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鬼姫の曼珠沙華  作者: 紫木 千
第二章 『竜宮編』
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【第二章】夢の中で また

 その日は寝付けなかった。明日、美月は彼女の叔父である如月の元へ連れて行かれる。

 いや、それで良いのだ。如月に任せておけば、瘴気も浄化され、彼女は目を覚ます。それなのに、美月が遠くへ行ってしまうことに虚しさを感じていた。


『──愛してる、夕霧』


 それだけを言い残して、眠ってしまった。


 ──君を傷つけてしまった俺を、

君はどう見えている?


 我ながら、不器用で、素直じゃないことは自覚している。だから、人と関わらないようにしていた。

 それでも、小雪じゃないが、口が悪くても、いつも笑ってくれた美月。彼女の月のような静けさを持つ微笑みが頭から離れない。


 そうこう考えているうちに、いつの間にか夢という短い旅が始まっていた。


…………………


 赤子の産声が聞こえる。

 霧が晴れていくように視界が冴えていく。

 見たことのない場所だ。壁、床、天井。全て見回してみると現代ではあまり見られない古い造りだ。


 ──チリン。


 小さな鈴の音が聞こえ、振り向いた。

 廊下の突き当りに、憂いを帯びた表情の黒髪の女が立っていた。


「美月……?」


 呼んでも、黒髪の女はこちらには目もくれず、ただゆっくりと直進して行く。


「美月!」


 追いかけ、同じように突き当りを曲がったが、彼女の姿はなかった。

 ただ、産声がより大きく聞こえてきた。


『会えて嬉しい………。瑞樹、おいで。お前も妹に会いたいであろう?』


 部屋には赤子を抱いた黒髪の鬼が嬉しそうに微笑んでいる。その女鬼は、よく知っている。


「鈴紅……なのか…」


 雪女に取り憑かれ、現世に蘇った先代文月が、そこにいた。

 ならば、その腕に抱かれている赤子は………。


『母上、見ても良い?』


 今度は黒髪の少年の鬼が入室した。母親に、妹に、よく似た綺麗な顔立ちの少年はまだ幼くても、その正体が水無月であると確信できた。

 幼い水無月は母から生まれたばかりの赤子を預かると愛おしそうにその顔を眺めた。


『僕の妹だ。名はどうするのですか、母上』

『美月。美しく育つように、月のように誰かを静かに照らせるように』


 先代文月は、美月と名付けた娘と、息子を交互に見つめた。


『瑞樹、美月と、助け合って生きて』

『僕が、美月を守るよ』


 鬼の親子は幸せそうに笑っている。本当に、優しそうな家族だ。



 ───チリン。



 また鈴の音が聞こえ、もう一度振り返った。

 黒髪の女が向こうへと続く庭をどんどん歩いて行く。


「美月……」


 慌ててその後を追いかけ、また見失った。


『兄様、お花、沢山咲いてる』

『うん、咲いているね』

『あ、蝶々』

『急に走ってはいけないよ』


 辿り着いた先で、鬼の兄妹が庭に咲く花を愛でている。

 兄が妹の手をしっかりと握り、妹は大人しく兄の後をついていく。

 仲睦まじい光景が目の前にあった。


『瑞樹、美月。おいで』


 縁側で兄妹を眺めていた母親が息子と娘を呼んだ。

 母に呼ばれ、二人は嬉しそうに縁側に向かって歩いて行く。


『父上は、今日もお仕事で来られないそうです』

『また父上に会えないの?』


 悲しそうに嘆く妹の頭を撫で、兄は微笑む。

 そんな兄妹を嬉しそうに眺めた後、母は立ち上がった。


『私も仕事に行かねば……』

『うん、いってらっしゃい』


 母は頷くと立ち上がった。

 妹は兄の袖を摘むと首を傾げた。


『母上は、何の仕事をしているの?』

『……文月の仕事だ。美月はまだ知らなくていいことだよ』


 夕霧は兄妹の背中を見つめ、眉を顰めた。

 この二人の兄妹は今では死という残酷な運命に引き裂かれてしまったのだ。




 ────チリン。




 美月が、屋敷の中にいた。その後を追って、縁側に登った途端、さっきまで昼だったのに、いつの間にか夜になっていた。


『美月、母上の病はもう治らないそうだ』


 縁側で兄妹が話していた。兄は悲しげに、妹も悲しげに。



 ───チリン。



 鈴の音がまた聞こえた。振り向くと、視界に入ってきたのは血塗れの部屋だった。

 部屋の中央に敷かれた布団の上で、先代文月が赤い短刀で首を切って自害していた。

 突然の光景に言葉を失った。


『母上………?』


 まだ幼い声が聞こえ、夕霧は驚愕の表情で振り返った。

 そこには、血塗れの母親を見つめる幼い美月が立っていた。倒れ伏した母親を黙って見つめていた。


『奥方様………!!』


 やがて、他の鬼共が部屋を覗き、悲鳴を上げた。 


 ───チリン。


 場面が移り変わり、母親を失った兄妹の会話が聞こえてきた。


『兄様、母上はどこに行ったの………?』

『ご病気で、亡くなられたんだ』

『どうして、あんなに血塗れだったの?』

『美月、あの日見たものは全て忘れるんだ』



 ───チリン。



『兄様が次の頭領になるのね』

『うん………』

『嬉しくないの?』


 ───チリン。


『兄様、遊ぼう』

『ごめんね、今日は気分が優れないんだ』


 ───チリン。


『兄様の病はすぐに治るの?』

『すぐに治るよ。そしたらまた花を摘みに行こう』



 ───チリン。


『兄様! どこに行くの? 私を置いていかないでっ!!!』

『姫様、お屋敷に戻りましょう』

『嫌!! 兄様も私を置いていくの!!?』


『………大丈夫。また、会えるから』



 ………会話が止んだ。鈴の音も聞こえない。美月の姿もない。

 それでも彼女を探した。

 この広い屋敷のどこかにいるはずだ。

 やがて、いつの間にか昼となり、日の光に照らされ、風になびく黒髪を見つけた。


「美月………」


 彼女はある一部屋を見つめ、動かない。

 彼女の元へ歩み寄り、隣で一緒に、ある部屋を見つめた。


 そこには、母より文月の名を受け継いだ、鬼姫がいた。

 その向かい側には、外見は若いが、威厳を持った男鬼がいた。


『父上、私が………私が頭領になります。だから、兄様には無理をさせないで』


 男鬼は黙って娘を見つめている。


「あれが…睦月……」


 夕霧は、会話から、あの男が美月と水無月の父親であることを悟った。


『父上、兄様には、病を治すことに専念してもらいたいの。一から学びます。兄様の分まで。だから、お願い』


 これが、文月姫が次期頭領となるきっかけだった。


 ──突然、熱風が巻き起こり、目の前が荒んでいく。

 なんだか、熱い。

 気がつくと、屋敷があった場所は焼け尽きて、跡形もなく焼き払われていた。


「これは………」


 ───これは、霧の部族がやったのだ。あの日、夕霧が文月姫を殺したあのときに。

 どこか近くで、啜り泣く声が聞こえた。美月の声だとわかった瞬間、反射的に駆け出していた。


「美月………!」


 屋敷の跡地で、美月は蹲って泣いていた。


「ない……」


 屈んで彼女の肩に触れる。


「何が、ない……?」

「鈴……ない……ここで落としたの……」

「………」


 美月は泣きながら地面を探っている。


(あの日、俺があげた鈴か………)


 それは、彼女にとって本当に必要なものだったからなのか、失くしてしまった罪悪感からか、あるいは両方か。

 そんなもの、そんなに辛い思いしてまで探さなくても。そんなに泣きながら、震えながら地を這いつくばらなくたっていいのに。


「もう……いいから……」


 弱々しいその肩を抱いた。彼女の涙を拭い、額と額をつけ、懇願した。



「頼むから、もうこいつを苦しめないでくれ……!!!」




 世界に亀裂が走る。空が、地面が、ひび割れ、崩れていく。

 その光景が、あまりにも恐ろしく、美月を抱き、庇った。

 そのとき、美月の手が、夕霧の頬を伝う涙を拭った。


「あなたを、守ってみせるから」


 美月は夕霧の掴んだ手を、自ら離し、亀裂により生じた深くて暗い穴の中へ彼を突き落とした。


「さよなら、愛してる」


 崩れていく世界の中、美月が一人取り残されている。

 どんどん遠くなっていく彼女の悲しげな表情に向かって、夕霧は叫んだ。


「美月っ! 俺は、今度こそお前を守ってみせるから!!! 待ってろ!!!」


 この声は届いただろうか。



………………………………


「夕霧」


 聞き覚えのある声に叩き起こされ咄嗟に目を冷ました。

 視界に入ってきたのは、双子の姉の方だ。


「小桜……」

「起こしに来ました。魘されてましたけど………」


 小桜の視線は若干冷たく、訝しげで、決して心配してくれていると勘違いしてはいけない予感がする。


「さっさとどいてください布団を畳まなければ」


 そう言って、小桜は容赦なく布団を剥ぎ取ってやった。


「今日、姫様とお蝶様は如月様のお屋敷へ行くことになってます。私達は、今危険な状態にある竜宮をお守りするため、まだ暫く滞在します」

「結界石の修復はできないのか……」

「今、修復中だと聞いています。その間は神無月様が結界を張っていらっしゃいます。ですが、この広い都を、四六時中守るというのはかなりの負担になるかと」


 守を司る神無月は結界を解かれた竜宮を守るため、一日中力を使っているが、恐らく限界がある。きっと神無月も疲れを感じているだろう。

 おまけに、竜宮の頭首であり、彼の一番の理解者でもある、水無月が亡くなったとなると尚更、彼の心身が心配になってくる。


「俺の噂してんのだーれだ」


 背後から聞こえてきた陽気な声。振り返ると噂をすれば、歯を見せ、ニッと笑う鬼がいた。


「神無月様………」


 小桜は目を見開き、すぐに跪く。


「いやー、話あってさ」

「何の用………?」

「皐月程ではないけど、目つき怖い。そんなだと、姫さん愛想つかして俺のところ来ちゃうかもね〜」


 それを聞いた瞬間、夕霧、小桜は敵意を剥き出しにする。


「………二人共睨むのはやめて、冗談だから」


 小桜は黙って下を向く。夕霧は深く溜息をつくと、改めて神無月は本題に入る。


「夕霧、姫さんとお蝶を見送ったら、一緒に来てくれる………?」

「どこまで」

「結界石」


 神無月はそう言ってまた笑った。




……………………


 荷造りを済ませ、お蝶は眠る新たな主の手に触れる。

 本来、守らなければならない相手を失ってしまった。静美の忍として、この失態は大きい。


「あなたの心残りは、あたしが守ります」


 それが、静美で生まれたお蝶の定。

 後ろの戸が開き、夫がこの部屋を訪ねた。


「蝶……」

「疾風、あたし、もう行くわね」


 疾風はお蝶の手を握った。

 ただ、行くな、と伝えたかった。それでも、これが彼女の生きるための仕事だと考えると口を出せなかった。


「蝶、何故、俺に隠してた……」

「そしたら、あなた何かしでかしそうだし」


 お蝶は笑っているが、本当は、心の中では、全く笑っていない。寧ろ、目の前にある小さな幸せを手放す悲しみに溺れている。


「あたしは、行かなければならない」

「でも」

「もう、行くね。もうすぐ姫様を……」


「祝言は………」



 疾風のやっと振り絞られた言葉。いつも、妻に迫られていた。祝言はまだかと。いつも怒られていた。

 あれほど望んでおきながら、今度は自分から手放すというのか。


「それも、もう少し後になる」


 お蝶らしくなかった。今の彼女にかつての余裕なんてない。


「また、会おう。疾風」


 障子を開き、お蝶はそれだけ言い残し、部屋を去った。

 取り残された疾風は拳を握りしめた。


「何故………。あれほど、祝言と…言ってたくせに……」





 進んで行く大行列は上へと

上昇し、天を駆け旅立って行った。

 その中に、姫とお蝶がいる。空を飛ぶ馬車が本当にあったのだなと驚くものだが、今はそんな気分ではない。

 傍観していた白夜が皐月の裾を引っ張った。


「どうした、白夜」


 振り返り、以前よりも少しだけ背丈が低くなった彼女と目を合わせた。


「芭蕉………呼んでる……」

「芭蕉がどこにあるのか、わかるのか……?」

「葉月」


 白夜はそう呟いたきり、黙り込んでしまった。だが、その情報を聞けただけでもありがたかった。

 その近くで聞いていた弥生も、白夜の語ったことに目を見開いていた。


「芭蕉は葉月の元にあるのですね?」


 弥生の問に白夜は頷いた。


「そんなら、葉月んとこ乗り込みに行くぞ!」


 そう言って飛び出していく皐月の首根っこを掴んだ弥生の表情は非常に呆れていた。


「馬鹿なの……? そういうのはきちんと、師走様………は、いないから誰かに相談するべきよ!」


 弥生は腰に手を当て、まるで子供を叱りつけるかの如く皐月を制止する。

 だが、その相手を下に見る態度は皐月を苛つかせるのに十分であった。


「お前な、ずっと探し求めていた芭蕉だぞ!」

「弥生は、冷静になれと言ってるの!」

「どっちも冷静になってくれ………」


 弥生と皐月の喧嘩に最も呆れていたのは夕霧であった。

 彼の言葉を聞いた弥生も皐月も喧嘩を止めたが、互いに顔を見合わせると眉間に皺を寄せ、互いにそっぽ向いた。

 喧嘩するほど仲が良い、とはよく聞く。だが、こちらから言わせてもらうと、仲が良いのなら喧嘩しないでほしい。


「まあまあ。白夜が芭蕉の居場所を知っているだけでも良い収穫だよね」


 側で二人の喧嘩を見ていた神無月は苦笑した。


「芭蕉の奪還には協力するよ、皐月」

「そんでもってお前が芭蕉を奪ったら承知しねえよ」

「売るのは良いかな?」

「もっと駄目だ、ふざけんな」


 小馬鹿にするように話す神無月の余裕の笑みと、軽快に腕の骨を鳴らす皐月が対立し始める。

 その状況に更に溜息をつく夕霧を見て、神無月はバツの悪そうな顔をした。


「いや〜ごめんごめん、夕霧。じゃ、さっき言った通り、来てくれる?」

「はいはい」


 神無月についていく夕霧を見つめ、弥生と皐月は仲良く首を傾げた。



………………………


「なるほど」


 破壊された石は妖力を失いつつあり、もはや結界の約わりを果たしていない。一度千里眼で見たことあるが、実際見てみると酷いものだ。


「一番の結界が張り巡らせられている竜宮門も、威力が弱まってる。これじゃあ敵の侵入も簡単に許してしまう」


 神無月も壊された結界石と竜宮門のある方向を見据え、溜息をつく。

 夕霧も、同じように竜宮門が存在する森の奥を見据え、顎に手を添え考えた。

 竜宮が崩壊される危険性を、頭領睦月は黙っている訳にはいかないだろう。何かしら手を打つはず。それなのに、行動しない理由は、まさかと思うが、この都を見捨てたか……。


「というより、何で俺を連れてきた」

「あの中で、一番頭が回るのは君だけかなーって。竜宮門でも、すぐに異変に気づいた。君って頭いいくせして行動しないから、強制的に連れてきたんだ〜」

「………」

「ところで、夕霧は竜宮門で何を見た?」


 神無月の問に、夕霧は僅かながらに眉を顰めた。


「君は疾風の思惑に気づいて、水の中に入る前から覚悟を決めてたから、他の奴らよりも竜宮門に捕まりにくかった。だけど、多少は見たでしょ?」


 確かに、見た。過去の後悔を、少しだけ、見てきた。

 燃え盛る屋敷と、血塗れの鬼姫を、この目で見た。

 あとは………。


 ───『生き延びなさい』


 誰かわからないが、女の声が最後に聞こえた。

 竜宮門での出来事はここで終わった。


「ま、いっか。大方予想はつくよ」


 神無月は真剣な表情で悩む夕霧が面白いのか、笑った。


「ところでさ、ずっと気になってるんだけど」


 神無月と夕霧は目を合わせると互いに顔を見合わせた。


 ───途端、鬼と人間は一瞬にして消えた。


「………!?」


 夕霧が、森に潜んでいた女に斬りかかった。悔しげに舌打ちをする女は夕霧に向かって青い炎を撃ち込むもあっさりとかわされた。


「動くな」


 紫に輝く銃口を目にし、女は動きが止まる。


「誰…? 名を告げろ」

「………」

「結界に異変を感じたんだよね。君は外から来た者だ」


 女は全身を黒い着物で覆い、顔も隠されている。

 そのため、一体誰なのかわからない。

 その直後、矢が女と夕霧の間を割って入るように飛んできた。それを夕霧が避け、後退したすきに女は青く輝く炎で身を守る。


「誰ー、ちょっと今面倒なんですけど」


 神無月が愚痴を溢しながら、矢が飛んできた方向に向かって銃を放つと、小さな影が木から木へと飛び移り、やがて女の傍に着地した。


「子供……?」


 女は唇の端を吊り上げると、黒装束を脱ぎ捨てた。

 瞼を紅に染めた、鋭い目つき。銀に輝く白髪を編んだ女がそこにいた。

 その傍らで、弓矢を片手に持つ子鬼が無邪気に笑う。


「火の鬼、瑠璃。鬼神の殲滅をここに宣言しよう。最高にして、最愛の主、葉月様のために!」


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