【第三章】銀の国 雪ノ都
結局、美月のために買った品物は彼女に渡すことができなかった。日も落ち、そろそろ就寝時だ。
美月は起きているだろうか。彼女の部屋の前で止まると意を決して呼びかけた。
「美月」
部屋の中で人影が微かに反応した。戸が開かれ、中から愛する彼女が顔を覗かせた。
「どうしたの? あ、さっきのは誰にも言わないから安心して」
「いや別にそういうこと言いに来たわけではないけら」
美月は声を潜めて微笑んだ。
彼女の行為には感謝するがそういうことではない。
夜に訪ねて来たというのにもっとロマンチックなこと考えられないのかこいつは。
「あれ、違うの?」
「別の用があって来た」
美月は首を傾げ、不思議そうな表情ではあるものの、部屋の中に入れてくれた。
部屋には蝋燭が一本灯を点して、薄暗い。
美月は寝巻を身に纏い寝る準備万端といった様子だった。
「それは?」
手に隠し持っているものに気づかれ指摘されてしまった。
ならば仕方ないとそれを美月に見せた。
薄紅色の花弁を一枚一枚重ね合わせて出来た髪飾りだ。
「すごく綺麗。これ、どうしたの?」
「さっき買った。やる」
ちょっと素っ気ないかもしれない。まてしても素っ気なく答えてしまったかもしれない。それでも、美月は嬉しそうに微笑む。
「大事にする。ありがとう」
美月は喜んでいるし、提案してくれた神無月には感謝しよう。明日にでも礼を言っておこう。
「これ着けてもいい?」
美月は髪飾りを指差し首を傾げた。
「……着けてやる」
以前までは考えられなかった彼の言動に驚き、美月は一瞬目を丸くするが黙って頷き、優に委ねた。
美月の黒髪に触れただけで顔がかっと熱くなった。
その感じたことの無い感覚に戸惑い、そっと髪飾りを着けるとすぐに手を離した。
美月は満足そうに微笑んだ。
「明日着けてくね」
「明日? 」
「小桜と小雪と一緒に回る」
「あー…」
明日双子に睨まれそうな気がする。
特に弟の方。
「優は明日予定あるの?」
「神無月に振り回される」
「……仲良さそうで良かった」
苦笑いされた。別に仲良くはないと思うのだが。
しかし、明日も美月は出かけるのであれば、もう遅いしそろそろ自分の部屋に戻った方が良いだろう。
立ち上がると美月は「そろそろ戻る?」と見送るつもりなのか立ち上がった。
「またね」
「ん、じゃ」
美月は優と一緒に部屋の外まで出ると小さく手を振った。
優は美月に背を向け、月明かりに照らされる長い廊下を歩いて行った。
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次の日。美月と双子が帰ってきた時に、案の定双子に訝しげな目を向けられ、問い詰められた。
「……俺何かしたっけ」
「別に気になることはありませんよ? ね、小雪」
「あの髪飾りは何だ。姫様とどういう関係だ」
「二人とも言ってることが違うんだけど」
小桜は思ってても表には出さないが、小雪が代わりに本音を言いまくってくる。結構前から思ってたけど何なんだよこいつ。
「昨日一緒に回った時に買ったものだ」
「ええ、お聞きしました。すっっっごく仲良いのですね」
「どういう関係だ」
双子が気になっているのは美月との関係のようだが、何と答えれば。答えようによっては小桜でさえも態度が一変するだろう。
「恋仲でしょ?」
…………と考えているうちに、側で話を聞いていた神無月が余計な一言を告げた。
なんてことを……と神無月に視線を送ると彼は満面の笑みを返してきた。
視線を戻すと目が笑っていない小桜と鋭い目を向ける小雪がいた。
「ほう。良い関係を築けているのですね。それは良かった」
「よくも姫様に手を出したな貴様」
だから言ってることが違うなこいつら。
面倒なことになったと、頭を抱えているところ運悪くこの部屋を美月が訪ねてきた。
「やっと見つけた」
美月はあの綺麗な髪飾りで髪を止めたままだ。せめて今だけ外してくれ、と優は心の中で溜息をつく。
「さっき白い狼が文をくわえて訪ねてきたの。雪ノ都の使いだって。私は別に文を貰ったけど、これは優と小桜と小雪にって」
美月は三人分の文をそれぞれに渡した。
小桜は文をじっと見つめながら、何度も瞬きする。
「珍しいですね。ひとりひとりに文を書くなんて」
そこで部屋の片隅で読書していた神無月が興味有りげに輪の中に入ってきた。
「霜月殿は少しばかり抜けてるけど物事を丁寧にこなす方だよ。ちなみに、今回は弥生と皐月は留守番?」
「二人共、寒い所は苦手だって」
神無月の問いに美月は笑いながら答えた。
皐月曰く、雪ノ都はその名の通りよく雪の降る大変寒い場所らしく、そのため天候を司る霜月が頭首となる決まりらしい。
「暖かい格好してないと凍え死ぬかもね〜」
神無月はいたずらっ子のように笑って冗談を言った。
確かにそこまで聞くと服は考えなければ。
「この着物は着ていかない方が良いかな」
美月の呟きを聞き取った神無月は首を傾げ、美月の着物をじっと見つめる。
「いや、この着物はかなり上等なものだよ。生地も良い。人間の着物と違って妖力が込められてるから寒さにも暑さにも耐えられると思うけど?」
「何それすごい」
流石、父上。この着物をくれたのは鬼神の頭領だ。贈る品も上等なものなのは当たり前なのかもしれない。
でも良かった。父からの贈り物であるこの着物は結構気に入っているから着ていきたいと思っていたのだ。
「お蝶もついて行ってくれるみたいだし良かったね。良いなぁ俺も楽しみたい」
竜宮頭首代理で仕事が詰まっている神無月は羨ましげに嘆いた。
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竜宮から帰った後、学校に登校してみれば、やはり今回も同じ現象が起こった。
優と美月は五日程欠席した。決して短かった休みではないはずなのに、クラスメイトたちはまるで二人が毎日登校していたかのように接してくる。
やはり二人の偽物でもいるのではと考え込んでしまう。まあ、都に行っている間そうしてくれた方が助かるのだが。
「それで、その、変な出来事は竜宮から帰ってきたときだけなのですか?」
月火神社で美月は縁側に腰掛け、お蝶は少し控えた所で正座をしていた。
神社の中では優が座布団を枕に寝ている。
雪ノ都からの迎えが来るまでこうして神社で待機だ。
「うん。これって何なのか知ってる? 竜宮はそういう効果を持っているの?」
「いいえ。あたしも長い間竜宮に仕えておりますが、そのようなことは一度も。お役に立てず申し訳ございません」
「いいの。もしかしたら学校に妖怪が住み着いてたりしてるのかも」
学校で妖怪退治なんて漫画でよくありそうだ。というか、河童が校舎の壁をよじ登ってきた時点で有りうる話なのだが。
「姫様」
途端、後ろからお蝶の心配そうな声がかかり振り返った。
………本当に心配そうな顔をしている。
「そやつが姫様のお命を狙う者であれば、あたしが陰ながら護衛をさせて頂くことになります」
「え? あ、そこまでしなくても……」
「いいえ、あたしは姫様の忍。あなた様をお守りするのがあたしの役目」
「だ、大丈夫。私だけじゃなくて優もいるから」
そもそも住んでいる所が違うお蝶に、そんな負担はかけられない。その前に、鬼が学校まで来るのは色々とまずいのでは。
その時、屋根から双子が飛び降りてきた。
「姫様。お迎えです」
小桜はそう呟くと空を見上げた。美月もつられて視線を上げると白い粉雪が目に入った。
ふわりと冷風が頬を撫でた。風に紛れて一人の女と、数匹の白い狼が頭を下げて現れた。
「お初にお目にかかります。雪ノ都よりお迎えに参りました。粉雪と申します」
「ありがとう、来てくれて」
粉雪は決して美月を前に顔を挙げない。狼たちも粉雪の後ろで銀色に輝く白い毛に覆われた頭を深々と下げている。
彼女たちの登場により、寝ていた優も起き上がった。
迎えの気配を感じたのか奥にいた弥生と皐月も外へと出てきた。
「もう来たか?」
弥生と皐月。美月以外の鬼神が現れ、粉雪たちは再度挨拶をする。
「粉雪と申します」
陶器のように真っ白な肌の粉雪。更に言うなら、血色の悪そうな顔つきだ。
鬼神が治める都の者ならば、人間ではないのであろうが、粉雪はもしかすると………。
「お前、雪女か」
皐月の声が、どこか冷たかった。
粉雪は皐月の顔色をちらりと伺うように視線を上げると少しだけ恐縮してしまった。
「はい……」
皐月の隣で弥生は気まずそうに俯いた。
皐月は粉雪を見て、卯月を無惨に殺したあの雪女と重ねてしまったのだろう。
それを、粉雪を含めこの場にいる全員察してしまった。
「……姫を頼んだ」
「お任せ下さい」
皐月も自分でらしくないと思ったのか気付かぬうちに漏れ出ていた威圧を引っ込めた。
「粉雪だったか。すまない、良くないことを思い出してしまったんだ」
「とんでもこざいません。私が何か失礼を……」
「いや、お前は何も悪くない」
皐月はそういっていつもの様に笑った。その様子に傍から見守っていた全員が胸を撫で下ろした。
「粉雪、お願いします」
美月は粉雪に微笑んだ。美月の微笑みに目を見開き、咄嗟に頭を下げた粉雪。
(鬼姫……噂よりもお優しそうな方ね……)
文月姫は前世では殺し屋であったらしいが、生まれ変わりはどちらかというと穏やかな印象だ。
最近では、雪女が母親の死体に取り憑き美を司る鬼神の命を奪った。同じ雪女である粉雪も、怒りの矛先を向けられるのではと内心怯えていた。
(良かった……)
粉雪は一安心し、話を切り直す。
「では、銀狼たちが姫様方をお運び致します」
正に暴風だ。風が凄まじい。
「粉雪、ここ何処なの!?」
「天空にございます」
「ああ、だからこんな凄まじいのね……」
馬車……いや、狼たちが引くこの荷車は天空を容赦なく舞っているようだ。
こんな場所なのに酸素が足りるのは恐らく妖力のおかげか。
小桜はこんな時でも無表情の小雪にひっつき、夕霧は多少顔が引き攣っているものの、落ち着いた様子。
お蝶は美月の身を守るために側を離れない。
「普通に怖いなこの状況」
美月は暴風に煽られても全く微動だにしない簾から外を覗いた。
下は人間立ちの住む家がぽつぽつと灯を灯している。
「……!?」
その瞬間、眩い光が荷車を包んだ。風は止み、白い光に浮き出てきたのは都だ。
「もしかして……」
「雪ノ都にございます」
粉雪の言葉を受け、さっきまでの焦りが一気に吹き飛んだ。
(ここが……)
荷車は徐々に降下し、都の入口と思われる大きな門の側に着地した。
粉雪が先に降りると美月へと手を差し伸べた。
「ありがとう」
美月ほ粉雪の手を受け取り、荷車から降りる。
さくり、と足元が音を立てる。下を見れば地面は真っ白に染まっていた。
「雪……」
美月は辺りを見渡した。この都は竜宮とは違った美しさがあった。竜宮は澄んだ汚れのない美しさを持ち、雪ノ都は静かな美しさを持っている。
雪がしんしんと降り積もって、都の一部と化していた。
「いらっしゃいましたね」
門から、優しげな声と共に鬼が現れた。
「霜月様? おひとりで屋敷から出てきたのですか」
お付の者も居ない霜月の登場に粉雪は少しだけ焦っている。
「大丈夫ですよ、粉雪。皆すぐそこで待っているので」
霜月はにっこりと優しい微笑みを向け、粉雪もほっとした様子で笑みを返した。
粉雪が笑ったのをそこで初めて見た。
「お屋敷までご案内しますよ」
美月達は霜月の後を追い、門を潜り、都に足を踏み入れ、目の前に広がる光景に息を呑む。
多くの木造りの建物の上に白い雪がどっかりと乗っており、陽の光を浴びて銀の輝きを放っていた。
それよりも驚いたのは、都の者達全員が整列し美月たちに向けて地に手を付き頭を下げていた。