【第三章】新たなる道
「……! 小雪──」
小桜は目の前にいる弟と弟の背中から飛び散る鮮血に目を見開く。
背中に黒い短刀が刺さったまま小雪は姉の腕の中に倒れ込んだ。
「小雪!!!!」
小桜は弟を抱きしめ嘆く。
「えー、しかしですね。あれが鬼神だったら良い結果を葉月様にお伝え出来たんですけどね……まあ、障害物は先に消し──」
それなのに淡々とした口調で話す鬼蛇の腹が貫かれた。
優の刀が鬼蛇の腹を突き刺し、素早く首を切りつける。鬼蛇は血を噴き出しながら地面に倒れ込んだ。
しかし、すぐにまた起き上がる。
そんな事は分かっていたと今度は美月が鬼蛇の腹を斬って左腕を切り落とした。
再び倒れ込んだ鬼蛇に、優と美月は憎しみの目を向けた。
「酷いですね、御二方」
何か学んだのか鬼蛇は美月と優から離れた場所に瞬間移動する。
怒りのまま優と美月は鬼蛇を睨みつけながら刀を構える。
「小雪! しっかりして!」
小桜は涙が小雪の頬に落ちる。
皐月が駆け寄ってくる。
「すぐに傷を治してやる!」
皐月は小雪の傷口に手を翳し、治癒の能力を使い始める。
よく見ると小雪にの背中に刺さった短刀は瘴気を纏っている。
「姫や夕霧の時と同じだな……。瘴気が浄化できないんじゃ……」
「どうすれば……!」
「卯月が居れば……。浄化は卯月の能力だ」
皐月は悔しげに呟いた。
「……姉……さん」
「小雪、喋らないで!」
小桜は膝の上で今にも死にそうな弟を見つめ、俯いた。
向こうでは美月と優が鬼蛇と戦っている。きっと無力な自分があの中に入っていけるはずがない。
そのうち、この都も崩壊するのだろうか。
「姉さん……お母の…」
「え?」
「夕霧は……」
「何?」
「────────」
「え………」
その時、凄まじい暴風が鬼蛇を吹き飛ばす。
屋敷のから、未だに顔色の悪そうな霜月が現れる。
「霜月様……!?」
美月は霜月の名を叫んだ。
霜月は倒れている小雪とそれを抱きかかえる小桜を見つめ、怒りに燃えた目を鬼蛇に向けた。
「よくも僕の子供達に傷をつけたな……!!!」
霜月は更に扇を大きく振り上げ、復活した鬼蛇と、雪女を睨みつけた。
そこで雪女は反論した。
「ちょっと待ちなっ!! 私よりも鬼蛇殺しなよ!! こいつは私の家族を殺したんだ! 最後にこいつが死ぬ様を見させてくれよ!!!」
「僕の都を荒らし、僕と春日の子を殺しにかかった、お前達を許せません。この命にかえても終わらせます」
「霜月様!!」
まさか霜月は死ぬつもりか。
霜月は優しい微笑みを美月に向けて、優しい声で話した。
「姫様、あなたと短い時を過ごせて楽しかったです」
そして、霜月は扇を振るった。
暴風が巻き起こり、それはどんどん大きくなっていく。
「我が武器、『桔梗』よ。この命を全て使っても構わない。最後までこの都を共に守ろう」
それに答えるように巨大化する暴風。民家が吹き飛んでいく。しかし、何故か美月たちには被害が及ばない。
霜月は美月たちに配慮して妖術を使っているようだ。
雪女と鬼蛇はその風の中に巻き込まれる。
まずい、鬼蛇は心の中でそう呟く。体が引きちぎられる感覚を覚える。鬼神の命一つ分の力がこれ程までに強力だとは。
「逃げるが勝ちですね」
その瞬間、鬼蛇は瞬間移動でその暴風から逃れた。
「ああああああああぁぁぁっ!!!!!!!!」
体がばらばらに引き裂かれ、実体を失くした雪女は消え失せた。
霜月は倒れるその最後の瞬間、小桜と小雪に視線を送る。
二人は霜月の優しい瞳を静かに見つめ返した。
「会いたかったよ、小桜、小雪………春日にそっくりだ…ね……」
「あ……」
小桜は無意識のうちに声を発した。そして、涙を流した。
ああ、こんな近くにいたんだ。
「お父……!!!」
娘から初めてそう呼ばれ、霜月は嬉しそうに微笑むとそのまま倒れてしまった。
都が大きく揺れ動き、やがて、暴風は止んだ。
小桜は小雪を皐月に託し、父親の元へ走る。
「お父……お父…っ…」
だが、力の全てを使い切った彼は安らかな表情のまま二度と目を覚ます事はなかった。
「氷が……」
「弥生!」
ようやく氷が溶け、弥生は脱出した。皐月は弥生の元に駆け寄りその冷え切った体を抱きしめた。
「お前馬鹿だなぁ、何してんだよ!」
「ちょっと何すんのよ苦しいじゃない……」
弥生は迷惑そうに呟くも、皐月を突き飛ばそうとはしなかった。本当に無事で良かった。
──友達だと思ったのに。
美月は霜月の死に、涙した。
『あ……ぐっ……』
どこかから消えかかった声が聞こえ、美月は周囲を見渡した。
するとそこには、魂の消えかかった雪女が苦しみもがいていた。
「まだ、消滅してはいないのね」
美月は雪女の元まで歩み寄り、乗り移っていた体を失った半透明の雪女を見下ろした。
雪女は苦し紛れに呟いた。
『痛い……体が切り裂かれ…て……』
「…………」
『ま、まだ……鬼神を……殺してない……夫と、私の……赤子の仇…鬼蛇……を』
「もう、辛いでしょう」
『……辛く……など…辛い……』
美月は曼珠沙華を雪女に向けた。
『ああ、あんた……迎えに来てくれた……の……?』
消えかかっている雪女は天を仰ぎながら微笑んでいる。
「もう、おやすみ」
美月は曼珠沙華を構え、
───振り下ろした。
雪女は黒い霧を放ちながら消滅していった。
……………………………………………………………………
目を覚ますとそこは、白い空間だった。起き上がると、自分が水に浸っていた事に気づいた。
前方から人影が近づいてくる。
『初雪』
そこに、赤子を抱いた夫がいた。
嬉しくて仕方なかった。
『あんた……会いたかった』
『ああ』
夫の笑顔を久しぶりに見た。
そして夫は右を向いて指さした。
夫が指差す先は溶岩だらけの世界が広がっている。
『ここで、この子とずっと待っているよ、初雪。罪を償って来なさい』
夫は優しく微笑んでそう言った。
小さく笑って、夫と赤子に触れた。
『待っといておくれ……』
──雪女、初雪は地獄へと足を踏み入れた。
………………………………………………………………
美月と優は小桜と小雪の元へ駆け寄る。
「小雪!」
どうやら小雪の傷は皐月のおかげで完治したようだ。
だが、鬼蛇の瘴気がまとわり付いていた。
「姫様、どうかそんな顔をしないで」
瘴気の影響で弱っている小雪の手が美月の手に触れた。
「そんな事言われても……。鬼蛇を倒すまで、瘴気が広がれば小雪は……」
「良いんです僕は……」
小雪は弱々しくそう返した。だけどそんな事、誰も許さなかった。
小桜は小雪の胸ぐらを掴んだ。
「死んだらお姉ちゃんは許しませんから!!」
「姉さん……」
「うっ……うっ……」
小桜はまた泣き出してしまった。
小雪の傍に歩み寄る皐月はその瘴気を見て俯いた。
「すまない……」
「いいえ、傷を治してくれてありがとうございます」
小雪はそう言って頭を下げた。
小雪は鬼蛇本体から瘴気を受けたのだ。鬼蛇は残りの絹と繭を殺さなければ永遠に死なない。それまでに、小雪の瘴気はどんどん広がっていき、死に至るだろう。
(嫌だ……お父もお母も死んで。小雪まで失ったら私は……)
小桜は不安でいっぱいになった。
もしも小雪が命尽きたその時は、自分も……。
──『諦めるな』
小桜の耳元で誰かが囁いた。
それはどこかで聞いた声、とても懐かしい声だった。
落ち着いていて、とても優しい声。
卯月様……?
そうだ、この声は憧れていたあの方の声だった。
小桜の目の前に、眩い光が現れる。
「これは……」
皐月は目を見開き、小桜を凝視する。
光が消え、眩さに目を背けていた小桜は瞼を開く。
手に何か持っている。
「これ……は……」
「卯月の簪、『椿歌』だ!」
皐月が喜びに満ちた目で小桜を見つめる。
「あの……これは一体……」
「わかんねぇか!? お前が次の代の卯月なんだよ!」
戸惑う小桜に皐月は興奮した様子で説明する。
暫く硬直した小桜は驚愕の顔で何度も頭を振る。
「わ、私が鬼神だなんて……半妖の身なのに……」
「関係ねえよ、椿歌が選んだんだ。お前は卯月だ」
「小桜が卯月になるなんて弥生も嬉しいわ」
皐月も弥生も、嬉しそうに喜びに浸っている。
小桜はどうすれば良いのかわからず、とりあえず美月と優に視線を向ける。
美月と優も小桜に微笑んで小桜の肩にそっと触れる。
「これで、小雪を助けられるよ」
「……!」
小桜ははっとして金色の簪に視線を落とす。
意を決して、弟の手を握った。
「姉さん……」
小桜が椿歌を翳すと、温かい光が小雪を包んだ。途端、小雪の体に住み着いていた瘴気が消え失せていく。
瘴気が完全に浄化され、小雪は体が楽になっていくのを感じた。
「ありがとう姉さん」
「良かった……」
小桜は小雪に抱きついた。
屋敷から出てきた雪ノ都の住民たち。
当主の死体を目にして、愕然としていた。
「そんな……霜月様がお亡くなりに……」
妖たちは沈んだ顔で霜月の周りを囲んだ。全員が涙して霜月に別れを告げているところを見る限り、霜月は都中の者から好かれていたのだろう。
その中にいる粉雪も、霜月の死に嘆き悲しんでいる。
それを見て、小雪はふと優に視線を向けた。
「夕霧……お前は……お前は、僕達の兄なのか……?」
「俺は鬼の血は流れていない」
「それでも、母親は同じなんだろ。お前も、僕も姉さんも春日という人間の女から生まれたのだから」
小雪の真剣な眼差しに、優はもう嘘はつけないと諦めた。
「……そうだな」
小桜と小雪はどう思ったのだろうか。こんな奴が兄で、良いのだろうか。
そんな不安が過ぎった時。
「ありがとな。僕が倒れた時に鬼蛇に怒ってくれて」
そんな答えが返ってきて優は目を見開いた。
弥生も皐月も驚いた顔を見合わせ、二人でおかしそうに笑った。
「なんだよ突然……」
「喜べ。お前にこんな事を言うなんて滅多にない」
「だろうな」
余計な言葉を言うのは相変わらすだが兄弟らしく見えてきたと、美月の中に安心感が生まれた。
「お父……」
小桜は霜月の死体を見据えて悲しげに呟いた。
「お父に、会えましたのに」
「……」
双子は立ち上がると美月に視線を送った。美月は微笑んで、行っておいでと目で伝えた。
小桜と小雪は美月に頭を下げると二人で父親の元へ向かった。
霜月の周りに集まる者達の中に一人、だいぶ年のいった老人が小桜と小雪を見つめ、嗄れた声を発した。
「お主らは……霜月様のご子息とご息女……」
その言葉に、妖たち全員が小桜と小雪に視線を向けた。何やら霜月は都の者達に自分の子供達の話をよくしていたようだ。
双子は霜月の遺体の傍に座り、その顔を見つめた。
「姉さん」
「何ですか小雪」
「僕は憧れていた。家族というものに」
「……私もです」
小雪は父の安らかな表情に、何とも言えぬ気持ちになった。
「小雪、泣いてるのですか?」
「…………」
いつも小桜は泣いて、小雪は無表情だった。今、小雪は静かに涙を流していた。
風が吹き、小桜と小雪の髪が靡いた。
その時、群青色の光が小雪を包んだ。
「……え?」
驚く小雪を包む群青色の光。
小雪の手に、扇が握られている。
「あ……これは……」
小桜と小雪は目を見開き扇子を凝視する。
「これ……お父の扇ですよね?」
小桜の言葉に小雪もゆっくりと頷く。
まさか……と考える隙もなく、老人が声を発した。
「あなた様が、次の霜月様であらせられるお方……!」
妖たちは一斉に小雪に向かって頭を下げ始める。
信じられない。今、小桜は五代目の卯月に。小雪は五代目の霜月になったのだ。
「僕達が鬼神に……」
老人は更に言った。
「新たな霜月様。雪ノ都の当主として、どうか我らを導いてくだされ」
霜月は雪ノ都の当主になる鬼神だ。それはつまり、これまで通り美月たちと過ごす事が出来なくなるという事だ。
これは掟。背くことなど出来ない。
「小雪……」
「姫様……」
美月と優が双子の元へ歩み寄る。
「申し訳ございません。僕は霜月として、この都に残る事になりました」
「どうして謝るの。お父様の跡を継ぐのに」
「姫様の専属護衛も出来なくなってしまいます」
「…………」
「もう、姫様と一緒にご飯を食べる事も、姫様の帰りを待つ事も、出来なくなる」
小雪は溢れ出る涙を着物の袖で拭った。
「何度でも会いに行くから」
美月は微笑んで小雪を抱きしめた。
小雪は想いを寄せる美月から抱きしめられ、頬を赤く染めた。
「私は大丈夫だからね」
美月の言葉に安心したのか小雪は微笑んだ。
美月は小雪を離すと集団の中にいる粉雪と目を合わせる。
「粉雪、小雪をよろしく」
「もちろんです文月姫様。この粉雪、新たな主をしっかり支えますので」
粉雪は跪いて美月と小雪に敬意を表した。
それから、美月は小桜と向き合う。
「小桜は? これからどうするの?」
「……姫様、申し訳ございません。私は小雪と共にここに残ります」
「そう……」
「弟を一人には出来なくて……姫様の事は大好きなんですけど、でも……お別れです」
「そうね。私も小雪を一人にしたくない。私も大好きだよ」
小桜は泣きながら美月に抱きついた。主従関係はお構い無しに、まるで家族のように二人は抱きしめ合った。
雪ノ都の妖たちは鬼神が二人も残ってくれるなんて心強いと全員で話していた。
………………………………………………………………
雪ノ都の門の付近で、美月と優、弥生、皐月は狼達の引く牛車に乗った。
外には小桜と小雪、粉雪と雪ノ都の妖たちがいる。
美月は双子に微笑むと双子は更に寂しそうな顔を見せる。
「姫様……」
「……あなた達は強いから、きっと大丈夫」
美月はそう声をかける。
その隣で、優も小桜と小雪を見つめる。双子は優を見て、いつもの偉そうな態度を見せた。
「意地でもあなたのことをお兄様なんて呼びませんから」
「それは僕も絶対に嫌だね」
「俺も嫌だよ」
なんだ、ちゃんと兄弟してるなと美月は安堵する。
なんだかんだいって、三人とも性格といい外見といい、似ているところは沢山ある。
「そろそろ行きましょう」
粉雪の声掛けに美月は頷く。牛車が空を舞う。
「姫様!! 絶対に遊びに来てください約束ですよー!!」
小桜の声が木霊した。
暫くして空飛ぶ牛車の中、美月は涙を流していた。