表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第三章 『雪ノ都編』
71/108

【第三章】笑う蜘蛛

鈴屋すずやさん」


 数学の担当教師は廊下ですれ違った一人の女子高生を呼び止めた。


「お、先生おはようございます!」

「はい、おはよう。昨日の宿題あなただけ提出してなかったわよ?」

「あ、忘れてた」


 少女は心底面倒くさそうに溜息をつく。


「あなた、十六夜さんにいつも見せてもらってるでしょ?」

「あれ、ばれてた?」

「自分の為にならないよ?」


 分かってますよー、と少女は唇を尖らせる。


「それにしても、あなた一年の時から十六夜さんと仲良いのね?」

「小学校からずっと一緒だったんです。幼馴染ですよ」

「あら、ずっと一緒なんて羨ましい」



 そうだ。ずっと側にいて美月を守ってきたのだ。美月の前世からずっと。

 今度こそ幸せな道を歩ませるために。


「それじゃあね、先生」

「はーい。宿題、放課後までに出しなさいよ」


 少女は満面の笑みを返しただけで何も答えなかった。

 徐々に小さくなっていく教師の背中はやがて曲がり角へと姿を消した。

 さて、教室に行こうと歩み始めた時、今度は別の誰かに呼び止められた。


「夏海」


 その声を聞いた瞬間、夏海は目を見開き、急いで振り返った。

 教室に居ると思っていた親友は夏海の元へと歩み寄る。


「美月? あれ、こんな所で何してるの?」

「夏海に、お願いがあって」

「お願い? どんな事?」


 こんなに改まってお願いしに来るなんて、何かあったのだろうか。

 美月の表情には僅かに迷いが見える。しかし、何かを決意したように息を吐くと夏海の顔をしっかり見て話し始めた。


「……今日、優と一緒には帰れないの。今日の放課後は、私一人になりたい」

「変な事言うんだね」

「だから、優をどうにかして引き止めていてほしい」


 美月は一生のお願いのように夏海の目をじっと見つめる。

 何故こんな事を頼んでくるのか。

 夕霧に心配をかけたくない、または危険な目に合わせたくない、そういった理由があるのでは。


「夏海……」

「うん良いよ」

「ありがとう」


 良かった、聞いてくれた。

 美月は安堵し微笑した。


 ───そう簡単にいかないよ、美月。



………………………………………………………………………





 草木張の都の当主であり、鬼神一族の頭領の弟である如月は、息子の葉月の誕生日に、立派なお屋敷を与えた。

 そのお屋敷に、如月は慈屋敷いつくやしきと名付けた。

 そこに葉月は久しぶりに足を踏み入れた。屋敷は変わらず丈夫で立派であった。


「葉月様でございますか」


 奥から現れたのは、頭巾を被った男鬼だ。


「未だにこの屋敷で働く愚か者が居たか」

「葉月様。このお屋敷に葉月様と長月様を通さぬようにと我らが頭領に命じられております。どうか、お引き取り下さい」

「心配するな。睦月とかいう傲慢な鬼に代わって、この葉月が次期頭領となるのだからな」

「葉月様……」


 男鬼は引かない。

 葉月は徐々に機嫌が悪くなり、後ろに控える隻眼の男に目を向けた。


「鬼蛇」

「はい、我が主よ」















 慈屋敷の使用人たちがある一室に集まり、「勘弁してくれ」だの「意味が無い」だのと愚痴を零しあっていた。


「このお屋敷で働く意味なんてあるのだろうかね?」

「葉月様は追放されたんだろ? このお屋敷も、主が居ないのならさっさと取り壊せば良いものを……」


 主が居ないのにただ意味もなく働き回っても何も得るものが無い。

 どうせなら別の誰かを主にするしかあるまい。

 そんな妖たちの居る部屋の障子が豪快に開かれた。


「安心しろ、主はここにいる」


 妖たちの輪の中に、傷だらけになり、着物から血が滲んでいる男が投げ入れられた。


「え……」


 頭巾を被った男鬼は傷の痛みに弱々しく唸っている。

 慈屋敷の使用人たちは現れた男を見て凍りついた。


「あ…っ……葉月……様……」


 妖の一人が震える声で男の名を口にする。

 そして、傷だらけになった頭巾の男に視線を落とす。


「お前達は俺を追い出そうとは考えておらぬな?」

「ひぃっ……!!」


 葉月は倒れた男を顎で指しながら使用人たちを睨みつける。

 妖たちは互いに引っ付きあって怯えている。


「あ、貴方様の言う通りに致します。ですから、お命だけは……!」

「ふん……」


 葉月は自分に土下座をしてきた妖を鼻で笑うと鬼蛇と長月に向き直った。


「ここに住む」

「はい、我が主よ」


 鬼蛇は微笑むと、妖たちにもその裏のありそうな微笑を向けた。


「よろしくお願いしますね、皆々様」


 妖たちは鬼蛇の身を包む瘴気の気配に更に顔を歪めた。



 それから葉月は大広間にて、鬼蛇の提案を聞くことにした。

 その部屋の端に、妖たちは並んで静かに正座をしていた。


「先日、糸と絹が夕霧と戦いまして」

「ほう……女の方の片腕が失われたのはそのせいか」

「ええ、そのようです。……お前達、その後はどうなったのですか?」


 鬼蛇の問いかけに糸が口惜しげに答えた。


「私の大事な腕を奪ったあの憎らしき男に瘴気を植え付けました。奴は徐々に弱り果て、死に至るはずですわ」


 糸は肘から下を失った左腕を、残った右手で掴んだ。

 葉月は興味深そうに唇の端を吊り上げた。


「なるほど。恐らく、あの男から瘴気を感じ取った文月が自ら敵陣営に踏み込んで来るだろうな」


 糸は眉間に皺を寄せ、葉月に問いかける。


「そのような無謀な事、鬼姫がなさるのでしょうか?」

「お前達は文月を知らぬからな。あいつは自分を犠牲にする前提で物事を進めるのだ」


 葉月の話を聞いた瞬間、鬼蛇も湧き上がる興奮に笑みを浮かべた。


「やはり文月姫様は、他の者とは違う。楽しみですねぇ……」



………………………………………………………………………



 放課後、まだ明るい道を美月は一人で歩いて行く。

 先程、夏海が優を呼び出した隙に学校から飛び出して行った。夏海が一体優にどんな妖術を使ったのは分からないが、今は彼女に任せるしかない。


「兄様……」


 歩き続け、自分の家を通り過ぎ、どんどん人気のない林の中へと入り込んでいく。

 日が落ちていく。空が暗くなってきたところで、立ち止まった。

 美月の表情が引き締まった。

 そこらに何かが大量に転がっている。


 ──人の死体……。


 そこから禍々しい瘴気を放っている。





「──ごきげんよう」


 前方に般若面を付けた子供が二人、美月を見つめている。

 あれが、糸と絹だろうか。

 ふと、美月は夕暮れに照らされる二人の足元を見る。

 何本もの長い足を持った蜘蛛の影が二体。あれが正体か。


「簡単に見つけられた」


 美月は出現した曼珠沙華を握りしめ、子供を睨みつけた。


「あなた達が、夕霧を……?」

「あの男は遊び相手にする程度でしたが、あなたは確実に潰すように命じられております」


 糸は面の内側で笑みを浮かべた。

 途端に転がっていた大量の死体が起き上がった。そして、死体を突き破って中から巨大な蜘蛛が姿を現した。


「逃げられませんよ」


 絹はそう言って美月の足下を指さした。

 気づけば、地面には巨大な蜘蛛の巣が美月を中心に広がっていた。


「あはっ! 蜘蛛たちは腹を空かせているようですわね!」

「あなたの血肉はさぞ美味なのでしょうね。残念ですね、あなたの自由は奪われました」


 糸と絹は巨大蜘蛛に囲まれた美月を見て、愉快そうに笑う。

 美月の死体を食い漁るつもりだろう。

 美月は紅い刀をすらりと抜いて、一言言い放った。



「──それがどうした」



 美月は刀を地面に張り巡らされた蜘蛛の巣に突き立てた。

 その瞬間、蜘蛛の巣はいとも簡単に切れてしまった。


ほろびの刀、曼珠沙華に斬れぬものはない」


 美月は一番手前にいる大蜘蛛を斬り倒し、流れるようにその隣の蜘蛛の体を横に切り裂いた。

 その二体の体を踏みつけながら徐々に糸と絹に近づいていく。


「私は滅を司る鬼神、文月。鬼神一族の頭領、睦月の娘」


 大蜘蛛が一斉に飛びかかってくる。

 美月は曼珠沙華を疾風の如く一瞬で振るった。

 蜘蛛たちの体が真っ二つに斬られた。


「よくも私の愛する人に傷をつけたな」


 美月は黒く艶やかな髪を靡かせながら蜘蛛を迅速に、確実に仕留めていく。


「地獄に突き落としてやる」

「あは…っ」


 糸は込み上げる興奮を抑えきれずに肩を震わせる。


「……アハ八!!」


 絹も、同じようにクククとくぐもった声で笑い始める。


「「面白い……!!!!」」


 糸と絹が声を揃えて叫んだ。

 美月──文月の目は、金色に輝いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ