【第一章】滅を司る鬼神
小桜は襲いかかってきた物の怪もろとも、崖から落ちてしまった。美月は小桜の安否を確認するため、小雪と共に崖の下へ駆け下りた。
「小桜!」
そこには物の怪の巨大な牙を食い止めている小桜がいた。小雪は吹雪を放って物の怪の頭を潰すと、姉の元に駆け寄った。どうやら小桜はあばら骨や腕の骨が折れてしまったようだ。崖から落ちてもそれだけの怪我で済んだのだ、さすがは鬼。
小桜は痛みをぐっと堪えて立ち上がった。その時、何かに気づきいた小桜は、驚愕の表情で美月と小雪の後ろを凝視する。振り返った美月たちも硬直した。何体もの物の怪がこちらに向かってきているのだ。
「あれ、全部倒さなくちゃいけないの…?」
あれらが黄泉の国の扉をこじ開けた原因なら、全て倒さなければならないのは確か。しかし、小桜は骨折していて、体力の限界である小雪の表情も険しくなってくる。
「こうなれば………小雪、姫様を連れて遠くへ行きなさい、私は残って戦います」
「…………」
犠牲はつきものだと教わってきた双子。非常事態である今、姉の小桜が体を張るしかないのだ。弟を守るためにも、姉としての威厳を見せなければなはないのだ。
しかし、小桜が指示した瞬間、いつも無表情だった小雪の目が見開かれた。姉を見捨てるか、姫を守るか。自分たちの使命を考えた結果、小雪は美月の命を選んだ。
「小雪、小桜は!?」
「姉さんは、逃げろと言いました」
小雪は美月の問に無表情で答えるとすぐに美月を抱えて高い岩場へと登る。
「無礼をお許しください姫様…」
やむを得ず、美月を抱えたことについて許しをこう小雪。
「小桜は…?」
高い岩場から見下ろしてみれば、多くの物の怪たちが小桜を取り囲んでいるのがよくわかる。二人が遠くへと向かったのを確認すると、小桜は深呼吸をして物の怪たちに向かって叫んだ。
「我が主、文月姫様に変わって、この小桜がお前たちを始末してやります!!」
小桜が手をかざした直後、竜巻が巻き起こり、刃物のように鋭い桜が舞い始めた。風に紛れて、ひらひらと舞う花びらが、物の怪たちを切り裂いていく。全ての物の怪たちの体がばらばらに砕け、塵のごとく吹き飛んでいくと、再び静寂が訪れる。
「小桜、大丈夫?」
「無理をし過ぎたみたいです」
顔を歪める小桜。きっとあの技は強い代わりに体に負担がかかってしまうようだ。小雪は小桜に肩を貸しながら、僅かに殺気を感じて眉間に皺を寄せた。まさか、まだいるというのか。たった今、小桜が大量の物の怪を払ったというのに。
「姫様、どうか下がって……」
「その体でまだ戦うの!?」
「あなたをお守りするのが、私と小雪の使命。もう……あなたを失いたくない……」
小桜は体を起こして、現れた物の怪たちを見据える。
「何故、この世に未練のある魂たちがあんなにも……」
小桜は疑問を浮かべながらも、いつでも反撃できるよう構える。小雪も美月の前に立った。もう失いたくない、目の前で死んでしまった文月姫を思い出す度に、双子は自分たちを責めてしまうのだ。
前世の記憶がない美月にとって、何故二人がこんなにも自分を守ってくれるのか分からなかった。これ以上無理をすれば、二人の命が危ない。
二人が来る前、美月は曼珠沙華で物の怪を斬ったのだ。またあの方法で、二人を守れるはずだ。あの時は、どうやって刀を振るったのか。曼珠沙華を強く握りしめていた時だった。
──チリン。
耳元で鈴の音が聞こえてきた。
──チリン。
鈴の音に紛れて、今度は女の声が美月の耳に届く。
──使えるはずだよ…
(誰……?)
曼珠沙華を握る手がじわじわと熱くなっていく。
──曼珠沙華を抜いて。
この可愛らしい、高い声。どこかで聞いたことがあるのに、思い出せない。突然、曼珠沙華が紅い光を放った。まるで、早く刀を構えろと美月に訴えるように。それで、小桜と小雪を救えるのなら、喜んで戦おう。
刀を鞘から引き抜いた瞬間、眩いほどの光が放たれ、小桜も小雪も目を細めた。
──滅びへの道筋は、目を瞑るとわかる。
また、耳元で誰かが囁いた。
「目を、瞑る…?」
美月は覚悟を決めて、目を瞑った。頭の中にこちらへと突進してくる物の怪たちが浮かんだ。その中央、斜め下の辺りが赤く輝いている。初めて握ったはずなのに、曼珠沙華はよく手に馴染む。
(ああ、思い出した…)
美月は曼珠沙華を片手に物の怪の大群へと歩み寄る。
「姫様!?」
小桜はすぐに呼び止めた。
「お待ちください!」
美月の行動に小桜は体を強張らせた。普段無表情の小雪も目を見開き、戦場に足を踏み入れる美月の背中を凝視している。ついに、美月は駆け出した。
「曼珠沙華!!!!!」
その声に応えるように曼珠沙華は赤い光をより一層放つ。美月は頭の中に流れ込んできた、滅びへの道筋を思い出し、曼珠沙華を振るう。物の怪の大群の中央、斜め下の部分へと刀を向け、突っ込んだ。妖気を纏う曼珠沙華の波動。その衝撃により、残りの物の怪たち全て塵と化し、消え失せた。
………………
小桜と小雪の手を借りてこの奇妙な場所から抜け出すと、無事に月火神社へと帰ってこられた。
「姫様!」
師走が駆け寄って来た。
「師走様!すみませんご心配をおかけして…」
師走は安堵の息をこぼすと小桜たち双子を一瞥した。
「やはり、二人を呼んだのは正解でした」
小桜と小雪は真剣な目で師走を見つめる。
「師走様、姫様が曼珠沙華を使えました」
小桜が告げたその言葉に、師走は目を見開き、頷いた。
文月姫の曼珠沙華が美月にも使えた。不安だったものがあの場で解き放たれた気分だった。
「姫様なら、使えると信じておりました。曼珠沙華があなたを主であると認識したのです」
美月の手にある赤い短刀を師走は見つめて言った。
「申し訳ありません。私達妖は人間が通る黄泉の国へ向かうことができないのです。なので、私は向かうことができませんでした…」
「いいの、気にしないで……」
面目なさそうにする師走に気を使い、美月は首を振る。そしておもむろに小桜と小雪を見るとある疑問が浮かび、固まった。
(───あれ、そういえば…)
考え込んだ美月の服の裾を小桜が引っ張る。
「姫様、もう夜です…」
え?と美月は空を見上げる。さっきまで夕方だったのにもうあんなに闇が広がっている。
「大変。師走様、すみません…」
「いいえ。お気をつけて」
師走にお辞儀をすると小桜と小雪と共に神社を出た。
「……姫様」
小桜が足を止める。
「どうしたの?」
首を傾げて、俯く少女と目を合わせる。
「姫様は先程の話で気づかれました…?」
「えっと…」
美月は眉を顰めて、小桜と小雪を見つめる。
もしかしたら、そうなのか。師走が話していたことに疑問を持ったあの瞬間、少し悟ってしまった。
美月はゆっくり口を開いた。
「───二人って、人間の血が入ってるの…?」
小雪の秘密。
小桜と顔が全く同じだから女顔。可愛い。