【第三章】来訪者
慈屋敷では、ぼろぼろになって帰ってきた鬼蛇が何やら楽しそうに笑っていた。
その様子を見つめ、葉月、長月の兄弟と琥珀は気味の悪そうに鬼蛇を見つめている。
「おい鬼蛇よ」
「何でしょう我が主」
「なんだその身なりは」
「よくぞ聞いてくれました。実はですね?」
鬼蛇は雪ノ都での出来事を興奮気味に葉月に話した。
「それで、勝手に雪ノ都に行って何の成果も得られぬまま帰って来たと……しかもあの半妖の双子が鬼神だと?」
「ええ。霜月がお亡くなりになったので琥珀か私が霜月になれると期待しましたのに」
残念ですね、と肩を落とす鬼蛇はそれでも笑顔を絶やさない。
それが腹立たしいのだがもうあまり変な所に突っ込まない方がいいのかも知れない。葉月は溜息を零した。
「殺せば良いのであろう? 雪ノ都など、竜宮と同じようにすれば良い。幸い、今は水無月の座は空席だしな」
葉月は考えに考え、琥珀を目で捕える。小鬼はびくりと肩を揺らし唾を飲んで葉月からの視線に耐える。
「琥珀。お前も見つけ鬼神を見つけ次第排除しろ。鬼神でなくても関係者なら即殺せ。さすれば激怒した文月が向こうからやって来る」
「わ、分かりました」
琥珀は何度も首を縦に振ると隣に居る鬼蛇と絹に警戒した。
いつこの気味の悪い男に刺されるかわからない。瑠璃もこいつに殺されかけた。今度は自分かもしれない。
──何とかして鬼神を倒さねば。
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今日は休日で学校に行く必要がないが、いつもの週間で朝早くに目が覚めてしまった。
前までは小桜と小雪に起こしてもらっていたが、今は自分で起きるようにもなった。
辺りを見渡すがやはり二人では居な い。
「寂しいな……」
小桜と小雪が来る前は一人暮らしだったし、大丈夫とでも思っていたがもう二人は別の世界の住人になってしまった。
今日は特にやることも無いし、月火神社に行って弥生と皐月に挨拶でもしに行こう。
と、リビングに向かった時、思わぬ事態に美月の思考は停止した。
「おはようございます、姫様」
視線を徐々に下に動かし、現代のジーパンとトレーナーを着用した一人のくのいちが跪いているのが視界に入った。
そして、その奥にはソファの上で気持ち良さそうに眠っている女鬼がいる。
「ちょっと瑠璃! 姫様がいらっしゃったというのに」
「うるさいなぁ……疲れてんだよ」
──何故、お蝶と瑠璃がここに居る。
唖然としている美月を心配してお蝶は美月の顔を覗く。
「ど、どうなされました?」
あ、そうだ神無月だ。
雪ノ都で力を貸す代わりに二人を引き取るように交渉したのだ。
「えっと、今度はお蝶と瑠璃が家に住むって考えで合ってるのかな」
「はい。小桜と小雪は雪ノ都に居るということですので、あたくし共が参りました」
まさか、こんな形で始まるとは。
ふと、テーブルを見ると食卓には食事が並んでいる。
「えっと、お蝶。その格好は?」
「現代に馴染むようにしました」
「あのー、あのご飯は……お蝶が作ったの?」
「はい。姫様のお食事です。忍びたるもの、どのような場にも適応がなくては務まりません」
だいぶ優秀だな。
美月はとりあえず、席に着くことにした。目の前の朝御飯は味噌汁ご飯に目玉焼きにサラダ……現代風だなぁ。
小桜も小雪もテレビなどの情報から現代の暮らしを学ぶ事が出来たが、お蝶はその上を行っていた。
「食べてもいいの?」
「もちろんです。姫様の朝げでございます」
「えっと、いただきます」
箸を手に取り茶碗を持って御飯を口にしてみる。美味しい。
お蝶をちらりと横目で見てみると腰に手を当て得意げに微笑をくれた。
「お蝶、良いお嫁さんになるね」
「もうお嫁さんです」
疾風も良い嫁を貰ったものだ。料理上手で明るくて優しくておまけに強い。女として、憧れない者が何処にいる。
御飯を食べてお味噌汁をすすり、目玉焼きを食べる。味付けが絶妙だ。
──私もこれくらいお料理出来たら良いんだけどな。
料理は自分で作れるが、いつも作る相手がいなかった。女として、家庭料理は作れるようにならなくては。
「ねえ、お蝶。お願いがあるの」
「はい、何でしょう」
お蝶は首を傾げ、美月の傍に寄った。
それから、時計の針が正午を回った時、美月は優の家に電話をかけた。
呼出音が2、3回鳴って、彼が電話に出た。
『はい』
「美月だよ」
『あ、うん。そうか』
そうかって何?
美月は電話の線を指で弄りながら首を傾げる。
心做しか相手の声が嬉しそうに聞こえたのは少し期待しても良いのだろうか。
「お昼食べた?」
『食べてない』
「じゃあそっちに行ってもいい?」
美月が質問してから数秒の間が空いた。何故黙る。
「ちょっと、おーい」
『来てもいいけど』
「お、ありがとね」
快く了承を得たので美月は上機嫌に電話を切った。嬉しくて仕方ない。また今日も会えるんだ。
どんな服着ていこうか、髪はこのままで良いかなんて、色々考えているうちにお蝶と瑠璃に覗かれていた事に気づかなかった。
「何だいあの顔は」
「まあ、姫様ったら。あたしと疾風の時を思い出す。あの時は疾風から誘われたのよね」
「…………」
恋に浮かれる美月とお蝶を瑠璃はぼんやりと見つめた。
ああ、自分もこんな風に頬を赤らめて愛するあの方の傍に居たのだな。
今考えれば馬鹿馬鹿しい。あの方に利用されていたとわかっていたのに。それでも手を差し伸べてくれたあの時を思い出すと諦めきれなかった。
この恋は、どこに捨てれば良いのだろうか。
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インターホンが鳴って扉を開けると手提げ袋を両手に提げて微笑む美月がいた。
本当に来た。
「上がってもいい?」
「どうぞ」
今日の美月はとても機嫌が良い。
それにまあ、可愛い。
「何で今日来たの?」
素朴な疑問を聞いてみると美月は更ににーっと笑って持ってきた袋から箱を取り出す。
「なんと、朝からお蝶に教えてもらいながらお弁当を作ってきました」
「お、お蝶? 弁当?」
なんで、そこでお蝶が出てくる。
居間に美月を座らせ話を聞いてみると、雪ノ都の援護の交渉をしに竜宮を訪れた際、条件としてお蝶と瑠璃を引き取る事となったらしい。
美月はお弁当の蓋を一段一段開いて見せた。
手まりご飯、味噌炒め、だし巻き卵など見事な作りだが。
「量、多くない?」
「私も食べる」
「あ、そうなんだ」
と言って美月は二人分の割り箸を取り出した。
「確かにこのお弁当なら……今からお花見に行く?」
「前行ったし」
「桜の季節はあっという間だよ」
美月が不満そうに言うので仕方なく立ち上がってカーテンを開けてベランダに続く窓を開けた。
春の心地好い風が花弁を運んでくる。
ここは周辺に桜の木が沢山あるので、窓からでも見れるのだ。
「窓からこんな近くで桜が見れるなんて……」
「これでいい?」
「うん、すごくいい」
美月は微笑んで桜をじっと見つめる。
その嬉しそうな横顔に自然と笑顔が綻んだ。
割り箸を持って手を合わせた。
「いただきます」
「はい、いただきます」
美月が作った料理は美味い。よく口に合う。いつか作ってくれたお粥も美味しかった。
ふと、顔を上げると美月はこっちをじっと見ている。
「え、何」
「美味しいかな? って」
「美味しいよ」
「ありがとう」
と言って美月は更にじっと見つめてくるので流石に気恥しくなり、無理矢理桜の方へ向かせた。
「女の子の頭掴むなんて、おたくどうかしてるんじゃない?」
「お前は桜見てろ」
一緒に居るだけで緊張するのに見られてたら死ぬ。
美月は言う通りに窓から見える桜を見つめながらお弁当のおかずを口に運んでいく。
「夕霧」
突然、美月は優のことをそう呼んだ。
驚いて心臓が止まるかと思った。
「なんだよ突然……」
「あなたの名前、呼びたくなった。あなたの本当の名前」
美月はニッコリと笑ってだし巻き卵を口に運ぶ。
そういえば、昔は夕霧、文月と呼び合っていたのだった。美月は前世の本名も美月だったので問題ないんだろうけど。
「ねえ、その、優って名前。誰がつけたの? 生まれ変わってからご両親はいるの?」
美月の質問に、優はゆっくりと首を横に振った。
「生まれ変わってから、気がついた時には孤児院にいた。親も名前も誕生日もわからないから全部施設の人が付けたよ。それからは一人で暮らしてきた」
深く溜息をつく優から、苦労を感じとれた。
「お前は現世はどういう暮らしだった」
美月は箸を置いて難しい顔でんー、と唸った。
「私は結構裕福な家に生まれたよ。でも私が幼い頃、忙しかった両親に一緒に出かけたいって我儘言って外出した時、二人とも事故で死んだ。その後は親戚に引き取られたんだけど、皆よそよそしいからこうして田舎に一人で出てきたの」
美月は特に気にする様子もなく淡々と自分の過去について話した。
美月も現世では一人だったんだ。今は平気そうに話しているけど、夢の中で、彼女は泣いていた。前世で失った家族というものをまた現世でも失ったのだ。耐えられなかっただろう。
それなのに、どうして笑っているのだろう。
「なあ、何で笑うんだよ」
気になり過ぎて、つい聞いてしまった。その唐突な質問に美月は一瞬戸惑っていた。けれども、またすぐに綺麗な微笑みを見せて優しい声でこう言った。
「あなたと一緒に居られるから」
心臓が深く大きく鳴り響いた。その瞬間、顔が熱くなった。体の内側から温かいものがじわじわと広がってくる。
そうだった、美月はそういう事を恥ずかしがることなくはっきり伝えられる性格だった。
美月は今度はおかしそうに小さく笑って肩を震わせると、弁当の具をまた口に運んだ。
面白がってるな。
「ほら食べて。お箸が進んでないよ」
「お前って奴は……」
今何か言えば振り回されそうだから下手な事は口走らないようにしなければ。
……まあ、嬉しかったのだが。
「今度、家に来てね」
「そうするよ」
室内での花見は以外に楽しかった。しかしそれは、美月と居られたからかもしれない。
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浅い夢から抜け出すと暑苦しさに唸って寝返りをうった。
外では弥生が洗濯物を干していた。よく働けるな。
「おーい弥生ー、腹減ったから何か作ってくれよ」
作業中の弥生の手が止まった。
「寝てばっかりのくせにぃ、自分でやりなさいよっ!!」
「うわっ!!」
水に濡れた洗濯したての着物が物凄い勢いで飛んできた。それが顔に直撃し、眠気が覚めた。
弥生はこちらを睨むと洗濯物干しを再開する。
ふと、弥生は手を止め、固まった。
「ったくよぉ、いきなりこんなもん投げてきやがって……おい、聞いてんのか?」
弥生はじっと、動かずにある一点を見つめている。
「弥生……?」
異変に気づき弥生の元へと向かおうとした時、弥生は突然弓矢を呼び出してある場所に向かって構えた。
───何だ突然何してんだ!?
矢は弥生の前方に向かって一直線に飛んでいく。
「わっ……!」
茂みから子供の声が聞こえた。
皐月は縁側から外へ出ると弥生の元へ静かに向かう。
「誰だ」
皐月の低い声に身を潜めている誰かは一気に警戒し始める。
弥生と皐月は互いに顔を見合わせ、困った顔でひそひそと話し合った。
「ちょっと警戒しちゃったみたい」
「だろうな。多分あれ子供だろ?」
「そういえば、葉月様の手下の中に子供がいたような……」
弥生の言葉で皐月も顔を顰める。
二人は考えに考えた結果、
「よし殺そう」
同時に武器を構えた。
「わああ! ごめんなさい殺さないで!」
姿を現したのは葉月陣営の一人である子鬼の琥珀であった。