【第三章】涙
「竜宮と雪ノ都は長い付き合いですので、招待されまして」
「そうだったんですか」
美月と霜月は騒がしい宴会の隅の方で落ち着いて会話を始めた。
霜月は白や紺を基調とした質素な着物を身に纏っており、髪を束ねている。あまり華美なものは身につけていない。
だが、花が咲くように笑うその様子は華やかな雰囲気であった。
「生まれ変わったとお聞きしていましたが、そのお姿、母君にそっくりですね」
「母をご存知なんですか?」
「ええ。先代文月様は心の広い方でした。お恥ずかしながら、僕はちょっと抜けてまして。色んな鬼神殿に助けられてきました。特に先代文月様にはお世話になって」
そう言って霜月は照れたように頭を搔いた。というか何で照れているのかわからないのだが。
「姫様。宜しければ今度、雪ノ都にいらっしゃいませんか」
「雪ノ都ですか……」
「ええ、小桜と小雪。それに……あの方も」
霜月は小桜と小雪と二人に何やら怒鳴られている優に視線を向けた。
「あの三人も……?」
「ええ、連れてきてください。あなた方に我が都を見てほしい」
「わかりました。私の友達も連れて行きたいのですが」
「もちろんです」
霜月はとても嬉しそうに頷いた。やはり優しそうな鬼だ。では、と立ち去る霜月。
「あれ…」
「えっ」
霜月は何もない所で躓き、危うく転びそうになったところを何とか踏ん張った。
「……大丈夫ですか?」
「あはは……お気遣いなく」
霜月は頭を掻きながら笑った。見てると心配になるなぁ。
美月と離れた所で、霜月は茶を飲みながらホッと一息ついた。
「あまり騒がしいのは慣れないね、春日……」
霜月は苦笑して、また茶を飲んだ。
………………………………………………………
祝言の次の日。美月と優は並んで竜宮を回っていた。
人間の世界では見たことのない商品が沢山並んでいて、興味深い。
優は金子の入った小袋を見つめ、今朝の神無月との会話を思い返していた。
「夕霧、姫さんには何あげんの?」
「何を?」
「えーちょっとさぁ、君って女の子に何か贈り物したことある?」
「ない」
即答。神無月は呆れ顔で小袋を渡した。
「はい、これで姫さんに何か買いな。惚れてる女がいるのに何も行動起こさないなら別の男に取られるよ」
ということで、今は美月に何を買おうか迷っている最中である。
だがあまりに迷いすぎて美月の話を聞いていなかった。
「ちょっと、おーい」
美月は優の顔の前でひらひらと手を振っていた。
「え、何」
「あー、聞いてないなこりゃ」
「ごめん」
「あ、怒ってないよ」
美月は改めてもう一度話をし始めた。
「昨日、霜月様にお会いしたの。雪ノ都に招待してくださるって。小桜と小雪はもう行くことになったから。優も行ける?」
「え、待って待って。どういうこと?」
「霜月様が私と、優と、小桜と小雪に、雪ノ都に来てほしいって」
「何で突然俺たちが……」
「都を見てほしいって言ってたけど」
優は眉を顰めた。
今まで唯一、存在を確認することができなかった鬼神に突然都に招待されても警戒しないはずがないだろう。
だが優は知らない。簡単に言うと、霜月は天然でドジだということ。良く言うならいつも笑っている印象がある。
「お蝶たちも、霜月様はすごく良い鬼だって言ってた。雪ノ都にはお蝶も付いてくるから」
「……まあ、行っても良いけど」
「はい、決まり」
これで優の説得は完了。約束の日に、優と小桜と小雪、お蝶と共に雪ノ都へ出発だ。
見て回ったが美月は竜宮のお菓子を食べ回って随分と満足そうだった。
その横で優はこっそり美月への贈り物を選んでいたのだが、美月はお菓子に夢中で全く気づかなかった。
「お前食いすぎ……」
「竜宮にしかない食べ物が沢山あったもの」
まあ、そのおかげバレずに済んだのだが。
優と美月は二人並んで川辺に腰掛けた。竜宮の川や池は恐ろしい程透明で、底が見えていた。
横目で美月を確認すると彼女はその川をじっと見つめていた。
美月の肌は白く、睫毛も長く、黒に変わってしまった髪は艶がある。本当に整った美しい顔立ちをしている。
「なあ、美月」
名を呼ばれて、美月は優に視線を向けた。
「俺のこと、憎いか」
「どうしてそんなこと聞くの?」
美月は眉を顰めた。
「優は自分のことを憎いと思ってるの?」
「わからない」
「私はあなたのことを憎いだなんて思ったことない」
「前世も……」
「私を殺したことまだ気にしてるの?」
まだって……。
愛する女を殺したことは一生の後悔になるだろうに。
「俺は……お前だけじゃない。俺のせいで大切な人を死なせたことがある」
「え……」
美月は目を見開いた。
「誰を死なせたの……?」
優は俯き、呟いた。
「………母親」
思考が停止した。優の、夕霧の大罪とは、実の母を死なせたことなのだ。
「──夕霧、あなたの母は行方知れずだって……」
「竜宮門が見せてくれたんだよ」
優は苦しそうに眉間に皺を寄せた。
「父上は俺を息子として認めたがらなかった……。それは母上が……」
頭の中が混乱しそうだ。前世の記憶が混雑していく。無理矢理思い出そうとして、めちゃくちゃに頭の中に詰め込まれていく。
「俺は、愛されてなどいなかった……」
苦し紛れに発した言葉が自分を更にどん底に突き落とした。
「………!」
感じた抱擁感に優は目を見開いた。美月は優の肩を抱き、そっと囁いた。
「どうして、泣いているの」
そう言われるまで、自分が泣いていることに気づかなかった。
美月の優しい手が、優を強く抱き締めた。
何故、泣いているの。何があなたを苦しめているの。教えて。私がそれを払い落としてあげるから。
「ごめん、情けなくて」
「謝らないで」
「何でこんな……」
「私にどうしてほしい……?」
優は自分を抱きしめてくれる美月の肩に額を乗せた。
「側にいてほしい」
「はい、側にいます」
肩に顔を埋める優をから茜色に染まりつつある空へと視線を移した。
もうそんな時間なんだ、と息を吐く。優は普段は冷たく、最近は徐々に心を開いてくれているが、未だに口が悪い。
だけど、誰かに知って欲しかった。彼は優しい人だ。優しくて、他人よりもよく悩んでしまう繊細な性格の持ち主なんだ。