話へと向かうと白い受話器を取った。


『美月、明日暇?』

「すごく唐突だね。暇だよ」


 受話器の向こうから優の声が聞こえた。いつもの彼の声に安心していると


『明日、一緒に出かけない?』


 と、誘われたので頭の中はまるで宵闇を照らす黄金の日の光が谷間から顔を出すように歓喜に満ちていた。

 だが、舞い上がる美月を一気に貶めたのは、自身の手が視界に入った時だった。


「うん……わかった……明日、待ってる」


 美月はゆっくりと受話器を戻すとゆっくりとお蝶と瑠璃の方向へと振り返る。

 愛しい人に誘われたというのに負の感情が表に出過ぎてしまい、目が合ったお蝶と瑠璃の表情から困惑が読み取れた。


「明日、出掛ける。優と」

「それは、良かったですね……?」


 何故、自分の主はこんなにも絶望的な表情をしているのだろう。

 仲の悪いお蝶と瑠璃だが、美月の異変に二人仲良く首を傾げた。


「デート……か……」

「でえと?」

「明日、素手で物を捻り潰すところを優に見られるのね」

「あ、それを心配されているのですね」


 美月は自分の掌を見つめて、顔を顰めた。もしかしたら、優のことも傷つけてしまうのかもしれない。

 やっぱり誘いは断れば良かったのだろうか。


 ──いや、絶対に断りたくなかった。


 ならば、やるべき事は一つだけ。

 意を決した表情で美月は席に着くともう一度コップに触れた。

 何度もやり続けたことでコツを掴み、いつも通りに持つことが出来た。


「やりましたね! 姫様!」


 ──見よ、これが私の本気だ。


 自分のことのように喜んでくれるお蝶を見て、良いお母さんになるなと誇らしくなった。

 瑠璃はお蝶ほど喜んではいなかったが、「お前なら当然出来るだろ」とそっぽを向いた。もしかしたら、瑠璃はあれだろうか。現代でいうツンデレというものではないだろうか。

 それにしても我ながら凄まじい集中力。追い詰められると本気を出すのだ。

 何となくだがコツを掴んだ。「よし」とガッツポーズを決めると美月は明日の服装について考えた。


「明日は清楚なものを着て行こう」

「お淑やかな女は魅力的です。あたしの時は普通の着物でしたが疾風は褒めてくれまして、芝居小屋まで連れて行ってくれたのです。あ、やはり華美なものよりも清楚なものが良いと思われますし、やはり殿方の心とは難しいもので疾風は──」

「──わかった、ありがとう」


 このままではお蝶の夫自慢が朝まで続きそうなので緩やかに止めた。話し足りなそうなお蝶に捕まる前に瑠璃に話しかける。


「瑠璃も、練習手伝ってくれてありがとう」


 瑠璃は銀髪を弄りながらそっぽ向いた。主を前にして髪を弄りながら無視とは無礼にもほどがあるが、美月は全く気にしない。

 とは言えども、よく瑠璃もお蝶が嫉妬するほど美月に引っ付いているのでただ素直になれないだけなのかもしれない。そこが可愛いのだ。

 二人を見ていると、小桜と小雪と暮らしていた頃を思い出して、微かな笑みが零れた。




…………………………………………………………



 翌日、優はあともう少しで美月の家というところで家の前にいる彼女をすぐに見つけた。

 黄色いふんわりとしたワンピース姿の彼女は良いところのお嬢様という雰囲気を纏っていた。いや、彼女は立ち振る舞いといい、大人っぽいので若奥様と呼ばれても不思議ではない。実際、本当に裕福な家の出らしい。

 こちらの存在に気がついたのか、三つ編みにした黒髪を靡かせて手を振ってきた。


 ───可愛い……。


 と、心の中で呟いた。この言葉を口にしている自分を想像することが出来ない。

 だが、本当に美月は綺麗だ。自分には勿体ないくらいの最高にして最愛の女だ。


「これ、公園で食べない?」


 美月は手に持っているバスケットを見せて微笑んだ。


「ん、食べる」

「残さず食べてね。全部」


 にっこりと笑う美月は何だか恐ろしい。残したら捻り潰されるのではないかと思えるほどに。



 美月は公園の原っぱにシートを敷いてバスケットを上に置いた。


 ──ここまでは完璧だ。


 持ってたバスケットは無事だ。うっかり片手で潰した、という悲劇は今のところは起きていない。

 練習したかいがあった。練習に付き合ってくれたお蝶と瑠璃にはしっかりとお礼をしなくては。

 安堵してバスケットに手を伸ばした。


「………………」


 ───あれ、持ち手の部分若干曲がってないか、これ。


「美月?」


 大変だ。やってしまった。


「おい?」

「食べましょう」

「おう……」


 とにかく落ち着くためにも今見た事は気にしないで、ピクニックを楽しもう。あのバスケットは元から曲がってたと思えば大したことではない。

 サンドイッチをかじった優を見つめてじっと感想を待っているとそれに気づいたのか優は「美味しいよ」と一言言ってくれた。


「そういえば、美月がクラスで一番足が速いって本当?」


 何でよりにもよってその質問なのか。美月は持っていたサンドイッチを落としかけて優がそれをとらえた。


「何?」

「……ほら、今まで戦ってきて鍛えられた、みたいな、ね」


 内心焦っていることを悟られぬように冷静に答えたつもりが起伏の乏しい、まるで機械的な話し方になってしまい逆に優に違和感を覚えさせてしまった。

 そろーっと隣にいる優に視線を移すと訝しげにこっちを見ていたため逃げるようにそばに置いてあるバスケットを開けた。


「それで、握力が……」

「ごめんけど、それ誰から聞いたの?」

「鈴屋」


 ───夏海、何してくれてんの。


 いくら、親友とは言えども。いくら、"あの鈴"だったとしても。何故この事を優に話してしまったのだ。

 頭の中が全回転して硬直してしまった美月に優は容赦なく話をぶつけてくる。


「美月、すごいなー」

「あははー、本当ー」


 まずい、顔が引き攣って笑顔を作れない。


「──で、何隠してんの」


 優の視線が痛い。これは、もう隠し通す事など出来ない。


「これ……」

「……?」


 美月はその辺に落ちていた結構太めの木の枝を持ち上げると──片手で粉々に砕いた。


「はい」

「どういうこと」


 確かにこの細い手にこれほどの力があったのは驚きだが、それがどうした。優は眉間に皺を寄せて、美月の言いたいことを必死に理解しようとした。

 その行為には感謝しているが、これだけでは答えまで辿り着けない。美月は自分の身に起こっていることを事細やかに説明した。


「私は、徐々に鬼へと姿を変えようとしている。──違う、鬼に戻ろうとしている」

「鬼に?」

「私は前世の頃の自分に戻ってきているの。最近の私の身体能力の向上は凄まじい。近々、人間を辞めることになるね」


 美月は自分の掌を見つめて、微かに笑った。


「でも、私は鬼として生きる事に抵抗はない。父上が私に、もう一度鬼神の道へと望んでいるのであれば、私は受け入れる」


 美月の強い意志。それは、人間を辞める覚悟と前世と向き合う覚悟の表れだ。美月が鬼として生きると言うのであれば、優には何も止める気はなかった。


 ──愛した彼女は、元は鬼だったのだから。人であろうと、鬼であろうと、この想いは変わらない。


「何で隠してた」

「乙女心というものよ、乙女心。以前のような力加減がわからなくて簡単に物を壊しちゃうから、優にはそんな情けない姿見られたくなかったの」


 「わかる?」顔を赤くして腕を組む美月。美月は意外とプライドの高い性格で、ちゃんと力を制御出来ずにいる所を好きな人に見られるのが恥ずかしくて仕方なかったのだ。

 それがおかしくて、優は小さく吹き出した。


「な、何笑ってるの……」

「そんなことか、俺は別に気にしない」

「そんなこととは何ですか。私が気にするの」

「お前、よく隠し事とかあるから、また何かあったのかと心配した」


 優の「心配した」という優しい言葉を受けて、美月は申し訳なさそうに肩を竦めた。


「心配かけてしまったのなら、ごめんなさい。私もまだまだ練習しないと」

「練習って、物を壊さない練習?」

「それだけ聞くと私が暴れん坊みたいね」


 優は可笑しそうに、笑みを零した。そういえば、優がこんなにも、笑うなんて前までは想像出来なかった。


「優、前よりもよく笑うようになったね。ほら、前はすごく無表情で無愛想で怖かったから」

「……。それはすまなかったな」

「あ、でもそこも好きなんだけどね。全然笑わないから心配してて。夕霧の時は逆に私に笑顔を教えてくれる立場だったのに」


 今、さらっと告白してこなかったか。美月は恥ずかしがりもせずに、堂々と「好き」と言う言葉を口にした。こっちが恥ずかしいのだが。

 そうだ、あの時は──


 ───文月。俺はお前を必ず笑わせる。


 こんな事を、前世の美月に言ったのだ。いつも笑わない彼女が不思議で仕方なかった。彼女こそ、無愛想だったが、とても優しかった。だからこそ、笑えるはずだと思えたのだ。

 あの日、文月という存在を忘れて殺してしまってから、何か違和感を覚えていた。そして、楽しいとは何なのかさえも分からなくなっていた。

 前世は、血の繋がった父親からも愛を向けられていなかった。唯一の心の拠り所である母親も失踪して絶望の淵にいたはずの自分が何故笑えていたのか、今になってわかった。文月がいたからだ。


「俺が笑っていられるのは、お前が笑顔を教えてくれたからだ、美月」


 清々しい程の晴天の下、天から注がれる暖かな日差しと共にその言葉は美月の心の中へと流れ込んできた。


「そう……私は、あなたを笑わせることが出来たのね」


 美月はふぅ、と息を吐き出して微笑した。月のような静けさと、太陽のようなあたたかさを持つ優しい笑みを優に向けた。


「そうだな、ありがとう」


 優は、美月に教えてもらった笑顔を見せた。



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