【第二章】いつものように
住み慣れたこの住処の暗がりが、なぜだか恐ろしく感じた。響き渡る水滴の音が、まるで寿命が少しづつ減っているような音だ。
「それで」
「は、はい。鬼蛇は文月姫に始末されました。瑪瑙は武器を取り戻した皐月に殺され、白夜は皐月を取り戻すために息絶えました」
「全て竜宮で起こったことか」
「はい……瑪瑙の水晶を覗きました」
仲間たちの数々の失態を告げるごとに琥珀は縮こまっていく。
長月は如何にも腹を立てているようだが、葉月は無表情で何を考えているのかわからない。それが更に琥珀の恐怖心を煽った。
「瑠璃はどうした」
「瑠璃は……」
───どうせ僕たちは裏切られる。
突然、頭に瑪瑙の残していった言葉が浮かんだ。
琥珀は暫し迷い、告げた。
「瑠璃も、鬼蛇に殺されました」
瑠璃は、琥珀にとって姉のような存在だ。怒ると怖いし、小馬鹿にするような言い方をするけれども、竜宮に襲撃に行った日、自分が囮になってまで、琥珀を逃がそうとしてくれた。
琥珀は、瑪瑙にも鬼蛇にも裏切られたが、瑠璃だけは裏切らないと知っていた。だから、せめて瑠璃には幸せになってほしい。
「そうか……」
葉月はそれだけ言い放った。葉月は、瑠璃のことをどうも思っていないのだろうか。瑠璃は葉月のことを心の底から愛していたのに、葉月は瑠璃の死には無関心なのだろうか。
琥珀はもう、わからなくなっていた。それでも、一人ぼっちの自分に手を差し伸べてくれた目の前の鬼神を憎む理由など見つからなかった………。
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「姫様、忘れ物はありませんか?」
「うん、大丈夫。ありがとう、手伝ってくれて」
もうすぐ竜宮を去る。小桜と小雪は美月の荷造りを手伝ってくれていた。
竜宮に来てからとんでもない事件ばかりで相当疲れてしまったが、帰ったら学校があることを忘れてはならない。
「やること沢山……面倒だな……」
溜息と共につい吐き出された言葉。小桜は困った顔をした。
美月は、どうせならずっと竜宮に居れたら良いのにと思ってしまった。まあ、迷惑かもしれないからまた今度にしよう。
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「何かあったときはまた頼んで良い? 姫」
「もちろん。だって兄様の都だもの。いつでもすっ飛んでいくから」
神無月は傷だらけだ。だが、彼は調子が良さそうに笑った。
ひとまず、瑪瑙と鬼蛇を倒せた為、竜宮に物の怪が押し入ることは無さそうだ。心配なのは葉月と長月である。この二人は次はどんな手を使うかわからない。
「何かあったらすぐに来れると思うから、呼んでね」
「そうするよ」
神無月は頷くと後ろに控えていた疾風とお蝶が前に進み出た。
「では、お送り致します」
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疾風は来たときに持っていた青い小石を竜宮門の中に投げた。するとまるで門の向こう側が水のように波打ち、小石をゆっくりと受け入れた。
「これで、人間の住む場所に戻れます」
疾風は門を指して一礼した。
「ありがとう」
「姫様!」
一歩踏み出した美月を、お蝶の声が引き止めた。
お蝶は美月の近くに歩み寄り、跪いた。
「あなたに、救われました。ありがとうございます」
「お蝶……」
「できれば、主であるあなた様と共に同行したいのですが」
「竜宮が落ち着くまで、神無月を支えてあげて。それと、瑠璃のこともお願い」
美月はお蝶の手を取り、微笑んだ。
「ありがとう」
美月は最後に御礼だけ言って、門に向かった。夕霧、小桜、小雪が続き、その後ろから弥生と皐月が続いた。
お蝶はまだ手に残る温もりを抱きしめながら、頭を下げた。
竜宮がまた元に戻ったら、疾風とお蝶は今度こそ祝言を挙げられると良いのだが。
美月は隣に並んだ夕霧と顔を見合わせ、共に竜宮門を潜り抜けた。
辺りは泡の音しか聞こえない。ここは恐らく水の中。目を開けてみれば、一面真っ青だった。天井から差す光が、導いている。不思議なことに、息ができる。とりあえず、光の差す方角へ向かった。
『───美月』
声が聞こえた。振り返ったが誰もいない。美月はこの声が大好きだった。
「はい、兄様」
美月は微笑んだ。澄んだ水が、美月の涙を攫っていった。
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「いってきます」
「いってらっしゃいませ」
美月はいつものように早起きして、小桜の手作り弁当を持って家の玄関を出た。
すぐ近くに優が自転車を止めて待っていた。
「乗れ」
「乗っていいの?」
優が頷くと美月は自転車の荷台に乗った。
「坂道だから事故起こさないでね」
「はいはい」
出発と共に美月は優の体に捕まった。最初の方で言った通り、ここはど田舎だ。辺りには山と田んぼ、あとはこの町の唯一のスーパーとかコンビニだ。でも、それが美月の好みだ。
「大分学校休んじゃったね。何て言い訳する?」
「適当で良いだろ」
「そっか」
美月は前に座る彼の背中を見つめ、それから天気の良い青空を眺めた。
「ねえ、優は一体どんな人生を暮らしてきたの………?」
「………………」
優は何も答えない。美月が首を傾げていると、優はようやく口を開いた。
「また、今度話す」
美月は何度も瞬きをすると「そっか」、と答え、それ以上何も言わなかった。
まだ竜宮のことが心配だ。また、様子を見に行こう。
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学校について、優と二人でクラスに入った為、夏海が驚いたように目をぱちくりさせた。
「え、二人共付き合ったの?」
「あ、夏海おはよう」
「うん、おはよう……じゃなくて、桐崎君と付き合ったの?」
「あー……」
優にちらりと視線を移すが、彼は無視して自分の席についた。この薄情者が。
「あ、十六夜さんおはよう! 丁度良かった」
そして別のクラスメイトの女子がプリントを片手に歩み寄ってきた。
「実は昨日の宿題やってないの。映させてもらっても良い? お礼に何か奢るから!」
お願い、そう言って手を合わせる女子に、美月は困った顔で首を傾げた。美月は頭が良く、宿題を写させてほしいと頼まれることはよくあること。
だが、美月も優も、しばらく長期間休んでいたので昨日の宿題なんてやって来ていない。
きっとこの女子はそのことをすっかり忘れているのだろう。
「えーっと、私休んでたから宿題やってない。ごめんね」
「え? 十六夜さん休んでた?」
え? 美月はその変な質問に眉を顰める。
「あ、美月やってきてるじゃーん。おっちょこちょいだなぁ」
その時、夏海が美月の鞄を漁って一枚の数学のプリントを取り出した。親友の夏海が美月の私物を触るのは日常茶飯事なのだが、問題はそこじゃない。
「ちょっとそれ見せて」
美月は夏海からプリントを受け取りじっと見つめた。それは何の変哲もない数学のプリントだ。だが、美月はこのプリントを今初めて見た。
それなのに、そこに書かれた数式や筆算は、紛れもない、美月の字だ。しかも、こんなプリント、鞄に入れた覚えなどない。
「十六夜さん? どうかした?」
「美月?」
クラスメイトの女子と夏海は困惑した様子で美月を見た。
「え、私、昨日……ていうか、一週間ぐらい休んでたのに……何で宿題……」
「え?」
夏海もクラスメイトの女子も、顔を見合わせ、眉間に皺を寄せる。
夏海はぷっ、と吹き出し笑いだした。
「ちょっと、美月何言ってんの?」
美月の頭の中に大混乱が起きていた。やがて夏海の放った一言は、美月だけでなく、近くで話を聞いていた優までもが驚愕してしまうものであった。
「美月、ずっと学校来てたじゃん」
第二章 完
水無月
立場 ── 四代目水を司る鬼神。竜宮頭首。
住居 ── 竜宮の大屋敷。
種族 ── 鬼。
武器 ── 刀 紫陽花。
属性 ── 水。
神無月
立場 ── 四代目守を司る鬼神。水無月専属護衛。
住居 ── 竜宮の大屋敷。
種族 ── 鬼。
武器 ── 銃 藤乱れ。
属性 ── 火、光。
如月
立場 ── 三代目真を司る鬼神。草木張の頭首。
住居 ── 草木張の大屋敷。
種族 ── 鬼。
武器 ── 刀 真刀菊。
属性 ── 土、無。
疾風
立場 ── 神無月の忍。風神の一族。
住居 ── 竜宮の大屋敷。
種族 ── 鬼。
武器 ── 苦無。
属性 ── 無、風。
お蝶
立場 ── 水無月の忍→美月の忍。静美一族。
住居 ── 竜宮の大屋敷。
種族 ── 鬼。
武器 ── 苦無。黄金の蝶。
属性 ── 無、闇、光。
瑪瑙
立場 ── 葉月の主従。死神。
住居 ── 葉月たちの住処。
種族 ── 鬼。死神。
武器 ── 無し。物の怪。
属性 ── 闇。
瑠璃
立場 ── 葉月の主従。
住居 ── 葉月たちの住処。
種族 ── 鬼。
武器 ── 短刀。火。
属性 ── 火。
琥珀
立場 ── 葉月の主従。
住居 ── 葉月たちの住処。
種族 ── 鬼。
武器 ── 弓矢。
属性 ── 無。
鬼蛇
立場 ── 葉月の主従。
住居 ── 葉月たちの住処。
種族 ── 鬼。
武器 ── 短刀。
属性 ── 闇。