【第一章】鬼と人間
「僕らは鬼と人間の間の子です」
美月の問に、小桜が躊躇していると小雪が迷わず答えた。
はい
「小雪…」
「姫様は知りたがってたから」
小雪のこの判断力の鋭さには度々驚かせられるが、小桜も何も言えずに俯く。
「やっぱり、そうだったんだ」
何故、話してくれなかったのだろうか。美月が疑問に思っていると小桜が答えた。
「姫様は、人間を嫌っていたみたいだったので…その、話す機会がなくて…」
だからか。不安そうにこちらを見上げる小桜と、まっすぐこちら見つめてくる小雪。
美月は微笑んで優しく話した。
「私に嫌われるって思ってたの?そんなことないよ。ていうか、私も人間じゃん」
小桜は心底ホッとして小桜は肩を落とす。小雪はため息をついて、姉の頭を撫でた。
「ほら、姫様ならわかってくださると僕は信じてた」
美月と小雪の言葉に背中を押されて小桜は顔を上げた。
「はい…。姫様大好きっ!」
「ぐぇっ」
真正面から抱きつかれ首が締まった。
「姫様!そうですね、私が間違っておりました。これからさ包み隠さずお話を…」
「うん、わかった!!」
美月はどうにか感動に浸る小桜をなだめようと必死に藻掻いていると、小雪が小桜の襟を掴んで引き離してくれた。
「こ、小雪、なにを…」
「姫様が苦しがっておられた」
涙目の姉に小雪は無表情で答える。
嫌いになるはずがない。孤独だった私を励ましてくれる存在がいつの間にか、かけがえのないものとなっていた。
翌日。美月は教室にいる人間を見回し、みんな元気そうでなによりと、大きな欠伸をする。
今朝6時のこと。
「姫様姫様」
「えー、早いってば、そんなに早くに起きて何に…」
「起きないと朝ごはんに姫様が嫌いな椎茸をたっぷりと…」
小桜の言葉を遮り飛び起きる。
リビングに来て目を丸くした。テーブルには沢山のおかずとご飯がある。焼いて皮がパリパリになっている魚と湯気が立つわかめと揚げの味噌汁が綺麗に並べられている。
「え、これ二人が作ったの!?」
「はい!台所を使わせていただきました。料理はあの四角いので学びました!」
小桜が指差す先にはテレビがある。
(さ、さすが…)
この朝ごはんが今までが食べた中で一番おいしいかった。
そして、早めの登校で今に至る。
「美味しかったー…」
ボソリと呟いたのを気にして辺りを見回したが誰も今の呟きには気づいていないようだ。
そこで教室の扉が音を立てて開く。桐崎がいた。桐崎はこちらを見て眉を顰めるが何も言わずに隣の席に着く。
「あの、桐崎君」
「何だ」
「…昨日どこにいたの」
「そっちこそどこにいたんだよ」
桐崎は首を傾げた。
黄泉の国にいました。とは言えまい。何も言えずに固まっていると、深いため息をつかれた。
「お前が約束忘れる無責任女だってことが昨日でよくわかった」
「……。あなたが心の狭い短気男であることがたった今わかった」
昨日、どれだけ苦労したかこの男にはわからないだろうな。
不気味な死者の通り道に一人。使い方もわからない刀で怪物に立ち向かったこの苦労、少しは報われないのだろうか。
「このトラウマをいつか味わうが良い」
「隣でブツブツ話されると鳥肌が立つんだよね」
怪訝そうな顔で見てくる桐崎を睨み返すと目を反らされた。
──チリン。
(ああ、またこの音…)
耳元で鈴の音が鳴る。でも今度はあの女の声は聞こえない。一体何を意味しているのだろう。
──気持ち悪い。
胸の辺りがざわつき、背筋が凍りつくような寒さに吐き気を覚える。
「おい、どうした」
隣から話しかけられ、視線を移し、桐崎と目が合う。
「ごめん……」
美月はすぐに目をそらして、小さく呟いた。当然桐崎は戸惑い、眉を顰めた。
「何が?」
「何でもない」
桐崎に話しかけられるのが、一番気分が悪くなる。目を合わせたらもっと胸が苦しくなる。
……………………………………………………………………………………………………………………
「ただいま……」
「おかえりなさいませ…姫様!?」
玄関先でげんなりとした美月を見て唖然とする小桜はすぐに駆け寄って美月の顔色を伺う。
小桜の焦り声が聞こえたのだろう、小雪がすぐにやって来た。
「ああ、うん。気にしないで…」
「気にします、具合悪いんですか?」
頭痛が酷い。頭を抱えて無言のまま突っ立っていると小桜と小雪は戸惑い、二人同時に首を傾げた。
何故だろう。何故こんなに気分が悪いんだろう。
──閉ざされた過去が、開こうとしている。
「『─どうして…』」
咄嗟に溢れた言葉に驚き、慌てて口元を手で押さえる。
(──今の、私が言ったの…?)
「姫様?」
小桜が本当に心配そうに顔を覗き込んでくる。
わからない。この胸に溜まっているモヤモヤを必死に吐き出したい。
──『私を殺した……あの人が、私を……』
涙が、溢れた。
「姫様!?」
小桜が美月の頬に手を当てて眉を顰めている。
「どうなさったのです? やはり具合が…」
「…姫?」
小桜よりも一歩引いたその場所で小雪が目を見開いている。美月は二人の反応を見て初めて泣いていることに気づいた。
「あれ、何で…」
──『私のこと、覚えてなかった』
美月の瞳が揺れる。涙は頬を伝って床にパタリパタリと落ちていく。
──『どうして…どうして私を殺した……』
美月の頭の中で、流れてきた。あの人の、使命を果たさんとする表情と振り上げられた刀。
「『────夕霧……』」
「姫様…!」
美月は最後にそう呟くと倒れ込んだ。小桜が心配する傍ら、小雪は眉を顰めた。夕霧。確かにそう言った。師走が夕霧の生まれ変わりがいると言っていたことを思い出した。
「まさか…姫様は夕霧に会った…?」
小雪は拳を握りしめた。彼女を苦しめる者など、この世から消し去ってやる。小桜に支えられる美月を見つめながら小雪は下唇を強く噛んだ。
……………………………………………………………………………………………………………………
目を覚ますと自分の部屋の天井が目に入った。額に重みを感じて手を当ててみると濡れたタオルが当てられていた。
「姫様」
小桜かと思ったのだが首を巡らせてみれば、小雪が側についていた。
「小雪…。ずっとそこにいたの?」
美月が聞いてみれば、小雪はコクリと首を縦に降った。
「そう、ありがとう」
美月は手を伸ばして小雪の頭を撫でた。
中学生くらいの小桜と小雪。美月は一人っ子で妹や弟ができた気がして嬉しい。
小雪は相変わらず無表情のままで何考えているのかいまいちわからない。
「姫様は必ずお守り致します」
突然の言葉に目を見開く。
「それが、僕と姉さんで決めたこと。姫様がいないこの世など、いりません」
「小雪…」
「姫様を傷つける畜生など、死んで当然だから」
美月は目を見開き、小雪が吐き出したその暴言に肩を震わせた。
「どうして…そこまで……」
「親がいない僕達に、手を差し伸べてくれたのは姫様です。姫様を傷つける畜生はいりません──特に夕霧など」
目を細めて、小雪は言った。
「……」
いつも、そんなに思いつめながら側にいたのだろうか。
美月は文月姫の生まれ変わりであって、文月姫と二人がどのようにして出会い、どんな時を過ごしてきたのかわからない。
そんな小雪は、昔の自分に似ていた。美月は両親を早くに亡くした。突然の起こった不慮の事故。突然住むことになった見慣れない親戚の家。
両親がいない辛さは美月にもわかる。
それでも…。
──小桜と小雪には、突然起こった運命に狂わされないでほしかった。
「私も、まだ小さかったときに両親を亡くしたの。自分で何か行動を起こすこともせずに今まで、こんな間抜けな生活送ってきたけど」
小雪は目を見開き、美月を見つめる。
「あなたたちには、復讐とか、悲しみに囚われないで自由に生きてほしい。──私みたいにならないでね」
小雪にとってその言葉は聞き覚えのあるものだった。
「やはり、姫様は姫様ですね…」
小雪は立ち上がって手を伸ばすと美月の茶髪をを撫でた。
「姫様は、昔からこうやって僕と姉さんの頭を撫でてくれました。─大好きでした。姫様の全てが」
そう言って小雪は俯いた。
「姫様、お粥ですよ。ちゃんと作れました」
明るい笑顔を見せて小桜が顔を覗かせた。その両手にはお椀を乗せたお盆があった。
「小桜が作ってくれたの? ありがとう」
「えへへ」
はにかみながら小桜はお粥を机に置く。
「そうだ、姫様。お米がそろそろ無くなりそうでしたよ、いつ買いに行きます?」
もう、無くなったのか。お金は毎回親戚が出してくれて、実はバイトにも行ってるので困らない。
机に置いてた財布の中を確認して、カレンダーを見る。
「明日休日だから、買いに行く」
「では、私たちもお供します」
小桜が目を輝かせて言った。
明日のスケジュールはさておき、小桜が作ったお粥を早速食べることにした。
「美味しそうですか?美味しそうですか…?」
「姉さん、見た目もだけど味が大事だよ」
弟のツッコミに眉を顰めて「そうだけど…」と不安げに呟いた。
さじを手に、一口食べるとそれはもう絶品だった。
「美味しいよ、小桜は料理上手ね。良いお嫁さんになるよ」
「よ、嫁?」
あれ、冗談で言ったのに本気にしてる。
「小雪、私お嫁に行ける?」
「姉さんの殿方の精神の強さによる」
小雪は無表情でサラッととんでもないことを口走る。小桜も小桜で、「そうか」と納得してしまうあたり、天然なのだろうか。
お粥を完食し、美月はふと時計を見る。
「もう夜か…」
ベッドから降りると小桜があわあわと慌てふためく。
「姫様、大丈夫ですか?」
「もう大丈夫。ありがとう」
小桜と小雪に連れ添ってもらい、リビングに向かう。
電気の付け方を教えたため、リビングは照明によって明るく照らされていた。
テレビをつけるとニュースが始まった。
ソファに座って一息つくと小桜がキラキラとした目でこちらを見ているため、首を傾げた。
「……。小桜、隣に座る?」
「良いんですか?」
「うん、良いよ。小雪もこっちおいで」
呼ばれて小雪は目を見開く。
「しかし…」
「ほら、小桜は座ったよ」
「……」
小雪は一歩一歩とゆっくり歩み寄ると小桜とは反対側の美月の隣に腰掛ける。
ニュースは世間のことを詳しく語る。美月はニュースは嫌いではない。むしろ好きだ。小さい頃から本とか、伯父が読んでる新聞を横から見てたりと、色んなものに興味を持っていた。
「姫様は、世のことが気になりますか?」
「うん、そりゃあ気になるよ。私子供の頃からたくさん本とか読んできたから、こういうの好きなんだ」
美月はニュースを見ながら楽しそうに語る。その様子を見つめながら双子は口角を上げる。
「二人がいた時代ではこういう、世の中のこと教えてくれるものはあったの?」
「うーん、人間たちの間では、手書きのものが城下などに貼り出されてましたけど……」
あー、なるほど。歴史とかで少し聞いたことがある。
「──世の中が上手くいくなんて、運の良いものです。そろそろ、鬼神の封印を解く時が来たようですね」
小桜がふいに呟いた。その言葉に美月は首を傾げた。
「えっと、どういうこと?」
よくわからないその話に首を傾げると小桜は人差し指を立てた。
「十二人の鬼神は、この世のものを司っています。しかし、人間たちは鬼の全てを否定し、鬼神たちを封印してしまったことで、世の中の形が崩れていっています」
「世の中が、崩れてる…?鬼神はそんなに重要な役割を…?」
「はい。封印された鬼神で、今のところわかっているのは、弥生様、卯月様、皐月様。この方々が封印された場合、以下のようなことが起こります」
小桜は指で三人を示し、一人一人の役割や封印された今、起こり得る可能性を話した。
「弥生様は土を司る。この世に存在する土が悪くなり、草木がなくなる。卯月様は美を司る。生き物の精神の美が衰え、争いが起こりやすくなるでしょう。皐月様は恵を司る。食物が十分に実らず、結果、人間共は餓死することでしょう」
嫌に現実味があって、それがもう時期起こることが予測されている。徐々に恐ろしくなっていく。
「まったく、これだから人間は。鬼にひれ伏せとけばよかったものの。まあ、世の中の成形が崩れたとしてもそれは自業自得と捉えるしかありませんね」
呆れを含んだ声で小桜は淡々と述べ、ため息をつく。確かにその気持ちはわかるが。
「でも…それって人間と一緒に生きる鬼にも影響があるんじゃ…」
「………」
その言葉を聞いた途端、小桜は固まった。やはり、一番大事なことを忘れていたようだ。隣で聞いていた小雪もため息をついて、哀れみの目で姉を見つめる。
「やはり姉さんは考えなしの阿呆。発言に気をつけなよ」
「黙りなさい」
淡々と毒を吐く弟に恐ろしいほどにこやかな微笑みを返す小桜。これは怒っている様子。だが、弟と喧嘩を始めるとまた美月を困らせるため、最大限の譲歩を示すために笑っているのだ。
双子との間に亀裂が走りそうになるのを防ぐため、美月は話を切り出す。
「で、でもそれって、封印されているその三人を見つければ良いのよね?」
美月の問に小桜は頷いた。
「そうです!弥生様、卯月様、皐月様を見つけ、封印を解けばよろしいのです!」
どうやら小桜の機嫌は収まったようだ。
「じゃあ、明日から見つけてみようか……」
……………………………………………………………………………………………………………………
師走は夜の風景を眺めながら茶をすすった。
「やはり。鬼神の封印の影響が今になって現れましたか…」
師走の傍らで浮遊している犬の霊が耳をピクリと震わせ立ち上がった。
「おや、どうしました?白狼」
白狼は何かに反応し、夜空を眺める。
「……ああ、丁度良い時に自ら封印を解いたようですね」
……………………………………………………………………………………………………………………
人気のない、静かな山奥で突風が起こる。
一人の男が、目を覚ましたた。男の頭には二本の角が生えている。
「弥生と卯月はどこだ…?それに…」
男は鼻をひくつかせると目を細めた。
「───曼珠沙華…姫様の気配がする」
小雪の秘密。
小桜の嫁入りの話が出た時に悪口を言っていたが、実は小桜に嫁に行って欲しくなかったらしい。