【第二章】卯月と皐月
「宿れ我が背に」
鬼蛇の背中に黒い短刀が密集するとそれらは夕霧と美月に襲いかかる。二人は反射的に避けたが、鬼蛇の短刀は逃げれば逃げる程速度が増していく。
ならば向かうしかない。夕霧と美月は月明かりに照らされ白く光る刀を構え、鬼蛇に接近する。
「嬉しいですね。そちらから来てくださるとは」
鬼蛇は微笑し布で覆った片目を左手で押さえる。覆われていない方の目は金色に輝いている。背から広がる黒い短刀は更に大きくなっていく。
夕霧は目と鼻の先にいる鬼蛇目掛けて刀を滑り込ませる。だが黒い短刀がその刃を食い止め、刃先を包むように支える。
その夕霧の後ろから紅色の刀を振りかぶった美月が現れる。
「おっと」
「………っ」
それを鬼蛇は素手で掴む。
刀を取られた夕霧と美月は一度刀を諦め手放し、鬼蛇から離れた場所で再び手元に呼び戻した。
「お二人共賢いのですね」
鬼蛇は好奇の目で二人を眺める。
鬼蛇の金色の片目からは妖気を感じ取れる。もしも鬼蛇に両目があったならもっと大変なことになっていただろう。
「こんな所で油を売っていて良いんですか? 竜宮が危険な状態にあるのに」
「だから急いでいるの。退いてもらえる?」
不機嫌そうに言い放った美月に視線を移した頃には、彼女の姿はなかった。驚いた優が再び鬼蛇を見た時には恐ろしいことに、美月は鬼蛇を守っている短刀たちを払い落としていた。会話中で油断していたためか、鬼蛇は美月の驚異的な速さについて行けなかった。彼女は狙って鬼蛇に返答したのだろうか。
美月は鬼蛇の左腕に傷を残し、更に斬りかかったがこれは短刀によって止められた。
「恐ろしい奴」
再び隣に戻ってきた美月に感心と尊敬の意を込めて冷たい視線を送ってやった。
「何……?」
「別に」
これからは怒らせないようにしよう。夕霧はそう誓った。
「今のはすごく良かった」
鬼蛇は軽く拍手をすると機嫌良さそうに微笑んだ。
しかしながら、鬼蛇の防御は厚い。夕霧と美月の刃はなかなか通らない。しかも鬼蛇の後ろに控えている大量の黒い短刀は鬼蛇の視線に従って自在に動かせる。
「奴の目玉くり抜けってか……」
夕霧の呟きに美月は目を見開く。
「フフフフ………ハハハハハ!」
鬼蛇は腹を抱えて笑い始めた。二人は身の危険を感じ、身構える。
鬼蛇は瞬間移動し、夕霧と美月の目の前に立ちはだかる。二人はすぐに刀で防御する。
「無駄です。教えて差し上げます。私の左眼を奪えたのは、鬼神頭領、睦月殿だけなんです」
………………………………………………
水晶で瑠璃の様子を見ていた瑪瑙は、彼女が倒れ行く瞬間まで見届け、水晶を消した。
「なあ、瑪瑙」
後ろから聞こえた幼い声に、瑪瑙は振り返った。
「瑠璃は、俺を逃がすために捕まったんだ。それを言えば、葉月様は許してくれるんじゃ……」
「そう簡単にお許しは頂けない」
瑪瑙の中にはいくつか考えがあった。
誰からも必要とされなかった自分たちを拾ってくれた葉月と長月。だがこの二人は恐らく、用が済んだら自分たちを見捨てるつもりだ。
一番気になる存在は鬼蛇だ。奴は自分や、瑠璃と琥珀とは違った条件で葉月の側にいる。
「つまり、そういうことだ」
「え?」
瑪瑙は水晶を放り投げた。
「ここに、僕が信じられる者は誰一人いないということだ」
「瑪瑙?」
「琥珀、僕はお前や瑠璃のように犬死になどごめんだ」
「何……!」
琥珀は仲間だと思っていた男に初めて敵意を剥き出しにする。
瑪瑙は心の中で愚かだと呟いた。葉月にまだ従うか。瑪瑙には、もう忠誠心などなかった。
「瑪瑙様……」
振り返り、自分が作り直した白い鬼を見つめる。
「白夜、お前も来い。皐月の槍はどこだ」
「………」
白夜は黙って、俯くと、どこかへゆっくり歩いていく。瑪瑙は白夜の後を追う。
「おい、瑪瑙! 葉月様を裏切ったな!!」
「どうせ僕たちは裏切られる運命だ」
瑪瑙は吠える琥珀に冷たい視線を向け、その場を去った。
………………………………………………
短刀の襲撃をかわした夕霧と美月に更に追い討ちをかけるように上から短刀の雨を降らせる。
「睦月殿は強かった。誰よりも。私の目的はもう一度、あの方と殺し合うこと!」
短刀の勢力が拡大し、一気に夕霧に突っ込んでくる。夕霧は刀で全てを受け止める。だが、夕霧に限界がきたことを察した美月は曼珠沙華で鬼蛇を引き離した。
「面白くないですね……!」
鬼蛇がまたしても襲いかかってくるというのに、美月は体制を立て直すのに遅れた。体力が保たなかった。
「おい馬鹿!」
そのとき、腕を引かれた。いくつもの短刀が夕霧の左腕に突き刺さった。
美月は自分を庇って血塗れになった夕霧の腕を凝視した。やがて次の攻撃が来る前に、残った体力を絞り出し、夕霧を連れて距離を計る。
「優……!」
「……大丈夫だ」
そうは思えないが。泣きそうになった自分を安心させる為に彼はそう言ったのだろうか。
優の肩に触れる手が小刻みに震えた。
「あなたのお兄様も、あなたを庇って死に絶えましたね。あなたは多くの方に愛されているようですね」
しばらく風が吹いていなかったこの静かな場所で、美月の黒髪がなびいた。
「また、私から……」
「何です??」
「───貴様は、また私から大切な者を奪うというのか」
振り返った美月の両眼が金色に輝き、妖力が美月を中心に渦巻いている。
「美月、やめろ!」
夕霧の静止も聞かず、美月は自分の影から物の怪たちを放ち始める。
動き出そうとした鬼蛇を巨大な黒い手が掴んだ。
足下に視線を移すと、地面から物の怪たちが這い出てきていた。
鬼蛇は短刀を物の怪たちに向けて突き刺す。すると物の怪たちは耳をつんざくような悲鳴を上げる。
それは美月にも影響し、美月も痛みに顔を歪めるも、すぐに痛みは引いた。
「何………」
息絶えたはずの物の怪たちはすぐに立ち上がり、鬼蛇に襲いかかってくる。
鬼蛇は瞬間移動を試みるが、右眼を塞がれ身動きが取れなくなった。
「クク………ハハハ…」
「黙れ!!!」
美月の怒りを含んだ声が聞こえた方向へ鬼蛇は振り向く。
「私の目的が果たされるまでは、まだ死ぬわけにはいきませぬ」
「うるさいっ…うるさい…」
何の力を使ったのだろうか、姿を眩ます鬼蛇。美月は曼珠沙華を握り締め、鬼蛇の元へと駆け抜けて行く。
兄の仇に、またしても逃げられるなんて、そんなこと、許さない。
「この卑怯者が!!!!!」
鬼蛇を頭から斬りつける。
「────…………!」
頭から足まで、赤く亀裂が走っている。
鬼蛇は足元をふらつかせ、前のめりに倒れた。これだけでは、鬼蛇は死なない。
「深い、地の底へ! 暗闇の中に!」
鬼蛇の足下に闇が広がる。物の怪たちは鬼蛇を引きずり下ろしていく。鬼蛇の体はどんどん闇に沈んでいく。地の底へどこまでも、どこまでも。
「そのまま、地獄まで」
鬼蛇は闇に消えていった。地面は元通りになる。
「げほっ……」
美月は膝を付き、咳き込んだ。血を吐き出した。沙華の呪いとは相手を呪う訳ではない。自分が呪われる技なのだ。
「美月……!」
夕霧は負傷した腕を庇いながら美月の元へ駆け寄る。
彼の腕から血が溢れ出ている。応急処置をしなければ。
「血が……」
「俺の怪我なんかどうでもいいんだよ! 沙華の呪いを使うなと……!」
「どうでもよくなんかない! あなたまで……あなたまでいなくなったら私は……!」
美月は泣きながら夕霧の服を掴んだ。
「みんな、私を取り残していく……! どんなに願っても、どんなに繋ぎ止めていたとしても、父上も母上も兄様も私を一人にする……!」
「俺はお前を一人になんか……!」
「嘘……!!」
美月は大粒の涙を流しながら夕霧の言い分を断ち切った。信じられなかった。だって兄様も、同じことを言っていたから。
思い出される前世。あの日、迎えに来てくれなかった夕霧を憎んでいるはずない。ただ、寂しくて悲しかった。
夕霧は美月の濡れた頬に触れた。
「嘘じゃない。一人にしないから。もう、二度と」
これは君を殺した罪滅ぼしなんかじゃない。君を傷つけた罪悪感からの言葉ではない。
「お前を、愛しているから」
美月は泣きながら夕霧と目を合わせる。
「お前をもう二度と傷つけたくない。だから、お前を守りたいんだ。俺のそばにいてくれ、美月」
夕霧の手が美月の冷たい手を包んだ。
「本当に? あなたの、そばにいていいの?」
美月は弱々しく問う。そこには、不安と共に嬉しさがあった。苦しかったのに、今はそんなことは全くなかった。
夕霧は、愛しい人の手を握り、頷いた。
「行こう。竜宮を守りに行こう」
美月は笑いながら、最後の大粒の涙を流しきった。
その微笑みは、夕霧に鈴を貰ったときと同じ笑顔だった。
………………………………………………
小桜、小雪、弥生、皐月は竜宮に攻め入る物の怪たちを内側から攻撃していた。
さっきまで物の怪たちの主導権を握っていた瑠璃が倒れた今は、この物の怪たちはただの人食いに変わり果ててしまった。この物の怪たちの頭の中はただ単に食うことしか考えることのできない、空っぽの化物だ。
「ええい、鬱陶しいのよ!」
弥生は上から矢を放ち、物の怪を一気に数十体消し飛ばした。
「おい双子! 神無月と夕霧は外にいるんだよな!?」
「はい、外から物の怪を排除して回っています!」
「姉さんの言うとおりです」
「おいおい、あいつら大丈夫か?」
これだけの数を二人で相手するとは危険極まりない。ここは弥生か皐月が外に行くべきなのではという考えが頭を過った。
「よし、俺はもうちょい竜宮門の近くに行くぞ!」
「はあ!? ちょっと皐月、大丈夫なの!?」
「任せとけって!」
弥生と小桜と小雪が中を、夕霧と神無月が外側を守っているのなら、自分はその繋ぎ目である門を守ろう。
………………………………………………
竜宮門の結界を破ろうと体を体当たりさせる物の怪たちを目の当たりにし、皐月は腕の骨を鳴らした。
「来いよ!」
ついに破裂する音と共に物の怪たちが侵入してきた。
戦う用意はできている。皐月が構えた直後のことだった。
「止まれ」
どこからか聞こえてきた声に反応し、物の怪たちはピタリと動きを止めた。
皐月は動かなくなった物の怪たちを凝視し、声の正体を探した。
突如、地面が抉れ襲いかかってきた。それを避け、皐月は辺りを見渡す。
「やはり、鬼神の武器は強い」
門から入ってきたのは瑪瑙、そして白夜だった。
「白夜……!」
「寄るな、皐月」
瑪瑙は手にもっている槍を皐月に向けた。その槍には見覚えがあった。
「おい、瑪瑙……だったか覚えてねーが。まさかとは思うが、それは俺の『芭蕉』じゃねーだろうな……」
「如何にも。愚かにも、武器を失った鬼神など容易く倒せる。お前を殺して、皐月の名はこの僕が頂いていくよ」
瑪瑙は槍を構え、皐月の元までひとっ飛びで向かった。
皐月は素手で槍を掴むも、自分の武器ながら、威力は強く、吹き飛ばされてしまった。
「滑稽だな! 自分の武器に傷つけられるのはどんな気分だ?」
瑪瑙は槍で宙を突き、また皐月を吹き飛ばす。腹筋でその威力を受け止め、素早く立ち上がった。
「調子に乗るなよ! お前は鬼神の武器を手に入れただけだ! 俺が鬼神なんだよ!」
皐月は瑪瑙に向かっていき、槍を掴んだ。
「離せ!」
瑪瑙は槍一振りで皐月を吹っ飛ばした。だが、皐月はすぐに体制を立て直し瑪瑙の腹に拳を一撃食らわせた。
瑪瑙は吹き飛ばされ壁に激突する。
「武器を持っててその程度か?」
「黙れ…!」
瑪瑙は苦し紛れに槍を地面に突き刺した。途端、皐月の足元を支える地面は崩れ、破壊される。
瑪瑙は槍を引き抜き、皐月目掛けて突いた。皐月は宙に投げ出され、そのまま木に激突し、折れた木と共に横転した。
倒れた際に、白夜が視界に入った。白夜の顔からは表情というものが消えていた。人形みたいだった。
───そんな顔するなよ。お前はそんなんじゃなかっただろ………。
皐月は歯を食いしばる。頭から何かが流れているのを感じた。血だ。
「やはり、僕は鬼神になれる。葉月も長月も殺して、この僕が頭領になれる……!」
鬼神の武器を手に入れた瑪瑙は感極まった様子で高笑いする。
「白夜! 君も僕の傍で働けばいいさ! 君だけは特別に扱ってやるよ、死ぬまでずっと! 君は最高に美しい僕の人形だから」
白夜は俯いた。頭の中に、文月姫の言葉が響いた。
『──あなたは、お人形じゃない』
そう言ってくれたんだ。文月姫は、そう言って、手を差し伸べてくれた。
「そいつは、人形じゃねえええ!!」
「!」
白夜は顔を上げた。傷だらけになりながら立ち上がった皐月が目に入った。皐月は本気で怒っていた。
「そいつは、卯月だ! 血繋がってねーけど、俺の妹だ! 俺がこの世で一番愛した鬼神だ!!」
瑪瑙は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「何を言っているかわからん!」
瑪瑙は芭蕉を振り回し、皐月が近寄れぬように風を巻き起こした。
それでも、持ち前の根性で皐月は無理矢理にでも進んでいく。
「おいこら芭蕉! おめーの主はそいつみてぇな薄汚え手を使う奴じゃねーだろ!」
皐月は風を乗り越え、瑪瑙を殴り飛ばした。壁に体当たりし倒れた瑪瑙の首を掴んで更に投げ飛ばす。
「卯月…!」
皐月は瞳を大きく揺らす白夜に目を向けた。そのとき、腹に衝撃を感じた。黒い手が、皐月の腹を穿いていた。
皐月は血を吐き出し、倒れた。
瑪瑙はふらふらになりながら槍を地に付きたて立ち上がった。
「クク……油断したな貴様。物の怪が周りに控えていたことを忘れるな」
皐月は血を吐き出しながら膝から崩れ落ちた。上手く声が出ない。皐月は白夜に手を伸ばした。
瑪瑙はそんな皐月に歩み寄ると槍を突き刺し、更に足で刃をねじ込んだ。
「ぁがっ………!」
皐月は苦しみ悶ながら、激痛と戦った。瑪瑙は槍を引き抜くと笑った。
「僕の勝ち……! 素晴らしいな。この槍は力が強い。こんな小さな都など簡単に吹き飛ぶぞ! 残りの鬼神はどこだ? 探し出して叩き潰してくれる!」
そう言って瑪瑙は物の怪の大群を引き連れて竜宮の奥へと進んでいく。
このままでは、奴は竜宮の住人を殺して回るかもしれない。そうなると、中で戦っている小桜、小雪、弥生の身も危ない。
止めようにも体に力が入らない。皐月は自分にとどめを刺した男の背中を見つめながら、目を閉じた。
………………………………………………………
動かなくなった皐月の元に白夜は歩み寄った。血に塗れた彼の顔に触れた。冷たくなってしまっている。
わかる。思い出した。まだ覚えてる。そうだ、あなたは……私の…。
皐月の頬に、一つ、二つ、と雨が降り注ぐ。いや、それは白夜の涙だった。人形なのに、まだこんな感情が残ってたんだ。
「私の命……あなたに、あげる……」
白夜はそう言って、皐月に口づけた。白夜の体が一瞬の間だけ光る。そうするとすぐに白い光が皐月の体を包んだ。
やがて、皐月の瞼が震えた。ゆっくりと目を開くと白い鬼の顔が目の前にあった。
「卯…月………?」
卯月はその美しい微笑みを向け、力無く倒れた。皐月は飛び起きて倒れた卯月を抱きかかえた。
「卯月! おい、卯月っ!」
卯月の体は軽かった。それは人形だからだろうか。そうではない。卯月は自分の命を、皐月に与えてしまったがために、魂の抜けた体だけが残ってしまった。だが、まだ体の中に僅かに残っている命によって卯月は生かされていた。
皐月の腕の中で、卯月は囁いた。
「……貰った、簪は、受け取れない。もう、お前の、隣に……居れ……ないから………」
「卯月……! 俺を置いてどこに行くんだよ……!」
卯月はその命を手放す寸前に、
「愛…して……る…」
途切れ途切れに声を発し、何とか紡いだ最後の言葉を残し、皐月の頬に触れていた白い手は地に落ちた。
卯月の茶色の瞳から光が消え、白い睫毛は静かに閉じられた。
「あ……あぁ……」
この絶望的な状況で唯一、希望のようなものを感じられるのは、最後に愛する者の腕の中で息絶えた卯月の幸せそうな顔だけだ。
「──────ッ!!!!」
皐月は腕の中で命の灯火が消えた、絶対に失いたくなかった存在を抱きしめ、喉が張り裂けそうになるほど泣き叫んだ。
………………………………………………………
「物の怪の数がさっきよりも増しているような……。皐月は大丈夫なの……?」
弥生は上から見渡し、不安げに呟いた。門の近くに移動した皐月は大丈夫だろうか。いつも無茶するから余計に心配だ。
下で戦っている小桜と小雪も異変に気づく。今戦っている物の怪たちは先程と違って無闇やたらに押し寄せてくるわけでもない。
慎重に小桜たちと戦っている。そんな気がした。これらは誰かに従っている可能性が高い。
心当たりのある物の怪使いといえば、奴しかいない。
「瑪瑙! お前ですね、どこに居るんですか、出てきなさい!」
小桜の叫びに応じて、一つの影が現れた。
「小鬼の分際で、この僕を呼び出すとは」
「………!」
弥生と小桜と小雪は、身構えた。
死神と同類である瑪瑙は、悪霊を自在に操り、今この場で新たに物の怪を作ることも可能だ。彼は危険である。
弥生は瑪瑙が右手に持っている武器に驚愕した。
「それは……芭蕉? 何故お前が皐月の武器を持っているの?」
弥生は眉間に皺を寄せ、弓を引き、矢を向けた。腹が立つ。それは喧嘩はよくするが、一応兄として認めている皐月のものだ。それを、汚らわしい瑪瑙という存在が手にしていることが許せなかった。
「何故…? それはこの僕が鬼神になるためだ……!」
瑪瑙は矢を突き、弥生、小桜、小雪を吹き飛ばした。
芭蕉の威力に瑪瑙は更に歓喜した。
「皐月は死んだ……! ならば、これは僕のもの! つまり、僕は鬼神になったのだ!」
「嘘よ……!」
弥生の悲痛な叫びを追い払うように瑪瑙は槍を振り回した。またしても三人は威力により吹き飛んでいく。
弥生は信じられなかった。皐月が死んだなんて有り得ない。だって、さっきまで一緒にいたのに。
じゃあ、瑪瑙が今手にしているものは何なのだろうか。芭蕉は、瑪瑙を主として認めてしまったのか。
瑪瑙は倒れた弥生に刃先を向けた。
「次はお前だ、弥生! お前も卯月も皐月も死ねば、次はこの辺の何処かにいる神無月だ! 全ての鬼神を倒し、俺が頭領になる! 死ね!」
弥生は怒りと憎しみの目を、瑪瑙に向けた。姉として慕っていた卯月を汚し、兄として共に過ごしてきた皐月の命を奪ったこの男が許せない。
瑪瑙は槍を大きく振りかぶった。弥生は最後まで抗おうと萩緑を呼び出した。これでは死んでも死にきれない。
だが、槍は目の前に迫っていた。皐月の武器で死ぬ。そう悟った。
「────違う。次はお前だ」
………………………………………………………
瑪瑙は背後から感じた気配からさっと逃れた。
白い生地に燃えるように赤い曼珠沙華の刺繍が施された着物と紅色の刀が目に入った。
「文月姫………!」
驚愕し、呟いたのと同時に紅色の刀が迫った。咄嗟に芭蕉で身を守るが、何故か威力を発揮できない。
文月姫を追い返そうと芭蕉を振った。少し離れたところで着地した文月姫の金色の瞳が瑪瑙を睨んだ。
後から、瑠璃を背負った夕霧が、弥生と小桜と小雪の元へ駆けてきた。
「夕霧……!」
小桜は夕霧と、その背に居る女に怪訝そうな顔をする。
「まあ、後で説明するからこの女の治療を頼む」
「え? あ、はい……」
小桜は訳がわからない、と言いたげな顔だったが言うとおりにしてくれた。
「姫様がお帰りになられていたとは……」
小雪は瑪瑙の相手をしている美月を見て目を見開いている。
「疾風とお蝶は神無月と合流している頃だろ」
「ならば、ひとまず向こうは何とかなる……。瑪瑙さえ始末すれば物の怪の数は格段に減るはずなんだ……」
夕霧は美月から聞いた情報を伝えた。それに安堵した小雪は、瑪瑙と美月の戦いを見守る。
………………………………………………………
瑪瑙は何故か上手く芭蕉を使いこなすことができずに苛立ちを覚えていた。
その苛立ちをぶつけるように文月姫に向かって槍をつくが、かわされ、振り払われた。
「残念だったな。芭蕉は迷っている。お前が真の主なのか」
「黙れ……! 僕は鬼神だ……鬼神になれたはずなんだ……!」
「口を慎め!!」
姫は曼珠沙華の圧で瑪瑙を追いやった。
「お前が、鬼神の頭領になれるはずがない………。お前に父上を倒せるだけの力があると思うか!」
「っ!」
瑪瑙は芭蕉を地に突き立てた。地面の崩壊から逃れる為に文月は瞬時に移動した。
やはり、芭蕉からは瑪瑙に対する忠誠心というものが感じ取れない。
──何故だ、皐月は死んだはずなのに………。
そのとき、向こう側から誰かが歩いてくるのが見えた。
「皐月……」
弥生は安堵した。良かった、生きていた。だが、皐月の様子がおかしい。その原因が皐月の腕の中で眠る存在を見てわかった。
「皐月……誰を抱えているの……?」
弥生の震える声に、皐月は悔しげに答えた。
「卯月だよ、弥生……。卯月は、もう……」
弥生はその現実を否定したくて何度も首を振った。違う、違う、と。皐月は生きていてくれた。それで安心できたのに、今度は最愛の家族を失い、弥生は絶望に突き落とされた。
「貴様……僕の人形を壊したな…!」
瑪瑙はせっかくできた最高傑作を失い、怒った。
だが、皐月の方が更に怒っていた。固い地面を皐月の足が砕いた。そこには、瑪瑙を殺すという強い意志があった。
皐月は卯月の亡骸を弥生に託した。弥生は泣き叫び、その亡骸を抱き締めた。
「皐月……! 弥生諸共、卯月の元へ送ってやろうか!?」
瑪瑙は今度は物の怪を大量に引き連れ向かってきた。
文月も怒り、曼珠沙華で瑪瑙の足を斬りつけた。
「なっ…!? 芭蕉が…!」
瑪瑙は芭蕉を手放してしまった。文月は芭蕉の柄を掴むと皐月に向かって投げた。
皐月はようやく自分の武器を手にした。芭蕉は皐月が自分の主であるとわかったのか、澄み渡るような青い輝きを発した。
「良いか、芭蕉の主は俺だ! くらいやがれ!」
皐月の目が金色に輝いた。皐月は芭蕉を思い切り振るった。威力は瑪瑙が使ったときよりも遥かに増していた。
物の怪たちは全て消し飛んだ。
それに巻き込まれ瑪瑙も吹き飛んでいく。皐月は逃がすまいと飛び上がり、瑪瑙の腹を芭蕉で穿いた。
「ば…馬鹿なっ………」
「地獄に堕ちろ!!」
皐月は瑪瑙を刺したまま槍を地面に突き立てた。そのまま、地面が抉れ、瑪瑙は埋められた。
………………………………………………………………………………………………………
物の怪たちが消え去り、竜宮に静寂が訪れた。
竜宮の住人たちは怯えながら外の様子を確認している。なかには、物の怪に食い殺されてしまった者もいるようで泣き叫ぶ家族連れもいた。
「神無月様……あまりご無理をなさらぬ方が………」
「いいっていいって。水無月が残していった都を守るのが俺の役目なんだからさ」
神無月は体中に負った傷を庇いながら歩く。その後ろで疾風とお蝶は苦笑しながらついていく。
竜宮は散々敵に荒らされてしまったため、修復をしなければならない。
夕霧と分かれて戦ったときに、あまりの物の怪の多さに流石の神無月も太刀打ちできないでいた。そこで、疾風とお蝶と合流し、何とか助かった。
新たな水無月が見つかるまで、これから大変なことになりそうだ。
………………………………………………………
弥生と皐月は卯月の亡骸を埋めた墓を見つめた。神無月が今度、立派な墓石を持ってきてくれるらしい。卯月の墓を建てるのに花々の咲き誇るこの美しい場所を貸してくれたことに感謝した。
卯月は死んでしまった。いつまでも、三人ずっと一緒だと思っていたが、それは子供の儚き夢だった。
「先に行って、待っていてくれ、卯月」
………………………………………………………
戦場の跡。正にそんな状態の竜宮を見渡しながら美月は俯いた。
「兄様……怒ってるかな……」
美月の呟きを聞いた夕霧は彼女の手を握る。
「多分ね」
「あら、そう」
ここで彼がそんなことないよ、と声をかけるもんならお前は誰だ、と問い詰めていただろう。
そう考えると、これは彼らしいなと思う。
そういえば、さっきの言葉は本当だろうか。
「ねえ、さっきのは本気にしていいのかな?」
「なんだよ」
「あれは、今でいうプロポー……」
「そんなこと言った覚えない」
「言ったよ」
対応冷たいくせに、美月の手を握る彼の手は優しかった。
「じゃあ、私の事どう思ってるの?」
「………………」
すぐに答えが返ってくるものと思っていたが、しばらく無言が続いた。
いや、そこは言えよ。とツッコみたくなるのをぐっと抑え、待っていると返ってきたのは。
「また今度な」
「…………あの言葉は希少価値が高いってことにしとく」
夕霧はすっかり拗ねてしまった美月を横目で見て、つい笑ってしまった。あの言葉が嘘な訳がない。
「でも、今度は私を迎えに来てくれる?」
「必ずな」
必ず、迎えに行く。
美月はその言葉だけで十分だった。