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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第三章 『雪ノ都編』
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【第三章】血塗れの弥生

 短刀で床に固定された物の怪たちの痛みがその主である美月に影響を及ぼしていた。動けない、それに目の前には敵がいる。

 短刀の持ち主である鬼蛇は苦痛に耐える美月に問いかけた。


「ご存知ですか? あなたのお父上様の事なので、知っていると思ったのですが」


 知っているなら会いに行っているとも。

 美月は顔を顰めた。


「父上の居場所なんて……私だって知りたいくらいなのに。娘だからといって私が何でも知っているわけではない」


 美月の答えに鬼蛇は困り顔で頭をかいた。どうやら本当に美月が知っていると思っていたようだ。


「残念ですね、せっかくあなたを生かしておいたのに」


 父親の居場所を探るために殺さずにわざわざここに連れてきたのか。

 鬼蛇は美月を、まるで使えないものを拾ってきたような目で見下ろした。


「じゃあもう、お辛いでしょうし兄上様の所に送って差し上げますよ。ほら、私って優しいですよねぇ」


 鬼蛇は短刀を振りかざした。

 死んでしまう。美月は呆気なく終わりを告げる自分の命の不運さに絶望した。また、死ぬのか。死は怖くない。だけど、まだ──


 ──『美月』


 やっと生きたいと思える理由が出来たのに。


「待て」


 鬼蛇は背後から聞こえてきた声に短刀を振り下ろそうとした手を止めた。

 美月も突然の声の乱入に顔を上げて、鬼蛇の背後を見据えた。

 そこには、美月を気絶させて連れてきた張本人がいた。


「長月様、何か御用でしょうか」

「貴様の用は終わっただろう。俺はそいつに用がある」


 長月は美月に視線を向けて、そして鬼蛇を睨んだ。

 鬼蛇は仕方ありません、と短刀を懐に仕舞った。


「鬼蛇、お前は兄上の所へ行け」

「おや、大事なお話ですか。では、私はこれで」


 鬼蛇は貼り付けたような笑みで長月に会釈すると、蝋燭に照らされた廊下を歩いて闇に消えて行った。いつかあの笑顔を崩してみたいと美月は思った

 長月は美月の近くまで来るとただ無言で美月を見下ろした。美月も長月から目をそらさない。

 だが、長月は何を思って美月を見つめているのだろうか。これから美月をどうするのか考えているのか、それとも何か言いたいことでもあるのか。


「何……」


 痺れを切らした美月は自ら話しかけた。すると返ってきたのは予想外のものであった。


「お前、鬼蛇を殺せ」

「…………突然何を言うの?」


 本当、何を言っているのだろう。

 美月は状況がわからず困惑した。


「長月、鬼蛇に死んでほしいの?」

「あいつは目障りだ。何を企んでいるのかわからない。あのままでは兄上を殺す」


 なるほど。

 美月は長月の考えている事をなんとなく理解した上で、彼のよく分からない言動を指摘した。


「意外と兄思いね。頼まれなくてもあいつは殺す。でも、そんなに言うのであれば自分で殺せば良かったのに。あなたになら、その機会は沢山あったはず」


 長月は面倒臭そうに溜息をついた。それにしてもよく色んな人から溜息をつかれるのだが、自分は何かしたのだろうか。


「今、鬼蛇を殺せば兄上もお怒りだろうな。あいつは変だが有能だ。俺が殺した事はすぐに分かって兄上は俺を追い出すだろう」

「私の方が最適と。それは有難い。何度でも言うけどあなた葉月大好きなの?」

「訳の分からぬ事を抜かすな」


  長月は機嫌を悪くしたのか顔を顰めて美月を睨んだ。まだまだ、幼いな、長月は。つい、笑ってしまった。

 おかしい、この感覚、前にも……。


「長月、変わってないのね」


 そう話した途端、美月は違和感を覚えた。自分は何を言っているのだろう。何でこんなことを言ったのだろう。でも、そのまま言葉は止まらなかった。


「…………長月、元々あなたは優しい性格のはず。どうして葉月が間違っていると知りながらついて行ったの。一族から追放されてまで、あなたの兄は正しいとでもいうの」


 何だ、これは。美月は自分で口にしていながら頭の中ではその言葉の全てに困惑していた。何故なら全ては身に覚えのないことだから。


「誰が正しいなど、どうでもいい。兄上に従うだけだ」

「前は自分の道を進みたいと言っていたのに」

「昔のことだ」

「か──」

「その名を口にするな! 俺は昔とは違う! お前だってそうだろう……人間の男を好いたくせに」


 後半悔しげに呟いた長月を見て、美月はあることに気がつき、言葉が止まった。


「え……?」


 美月は止まりかけた思考を何とか動かそうとするも、動かし方を忘れてしまったようだ。そのせいで、考える事が出来ず、言葉を紡ぐことが出来ない。

 悔しげに見下ろしてくる長月の黒い瞳を見つめて、美月はただ、黙っていた。

 その時、地響きがこの場所を揺るがした。


「……!!」


 それはまるで鐘を打つように何度も鳴り響き、最後の一撃で美月のいる牢獄の壁がうち破かれた。

 石垣が崩れ落ちて牢獄に光が差した。久しぶりの日の光に目を細める美月の元へと駆け寄ってきたのは紛れもなく、優であった。

 優は美月を見つけて安堵すると同時に傍にいる長月に気づいて目を見開いた。


「長月……」

「久しいな夕霧。さっさとそいつを連れて行け」


 長月の思ってもいなかった言葉に優は逆に警戒した。どういうつもりだ、と優は美月を背に庇いながら長月を見つめる。

 長月は「そいつに聞けばいい」と着物の裾を翻して闇の中へと消えて行った。消える直前に、憂いを帯びた表情で見られていたような気がする。

 どこかで壁を打ち壊すような大きな音が聞こえてきた。優は美月の縄を解いたが、美月が動かないことに疑問を抱いた。


「どうした」

「ごめんね、動けないの。この子達が……」


 美月の視線の先には短刀で床に押さえつけられた物の怪たちが苦しんでいるのが見えた。

 それを見た優は咄嗟に物の怪たちに突き刺さった短刀を掴んだ。


「待って……! 瘴気は……!」

「触れるくらいならなんとかなる小桜も来ているから、大丈夫だ」


 まさか、小桜も助けに来てくれていたとは。

 小桜は椿歌に選ばれ五代目の卯月となったのだ。今なら瘴気の浄化も可能。傷を負わない限り、大事には至らない。

 優が思い切り短刀を引き抜いた途端、美月の体に激痛が走った。短刀を引き抜かれた物の怪が痛がったのだ。

 それに気づいた優は次の短刀は慎重に抜き始めた。全て引き抜くと自由を得た物の怪たちが美月の影に戻っていく。


「大丈夫か」

「大丈夫、早く逃げよう」


 優と美月は崩れた石垣から外へ脱出すると、思った以上の混乱が起こっていた。


「おい、次はどいつだぁー!!!」


 聞こえてきた騒ぎに美月は驚いて目を見開いた。


「皐月…良かった、無事だったんだ…」


 心なしか、皐月のあの声は楽しそうに聞こえた。


「弥生と皐月は敵をおびき寄せている。小桜は伝達係な」

「お蝶は無事?」

「ああ、今は怪我してるから雪ノ都にいるんだ」


 怪我を負わせてしまったのか。お蝶には、もう主を死なせまいとする決意が表れていた。だからこそ、だからこそ美月は心配であった。命ほど大切なものはないのだから。


「逃げるぞ美月。皐月たちは後から来る」

「瑠璃たちを探さないと!」


 優と美月は走り出した。この屋敷のどこかにいる瑠璃と琥珀を探して。



 優と美月の足音を察知した弥生は最後に敵の脳天に矢を放ち、皐月に向かって叫んだ。


「姫様たちが逃げ出せた! 私達も行くよ、皐月!」

「よっしゃわかった!」


 皐月は弥生と共に屋根を伝って逃げ出した。大蜘蛛たちは二人を追いかけるも屋根に飛び乗るのに時間がかかり、あっという間に距離を離された。


 その様子を高台から眺めていた葉月は隣にいる鬼蛇に視線を向けた。

 鬼蛇はいつもの不気味な笑顔を浮かべて会釈する。


「私にお任せを」

「良いだろう」


 鬼蛇は後ろに控えていた絹を連れて飛び降りた。



 美月と優は弥生と皐月と合流し、屋敷の出入口に向かう。そこで、瑠璃と琥珀が門を開けて待っていた。


「ありがとう」


 美月が礼を言うと瑠璃は首を振って脱出するように促した。

 美月たちは門から出ると慈屋敷の景観が林へと変わった。

 暫く走り続け、弥生が急に立ち止まって途切れ途切れの呼吸を繰り返していた。


「行って!」


 一行に向かって叫んだ弥生だったが、見兼ねた皐月が弥生をおぶって走り出した。

 優しい対応だったが皐月の乱暴な走りには振り落とされかねない。大きな背中に必死にしがみつきながら、弥生はその優しさに口元が綻んでいた。

 その時、美月たちの行く手を阻むように、蜘蛛の糸を伝って絹が降りてきた。


「絹……どきなさい!」

「すみませんねぇ、文月姫。なんか、殺さないといけないみたいで。鬼神は出来るだけ減らしておいた方が後が楽ですしね? ね? そうですね、まず糸のような失態は許されませんので、全力で行かせていただきます」


 絹が長々と話している間に大量の蜘蛛の足音も後ろから迫った。

 絹はにやにやと笑いながら追い詰められた美月たちを見つめている。

 ここにいる人数だけでも、十分な戦闘力だ。やはり、切り抜けるしかないだろう。そう考えた直後、


「どうやらあの大蜘蛛たちは腹を空かせているようですね」


 絹の体を破って人の五倍ほどの大きさの蜘蛛が姿を現した。それは、以前美月が倒した糸と同じ光景だった。

 全員が身構えた時、蜘蛛と化した絹は奇妙な笑い声を上げながら太いその足で地面叩き壊した。その衝撃で美月たちは吹き飛ばされ、更に絹は面白そうに笑った。


「野郎、馬鹿にしてんのか」

「皐月!」


 皐月は弥生を地面に降ろすと槍を一振して絹の巨体を吹き飛ばすも、また絹は体制を立て直した。

 弥生ははっとして美月たちに聞こえるように叫んだ。


「蜘蛛の足音が止まりました! でも、すぐそこに……!」


 絹はいくつもある目を美月たちに向けて不気味な声でこう言った。


『馬鹿ですねぇ!! あなた達は、囲まれてんですよぉお?!! 食われますよ!! 鬼神の骨はさぞ美味でしょうね!!』


 絹の大きな声が響き渡る。

 確かに、周りに気配を感じる。絹の合図でいつでも動き出せるようだ。

 この場にいる全員が本気で戦えばもしかしたらこの難関を突破できるかもしれない。あの数の大蜘蛛を弥生と皐月はたった二人で相手したのだ。ならば、と美月も曼珠沙華を呼び出す。


『はーい、速やかに殺しなさい』


 絹のその言葉を合図に一斉に蜘蛛たちが襲いかかってきた。


「お前らとはもう随分と戦ったよ!」


 皐月は余裕の笑みを浮かべて蜘蛛たちを薙ぎ払う。その背後を狙っていた蜘蛛を瑠璃は青い炎で焼き払った。


「お! すまねぇな!」

「勘違いするな、文月のためだ」

「お前いつから姫のことそんなに慕うようになったんだ?」


 弥生は琥珀と共にその様子を見ながら絶体絶命の危機に何を余裕ぶっこいているのだと呆れていた。

 一方、絹は美月を狙っているのか、美月に向かって蜘蛛の糸を飛ばしてくる。あまりに連続に飛ばしてくるため、ついにその粘着力の高い糸は体に絡みついた。


『滑稽ですねぇ!!?』

「美月!!」


 美月をそのまま糸で引き寄せようとした絹だったが、乱入してきた優によって断ち切られた。

 優が美月に絡みついた糸を剥ぎ取っている間、襲いかかろうとした絹の体にいくつもの苦無が突き刺さった。

 絹が振り返ろうとした途端、目が潰された。


「よくも私の大切な大切な姫様に汚れ物をつけてくださいましたね!!!」


 ついでに絹の胴体を鎖鎌で抉った。


『……っ!!!』


 絹は急激に襲ってきた痛みに暴れ回り、地面を揺らした。

 優は美月に絡みついた蜘蛛の糸を完全に剥ぎ取ると勝ち誇ったように胸を張る妹と目を合わせる。

 小桜は椿歌を掲げると淡い桃色と白色の光を発して美月と優を狙っていた蜘蛛たちを弾き飛ばした。


「周りに気をつけなさい夕霧!」

「……ありがとな」


 優と美月は腰を低くして、刀の柄に手をかける。

 痛みに怒り狂う絹は美月たちに向かって足を振り上げる。その一瞬の隙を突いて美月は絹の足を切り落とした。


『なっ?!!』

「ごめんなさい。あなたを殺さないと鬼蛇が死なないもの」


 美月は冷静にそう返すと次々と上から突いてくる足を避けて、優がその大きな胴体を斬り裂いた。

 体のあちらこちらから血を噴き出しながら絹は怒りのままに叫んだ。


『あああ!! 腹が立ちますよこの死に損ないがっ!!』


 優と美月の動きの速さは尋常ではなく、しかも二人の息はぴったりと合っていた。何故なら前世で何度も刀を交えたのだから、お互いの動きはよく理解しているのだ。二人揃えば、何も怖くない。

 絹は次々と傷つけられていく。あともう少し、親玉さえ倒せばこっちのものだ。美月と優は地を思いきり踏み込んで、絹へと全速力で向かう。


 弥生は微かながら違和感を感じていた。刃物同士が擦れ合うような音が聞こえてくるのだ。姫や夕霧が刀を使っているし、聞こえてくるのは当然なのだが、やはり違和感がある。

 隣にいる琥珀の肩をそっと抱いて辺りを見渡した。


「な、何すんだ!?」


 顔を赤くする琥珀の口を塞いで「静かに」と囁いた。

 まさか、この場にいる以外の敵が近くまで来ているのだろうか。しかし、その敵の足音といい物音といい聞こえづらい。


(まさか……弥生の耳が良いのを知っていて、出来る限り音を立てぬようにしている……?)


 弥生は更に琥珀の肩を掴む手を強める。

 今の状態で乱入されては…………




「────!」




 弥生は一瞬だけ聞き取れた物音に顔を青くして琥珀を庇った。

 その瞬間、背中が一気に熱を帯びた。


(ま…さか……)


 弥生は横目で背後を確認した。

 そこには、大量の短刀を持ってにやにやと笑う鬼蛇と、自分の背中に刺さった幾本もの黒い短刀が…………。


「あ………っ…さ、皐月……逃げ…」


 倒れ行く寸前で大蜘蛛たちを薙ぎ払っている最中の皐月が視界に入る。

 地面に倒れ伏しても尚、弥生は声をなんとか出し続ける。


「さつ……き……に…逃げ…て……」


 まだ皆、鬼蛇がいることに気づいていない。どこかでこっそりと皐月たちを狙う為には、聴覚の鋭い弥生が邪魔だったのだろう。


「弥生!」


 琥珀は弥生に意識があるのを確認し、彼女の背中に三、四本突き刺さった黒い短刀を目にして顔を引き攣らせる。その短刀の持ち主が誰なのかに気づいてしまったのだ。

 琥珀の声に反応して、皐月は振り返った。

 琥珀の傍らで、背中から血を流しながら倒れ伏す弥生の姿が目に入った。


「弥生……?」


 皐月は蜘蛛たちを槍で一気に払うと弥生の元へ駆け寄った。


「おい? 弥生、しっかりしろ!」


 皐月は弥生の背中に突き刺さった短刀を引き抜くと治療を始める。治癒能力で弥生の傷を防ごうと試みるも、周りにいる蜘蛛が邪魔して一向に進められない。

 弥生は皐月の袖を掴んで震える口を開いて、必死に言葉を紡ぎ始める。


「逃げ……」

「お前を置いて逃げられるかっ!」

「鬼…蛇……」


 その言葉を聞いて、皐月は目を見開いた。どこかに鬼蛇がいるのかもしれない。弥生の背中に突き刺さっていた黒い短刀も、鬼蛇のものだ。弥生の治療をしながら皐月は辺りを警戒した。


「ああ、くそっ、邪魔をするな!」


 治療を妨げる大蜘蛛たちを殴り飛ばす。

 傷が完治したとしても、傷から瘴気が大量に入り込んでいて弥生は苦痛に悶えている。

 そこで丁度いいところに、小桜が駆けつけてくれた。


「よう、良いところに来てくれたな五代目卯月! 弥生の瘴気を浄化してくれ! 弥生の状態はかなり酷い!」

「小桜で結構です! かしこまりました!」


 小桜はすぐに瘴気の浄化を開始する。

 皐月は立ち上がって弥生に視線を向ける。


「お前は死なねえよ、なんたって俺の自慢の妹だもんな!」


 小桜の力で体が温かくなっていく中、皐月のその言葉が弥生の胸を打った。


「皐…月……」


 戦いに向かう皐月の背中が、卯月と重なって見えた。


「待って……」


 弥生は震える手を伸ばした。


「いかないで……」


 皐月は槍を振るって蜘蛛たちを弥生から遠ざけた。だが、弥生の血の匂いを追ってか、蜘蛛たちはどんどん沸いてくる。


「触んじゃねぇよ!!!」


 何体か弥生に触れようとして、皐月に殴り飛ばされ槍で突き刺された。


「皐月……」

「死ぬな弥生! お前まで失ったら……!」


 皐月は槍を地面に突き刺して地響き割れを起こして一気に蜘蛛たちを亀裂の中に沈める。

 卯月も弥生も失えば、どう生きていけばいい。大切な家族を失うなんて、耐えられない。

 必死に守り抜くのだ。天にいる卯月のためにも、弥生と共にこの地獄を生き抜かなければ。


「皐月…っ……!」


 弥生の叫びに皐月は背後にいた大蜘蛛に気づいて槍で仕留めるも、今度は別のものが皐月を襲った。

 背中に熱と共に激痛が駆け抜けて行く。視線を下に向けると、腹からいくつもの黒い刀の先が突き出ていた。

 更に、今度は足に短刀が貫通する。


「皐月……皐月…っ……!」


 弥生は体の内側から感じる瘴気の気配になど構わず、全身に血糊が迸る皐月の名を呼び続ける。


「なめんなよ……俺は…皐月だ……こんなの、どうってこと……ねぇんだよっ!!」


 皐月は槍を握りしめると思いきり振るって蜘蛛たちの大半を抹殺した。


「──馬鹿ですねぇ、そんなに力を使って」


 どこからか、あの男の声が聞こえた。

 皐月は重症を負ったまま力を最大限に使った反動で、口から血を吐き出してそのまま倒れてしまった。


「あ……」


 弥生は動かなくなった皐月を見て、全身が震えた。


「皐月……皐月!!!!!」


 弥生は声が枯れるほど叫び、無理矢理立ち上がって走り出した。


「弥生様!」


 小桜は無理をする弥生の後を追って支える。

 弥生の瘴気に侵された体が悲鳴をあげるが支えてくれている小桜が少しづつ楽にしてくれた。


「皐月……死な…ないんだよね? いつもみたいに…すぐに…治るよね……?」


 皐月のそばで震える声で話しかけると血塗れの皐月は重そうに瞼を開けると弥生を見て、微笑んだ。


「ああ、すぐに治る……」

「…………」

「弥生……ごめ………」


 皐月の声が途絶えて、弥生の思考が止まった。


「皐月……?」


 弥生は皐月の体を揺さぶった。動かない。動かない。動かない……。

 呼吸音が聞こえない。心臓の音が聞こえない。皐月の音が聞こえない。

 





 ────『卯月様ー! 皐月が木から落っこちた!』


 ────『何をしているこの阿呆』


 ────『あ、阿呆じゃねぇし! いってぇ……』


 ────『怪我してる……木のてっぺんまで登ろうとかするからだよ』


 ────『まったく……後で師走に怒られるんだな』


 ────『げ、嫌だな。だいだい騒ぐ程のことかよ』


 ────『大怪我するところだったんだよ! 弥生、皐月の怪我の治療なんか出来ないからね!』


 ────『ああ、泣くな弥生』


 ────『何泣いてんだよお前。ほら、見ろよ、俺は皐月なんだよ、これぐらい治るって!』


 ────『痛くないの?』


 ────『大丈夫だよ、弥生。皐月はどんな怪我でも治せるのだから』


 ────『そうだ! もう、治ったから泣くんじゃねぇぞ!』















「ぅ…っ………うっ……」





 治らなかったね。

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