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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】宵闇

 ───兄様。そこにいるのは兄様なの?


 花が沢山咲き乱れている。

 またこの夢か。

 瘴気に蝕まれたときに、閉じ込められたあの夢の中に戻っていた。

 その中心に、長い黒髪の青年が立っていた。だが、あれは間違いなく鬼であり、自分の兄なのだ。


「ねえ、兄様。怒らないで聞いて」


 兄は聞いているのか否かわからないが、振り返ることもせず背中越しに妹の話を聞く。


「私、すごく寂しいの」


 それでも、兄は何も言ってくれないのだ。


「ねえ、兄様。そっちへ行っても良い?」

『───駄目だ』


 突風と共に花弁が狂ったように舞い散り、襲いかかってくる。

 長い髪が乱れ、視界が荒んでいく。

 消え行く世界の中、最後に兄の背中に手を伸ばした。





 目が覚めると、そこには美しい花も、最愛の兄もいなかった。

 気づけば全身の汗が吹き出ていた。


 ───拒絶された。


 伸ばしたこの手を、兄は受け取ってくれなかった。

 もうあの頃のように、共に花を摘むこともない。もう、戻れない。




………………………………


 今日は昨日と比べて少々投げやりだったかもしれない。

 相手の竹刀を叩き割る勢いで振り払った。

 ただ、心に溜まった重い何かを打ち壊す気持ちであった。


「もう良いでしょう、姫様」


 師走の声で我に返り、息を切らしながら竹刀を下げた。


「姫様は、黒竜の元へ行くのです。宵闇の峠はただの峠ではありません」

「ごめんなさい」


 眉間に皺を寄せ、俯いた。

 その様子を見た師走はすぐに微笑んだ。


「まだ、疲れが溜まっているようですね」

「今日は集中力が足りないみたい。師走様に鍛えていただいているのに」

「姫様、あなたは強くならなければならない。あなたは母を失くし、兄を失くした。それでも、刀を離してはならない」


 師走はいつだって、正しいことを教えてくれる。

 それでも、正しい答えに辿り着けないのは、己が弱さのせいだろうか。



………………………………


「今日、上手くいかなかったとお聞きしましたが……」


 お蝶は美月の髪を梳きながら、今朝の鍛錬について聞いた。

 美月は微妙な顔をして「あ、うん…」と曖昧な答えを返した。

 もしかしたら本人も気にしているのかもしれない。余計なことを聞いてしまったかもしれない、とお蝶は少しだけ後悔した。


「朝はあまり食が進んでいませんでした。何かあったのですか」


 お蝶を安心させるためなのか、美月は何の問題もない、と言いたげに微笑む。

 本当に、大丈夫だと言い張った。

 だけど、それでは駄目なのだ。


「何かあればご命令を、我が主」


 お蝶は頭を深く下げる。

 美月は「ありがとう」と言うのだが、まだ何も命じてくれない。

 美月としては、お蝶の献身的で優しい態度は十分だと思っている。

 だから、お蝶に何も不満がない分、命じることもあまりないのだ。




………………………………



 師走は美月の動きの全て知っているかのように攻撃を全て避け、防御を簡単に破る。

 流石、文月姫の師である。


「まだ駄目ですね」


 師走からは未だに良い評価を貰えていない。

 ここ最近ずっとこの調子だ。


「また明日にしましょう」





 ───やはり、弱い。

 うるさいそんなことわかってる。

 ───だから誰も守れない救えない。

 うるさい。

 ───この手は誰かを傷つけることしか知らない。

 黙れ。


「姫様!」


 声がはっきりと耳に届き、美月は足を止めた。

 振り返ると眉間に皺を寄せ、不安げにこちらを見つめるお蝶がいた。


「ごめんなさい。考え事をしていて」

「具合でも悪いのですか?」

「悪くないよ、大丈夫」


 心配そうな顔で美月を見つめるお蝶に笑顔を作った。

 ああ、やはり私は笑顔が苦手らしい、と心の中で呟いた。

 あの人に、教えてもらったのに。

 お蝶はそれ以上は聞いてこない。お蝶なりの気遣いだろう。


「ありがとう、お蝶」


 ──ごめんね。


………………………………



 美月は昨日のような失態を繰り返さないためにも気合を十分に蓄え、竹刀を掴んだ。

 お蝶を救うのだ。そのためにも、あの峠に行く許可をもらわなければならない。


「気が十分に満ちておるようだ。喜ばしいといえば、喜ばしい」

「おはようございます、叔父上様」


 朝から重々しくも、輝かしい着物を身に纏った如月は、表情を一切変えることなく美月を見つめている。

 どこか威圧を感じる。


「時が迫っておる。このまま、何の成果も得られぬようであれば、我は適当に静美の蝶の新たなる男を選びぬこう」

「心配しなくても、すぐに師走様に許しを得て来ます」


 美月は父に貰った曼珠沙華の着物をはためかせながら縁側から降りる。

 広い庭に向かいて、師走と会う。


「おはようござます、姫様」

「おはようございます」


 美月は背中を伸ばし、竹刀を握り締めた。


「姫様。私は少しだけ嬉しいのです」


 師走の言葉の意味が理解できずに首を傾げた。


「水無月様の代わりに頭領になると名乗り出たあの日から、あなたは随分と変わってしまった」

「………」

「慈悲など考えない。鬼の頭領らしく、勇ましさや強さを兼ね備えるようになりました。前までは、母君や水無月様と笑い合っていた、可憐で優しい姫君でいらしたのに」


 師走は悲しげに語ったが、その次に希望を取り戻したように、美月にその洗練された瞳を向けた。


「いつしか微笑み方も忘れてしまい、ただ返り血を浴びるだけの存在になったあなたを見て、私は思ってしまった。姫様は頭領になってはいけない、と」


 いつもそんなことを思っていたのか。

 敬愛していたと言っても過言では無い、兄を守るために、自分が頭領になるしかなかった。

 しかし、いつしか感情も、笑い方さえ思い出せなくなっていた。


「あなたは、夕霧に、小桜に、小雪に。多くの者たちと出会うにつれてかつてのあなたを取り戻せた。花々の中を駆けていたあなたに戻っていくようでした。あなたは、あなただけです。どうか、見失わぬよう」

「師走様……」


 さあ、と師走は竹刀を構えた。

 刀の先を見つめ、美月も握り締めていた竹刀を構えた。

 美月は徐々に速くなりつつある鼓動を全身に感じ取り、呼吸を整える。

 その様子を庭の松の木の上でお蝶は息を潜めながら見つめた。

 師走の右足が僅かに動いたのを合図に美月は師走の竹刀を叩き割りに行った。


「重いですね。しかし、力ばかりが必要ではありません」


 師走の言葉を受けながら、美月は全身全霊に戦った。

 ただ、兄が残していった忍のために。

 師走の動きは速い。

 きっと宵闇の峠に待ち受ける多くの敵と戦えるよう考慮しているのだ。


 ──弱い者はどれだけ吠えても、何もできやしない。


「そんなこと、わかってる!」


 次の瞬間、師走の竹刀が吹っ飛ばされた。

 美月は構えた竹刀の先を見つめた。威力により、亀裂が生じていた。

 息を整え、再び背筋を伸ばした。

 師走は凛とした美月を見つめ、小さく呟いた。


「───どうしても姫様は戦場に立たなければならないのですか、睦月様……」

「え……?」


 所々聞き取れなかったが、師走の言いたいことがすぐにわかった。

 だが、父、睦月に向けられた問に何と答えたら良いのかわからず、黙っていることしかできなかった。


「良いでしょう。姫様、峠に行く準備を」

「良いんですか!?」

「あの忍を救いたいのでしょう? さあ、姫様。刀を持って峠へ向かってください」


 喜ぶ美月を木の上から見つめていたお蝶は自然と笑顔が綻んだ。

 自分の主が勝利したことへの嬉しさが溢れ出てきた。



………………………………


 そこは真っ暗だ。まだ山の麓にいる美月とお蝶はその暗黒に圧され、眉間に皺を寄せていた。


「こんなに暗くて、山を登れるの……?」


 前が見えないと道をそれてしまう可能性だってある。

 それにしてもおかしい。


 ───今は朝なのに、日の光すら届かない。


 宵闇の峠。名前の通りの場所のようだ。


「……行こう」

「はい」


 意を決して、一歩踏み出した。その後ろをお蝶がついていく。

 幸いにも、山道は両脇にある提灯が僅かに放つ光で何とか見えている。

 それでも、足元が見えづらいのは確か。

 美月はお蝶に手を引かれながら慎重に進んだ。



 随分と歩いたはず。何せ、はじめの頃と光景が全く変わらないので、今自分たちがどこにいるのかわからない。

 振り返ると、草木張の都が僅かに見える。

 音を発さないのは、山に潜む物の怪たちに気づかれないようにするためだ。


「姫様」


 だがそこで、山を登り始めてから初めてお蝶が声を発した。

 見れば、お蝶の顔は少しだけ引き攣っていた。

 美月も何かを感じ取り眉をひそめた。


 ───何かいる。


 お蝶は美月を背に庇い、警戒する。

 美月も曼珠沙華にそっと触れる。


「……っ!」


 耳も塞ぎたくなるような唸り声と、黒い影が二人の間を割って入る。

 物の怪だ。そう思った直後、美月は紅色の刀を抜いた。


『アァ、ゥゥ』


 物の怪は美月とお蝶を見つめたまま動かない。

 やがて、唸り声の根元があちらこちらから聞こえて来た。


 ──まさか……。


 提灯が照らしたのは蠢く影を数体……。


 ───逃げられない。


 それを察した瞬間、目の前が闇に染まった。





 ───花の香りが風に運ばれ、鼻をかすめた。

 日の光が眩しくて、目を細めた。

 体を起こして、辺りを見回した。

 藍色の空に烏が数羽飛んでいる。

 視線を落とすと、何もない開けた地面に、一輪だけ花が咲いている。それは枯れかかって気力を失い、首が傾いている。


「ここ……」


 どこか見覚えのある風景だ。

 立って服についた土を払うと、遠方に見える建物を見据えた。


「あのお屋敷は……」


 当時は立派にそびえ立っていたのであろうお屋敷は、色褪せ、柱は焦げ茶色となり折れかけている。

 屋敷の顔とも言うべき門は、立て付けが悪くなったのか、開きにくい。両腕により一層力を加え、門扉を開けた。

 中は焼け焦げた跡が残り、腐敗し、虫が集っている。

 だがここは。


「私の……故郷」


 ここは、文月姫が生まれ育ち、そして死ぬまでの時を過ごしたお屋敷だ。

 縁側に登り、中を見渡す。畳は勿論腐敗。部屋は非常に汚い。

 更に奥へと進んでいく。


「………………」


 一筋の涙が溢れた。

 だが、それを拭うことなく、導かれるように進んで行った。

 歩く度に床が軋む。

 奥の暗闇は酷く不気味だ。

 だが、角を曲がったとき、おぞましさは増した。



 その部屋は他の部屋同様、家具も何もない。誰もいない。

 ただ──。


「っ!?」


 赤い何かが壁に飛び散り、床はその乾燥した何かで染まっていた。

 途端、この部屋での出来事が鮮明に思い出された。


「は…は…う……え?」


 眠れなくて、母の元へ訪れて。

 それで………。

 紅色の短刀が母の喉元を───。


 ────『美月、忘れるんだ』


 全身に鳥肌が立つ。

 とにかく落ち着かなければ。呼吸を何とか整えた。

 きっと、父上も兄様も、母を目の前で亡くした姫を守るために嘘をついてきたのだ。

 守られすぎてしまったようだ。

 目の前で起きた悲劇から、逃げるように目をそらした。

 そして駆け出した。悲しいことも苦しいことも何も無い場所を目指して。

 屋敷から飛び出し、門に飛びついた。


「開かない……」


 だが、押しても引いても、門は開かない。

 美月は完全に屋敷の中に閉じこめられてしまった。


「……? 鈴の音?」


 耳元で鈴の振る音が聞こえた。だが、どこから聞こえてくるのかわからない。

 すごく近くにあるはずなのに、見当たらない。


「あの人に貰った鈴は……どこ……?」


 歩き回っても鈴がどこから聞こえているのかもわからない。


『可哀想に』

『本当、可哀想』


 今度はどこからか、自分を哀れむような声が聞こえた。


「……っ!?」


 突然足元が揺らめいた。

 黒い群れが美月を取り囲む。


「まさか、物の怪……!?」


 悪霊が集った黒い獣たちは大きな爪を立てながら美月を包囲していた。


 ───食われる……!


 美月はすぐに片手を翳し曼珠沙華を呼び出す。


(曼珠沙華が、出ない……!?)


 何度呼んでも、曼珠沙華は主の前に現れない。

 物の怪が迫り来る。


(ここで、終わりなの………?)


 頭に浮かんだのは絶望だった。

 ここで終われば、竜宮で待っている仲間に二度と会えない。

 それに……。


「お蝶……」


 こんな所で、何を恐れているのだろう。


「ここで終わってはいけない」


 一体の物の怪が美月目掛けて食らいつきに行く。

 だが、それを見切った美月は鋭い爪を避け、物の怪を殴り飛ばした。

 美月の目は、金色に輝き、鬼目となっていた。


「今、お蝶を救えるのは私だけ。邪魔をするな!」


 その時、獣たちの中でも特別大きな物の怪が一体、美月と向かい合う。


『愚かな鬼姫よ。お前が、誰かを救えると思うてか』

「………私が救えないと、お蝶は孤独になる。孤独に生きて死んでいく辛さを、お前たちにだってわかるだろ!」

『黙れ。何も行動を起こさなかった小娘が、偉そうな口を叩きよって』


 目の前が物の怪たちで埋め尽くされ真っ暗になっていく。

 何も、行動起こさなかった。

 母上、死なないで。

 兄様、私を一人にしないで。

 家族に言いたかったのに、言えなかった言葉。

 もう、愛した者の声も聞こえない。


 ──美月。


 獣の闇に取り込まれそうになった直後、自分を呼ぶ声が耳に届く。

 幻聴だろうか。だが、聞こえた。確かに聞こえた。


 ──大丈夫だよ。


 ああ、この声はまさか。


「にいさま……?」

 ──おいで。


 鈴の音が聞こえる。今度はよく聞こえる。

 鈴の鳴る方へ手を伸ばすと、誰かに掴まれ、引き上げられた。

 何も見えなかった暗闇から抜け出し、視界が晴れていく。


『馬鹿なっ……闇から抜け出すとは……!』


 物の怪の動揺した声が聞こえる。

 この手を引いてくれた。確かに救ってくれた。


「兄様……私を助けてくれたの?」


 兄に引っ張られたであろう右手を見つめ、美月は一筋の涙を流した。


 ───背を伸ばせ。胸を張れ。威厳を見せろ。君は鬼神だ。


 最愛の兄の言葉は、緩みきっていた美月の心をきつく結び直し、背中を押した。

 物の怪たちは尚も腹立たしげに美月へと突進してくる。

 美月は再び金に煌めく瞳を物の怪たちに向けた。


「道を開けろ」


 そのたった一言で、物の怪は動きを止めた。


「私の行く道を、阻むことは許さない!」


 途端、岩が砕け散るような音と共に世界に亀裂が走った。

 そこから崩れ落ちていく空に、物の怪たちは怯え始める。

 やがて、足元を支えていた地面も割れていく。

 だが、そこの隙間から見えた闇の中に、蹲る誰かがいた。


「お蝶?」

「姫様……?」


 美月はしゃがみ込むとどんどん裂かれていく地面の隙間から手を伸ばした。


「お蝶、捕まって!」


 お蝶はすぐに片手を伸ばし、美月の手を掴んだ。

 すぐにお蝶を引き上げようとしたが何故かお蝶の体が重りのように動かない。それもそのはず。お蝶の体を物の怪の手が数本掴んでいたからだ。

 まるで地獄から這い出てきたかのように物の怪たちはお蝶の体を掴んで離さない。しかも、引っぱられ、美月までもが闇の中に引きずり込まれそうになる。


「姫様、あたしの手をお離しください! このままではあなたも!」

「そんなの絶対に嫌だ!」


 美月はお蝶の手を両手で掴む。

 それでも物の怪たちはお蝶の体を離さない。


「離さない! 絶対に! ──あなたが必要だから!」


 美月の必死の叫びを聞いたお蝶はつかれたように心が昂ぶった。

 新たな主は、自分が守れなかった前の主の妹。

 大した言葉も交わしていなかったのに、姫は傷だらけになりながらも必死にこの手を離すまいと歯を食いしばっている。

 こんなにも綺麗で強い手が、物の怪たちの手よりも弱い訳がない。

 お蝶は自分にしがみつく物の怪たちを払い除けながら、主の元へ体を必死に動かす。


「───お前たち、お蝶から離れなさい!!」


 美月の一喝に、お蝶にしがみつく物の怪たちの力が弱まった。


『怒られた……』

『姫様に怒られた……』


 物の怪たちは口々にそう言うとお蝶から手を離す。


「お蝶!」


 美月は物の怪たちの力が弱まったのを見計らい、お蝶を引っ張り上げた。

 その瞬間、世界はまるで吹っ切れたように完全に崩壊し始める。








 目を覚ますと、美月とお蝶は宵闇の峠の斜面に立っていた。

 解放されたのだと思った。だが、周りには大量の物の怪たちがいた。


「……!」


 二人に向かって物の怪は爪を剥き出しにし、飛びついてくる。

 恐らく、まだ戦いは終わっていない。


「お蝶」

「はい、姫様」


 美月の呼びかけに答えるとお蝶は両掌から数本の苦無を覗かせた。

 美月も片手より曼珠沙華を呼び出した。


『哀れな鬼神よ。お前が誰かを救えようと、お前が救われることはないだろう』

「わかっている。お前たちも救われることなき魂の成れの果てならば、私が救ってあげる」


 物の怪たちが飛びかかってくる。

 次々と撫で切り、薙ぎ倒し、大きな爪を避けると物の怪の腹を一撃で貫いた。

 お蝶がひらりと地面に降り立ったのと同時に、頭に苦無が突き刺さった物の怪たちは倒れ伏す。


『あの女共を始末しろ。切り刻んで空腹の我らの餌にしてくれる』


 物の怪たちは大きな四肢を動かし美月とお蝶の元へ全速力で向かって来る。

 美味しそうな獲物を前にした獣たちは我先にと前足を伸ばす。


「止まれ、醜き悪霊よ」


 お蝶が呟いたそのとき、物の怪たちの動きが一斉に止まった。

 見れば、物の怪たちの頭上で黄金の蝶たちが毒を撒き散らしながら舞っている。


『何をしている、お前たち……! ────!?』


 困惑する物の怪の大きな体を、何かが掴んだ。

 下を見れば、地から這い出てきた別の物の怪たちがしがみついていた。それらは美月の影から伸びていた。


「食べて良いよ」


 それはまるで、腹を空かせた子供に語りかける母親の如く、穏やかな声だった。

 姫のその言葉を合図に、姫の影から出てきた物の怪たちは、敵の物の怪たちの首に食らいつき始める。

 暗い灰色の空に物の怪たちの悲鳴にも似たうめき声が響き渡った。



 物の怪の残骸を後にし、美月とお蝶は唯一、朝日が僅かに届く場所に辿り着いた。


『久しいな、曼珠沙華よ』


 くぐもったような低い声が前方から聞こえた。


「黒竜……」


 美月の呟きに反応し、大きな影が揺らめいた。


『娘よ、我に何を尋ねにここへ参った』


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