【第三章】交渉
翌日、美月と優は雪女が未だこの世を彷徨っている事と雪女から得た情報を月火神社にて、全員に話した。
雪女は鬼神全員を殺すつもりだ。それは理由が違えど目的は葉月と同じだ。
「弥生たちは、葉月様と雪女の両方から襲われる事になるんですね」
不安げな顔で弥生は美月の手をとる。
「姫様、弥生はあなたが一番心配です。鬼神の中で、まずお命が狙われやすいのは睦月様の血族。奴らはあなたのお命を奪おうとするでしょう」
美月は鬼神の頭領の娘。まず睦月と如月を殺せば鬼神の全てが崩れるだろうが、あの二人の都は守りが厚くてそこらの者では殺す事は出来ない。
ならば、狙われやすいのは美月だ。
「ありがとう、弥生。でも他のみんなも危ないの。葉月たちは何処で身を潜めているのかわからないし、雪女は神出鬼没だからね」
雪女に反応し皐月は顔を顰めた。
「卯月の仇を、必ずうってやる……」
悔しげに呟く皐月の肩を掴んで弥生は何度も首を振った。
「弥生もあの雪女が憎い。それでもね、皐月。皐月にもしもの事があれば……」
「わかってるさ、弥生。無理はしない……。それに、第一に考えなければならないのは姫を守る事だ」
皐月は歯を見せて笑う事で弥生を少しでも安心させようと努めた。この頃卯月の事でよく思い悩んでいたから弥生には心配をかけていたのだろう。
小桜と小雪も美月の傍で顔を引き締めた。何かあれば、自分たちがこの命にかえても姫を守らなければならない。
「それにしても、師走様はまだお帰りにならないの?」
月火神社は弥生と皐月の二人だけしか居ないようだ。
美月はそれがずっと不思議でならなかった。
「師走様は、睦月様と如月様の元で忙しい日々を送ってるみたいなんです」
「師走は本当は頭領の護衛だからな。忙しいのも無理は無い」
弥生と皐月は育ての親の不在に多少は寂しい思いをしていたがそれも仕方ないと思っているのだろう。二人で笑い合う様子は家族の仲の良さを表していた。
「そういえば……雪女だし、雪ノ都の出入りも可能なのかな」
「雪ノ都は歴史の長い都ですし、あの雪女の故郷だと考えられますね」
「なら、霜月様も危ないんじゃ…」
その時、普通の人は滅多に出入りすることの無いこの住居に誰かの足音が響いた。
足音の主は障子の外から切羽詰まった様子で叫んだ。
「誰か、いらっしゃいませんか!?」
その場にいた全員が何事かと互いに顔を見合せ、皐月が答えた。
「誰だ」
「雪ノ都の粉雪にございます!」
粉雪?
弥生が慌てて障子を開くとそこには顔を赤くして荒い呼吸を整える粉雪がいた。
「姫様……! どうか、霜月様をお助け下さい!」
「どうしたのそんなに慌てて……粉雪!?」
突然、粉雪は倒れてしまった。
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「雪女なのに、この日差しの強い時に走ったらそりゃあ倒れるわよ」
布団に寝かせられた粉雪の額には氷。その側で弥生が扇子で扇いで風を送っている。
このくらいの気温は丁度よく感じるが、きっと雪女の粉雪からしてみれば真夏なのだろう。
粉雪は熱中症の最中のような真っ赤な顔で美月に話を始める。
「お見苦しいところをお見せ致しました。ですが、急がないと霜月様が……」
「霜月様がどうしたの……?」
「実は先程、雪女の悪霊が屋敷に現れて霜月様を襲ったのです。霜月様はすぐに気づいて追い返しましたがその際に重症を負ってしまい、しかもその雪女は屋敷の戦力となる者達の半分を殺したのです」
「その雪女なら、私達も何度か遭遇した事がある。今もまだ雪ノ都にいるの?」
「はい。都を滅ぼされたくなければ霜月様を渡せと。そんな事出来ません。あいつはきっと、霜月様を残虐に殺すつもりなんです」
その話から卯月を思い浮かべたのか皐月は大きな力を持つ槍を手に立ち上がった。
「よし、そいつぶっ殺しに行──だっ!」
また無計画で物騒な言葉を発する皐月の背中を弥生は容赦なくひっぱたいた。
「もちろん助けに行くけど一度その考えなしの頭をどうにかしてよ!」
「考えなしだと!? 誰の事言ってんだよ!」
「あなたに決まってるでしょうが!」
また始まった。
師走も居ないこの家で二人は一体どれほどの喧嘩を繰り広げているのだろう。
一同が呆れる中、たった一人希望に満ち溢れた目で喧嘩中の弥生と皐月を見つめる者がいた。
「助けてくださるのですか!?」
粉雪の叫びに驚き二人の喧嘩は即止んだ。
皐月は胸を張って自信満々に頷いた。
「おう、俺らに任せろ!」
「よろしいですか、皐月様」
その時、皐月に向けて小桜が挙手した。
「姫様と護衛は竜宮に助けを呼んだ方が良いのでは」
美月は小桜に視線を向け、眉間に皺を寄せた。
「私達は雪ノ都に行かないって事? 霜月様が危ないのに」
「姫様は特にお命を狙われているのです。あなた様は都に向かわない方がいい」
小桜の説得に納得がいかず渋る美月の傍で優も小桜の意見に頷いた。
「俺も、美月はここにいた方が良いと思う」
「優まで何を……」
せっかく霜月と仲良くなれたのに助けにも行けずにここでじっと待ってなくてはならないとは。
それに、霜月は小桜と小雪の実の父親なのだ。今助けなければ、きっと後悔する。
「俺と弥生でどうにかなるって!」
美月を思いやって明るく声をかける皐月と、その横で目を見開く弥生。
「弥生と皐月だけで対処出来るのかな」
「俺一人で十分だってぐらいだぞ」
「それは余計に心配になるわ」
またどこからそんな自信が湧いてくるのかと弥生は呆れた目で皐月を見つめる。
皐月一人を雪ノ都に放り込んだらどうなるのだろうと考えただけでも恐ろしいので弥生は片時も離れないようにしようと決めた。
「それでは粉雪、雪ノ都まで連れて行って。そちらは頼みました、姫様」
「……わかった。気をつけて」
こうなれば竜宮に助けを呼ぶしかない。弥生と皐月、そして雪ノ都の妖たちを救う為に早く動かなければ。
弥生、皐月、粉雪は神社を出て雪ノ都へと向かった。
「私達も竜宮に行こう」
「はい、姫様」
小桜も小雪も頷いた。急がなければと美月達も外へと足を踏み出したその時。
「竜宮まで、お供致しますよ姫様」
聞き覚えのある声に驚いた美月たちは一斉に振り返った。
そこに、ゆったりとした着物の袖に両手を収め微笑む爽やかな男がいた。
「疾風……!」
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水の都、竜宮は当主が居ない状態で苦悩の復興に向けて騒々しかった。
鬼姫の残虐な従兄弟である葉月、長月の兄弟への恐ろしい噂が流れ始め、一人の女は複雑な心境にあった。
「そのぶすくれた顔。美女が台無しだな」
「おい神無月。文月は一体今頃何してんだい」
部屋を訪ねに来た神無月に瑠璃は不満げな顔で問う。
鬼蛇に殺されかけたあの日、文月はひとりぼっちになった瑠璃に手を差し伸べてきた。
──傍にいろと言ったのはあいつだろうに何故竜宮に姿を見せない…。
「君さあ、それ毎日言ってるよね。姫さんの事大好きなの?」
「やかましいんだよ!」
呆れ顔で溜息をつき、ついでに茶化してきた神無月に真っ赤な顔の瑠璃は吠えた。
その時、一人のくのいちが姿を現し、無表情で瑠璃に近づいた。
「瑠璃。あたしはあなたの警戒を緩めるつもりなどない。姫様に危害を加えようものなら、即刻排除する」
未だ瑠璃を警戒するは、かつて水無月の主従関係にあった静美の里の忍、そして今は美月の忍、蝶である。
「お蝶も警戒心が強いな。排除する時は君の主である姫さんに許可を貰うんだよ~」
勝手に瑠璃を殺しても美月が困るのはわかっている。なので神無月は一応、お蝶に確認を取ってみた。
その傍ら、瑠璃は不機嫌そうな顔でお蝶を見つめる。
「ふん。文月を殺す意味がなくなったんだ。私は私の生きたいように生きるよ。わかったかい、お馬鹿」
「……誰が馬鹿ですって?」
瑠璃は腕を組んでお蝶から目をそらした。お蝶もムッとした顔で瑠璃を見つめている。
いやはや、女とは怖いものだとつくづく思う神無月である。
「と、それよりお蝶。何か用でもあるの?」
「そうでした、申し訳ございません。疾風からの伝言です。雪ノ都が邪気の強い悪霊によって混乱に陥り、霜月様も重症を負ったとの事。目的は恐らく、霜月様のお命です」
「霜月殿が重症…? ただの悪霊じゃないの?」
「それが……その悪霊、雪女らしく」
「雪女の悪霊ね……」
雪女なら、心当たりがある。
聞いた話によると、代々文月の死体に取り憑いて悪さしていた雪女が居たらしいと。だが、それは四代目文月─美月─により消滅させられたと思っていたが、まさか。
「それと、神無月様。疾風が姫様達をお連れするとのことです」
「おっ、動くと思ったんだよね。竜宮も復興中だが戦力になると思うよ」
やがて、鬼の武士が神無月の元へ駆けてきてかしずいた。
「神無月様、文月姫様がおいでになりました」
「俺の部屋まで通して」
「はっ!」
ここ竜宮へと訪ねてきた美月の元へお蝶は早速出向いた。
瑠璃は美月という存在について考え込んでいた。
鬼神同士の交渉の場として、優と小桜と小雪は外で待機。美月は神無月と向き合い、頼み事を率直に伝えた。
「雪ノ都に襲撃して来た雪女は、母上の死体に取り憑いて卯月を殺した者。これ以上あの女の好きにはさせない。霜月様を救う為、手を貸して」
「別にいいよ」
「……ありがとう」
案外簡単に答えが返ってきた為、少しだけ拍子抜けしてしまったがこれですぐに戦う準備が整う。
「だけど」
神無月はいつものおちゃらけた雰囲気から一変し、都を背負う者として美月に真剣な眼差しを向けた。
「俺は竜宮当主代理だ。姫さんも鬼神頭領の娘。雪女を成敗する代わりに俺の頼みを二つ聞いて欲しい」
「わかった」
了承すると神無月はあまり時間は無いので早めの口調で条件を上げた。
「一つはお蝶の事。お蝶を君の傍で仕えさせるんだ。疾風の事は心配しなくても良い。いつでも竜宮には帰れる状態でお蝶を君に託すから」
「わかった」
「そして、瑠璃だ。瑠璃にはもう帰る場所がない。君と主従を結ばせるのはどうだろう」
「私と瑠璃が主従?」
予想外の展開だ。
「忘れてない? 姫さんは鬼神で、しかも頭領の娘。従える立場なんだよ。瑠璃を託すよ」
瑠璃を託す。そうだ、あの時瑠璃に傍に居てと頼んだのだ。もう傷は治っただろうか、体の調子は大丈夫だろうか。
瑠璃は今どうしているのだろう。
「わかった。瑠璃は私が連れて帰る」
信じていた葉月から見捨てられ、帰る場所を失った瑠璃。自分が彼女の帰る場所になれるのなら、引き受けよう。
「交渉成立。もう既に疾風の忍び隊を送ってるよ。今から向かおう」
「ありがとう、神無月」
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「うっわ寒い。相変わらず寒い」
「助けに行くと言っておいて情けない」
雪ノ都の門の前に到着した。皐月は両手を袖に収め凍えている。その隣で呆れ顔を向けてくる弥生は腰に手を当て白い息を吐く。
粉雪は門に手をかけ、ゆっくりと力を入れていく。だが、彼女の力だけではこの重くて立派な門は開かないらしい。
「俺に任せろ」
そう言って皐月は自慢の腕力で簡単に門を開いてしまった。
多少音を立ててしまったが、大丈夫だろう。
「俺が先に行く」
出現させた槍を片手に皐月は先頭を歩く。
門の付近は静かだ。もしかしたら都の者達は皆避難しているのかもしれない。
雪女の気配は、今のところ無い。
「ぁ……」
その時、後ろをついてきていた粉雪が口に手を当て、か細い声を発した。
「粉雪……?」
傍に居た弥生は首を傾げ、顔を真っ青にさせた粉雪の肩に触れる。粉雪は震えている。
弥生は今度は皐月に視線を向けた。皐月も顔を顰めている。
何だろう。前方を見据えた時、積もり積もった雪の上で何かが大量に転がっているのが見えた。それに、少し離れた所で何かが積み重なっている。
──そして、白い雪によく映える赤。
「……」
弥生は口元に手を当て、絶句した。
雪に転がる何か、乱雑に積み重ねられた何か。
赤い何か。
それは全て、雪ノ都に住む妖たちの死体だった