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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】孤独

『我に何を尋ねにここへ参った』


 漆黒の竜は翠色に輝く双方の瞳をこちらに向け問う。


「……ん?」

『何を尋ねにここへ参った』


 尋ねる?

 まさか、こちらから会話を始めなければならない仕組みとは。叔父上様、聞いてません。


「……何でも聞いていいの?」

『我はこの世の全てを知っている。お前たちよりもずっと長く生きてきた』


 だいぶ長命のようだ。

 黒竜は体をうねらせながら宙を移動し、少しだけ美月とお蝶に近寄った。


『遠慮をするな。我は真の答えしか話さぬ』


 どうやら、信用していいようだ。

 こういうのは、質問は一つだけ、という印象があったが、この竜はいくらでも答えてくれるようだ。

 貴重な情報を得られるだろう。


「大切なものを失くしてしまった」

『ほう? それはどんなものだ』

「鈴。小さな鈴」


 それを言うと竜は興味深そうにどんどん美月に近寄ってくる。

 美月はじっと翠色の瞳を見つめた。


『姫よ。未だお前を殺した人間を想い続けるか』

「あの人は、私の従兄弟に利用されただけ」

『殺したのは真の話であろう?』

「もういい。早く答えを」


 あの人は、悪くない。

 そう、悪くないのだ。自分の一族の誇りをかけて、役割を全うしようとしただけだ。

 たとえ悪とみなした相手が、愛する誰かであったことを、忘れてしまったとしても。


『姫。鈴にはお主と夕霧の念が込められている。お主らの間を取り持つ存在だ。今は×××という名を名乗っている』


 黒竜は低い声で静かに答えた。

 だがその答えを聞いた瞬間、美月は理解できず、混乱した。

 ただ、お蝶だけは聞き取れなかった。動揺する美月を見て、黒竜が一体何を言ったのか気になった。


「ありがとう。それだけを知りたかった」


 美月は真剣な表情で竜に礼を言うと背を向けた。

 それに合わせてお蝶も後ろからついて来る。


『姫よ、お主の影に潜む物の怪。無闇やたらに使いよるようだな。お主の寿命を削るものであるのに。死ぬつもりか?』

「沙華の呪いって言うんでしょ? 死ぬつもりなんてない。……確かに使い方は荒いかもしれないけど」

『左様か。睦月殿との再会が成就すれば良いがな』


 唐突に父の鬼神としての名を語られ、美月は歩んでいた足を一瞬止めたが、気にせず斜面を下っていった。


 徐々に遠くなっていく鬼姫とくのいちの背中を見つめ、黒竜は怪しげに光る双方の目を伏せた。


『生き永らえよ、滅びの姫よ。お主の父のため、母のため、兄のために』



………………………………



「峠に辿り着けたか」


 帰って来て早々、如月は門の前で先の言葉を発した。

 美月はゆっくり頷くとお蝶の手を引いて叔父と対峙するように胸を張った。


「お蝶の夫となるのは、疾風だけ。今日、証明したのだから良いでしょう? 叔父上様、私達は竜宮に帰ります」


 主を見つめるお蝶は内心とても嬉しかった。自分の為に、ここまで立ち向かってくれる姫の存在はお蝶の中でどんどん大きくなっていく。

 それほど姫への信頼が強くなっていた。

 如月は深く溜息をつくと姫に背を向ける。


「帰りたければ帰るが良い。迎えが来ている」


 迎え?

 美月もお蝶も同じことを思いながら首を傾げる。

 門をくぐり、屋敷へと戻っていく叔父の後を追いかけて、美月とお蝶も続いて屋敷へと足を踏み入れた。




 案内された部屋の戸を開けると、そこに座っていたのは一人の忍だった。

 お蝶は大きく目を見開き、ここにいるはずの無い存在を凝視した。


「蝶!」

「疾風……?」


 お蝶は夫の突然の訪問に驚き、立ちつくす。

 疾風はすぐに立ち上がるとお蝶の手を取り安堵した。


「良かった…良かった……」

「どうしてここにいるの!?」

「お前が他の男と結婚すると聞いて、つい……」

「馬鹿じゃないの!? こんな所まで……」


 お蝶は迎えに来た夫を怒鳴りつけるも、鬼神の頭領、睦月の弟君である如月の屋敷の中であることを踏まえて留まった。


「仕方ないから今は良い。……ありがとう、疾風。来てくれて」


 でも、いつでも夫は優しいのだ。


「疾風、結婚の件については取り消しになったの。姫様があたしを救ってくれたから」


 お蝶は主であり、恩人でもある美月に向かってありったけの感謝を述べた。


「姫様、ありがとうございます。あたしは、あなたの忍であることに誇りを持ちます」


 夫婦に感謝の眼差しを向けられ、暫し困惑したが、美月は大人びた微笑みを向けた。

 これで一つの問題が解消された訳だが。


「神聖なる如月の屋敷に、静美以外の忍が足を踏み入れるとは」


 後ろから聞こえた如月の声は、忍夫婦を脅すのに十分な程ドスが聞いていた。


「如月様……! 夫は………」


 今度は夫が罰を与えられるのでは。そんな考えがお蝶の頭に過った。

 どうすれば良い……。そう思い、主に視線を移したが、姫は何も動じることなく叔父を見つめていた。


「如月様、勝手にこの屋敷へ来てしまったこと、お詫び申し上げます」


 隣にいた夫は迷いなく一歩前に出ると傅いた。


「俺は、妻を手放す訳にはいかないのです。俺は、蝶が隣にいてもらわなければ駄目なんです」 


 芯の通った疾風の声は、強い意志の現れであった。

 妻が居なくてはならない。隣に居てもらわなければならない。そんなことはいつも言ってくれなかった。

 初めて言われた告白に、お蝶の胸が熱くなった。


「その言葉が真のものとは……。夫婦とは何とも愚かしい。だが、哀れとは思えぬがな」


 如月はどこに隠し持っていたのか、突然刀を引き抜いた。 


「え、叔父上様……?」


 驚きに満ちた美月の声が響いた。

 忍夫婦は動じなかった。たとえ斬られようと構わないのだろうか。その覚悟でここにいるためだろうか。

 だが、叔父はこの二人を斬らない。美月は何故かそう信じていた。


「我に嘘はつけぬ。真を司る我に嘘を吐いた者はこの真刀菊しんとうぎくの攻撃の対象となる」


 ギラリと光る刀を見せつけられ忍夫婦は呼吸さえも押し止め、じっと如月を見据えた。だが、やはり斬ることはなく、如月は刃を下ろした。


「お前たちはこの都に用はなくなった。文月ならともかく、問題のある忍共がここに留まるのはいかなるときであろうと、禁忌である」


 如月の視線が突き刺さり、美月は真剣な目を返した。


「文月、お前がくのいちの主ならば、速やかに連れて帰れ。竜宮は今、崩壊するだろう」

「え……?」




………………………………


 雨音が小さな音を奏でている。

 頭首が亡くなってからというもの、竜宮は敵の侵入が容易い状態であり、水を司ってた水無月の代わりを勤めている神無月だけでは経済的にも支えきれない。


「どうしたものかね……」


 神無月は壊された結界石を見つめたまま苦笑した。


「ねえ、どう思う?」


 背中越しに問いかけてきた神無月を見つめ、夕霧はつい眉間に皺を寄せた。


「どうって」

「水無月の武器、『雨音紫陽花あまねあじさい』っていう刀なんだけどね、それが新たな主を探すまでは持ち堪えなければならない」


 神無月は振り返り、何がおかしいのだろうか、唇の端を吊り上げた。


「強制はしないよ。君たちを巻き込んで申し訳ないと思っている。だけど、新たな水無月が見つかるまでは手を貸してほしい」


 神無月の表情は友好的で、愛想が良い。だが、今のはほんの僅かに歪んでいた。


「初めてなんだよね。この感覚。親友亡くすってこんな感じ?」


 神無月からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。だが、表情は相変わらず悲しんでいるのかわからない。


「俺は親友なんていないからわからないけど」

「君は姫様がいなくなった今の状況が酷だよね」


 と、口を滑らせてしまった。案の定、睨まれた。

 神無月はずっと前から思っていた。夕霧は明らかに姫に想いを寄せている。というか、心の底から愛しているだろう。だが、夕霧は思っていた以上に不器用な様子。どうせ姫には伝えられていないだろう。


「まあ、頼んでも良い?」

「別に良いけど」


 敵が侵入した際に手を貸してくれれば良い。

 今は戦闘力を必要としているのだから。

 ところで、さっきから妙に感じるこの殺気は何なのだろう。


「ね? 何なんだろう」

「馬鹿か、今一番会いたくない敵だろうな。見たところ、あのときの女だ」


 夕霧は千里眼で敵の容姿を見たが、やはりあのとき捕らえた、葉月と主従を結んでいる女だ。


「逃げるの速いくせにしつこいもんだね」


 面倒くさそうに呟く神無月だが、袖から見える銃口は戦闘態勢に入っていることを意味した。

 だが、この感覚は一人ではなさそうだ。


 ───仲間を連れてきたのだろうか。


 でも何かおかしい。


「冗談きついって」


 夕霧と神無月は緩んでしまった結界を破壊しようと試みる物の怪の軍勢に顔を引きつらせた。


「神無月様!」


 背後から聞こえたまだあどけない声に夕霧と神無月は振り返った。


「小桜、小雪! 帰ったのか」

「この物の怪共は…!」


 結界石付近の地が揺れた。

 物の怪たちはまた都の中に侵入し、竜宮の住人を食い殺すつもりだ。


『ヒメ……』

「?」


 物の怪たちの群勢の中から聞こえた掠れた声が、夕霧の耳に届いた。


『ヒメ……ドコニ……』


 恐らく、あの物の怪たちの目的は美月だ。

 だが、今彼女は竜宮ではなく、叔父が治める草木張に居る。


「まだ美月を狙っていたのか……」


 夕霧の呟きを聞き取った小桜と小雪は目を見開いた。


「姫様を傷つける愚か者め……」


 小桜も小雪も、怒りを宿した目で物の怪の群勢を睨みつけた。

 心を病んだ大切な姫の姿を思い出すだけで胸が痛くなる。葉月たちを心底憎んでも、許されるだろう。


「まずい、このままじゃ結界を打ち壊される。都の外に出て物の怪たちを潰すしか…!」

「それしかないな」

「小桜、小雪、弥生と皐月を呼んで都を内側から守ってくれ! そんじゃ、俺は夕霧連れてくよー」


 神無月と夕霧が結界を乗り越え、物の怪たちに向かっていったのを見送ると、小桜と小雪は互いに頷き合った。


「小雪、弥生様と皐月様を」

「了解」


 姉の指示に従って小雪は恩師である疾風より受け継いだ俊足で屋敷にいる弥生と皐月を呼びに駆けていった。




………………………………


「まだ着きそうにない?」


 天駆ける馬車の中から美月は不安げに外を覗いた。


「山を五つ程越えましたので、そろそろかと」


 主の問に答えるお蝶も少しだけ落ち着きがなかった。その隣にいる疾風も焦っていた。

 草木張で如月から受けた情報によると、竜宮に再び敵が迫っているとのことだった。

 兄が残していった大事な都。それにそこには大切な者たちが大勢いる。


「間に合って………」



………………………………



 牙を剥き出し食らいついてきた物の怪を刀で撫で斬り、更に伸ばされた黒い大きな手をばらばらに切り捌いていく。


「夕霧、二手に分かれるしかなさそう。俺たちだけじゃ足りそうにない」


 神無月の提案に夕霧は頷くと、行く手を阻む物の怪たちを斬り倒しながら別の場所へと移動する。

 確かに神無月と二人では物の怪たちの侵入を防ぐのは難しい。都の内側から小桜たちが守ってくれるとしても、どう考えても人手不足。


(だったら、元凶を潰すしかない……)


 夕霧は千里眼で青い炎を操る女鬼の居場所を突き止める。だが、そこまで行こうにも、物の怪たちが邪魔で辿り着けない。


(どんどん増えてきている……!)


 まずい。非常にまずい。

 都に押しかけるだけでなく、夕霧にまで矛先が向いている。

 滝のように流れ出てくる物の怪たちを斬り捨て、駆け抜ける。


「あの女っ……」


 目的の場所に辿り着けない焦りにより苛立ってくる。

 また目の前に一際大きな物の怪が立ちはだかる。

 その時だった。地面から別の物の怪が這い出てくると、夕霧を襲っていた物の怪の首元に食らいついた。


「は……?」


 仲間割れなのかと一瞬そう思った。

 だが、地面から何体が這い出てきては夕霧を守るように他の物の怪たちに食らいつく。

 呆然と立ち尽くしていると、赤い輝きが、物の怪を斬り裂いているのが見えた。長い黒髪と曼珠沙華の模様の振り袖をなびかせ、一人の鬼が物の怪を倒した。


「………!」


 その女の姿を凝視した。まさか、ここにいるはずないのに。でも会いたいと願っていたあいつが、そこにいる。


「優」


 名前を呼ばれ、夕霧は少し待てまで感じていた感覚を徐々に取り戻した。


「美月……」


 夕霧は迷いなく美月の元へ駆けて行く。

 会いたかった。すごく会いたかった。彼女の元へ辿り着くと必死にその手を掴んだ。

 美月を連れながら物の怪たちを斬り倒していく。その刃の速さに付いて行けずに夕霧の前に立った物の怪たちは次々に撫で斬られていく。


「来い……」


 後方から聞こえる美月の声を合図に地面から這い出てきた物の怪たちが夕霧に襲いかかる敵側の物の怪たちを薙ぎ倒していく。

 美月の最終奥義と言える技、沙華の呪い。これは彼女の影から出し、物の怪たちが彼女に付き従うという。この物の怪たちは美月以外の他の物の怪使いには従わない。

 だが夕霧は、その代償を知っている。


「美月、その技を使うな」


 美月は夕霧から発せられた言葉の重みを感じ取った。


「使えば、お前が傷つくだけだ」


 殺した奴がこんなことを言うのも、愚かなことだと思うが。夕霧は心の中でそう自虐した。でも本当のことだ。何百年も前になるが、前世で確かに守るべきであった大切な彼女を手に掛けた。


(だから、美月。今度こそお前を……)

(あなたを……)


 ───守ってみせる。


 刀を振るったのは二人同時だった。向かってくる物の怪たち。前を夕霧が、後ろを美月が次々に斬り裂いていく。二人だけの世界に入り込んだ夕霧と美月に敵う者などいないだろう。

 完璧な呼吸の二人の前に立ちはだかった物の怪たちは二人に届かずに一瞬にして朽ちていった。

 ほとんどの物の怪たちが倒れ伏した。物の怪の底が尽きたようだ。

 しかし、背後からの殺気を感じ取った美月は咄嗟に曼珠沙華で自らの身を守った。


「……!」


 襲いかかってきたのは白銀の髪を編んだ鬼だった。

 瞼を紅に染め、鋭い、きつい目つきをしているにも関わらず、その瞳は潤んでいた。


「あなたは……」


 その女には二度会ったことがある。一度目は瑪瑙に連れ去られたとき。二度目は美月の夢の中で。


「………った」


 女、瑠璃は悔しげに呟き、その次は一際大きく叫び、美月の胸倉を掴んできた。


「全部失った……! 失くしてしまった!! あんたさえ、消えてくれれば、きっと葉月様は私を許してくれる……!」


 青い炎が迫りくる寸前に、炎の熱が届くまでの一瞬のすきを見計らい

美月は瑠璃から逃れた。だが、次は上手くいかなかった。瑠璃の連れて来た物の怪たちの手が、がっちりと美月の体を掴んでいた。


「葉月様………私を一人にしないで………!」

「…………」


 瑠璃の心からの叫びが美月の胸の奥まで響いた。寂しいという感情は美月にとってこの世で一番嫌いなものである。だから美月は、瑠璃の中に巣食う負の感情全てを抉り出したくなる衝動に駆られた。


「だから死んでおくれよ! 死ねば、あんたもこの世の苦しみから解放されるよ! 嬉しいだろ!」

「嬉しくない」


 美月は物の怪たちを振り払い、瑠璃の胸倉を掴み返した。

 突然の行動に瑠璃は一瞬怯んだがそれでもお構いなしに美月は金色に光り始めた双方の瞳で瑠璃を睨みつけた。


「何も嬉しくない! 寂しいなら、それを誰かに伝えれば良い! 伝えられないなんて言い訳だ! 苦しみに耐えられなくなるとわかっていながらどうして伝えなかった!」


 それは、瑠璃に向けて放った言葉なのか。それとも自分自身に向けての言葉なのか。傍で聞いていた夕霧は、美月の目から溢れ出る涙を見つめた。彼女は寂しかったのだ。母を二度亡くし、兄を亡くし、帰らぬ父を待ち続けて。もう疲れてしまっていたのだ。

 瑠璃は葉月に伝えられていない。瑠璃にとって、葉月がどんな存在なのか。自分を拾ってくれた葉月に、どれほど感謝しているのか。


「うるさいっ」


 瑠璃は自分の胸倉を掴む美月に向って拳を振り上げた。それが次の攻撃であると知りながら、美月は逃げ遅れた。

 その時、夕霧に左腕を掴まれ引き寄せられた。間一髪、瑠璃の拳から放たれた火から逃れられた。


「馬鹿」


 夕霧は美月にその一言だけ告げた。彼は素直ではないが、優しい性格だ。ただ、心配だったのだ。

 傍から見ても想い合っている二人を見て、瑠璃は下唇を噛んだ。


「寂しいなんて………」


 あの二人が自分と葉月ならどんなに良かったことだろう。愛する人の隣にいられる幸せを少しでもいいから噛み締めてみたかった。視界を遮る涙が鬱陶しい。


「私が何を間違えたと言いたい!? 何で私はいつも、一人に……」


 美月は涙を流し始めた瑠璃を見つめ、考えた。一人は寂しい。やっと傍に居てくれる相手を見つけたのに、呆気なく捨てられた。そんな彼女をこのまま切り捨てる気にもなれなかった。


「一人に、しない」


 美月は瑠璃に歩み寄る。夕霧は美月の行動に動揺するも、手は出さなかった。


「私の傍に居なさい」


 瑠璃は目を見開いた。

 全てを包み込めるような姫の優しい微笑みがあった。


「何言って……おかしいんじゃないの!? あんたの傍にいて……一体何の意味が!」

「私の傍にいて。誰かが手を引いてくれるだけで、孤独ではないと思えるから」


 手を引いてくれた者たちは美月の愛した者たちだ。美月は瑠璃に手を差し伸べた。差し出されたその手を見つめ、瑠璃は困惑した。

 傍にいる、ではない。傍にいて、だ。何故、敵であるはずの瑠璃にそんなお願いをするのか。何故瑠璃に傍にいてほしいと願ったのか。


「わからない。そんなの……知らない……」


 こんなこと、生まれて初めて経験したことだ。瑠璃は知らない。必要とされたときのこの感覚は葉月のときとは違うものだ。

 この手を取るか取らないか。それは葉月という最愛の存在を捨てるか捨てないかということだ。

 迷いが生じたとき、


「!」


 背中から腹まで一気に衝撃が走った。瑠璃は感じたことのない痛みにゆっくりと視線を下ろすと腹から黒く鋭いものが突き出ていた。


「本当に、唯の役立たずに成り下がりましたね」


 背後から聞こえた失望したような声と再び背中から凶器が引き抜かれる感覚に、瑠璃は全てを察した。

 ───後ろにいるあいつは、自分を殺すためにここまで連れて来たのだと。

 美月は倒れ込んだ瑠璃を両腕で支え、顔を覗き込んだ。口から吐き出された血と頬を伝う涙を見て美月は呼吸を忘れてしまった。


「葉月様に捨てられたと聞いて、手を貸してあげたのに。使えそうにないなら捨てても構いませんね」


 瑠璃の血が付着した黒い短刀を両手に持ち、呆れ顔で溜息をつく鬼蛇がいた。


「おや、姫様。あのとき瘴気で死にかけていらしたのに」

「許さない、許さない………!」


 美月は刀を握りしめ立ち上がった。今まで戦闘に関して面倒臭がっていた鬼蛇は、鬼姫を前にするとそれは恐ろしい笑みを浮かべる。


「嬉しいですね。文月姫。あなたのお父上様のように楽しませてくれることを期待しています」

「楽しませない。苦しめてやる」



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